純喫茶の美少年
とびらの様主催の『超美少年企画』参加作品です。
主人公、倉坂 透は美少年。
だが自分の顔があまり好きではない。
そんな彼が喫茶店でのアルバイトを通して、少し自信が持てるようになる話。
自分の顔からは逃げられない。
だから僕は、ごまかし方を覚えた。
◆
今日も5時半に起きた。黒縁のメガネを手に取る。
シャワーを浴びて、目元が隠れるよう前髪をすだれのように下ろしていく。
次は化粧だ。アイブロウで眉毛を太くする。清潔感を失わない程度に、それでいて、野暮ったくなる太さ。
肌は地色が薄い。よって、女性用のコントールカラーで色を付ける。間違ってもモデルみたいと言われないよう、イエローを混ぜて頬を土気色に寄せていった。眼窩を意識して色を変えると、光の加減で目が小さく見える。
変身完了。
鏡にいるのは、冴えない男子高校生だった。
「よし」
満足したら、家を出る。
誰も僕の顔に注目しない。顔の見せ方を覚えてから、登校が苦ではなくなった。
超美少年。
なにせ、それが中学までのあだ名だった。
自分でいうのもなんだが、目鼻立ちが抜群に整っている。雪のような肌に、すっと通った鼻筋、左右対称に配置された二重まぶた。
顔を見られるのは苦痛だ。
こんな顔をしているのはどんな子だろう、と思われているような気がして。
だからごまかし方を覚えた。
今でも思い出す。
小学校の学芸会で、僕はかぐや姫の役にされた。理由は、誰よりも衣装が似合ったから。
『美しい顔を活かそう! 君の個性なんだから』――先生までそう言っているのが心底気持ち悪かった。
善意だったのかもしれないけれど、顔立ちだけで女性の役をやらされることが嫌だという主張は、通らなかった。女の子の服を着た男の子が、そのあとどんな目でみられるか、先生は想像しなかったんだろうか。
中学でも整った顔はいやに目立ち、ひどいからかいや噂の原因になる。
顔で損ばかりしていた。
学校に辿り着き、クラスに溶け込むように自席につく。
いつしか、化粧で自分の美貌を殺すことを覚えた。野暮ったく見える髪型も研究している。
飛び抜けた美しさを殺すことは、青虫が木の葉に擬態するようなものだ。
高校2年生になった今も、ばれていない。
「ねぇ」
そんな理由で、話しかけてくる人は苦手だ。顔を近くで見られるから。
伏し目がちに前を見る。クラスメイトの双葉千佳がこちら向きに座っていた。
「倉坂くんは、決めたの?」
名前を呼ばれたことで人違いという可能性も消えた。
朝から困ってしまう。
この人はいつもそうだ。おはようもなければ、遠慮もない。
「なんの話?」
「班分け」
語学実習の班分けのことだろう。
面倒な行事を思い出して、僕は今度こそため息をついた。
「……そうか。もうそんな季節なんだね」
「千キロ望遠の目をしているね」
彼女はけらけらと笑った。
なにが面白いのかと思うけれどもこの人の目的は見えていた。
今は5月の終わり。11月から僕らはオーストラリアに語学実習に向かう。期間は1ヵ月。高校2年生の僕らには修学旅行よりも大きなイベントだ。
現地で課題をこなしたり小旅行したりするときの班分けを、予め決めておく必要がある。
「君を私の班に誘いたいの」
儀礼的に悩むふりをしながら、僕は彼女の顔を観察した。
目鼻立ちのはっきりした顔で、丸顔だが各部位がバランスよく納まっている。
「課題の点数で順位がつくでしょう? 私は最強パーティーでオーストラリアに望みたいと思う。で、また放課後……」
「悪いけど、他をあたってください。まだ時間は十分にあるんだし」
そう断って、僕はトイレに行くふりをした。
◆
11月から1ヶ月に渡って続く語学実習は、僕の頭痛のタネだった。
友達が少ない生徒に、長い時間を異国で過ごすのは難しい。かといって、僕は新しく友達を作ることも、双葉のように目立つグループに入ることも嫌だった。
吹奏楽部の不協和音に顔をしかめながら、まっすぐに下校する。
単に家に帰るのも味気なくて、今日も寄り道をした。
「いらっしゃい」
喫茶店のドアを開くと、慣れ親しんだ鈴の音。店主のおばさんの声がほっとさせる。適度な距離感のせいだろうか。
梅雨を前にした湿気も、お店の中までは入ってこない。
僕はおばさんに会釈してから、いつもの席に座った。小さなテーブルの一人席で、階段が近いせいで天井が少し低い。
ここに体を押し込むと安心できる。
「ブレンドを一つ」
コーヒーを注文して、サイフォンの音を聞いた。
アルコールランプがフラスコを熱す。ごぼり、ごぼり、とお湯がわいた。コーヒーの香りが鼻をくすぐる。
このお店が好きだ。
学校から3駅離れて、ここで降りる生徒はまずいない。そして高めの値段だから、学生はほとんどやってこない。
僕は頼んだコーヒーにケーキセットをつけようとして、悩んだ。
「800円か……」
高い。
コンビニケーキの3倍だ。
ひとりぼっちは、こうして暇を潰すにもカネがかかる。
同じ悩みは、語学実習にも言えた。オーストラリアで僕はかなりの時間を一人で過ごすことになるだろう。
時間をつぶせる場所を探すにはやっぱりお金が必要だ。
双葉にそっけなかった理由は、嘘ではない。僕はアルバイトを探していた。
「……あ」
ふと目にとまった。
白壁にアルバイト募集の紙が張ってある。
灯台もと暗し。
この喫茶店、アルバイトの募集をしているのか。
少し、迷う。けれども、募集要項にある『絵』に惹かれて、僕は最終的におばさんに声をかけた。
「あの、この募集なんですけど……」
◆
アルバイトの初日、僕はおばさんに驚かれた。
「上手ねぇ……」
おばさんは目をぱちくりさせる。
「美術部なんです」
「へぇ……だから器用なのね」
店主のおばさんは、わかったようなわからないような首の傾げ方をしている。
自分でもこんな上手にできるなんて驚きだ。
僕らの前にはカフェラテが置かれている。
香ばしい香りを封じた白くて細かい泡。そんなキャンパスに描かれているのは、犬の顔だったり、ウサギの姿だったり、葉っぱの模様だったり。
ラテアート。
僕が描いたものだ。
「本当に初めて?」
疑わしそうな目。
「はい」
「そう。どこかのお店の店員さんを引き抜いちゃったのかと思ったわ。絵が崩れてもないし、すごいのねぇ……」
おばさんはさっきから『すごい』の大安売りだ。
僕は美術部に所属している。双葉が僕を班に誘ったのも、活動内容を知ってのことだろう。
高校は今時には珍しく部活動を強制的に1つ選ばされるシステムで、僕はとりあえず美術部を選択しておいた。ちなみに中学でも同じ部活である。
「……バランスなんです」
「へ」
褒められるのがくすぐったくて、僕は自白するように言った。
「『きれい』とか『整ってる』という印象は、全体に対するバランスで決まります。犬の顔であれば、目と鼻の位置。葉っぱであれば一番太い線の始まりと終わり。それがキャンパス――この場合はカップですけど、その真ん中にくるように置くと、きれいに納まります」
おばさんは何度か頷いて、真剣な顔で僕の作品を見ていた。
「わたしよりうまいかもねぇ……」
「どうも」
美術部に入っていたのは、黙々と作業できることに加えて、『顔の美しさ』をごまかす方法を勉強できると思ったからだ。
中学にあがる時、僕はまったく美しさが抜けない自分の顔に絶望する。
顔のことで注目を浴びたくなくて、前髪を伸ばし、メガネをかけて登校したが、多少では消しきれないことは理解していた。
大事なのは、バランスを殺すこと。
化粧で顔を汚すだけではダメだ。眉毛を描き加えたり、目元を濃くしたり、顔のバランスを崩すように化粧を使わなければならない。そのやり方を学ぶため、僕は美術部に入り浸った。
中学3年間の活動で、『きれいさ』について大分理解は深まった。おかげで高校生の今は、中学よりもずっと自然に顔だちを打ち消すことができている。
「好きなの?」
おばさんに聞かれて、僕は不思議そうな顔をしてしまった。
「絵」
「多分……」
カフェラテは、コーヒーにクリームの層がのる。その白い層に楊子を刺して、下からコーヒーを巻き上げていく。そうして絵を作っていく作業は、にじみも計算して色を置いていく水彩に少し似ていた。
◆
土曜日と日曜日は、喫茶店でアルバイトをするようになった。仕事を覚えることは大変であったけれども、僕のラテアートは思いのほか好評だった。
今まではおばさんが時たまやっていたようなのだけど、もう一人描ける人が増えたから、メニューにきちんと載せたらしい。
スマホで写真を撮る人も出てきて、学校で絵を褒められるよりも、なぜか何倍も嬉しかった。
僕のことを知らない人が、カップの絵だけを見てすごいと思ってくれる。
彼らはラテアートだけを見て目をきらきらさせて、きっとそれを作った人の顔なんて気にしないのだ。
それがたまらなく嬉しかった。
「あそこの喫茶店ね」
6月も終わりになっていた。学校で、僕は聞こえてきた会話に足を止めてしまう。
女子2人の話を盗み聞いた。
「ラテアートが有名らしいよ」
ぎょっとした。冷や汗がたらたらと流れてくる。
「今度行ってみようかな」
その週末、僕はびくびくしてアルバイトを過ごした。学校の誰かが見に来ないか、すごく気になる。
きれいな顔だちをしているとばれたら、また、昔に逆戻りだ。顔だちにしか注目されない自分に――。
僕は、もう一度、変装をすることにした。
アルバイトの朝。前に下ろしていた髪型を、左右に分けるようにする。メガネも縁が細いものに替えて、大人びて見えるよう頬に化粧を施した。
鏡にいるのは、野暮ったい男子高校生ではない。
そこそこきれいな男子大学生――それくらいには見えるだろう。ヒゲでもあればより完璧だったのだけど。
アルバイトに顔を出すと、おばさんに驚かれてしまった。
「……だ、誰かと思ったわ」
幸い、おばさんはすぐに受け容れてくれた。
「そうしていると、もう何年もやっているみたいね」
「そうですか」
嬉しいです、と僕は小さく付け加える。喫茶店の一部になれた気がした。
◆
いつしか、アルバイト先の喫茶店で僕はいくつもの顔を持つようになった。
地味な男子高校生の顔。
大人びた大学生くらいの顔。
そして――メガネを外し化粧も薄くした、僕の本当に近い顔。
仕事を認められた場所だと、地顔をさらすのが苦痛でなくなっていた。水泳で息継ぎをするように、僕は時たま素の顔でカウンターに立つ。
コンタクトに変えただけでおばさんが腰を抜かしたのは、ちょっと申し訳なかったけど。
純喫茶の美少年、とSNSでもちょっと話題になった。そういう時、話題から2、3日の間は、メガネと化粧をしてカウンターに立つ。
で、みんなが忘れた頃、ほんの短い間だけ素の顔でカウンターに戻った。
僕が隠れ家として使っていた喫茶店は、僕の息抜きでもあり、家以外でメガネを外せる本当の意味での隠れ家になっている。
夏休みを前にした日、僕は学校でまた双葉さんに声をかけられた。
「班分け」
この人の言葉は、相変わらず少し足りない。僕はどうにか意味を察した。
「……え、語学実習の班分け、まだ決まっていないの?」
「そうなの」
双葉さんは恥ずかしそうに笑う。
「オーストラリアで、写生大会があるのよね」
「へぇ」
「だから、君に来て欲しかったのよ。倉坂くんの絵ってとっても素敵じゃない?」
僕が学校の美術部にも寄りつかなくなった原因は、美術部の顧問が絵を貼り出してからだった。
注目される。
その可能性が生まれた瞬間、僕は美術部にも顔を出しづらくなった。学校という場を信用できなかった。
上手く描けた一枚の水彩画を、この人も見ていたのかもしれない。
ラテアートをスマホで撮っていた、お客さんのように。
「……まだ、空いてるんだね?」
僕は彼女に尋ねた。
「うん」
「わかった。僕でよければ……よろしく」
そのうちラテアートでもおごろう、と僕はひっそりと決意した。