タイニー・ソングが生まれる
下手な歌を歌った
原曲キーのままで
狭い部屋に二人
笑わずに聴いていた
過度な劇を見ていた
小劇場の隅で
硬い椅子に座り
喋らずに見惚れてた
変身願望
胸に抱いて生きてきた でも
誠心誠意を
差し出してくれたから
少しずつ返すよ
口に出したら消えそうさ
壊れつつダンスを
離れない約束
でかい音で踊った
リキッドルーム満たし
アンディモリをめがけ
たまらずに手を上げた
安い酒を食らった
飲み放題の店で
ミックスフライ頼み
止まらずに話してた
殺人衝動
喉に刃先向けていた でも
存在証明
手を取ってくれたから
一つずつ刻むよ
顔に出してもいいんでしょ
解れつつジャイヴを
交わさないさよなら
少しずつ返すよ
口に出したら消えそうさ
壊れつつダンスを
二つずつ増やそう
思い出すたび微笑むよう
見つめつつさぁキスを
離れない約束
交わさないさよなら
向かい合い愛すよ
「どう?こんな感じなんだけど」
ギターから手を離し、下田は画面に向かって問いかけた。ピックを置いて、相手の反応を待つ。
二階の住人が談笑する声が聞こえて、思わず顔をしかめる。いくら仲が良くても、今は会わないようにするのが賢明だろう。第二波が来るという懸念は、まだ払拭されない。
「うん、曲はこれでいいと思う。今度の配信でやる新曲はこれにしよう」
パソコンの中で海渡が頷く。少し画質が悪くてぎこちない。奥のポスターが照明を反射している。
風呂上がりなのか、海渡の髪は湿っていて、首にタオルを巻いていた。以前、海渡が組んでいたバンドのグッズである。気兼ねなく使われているように下田には見えた。
「じゃあこれから歌詞を詰めていこう。どう直したらいいと思う?俺こういうのあまり慣れてなくってさ」
画面の向こうで、バイクが通る音がした。海渡は腕を組んでいる。普段は曲を作るのは下田、歌詞を書くのは海渡の担当だ。
ギターデュオ「シモタカイド」。結成して五年目になる今年、二人はメジャーレーベルから声をかけられていた。来週には初めての全国流通盤をリリースする予定で、東名阪のツアーも組まれていた。これからの飛躍を期待されるミュージシャンとして、雑誌に取り上げられたこともある。時間はかかったものの、二人には順風が吹き始めていた。
だが、知っての通り、この状況下ではライブなど開けるはずもない。多くのミュージシャンと同じように、二人もまた、苦境に立たされていた。息継ぎをせずに二五メートルプールを泳ぎ切れ。そう言われているのに等しい。
「そうだな、歌詞も悪くはないんだけど……。これってデートってことでいいんだよな。気になったんだけど、屋内の描写多くないか?」
「いつも俺がよく行く場所をイメージして書いたからかな。確かに偏ってる感じはする」
海渡はノンアルコールビールを開けた。酒は好きだが、創作しているときにはアルコールを入れないのが彼の流儀である。
一口飲んで、また語り掛ける。家でしかつけない眼鏡を直しながら。
「今って、こういう密集、密接するところってあまり良くないだろ。何か反感を買いそうでちょっと怖いんだけど」
「そうか? 歌の中でぐらい許してくれると思うけど」
「いや、今の人たちの溜まり具合を舐めちゃいけねぇよ。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだ収束してないんだから。ちょっとしたことで爆発しかねないんだって。今は、メジャーデビューを控えた大事な時期だし、なるべくリスクは抑えていこう」
冗談みたいな言い草だ。ライブハウスからの配信だというのに。それでも、海渡に言われれば、下田は同意するしかない。路上ライブをしていたかつての記憶を、下田は思い返す。
凍えそうな駅前広場。足を止めるのは数人の常連客のみ。それでも白い息で、自分たちが信じる歌を歌った。誰かに届くと信じて奏でた。金銭的な収入は少なかったが、目に見えないギフトは今よりも多く贈られていた気がする。
冷たい窓からの風が、下田を現実に揺り戻した。
「そうだな。で、海渡だったらこの歌詞どう直す?」
下田もノンアルコールのチューハイを開けた。冷感に喉が癒やされる。アルコールが入っていなければ、ただの飲み会だ。
曲作りは、和らいだ空気の中で行われる。張りつめすぎてもあまり良い曲はできないという持論は、二人の間で共有されていた。
「なんか、もうちょっと時代性が欲しいんだよな。この歌詞って、別に今じゃなくてもいいし」
はっきりと言われ、下田は少し凹む。ギターはギブソンのレスポール。手を触れると、暖かな感触に少しだけ安心する。たとえまやかしだとしても、初めて触れたころから変わらない包容に身を委ねたくなる。
「ほら、歌詞にポケベルとかダイヤルとか入ってると、なんか時代が分かっていいだろ。今ってこういう特殊な状況だし、歌詞にして残しておきたいんだよ」
一理ある。下田は納得してしまう。毛布を剥がされて、目を覚まされたような感覚。二度寝は許されない。主張は窓をすり抜けて、遠くに飛んでいく。チューハイは、いつもよりまろやかな味だ。
「なるほどな」
ノンアルコールなのに、舌が痺れるような錯覚がするのは、美味く飲み込めていないからか。
二人は大学で出会った。同じバンドサークルの三回生と一回生。敬語が嫌いな海渡に合わせて、下田もタメ口で話しているが、心の奥底には遠慮がある。気が置けない間柄とは、まだまだ言えない。アクリル板で隔てられた図書館の窓口のようだ。
「とりあえず、今は密集、密接、密閉の三密回避だろ。歌詞もそれに沿って直そう。まず、カラオケボックスとか劇場っていうシチュエーションを変えなきゃな」
そう言うと、海渡は画面の奥でスマートフォンを操作し始めた。下田は何も言わず、見つめることしかできない。やがて海渡が見せたパソコンの画面には、PDFが映っていた。一枚の縦長のPDFだ。下田は目を凝らす。そうしないと、読みづらいくらい小さな字だった。
「ほら、厚労省が提示した『新しい生活様式』ってあるだろ。これを基にしようぜ。まず、『遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ』。今の歌詞に登場する場所って、都から自粛要請が出てる施設ばっかりだから。ロードマップだってこのまま順調に進んでいくとは限らないだろ」
「屋外っていうと、公園とか広場とか、砂浜とかか?」
「俺は丘とかいいと思うんだよな。最近観た映画で、印象的だったから」
海渡は天井を見上げた。下田はギターを握って、フレーズを弾く。下田も同じ映画を見ていたから、すぐに情景はイメージできた。オレンジ色の屋根の家々を見下ろす一組の男女。沈み始めた太陽に照らされながら、手を重ねている。流れるセンチメンタルな音楽。
「あと、ドライブインシアターとかいいんじゃないか。最近そういう動きあるし」
「確かに、なんかオシャレだよな。吸引力もある」
「そうだな。二つ目のAメロは、ドライブインシアターでいいか?」
海渡の顔が画面に迫る。電灯がジリジリと瞬く音がする。納得しかける下田。だが、頭に浮かんだ疑問は消えない。
「でも、おかしくないか? 同じ車の中で観てるんだろ? 密じゃんか」
「それは、窓を少し開けて換気してるんだろ。あと、マスクもつけて喋らないようにしてる。そうすれば飛沫感染を防ぐことができるし。そういう設定で行こうぜ」
めちゃくちゃな論理。穴の空いていない針に糸を通せと言っているような。冷静になればそう感じるはずだ。だが、このときの下田は、そんな類のことは一切考えなかった。
ノンアルコールなのに、少し体が火照り始めていた。一筋の風が吹いてきて、不思議なくらい心地よい。
「それとさ、公園で行くとして、この二人は公園で何してんの? ベンチに座って話すのもさ、『身体的距離の確保』に当てはまらないよな。密接だから」
「ジョギングでもしてんのかな」
下田がボソッとこぼす。パソコンのマイクはそれを拾ったようだ。海渡が身を乗り出している。目の奥で光がこぼれる。見る者を惹きつける鋭い光だ。
「なるほど、健康的だな。でも、PDFには『すれ違うときは距離を取るマナー』って書いてあるぜ」
「じゃあ、距離を取らなきゃな。並んで走ってる場合じゃない」
海渡は顎に手を当てて考え込む。しばらく会っていないからか、髭が濃くなっていた。顎の長い海渡に髭はあまり似合わない。配信までには剃ってくれるだろうか。だが、下田の不安をよそに、海渡の声は弾んでいく。
「思いついたんだけどさ、いっそのことソーシャルディスタンスって単語入れちまおうぜ。メディアもそれで持ち切りだし、今年の流行語大賞になるかもしれないし」
「確かに流行ってるしな。みんな分かってくれるだろ」
傍から見れば、二人の会話は滑稽に映るかもしれない。だけれど、彼らの頭には客観的な思考は微塵もなかった。
ノンアルコールに酔っていたわけではない。会議がある程度続くと起こるエスカレート現象。監視役不在のオーバーヒート。視界は目隠しをされたように狭まって、触れたものを手当たり次第に取り入れる。暗中模索の戒壇巡りだ。
彼らはすっかり舞い上がってしまっていた。桟橋を降りて未踏の大陸に到達する旅行者の気分だ。マイクを向けられたら、きっと喜んで答えるに違いない。
「一番のサビで『壊れつつダンスを』ってあるだろ。そこ『ソーシャルディスタンスを』に変えられない?」
下田は言われたとおりにギターを弾いた。突飛な提案だと思ったが、思いのほか馴染んでしまう。拍車がかかる。二人は思わず、笑みをこぼしてしまう。パソコンの黒い画面が、鏡になって各人の姿を映す。
「ほら、いけた!ジャイヴもダンスの一種だし、キスも密接しなきゃできないだろ。いっそのこと全部『ソーシャルディスタンスを』に変えちまおうぜ」
「なるほど、そっちの方が印象に残るしな」
「あと、最近流行ってるので、#WashYourHandsってあるだろ。ジャニーズ発のやつ。新しい生活様式にも『家に帰ったらまず手や顔を洗う』ってあるし、手洗いの描写も入れようぜ」
「それだ!だんだん良くなってきた気がする!さすが海渡!」
「褒めるのはよせよ。そうだ!もう思い切って、三密回避って入れよう!」
「確かに!今っぽいな!」
「あとさ、リモートって単語もどっかに入れたいよな!流行りだし!」
「よっしゃ!こうなったら徹底的にやってやろうぜ!目指せ、新時代のラブソング、だ!」
「おう!」
二人の会話は止まない。夜は少しずつ更けていく。海渡のノンアルコールビールはもう三杯目に突入している。遠くで名前の分からない鳥が鳴いていた。空は少しずつ青を取り戻し、新しい一日を本格的に始めようとしている。
本番の七時までは、あと二四時間もなかった。
***
「いやー、今日は楽しいですね!落ち込みがちだった気分も、みるみる回復していくようです!今、大体三百人くらいですか。改めて皆さん見てくださって、ありがとうございます!」
「配信は先週に続いて二度目なんですけど、少し慣れてきた分、僕も前回よりも楽しいです!家にいると分からなかったけれど、こんなにたくさんの人が僕らの音楽を聴きに来てくれていて、それってすごい有り難いことなんだなって。本当に感謝してます!まだまだ配信は続くので、今日はお家で楽しんでいってください!」
「さて、次は新曲を演奏したいと思います。緊急事態宣言は解除されましたが、元の生活にはなかなか戻らない。ゆっくりと息が詰まっていくような、そんなもどかしさを基に曲を作りました」
「三歩進んで二歩下がるといった状況が続いていますが、もう少しの辛抱です。この曲が少しでも、皆さんの励みになれたら嬉しいです」
「では、聞いてください」
『2020年のラブソング』
下手な歌を歌った
スマートフォンに合わせ
広い丘で二人
笑わずに聴いていた
古典映画を見ていた
ドライブインの森で
白いマスク被り
喋らずに見つめてた
外出制限
家で一人泣いていた でも
リモートチャットで
話すことできたから
少しずつ返したい
口に出したらタイムラグ
ソーシャルディスタンスを
離れよう互いに
固いシューズで走った
上野公園周り
空いている時を狙い
並ばずに駆け抜けた
両手と顔を洗った
60秒をかけて
先程までの心地
止まらずに流れてった
三密回避さ
好きな場所に行けないよ でも
画面越しにでも
二人飲みできたから
一つずつ刻みたい
ログを残すのどうやるの
ソーシャルディスタンスを
交わせないどこ行こう
少しずつ返したい
口に出したらタイムラグ
ソーシャルディスタンスを
二つずつ増やしたい
思い出すのは黒い画面?
ソーシャルディスタンスを
離れよう互いに
交わせないどこ行こう
愛せない いないと