3-1
翌日。今日中になんとか事件の解決ができなければ、イオンさんの身に何が起こるかわからない。いや、そもそもその目安だって推測の域を出ないものだ。今日これから、最悪今にも何かが起こっている最中かもしれない。早く待ち合わせ場所に行こう。
ロックくんは先に出かけていたようで、部屋にはいない。ひとりで出発の準備をする。
緊張感からの逸る気持ちの僕を止めたとは、机の上に置かれた手紙だった。
内容は至ってシンプル。学院の、とある場所が書かれているだけ。普通なら何も思うところもない場所だけど、今の僕には見過ごせないものだった。
「昨日、インプに襲われた場所だ……ッ!」
脅迫犯の魔の手が僕にも及び始めている。そう実感せざるを得なかった。そこに来いっていうことか。
魔の悪いことに、イオンさんとの待ち合わせ場所もまさにそこだった。相手の手中に自ら飛び込むかたちとなってしまう。だけど、悪いことばかりじゃない。時間も当てもない今、向こうから現れてくれたのだから。これを好機ととらえ、引きずり出せるチャンスだ。
気合を入れ直して部屋を後にした。
授業もない朝ということで、学院の外れは人の通りがない。昨日と同じ風景。インプが燃えた、石畳の焼け跡もそのまま残っている。
イオンさんとの待ち合わせには早いけど、うまくいけば手紙の主よりも先に彼女と合流し、対策を練る時間が取れるかもしれない。なんて計画は、早くも無意味となった。
腕を組み佇む、イオンさんではない人物の姿がそこにはあった。
「ごきげんよう。待ってましたわ、ライト・アングル」
果たして、その人物は僕の知る人だった。
「フラン・メルカリーさん……」
赤く長い髪、上等な服を上品に着こなすその姿。今度はその名を忘れてなかった。
「僕を……僕とイオンさんを呼び出したのはキミだったんだね」
「ふふ、その通り……って、イオン・テイル? 何故あの子の名前が出てくるんですの?」
「え? だって、僕が呼び出されたってことはそういうことだと思って」
僕だけを呼び出した? それはまずい。僕だけじゃうまく対応できない可能性がある。最悪、イオンさんに対する人質にされる危険性を孕んでいた。
その緊張を隠し、慎重に会話を試みる。
「まさかキミが犯人だったなんてね。予想外、でも想定の内ではあったかな」
「犯人? 何のですの?」
予想に反し、彼女は首をかしげた。
「あ、あの文を書いたのはキミじゃないの?」
「ええ、書いたのはわたくしでしてよ。手紙っていうのはどう書いたらいいものか考えすぎて、最終的に場所だけ記した文になってしまいましたけど、ちゃんと伝わっていたようでほっとしましたわ」
「え?」
「え?」
二人で首をかしげる。どうも、話が噛み合ってないような気がする。
「ちょっと待って。イオンさんに脅迫文を出したのはフランさんじゃないの?」
「脅迫? どうしてわたくしがイオン・テイルを脅さなければならないのでして?」
「……」
「……」
犯人じゃない? 無関係?
「何やら穏やかじゃない言葉が聞こえたましたが、何か事件でも?」
「ああ、うん、僕の早とちりだったようだよ。何でもない。それじゃ、僕はこれで」
あまり余計なことを言わないよう、早く立ち去ろう。イオンさんの寮の方向へ向かえば、途中で会えるはずだ。
「それはひょっとして、“魔法”に関わることではないのでして」
ぴた、と。
その一言が、僕の足を止めた。
「な、何を言って……」
「イオン・テイルは“魔法使い”である」
「!」
顔が引きつるのをこらえるも、動揺が顔に出てしまっただろう。
「正解のようですわね」
勝ち誇るような笑みを浮かべる彼女。
フランさんは脅迫については知らないはず。だけど、学院内で僕以外にそのことを知る人物は、脅迫犯その人しかいないはずだ。ならば、彼女は犯人とつながりがある……?
彼女は言った。
「あなた……イオン・テイルに“魔法”をかけられているのですわね!」
「……え」
「昨日のインプ事件の後、追試験の勉強で忙しいはずのライト・アングルが、何故か商店街を歩いていたという話ですの。それもイオン・テイルと共に。これはもう、で、で、デートという逢引きですわ! そんな不健全極まりないこと、あの“魔法使い”があなたに何らかの“魔法”をかけたとしか思えませんわ」
「え……え?」
情報が多い。なんでインプのことを知っている? なんで僕たちが商店街にいたと知ってるんだ? そして、なぜ“魔法”のことを。
「逢引きについてはロック・ソルトに聞きましたの。彼とわたくしは共に、インプ事件の調査をスタンプ先生に仰せつかっておりまして」
ロックくん、余計なことを吹き込んで……。でも、それだけじゃ説明が足りない。もっとも聞きたかったのはそこじゃない。
「実は、あなたがインプに襲われた時、わたくしもその場にいたのですよ。ウサギが逃げてくる方向を辿っていたら、傷ついたウサギを癒してるあなたを見かけました。ウサギに優しい人物は、わたくしは好ましく思いますわ。あなたにもいいところがあるのですね……って深い意味はありませんわよ! 勘違いなさらないでくださいましっ!」
青く発光するフランさん。まぶしっ。
「……見られてたんだね」
こっそりやったことが誰かに目撃されていたと知ると、恥ずかしさがこみ上げる。
そして、そこを見られたということは。
「そこを見てたってことは、その後インプと戦ってるところも見てたってことだよね? 助けてくれてもよかったんじゃ」
「ほ、本当なら率先して向かいたかったのですが、そ、その、魔術杖を部屋に置いてきてしまっていて……。丸腰で相手するのはちょっとばかり勇気が足りなくて……で、でも、危ないと思ったら飛び出そうとは思っていたのですよ!」
だけど、実際に助けてくれたのはイオンさんだった。
「そう。イオン・テイルの魔術も見ていました。弱い魔力ながらもインプを一撃で葬り去る威力。それはもう、“魔法”と呼ぶにふさわしいものでしたわね。学友が“魔法使い”だったとはかなりの驚きですけど、彼女は優秀ですわ。優秀な者は否定しませんわ」
知られていた。イオンさんの知らないところで知られてしまっていた。この事実は、彼女にとって大きなショックとなる。
「フランさん、何が目的なの?」
「そう構えることはありませんわ。わたくしは、あなたを助けて差し上げようと思いますの」
「……へえ?」
予想外の言葉に、変な声を出してしまった。
「おおかた、イオン・テイルに付けこまれているのでしょう。大事な試験を控えているのも関わらず、連れ回されるあなたが不憫でなりませんの。卑劣なる“魔法使い”からあなたを解放して差し上げますわ。だから、わたくしと来るのです!」
ぐいっと、僕の腕を掴まれる。
「いえ、結構です。間に合ってます」
あ、固まった。断られるとはつゆほども思ってなかったんだろうなぁ。
「ていうかフランさん、僕のこと嫌ってなかったっけ? 努力をしない落ちこぼれだって」
「そこは変わりませんわ。でも、ウサギに優しい人に悪い人間はいませんの。ですから、わたくしがきっちり特訓して差し上げて、落ちこぼれから脱却させてあげますわ」
さらにぐぐいっと腕を引っ張られる。や、柔らかい感触が……。
「き、気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい」
青い輝きを放ちながら石のように固まる。何かのオブジェのようだ。
「わ」
「わ?」
「わわわわわたくしよりもあの女の方がいいと言うのですの!?」
青の光が明滅し、だんだん赤に変わっていく。髪の色と同じ、赤色。顔が赤いとは血色ではなく、赤く光っていて、それは「頭に血が上る」という剣呑なイメージを連想させる。つまりは嫌な予感。
「もーもーもー! 何でですの? 何でですの? わたくしが勇気を出してお誘いしたというのにー! わたくしの心とプライドが傷つきましたわ!」
「ぎゃあああ!」
頭をがっちり掴まれ――頭突き。瞬くような閃光、額が割れるように痛み! 傷ついたのは僕の頭だ!
「いいですわ、それならばわたくしにも考えがありまして」
フランさんは全く痛みを感じてないのか、平気な顔で言う。
「わたくしと決闘なさい! わたくしが勝てば、わたくしの下に来るのですよ。あの女から遠ざけて、追試なんてきっちり合格させてあげますわ」
「け、決闘だって!? 僕が勝てるわけないじゃないか!」
魔術師同士の決闘では魔力の強さがものを言う。僕が学年トップクラスのフランさんに勝つ要素などひとつもない。
「すぐに用意しますわ。待ってなさい」
「ち、ちょっと、受けるなんて言ってないよ!」
「それじゃ、わたくしが負けたらなんでもあなたの望みを叶えて差し上げますわ。まあ、わたくしにできることに限りますが。ですが、その……いかがわしい行為はちょっとやめていただきたいというか」
どうしてそういう方向に持っていこうとするんだろう……。
僕の頭にはひとつの考えが浮かんでいた。イオンさんのことを口止めするために、僕が決闘で勝利してそうお願いすればいい。
「すぐ準備してきますわ。逃げるんじゃありませんことよ!」
そう言い残して去って行く後ろ姿(赤く光ったまま)を見送りながら、僕は思った。
「怒ってると赤くなるんだなぁ」