第15話 蹄の音
日もとっぷりと暮れたバレンティアの街を一人の少女が小走りに駆けていた。彼女の名は、クララ。そうカルネ村のアレクの幼馴染である。
数日前に、働く酒場『タベル』でからまれているところを、幼馴染のアレクが助けようとしたが、アレクは暴漢に叩きのめされてしまった。それから姿を見せない幼馴染の身を案じて、こっそり奉公先を抜け出して生まれ故郷のカルネ村を目指している。
月明かりだけの道は、すれ違う人も少なく、石畳にカルネの足音が響いていた。
――アレク大丈夫かな、怪我が悪くなってないかな。そんな思いが彼女を急かせていた。
街の城門に着くと脇にある衛兵小屋を訪ね、その木戸を叩いた。
「すいません。今晩は。誰かいませんか」
「開けてください。『タベル』のクララです」
しばらくすると、中から声がし、一人の衛兵が顔を出した。
「誰だ……こんな夜にまったく」
ぶつぶつと文句を言いながら出てきた衛兵の名はアル。酒場の常連で、少し酒に酔っていた。
「おっ、クララじゃねえか。いったいどうしんだ」
「アルさん。良かった~、お願いがあるんです。外に、実家に帰りたいんです」
「はあ、駄目だダメ。こんな時間に何考えてるんだよ」
「急いで、帰らないと……いけないんです! お願いします! お願いします!」
「お前、フェイス家で奉公中だろうが。上の者の許しは得てるのか」
「――相談はしてません。黙って出てきました。誰にも言いませんから……」
クララは、必死にアルへ頼み込んだ。その時アルにふと思ったことがあった。
「う~、ちょっと待ってろ」
そう言い残すとクララを置いて、奥に戻って行く。上司にでも相談するのだろうか。いやそれは悪巧みだった。
アルは、衛兵小屋奥の仮眠室に戻ると、そこで酒を飲んでいた男達に声をかけた。
「おい、カモがきたぜ。どうする」
「なに~」
声を返した男は、ニトだった。三日前にルナやパルネ・ガスパルの一行を襲ったニトだ。襲撃を中途半端に失敗し、相棒も一人戻っておらず、街の悪友達とやけ酒を飲んでいたところだ。
「女か?」
「ああ、タベルのクララだよ。どうだい」
ニトがニヤリ笑いと唇を舐める。
「いいぜ、やるか。おい! ダナン用意しろ!」
「アル、頼んだぜ」
「ああ、いつも通りにな……」
「なに~まだ酒……飲んでる~のに」
ぶつぶつと文句を言いながらもダナンは準備を始め、アルは外で待つクララの所へ戻って行った。
「おい、クララ出てもいいぞ。門を開けてやる」
「本当にいいんですか。ありがとうございます」
「いいってことよ。いつも給仕してもらってるから特別だぞ」
そう言うと、クララを連れて城門に向かった。今は戦時でないため、鉄城門は降ろされておらず、木製の門があるだけだった。
アルは、閂を外して門を開けクララを送り出そうとする。
「おい、野犬に注意して気を付けていきなよ」
「はい、ありがとうございます。訳も聞かずに……なんてお礼を言えば」
「いいんだ、いいんだ。お前と俺の仲だ。早く帰って来いよ」
「本当にありがとう。アルさん良い人なんですね」
「バ・バカ、照れるようなこというんじゃねえよ。さあ早くいけ」
「はい」
歩みを早めるクララを見送りながら、アルは笑った。そこへ馬を連れた、ニトとダナンがやって来た。
「うまくいったな。俺達もでるぜ」
「ああ、分け前を忘れんなよ」
「へっ!いつもがめつい奴だ」
そう言い残すとニト達は、馬を引き門から出て行った。最近のニト達は、若い女を攫うことを生業としていた。女たちを買う者がいるのだ。前回の仕事で一人足りずにやけ酒を飲んでいたところに、まんまとカモがやって来た。ニトはついてると思った。
――やれやれ、一匹死なせたからな、数が足らんとあいつ等、値切りやがって。ちょうどいいとこだったぜ。街から離れたらそのまま攫って、あそこへ連れて行くとしよう。
バレンティアの街から北へ10,000ヤート程離れた、深い森に、今は見捨てられたとても古い小さな砦跡があった。古い言い伝えに、魔物がでると恐れられており街の者は誰も近づかない。
外壁は崩れ、ツタが覆い見るからに恐ろし気な砦であった。当然誰もいないはずだったが、砦内の暗闇の中に、そっと隠れ潜んでいるものがいた。
クララは、時には小走り時に時にはゆっくりと息を切らしながら、カナク村を目指していた。
「はあはあ」
――待ってて、アレク。私、今行くから。待っててね……私やっぱりアレクが好き。
幼馴染と思っていたが、彼女の感情は、友情から愛情へ移り、盲目の恋へと変化している。そんな気持ちが、こんな夜更けの道を急がせていたが、街を離れて半時ほど過ぎた時だった。
『ダカッダカッ』――蹄の音。
「なに……馬!」
クララを追ってきたニトの二人組に訳も分からず、行く道を挟まれた。
「おっと、待ちなクララ。こんな夜更けになにしてんだ」
「クフ……俺たちと~いいことしようか~」
「なんなの! ニト! 何する気!」
「へっ、いいとこに行こうぜ。はっはっは」
馬から飛び降りると、一目散にクララをめがけて二人は襲いかかった。二人の暴漢に、か弱いクララが敵うわけもなく、取り押さえられる。
「やめて~! 止めてよ!」
「おい、うるせえから、早く縛っちまえ。猿ぐつわもな」
「人使い……荒い~」
――助けて。助けてアレク……。
愛情があっという間に、悪意に引き裂かれてしまう。そんな悪夢の出来事だった。
注)10,000ヤート:約10km
毎日更新の予定です。
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