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山火事とトカゲ

三題噺:「光」「テレビ」「燃える世界」

レンズの向こう側に覗く、抜けるような夏空ともうもうと昇る灰色の煙。フレームの下端に燻っている森の一部も収まるように調整し、河畑はシャッターを切った。

フリーライターとして身を立てて数年たち、なんとか食べていける自信がついてきた。契約している週刊誌のひとつに提供する今回のニュース記事のテーマは、今週の頭から燻り続けている山火事の様子だった。

立ち位置やカメラの構え方を調整し、さらに何度かシャッターを下ろした。デジタル一眼レフのプレビューを見るが、いざ紙面に載せようとしてみれば意外と納得いかないケースはざらにある。ここで吟味しても仕方ない、現場でありったけの撮り高を得ておくのが肝要だ。それが河畑がここ数年で得た後悔しない撮影の心得のひとつだった。


消防の規制線のギリギリをうろついて画を集めていると、不意に声を聞き取った。遠くに呼びかける女の声だった。

「りゅーちゃん、りゅーちゃーん…!」

視線を巡らせると、黒いワンピースの細身の女が坂をふらふらと登ってくるところだった。なんだか様子がおかしい、と思ったのも束の間、女はばったりと道路に倒れ込んだ。

うわぁ、大丈夫ですか、と慌てて駆け寄ると呻き声が漏れ聞こえる。周りには木、山、アスファルトくらいしかなく人もいない。河畑は咄嗟に思い出した麓の喫茶店を思い出し、女をどうにか支えて軽自動車の後部座席に押し込んだ。


---


「すみません、ありがとうございました」

喫茶店のソファー席を借りて横になっていた女は、しばらくすると回復した。喫茶店の店長とともに安堵の息をついた。自分用にアイスコーヒーと、彼女はレモン水を頼むと、店長は安心したようにキッチンに引っ込んでいった。

「近くに住んでる日渡といいます。実は飼ってたペットを逃げてしまって、探し回っていました。つい夢中になって飲み物も持たないままずっと歩いていたもので、あんなことに……。本当にありがとうございます!」

「や、気にしないでください。たまたまですが助けられてよかった」

ちょうど店長がサーブしてくれたアイスコーヒーを飲む。冷たさが身体に染み渡った。

「ちょうど僕も休憩したかったので」

喫茶店に据え置きされているテレビはCMが明けてニュース番組に切り替わり、アナウンサーの声が店内にも流れた。ちょうど山火事のことを伝えている。日渡が憂いのある表情で、山火事の件を伝える映像を見ていた。

ふと思い立ち、河畑は名刺を鞄から探った。

「僕、フリーライターの河畑といいます。山火事の件について小さい週刊誌に記事を出す予定でして。実際に書くかどうかは分からないんですが、一つのエピソードとして、日渡さんのペットの件を伺ってもよろしいですか?」

「ええと、そんなに面白いことは、言えないと思いますが大丈夫なんでしょうか?」

「お気になさらず、こちらとしてはいくつか質問にお応えいただければ、すごく嬉しいです」


インタビューで一言二言もらうだけでも、文字にしてみると意外と行が埋まるものだ。また、人間は本人が思うより引き出しが多い。いかに相手の引き出しから面白いものを開けてみせるかはフリーライターとして生きるためのスキルのひとつだ。

「そうなんですか。質問でしたら、助けていただきましたし、いくらでもどうぞ」

日渡ははにかみながら答えた。予定外の収穫に、もし面白そうなネタであれば山火事とは別にペット関係雑誌にでも売りに行こう、などど実利的なことを脳味噌の片隅で検討してしまう。

「坂を登っているとき、りゅーちゃん、とおっしゃっていましたが、ペットのお名前ですよね。犬…ですか?」

「いえ、リューちゃんはトカゲです」

「トカゲ」

「はい、トカゲ。かわいいです」

日渡はにっこりと笑った。

なかなか珍しい趣味をしている。とりあえず手元の手帳に、トカゲ、と走り書きした。

「そのりゅーちゃんが逃げてしまったときの状況は、どんな感じでしたか?」

「数日前、遊ばせているときに家にお客さんが来て、ドアを開けた隙間から逃げてしまって。一瞬でした。夜行性なので夜間に探していたのですが、見つからないのでむしろ昼のほうがじっとしているんじゃと思ったのですが……まだ見つかりません」

日渡は憂いの眼差しを陽光の刺す窓に向けた。なかなか整った顔立ちをしているので、その表情だけでも絵になる人だ。

「やっぱり、今晩改めて探しに出ようと思います」

「どの辺りを探してるんですか?」

「山火事を避けたあたりは一通りみました。なので今晩は、」窓からは灰色の煙がもうもうと上がっている山が見える。日渡は視線でそれを指し、「あの辺を探します」と続けた。


ふと思いつくことがあった。ナイスアイデアだと感じ、河畑は閃きのまま口にする。

「僕も今晩ご一緒させていただけませんか。捜索の目も多いほうがいいでしょう。ご迷惑じゃなければ、ぜひ」

「そんな迷惑だなんて! でも…いきなりトカゲ探しなんて大変なことを…本当にいいんですか?」

「ちょうどもう少し近づいた場所の様子を確認しておきたかったので、ついでです。またお手伝いといってもスケジュールの都合で今晩だけですので。あとは、リューちゃんが見つかったら顛末を記事に書いてもいいですか? 爬虫類雑誌の編集の知人がいるので売り込んでみようかなと」

「へえ、そんな雑誌があるんですね。記事は、はい、私の話なんかで良ければぜひ使ってください」

「よかった。じゃあ、捜索隊結成ということで」

河畑が握手を求めると、日渡も応じ、お互いによろしくお願いしますと言葉を交わした。


日没まで間があったうちに、準備をしようとホームセンターで懐中電灯を買った。虫取り網を手に取り、これも必要かと日渡に尋ねたところ、リューちゃんと出会えればあちらから来るから問題ない、と言われて売り場に戻した。また河畑自身も虫取り網の取り扱いに自信がある訳ではなかった。


改めて軽自動車を走らせて、山火事の近くに到着したときは、太陽がほとんど沈んで夜の帳が降りてきた。山の稜線に沿って空が赤色に滲む美しい光景を、もうもうとあがる灰色の煙が霞ませている。風上の位置にあたるため、煙は山の反対側のずっと遠くへ流れていった。

規制のある一般道路を避けた山道を選んだために、2人を見咎める消防の人員もいなかった。

「じゃあ、私は左側を見ておくので、河畑さんは右側をお願いできますか」

「わかりました。あれ、そういえば写真とかはありませんか? 模様とか」

「すみません、手持ちがなくて。でも、見ればすぐわかりますよ」

河畑に普通のトカゲとリューちゃんの違いが見極められる自信は1ミリも無かったが、無いものを要求しても仕方ない。懐中電灯を点け、向かって右側の茂みを探るように照らした。


リューちゃん、リューちゃん出ておいで。日渡の呼びかける声が木立の中に響く。

彼女が声を張り上げる死角を補おうとして、河畑が森の奥を見やった時、チラチラと揺れるものを見た。赤と橙が入り混じった色に、河畑は調べた山火事の参考映像を思い出す。人間には到底逃げ出せないスピードで森林を舐め尽くしていく炎が脳裏に閃いた。

「日渡さん、山火事が思ったより広がってるみたいです。逃げましょう!」

河畑の警告に日渡は振り返って、

「リューちゃん!」

と、一声叫んで炎の見える方向に駆け出した。危ないと声をかける間もなく、彼女はぐんぐん遠ざかり、炎はぐんぐん近づいて来た。日渡が炎に巻き込まれると直感し胃の腑が捻れそうになったとき、ソレの輪郭がはっきりした。

大樹のような高さ、懐中電灯の光に黒緑にぬめる鱗、炎に見紛う虹彩を帯びた両眼。

ハリウッド映画のCGの知識しかないが、河畑はソレをドラゴンと呼ぶということを知っている。

「リューちゃん、よかった! やっと会えた」

足下で日渡が精一杯伸ばしている両腕に甘えるように、ドラゴンは巨大な頭を地に寄せた。再会を喜びあったふたりは、しばらくするとさも当然のように首のあたりに据えられた鞍に主人を乗せ、改めてその巨大な頭をもたげた。ただその光景を絶句して懐中電灯で照らしている河畑に向かって、日渡が叫ぶ。

「河畑さーん!ありがとーございましたぁー!」

ドラゴンがその巨大な両翼でつむじ風を起こす。河畑が舞い上がった塵芥に思わず目を瞑った数瞬の間に、そのファンタジーな生き物の姿は掻き消えていた。


---


ヤケクソになりながら書いた記事は、普段掲載の世話になっている雑誌には当然ながら軒並み相手にされなかった。一方、初めての契約先として某オカルト月刊雑誌と取引を持てたので、総合的に考えると今回の取材はややプラスに終わったと考えてよさそうだ。

机の隅に置かれていたその雑誌の見出しを思い浮かべる。「山火事の真相、火を噴くドラゴンと謎の美女」。チープな題だが趣味雑誌の紙面を埋めるにはユニークであろうと思う。


ふと手元が陰ったように感じ、右手の窓の向こうに視線を投げる。雲ひとつない快晴の中、飛行機に近い何かが……しかし、機械にしては有機的な軌跡を描くナニカが、太陽光線を遮って飛んでいた。河畑は数分それをからっぽの心持ちで見つめると、脳裏に焼き付いた光景を振り払うように頭を振った。次に必要とされているのは複数社が値を付けてくれそうな現実的なネタなのだから。


どうしようかなぁと椅子の上で伸びをする河畑が、事務所の間口に訪れた轟音と風圧でひっくり返るまで、あと3分。

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