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ムルナ魔術学院に通う学生は、丘の中腹を拓いてできた学生街にある寮に住む。だから、頂上にある学院に行くにも麓にある商店街に行くにも、坂道を上り下りしなければならない。上から下を見下ろす分には、ブラウンで統一された屋根がずらりと立ち並ぶ様に感銘も受けよう。メインストリートは石畳で舗装されているからまだ歩きやすいとはいえ、体力のない人にとっては楽な道程ではなさそうだ。
「ライトくん、私は思うんだ。魔術は万能と謳いながらもこうして不自由な思いをしなくちゃならないのはおかしいって。魔術は万能だろうと使うのは人間であって、人間が勝手に作ったルールのせいで万能性が失われるんだって思う。何が言いたいかって言うと、魔術で飛んでいけたら本当に便利だったよね。ちょっと休んでいこう」
「あ、うん」
町での魔術行使は禁じられていはいない。だけど、行使に必要な発魔術杖の持ち出しには許可が必要で、多くの場合においてそれは認められない。
「もう少し行けば噴水広場だから、そこでちょっと休もう」
「うん……」
目が死んでいる。
僕たちはいま、イオンさんの元同居人、クロテさんのパン屋を探して商店街を彷徨っている。何せ雑談の中での情報らしく、詳しいことはわからないそうだ。おぼろげな記憶を頼りに町を歩かなければならなかった。
商店街は活気が溢れている。大きな道には人や荷車が行き交い雑踏が絶えない。大通りに沿って木組みの建物が立ち並び、商人が軒先で呼び込みをしている。広場には屋台が出て、食べ物の香ばしい匂いが漂う。
噴水の縁で休憩すると、飛沫が心地よい涼しさを生み出す。露店を眺めていると、あるものが目に入った。僕はそこで品物を二つ注文し、銅貨を払う。へたり込むイオンさんのところへ戻り、ひとつ手渡した。
「ライトくん、それは?」
「冷えてておいしいよ」
緑色で細長く、なめらかな表面の果肉を酢に漬け、串に刺して冷たい水にさらした食べ物。瑞々しくしゃっきりした歯ごたえで、暑くて酸っぱいものを求める体にちょうどいい味付け。
「あ、おいしい」
イオンさんも気に入ってくれたようで、どんどん食べ進めてあっという間に完食した。さっきまで溶けかかっていたようなイオンさんが復活したようで、何より。
「ごちそうさま。ふう、生き返ったぁ。ライトくん、よくこんなの知ってたね。よく来るの?」
「たまにね。同室のロックくんがよく商店街に遊びに来るみたいで、いろんなことを教えてくれるんだ」
「へえ。そういうの、ちょっとうらやましいな」
「イオンさんと同じ部屋だったっていう、クロテさんはどんな人だったの?」
「ライトくんよりも年下かな。いい子だったけど、私とはちょっと距離があったね。なかなか目を合わせてくれなかったし」
「仲が悪かった?」
「いやいや、私が話しかけると部屋の隅に隠れちゃうの」
「物理的な距離?」
「もっと一緒にいられれば……仲良くできたかな」
と、クロテさん……クロテちゃんの印象を結ぶ。それを踏まえて、彼女について考えてみる。実家のパン屋を継ぐために学校を辞めたのがひと月前のことだという。やめる前までイオンさんと行動する機会が多かった彼女ならば、脅迫犯に繋がる情報を持っているかもしれない。
そして、もしかしたらクロテちゃんこそが犯人その人である可能性を――僕は考えなければならない。それは、イオンさんにはできないことだと思うから。
疑わしいかどうかは、実際に会ってみなければわからない。
「それにしても、人が多いね」
時間がないとはいえ、ほとんど当てずっぽうで歩き通しだったから、少し休憩を取る。
「賑やかだね」
馬車がウサギを避けて通り、その先にいた人が轢かれそうになる。怒鳴り合いの喧嘩が始まると、官憲が出動してきて取り締まる。さすが魔術学院のある町の官憲、魔術であっという間に取り押さえた。
「僕の村じゃ考えられない人の多さだよ」
「私がいた町もそうね。でも、もっと大きな都市に行ったらもっとたくさんの人がいるんだよ」
「へえ、そんなに……人に酔いそうだ」
「ひとりいたら三十人はいると思った方がいい」
「三十人!」
「それはもう、さながら虫の大群のように……蠢いて……」
「虫の大群!」
「だから都市は暑いんだよ。蒸し風呂ならぬ虫風呂」
「それは地獄だ!」
こうやって楽しくおしゃべりしていると危機感が足りないと、フランさんあたりは怒るのだろうけど、暗く沈んだ気持ちでいるよりは健全だろう。こうやって益体のない話に花を咲かせることで少しは気がまぎれるなら、それでいいと僕は思う。
「……あれ、ロックくん?」
今、人ごみの中に見知った顔を見た気がした。
向こうも僕に気付いたようで、人ごみを掻き分けてこちらに向かってくる。
「ライトじゃないか! こんなところで会うなんて奇遇だな」
背が高く筋肉質な体、遠目からでもわかる短い、茶髪。目つきが鋭くて怖がられがちだけども本当は心優しく面倒見がいいことは僕がよく知っている。学院にいる時とも寮にいる時とも違う、しゃれた服装だった。
僕と同じ寮、同じ部屋で寝食を共にする頼れる同居人ことロック・ソルトくんその人だった。
「なんだなんだ、女の子と一緒なんて。いつの間にそんな相手ができたんだよ」
「ち、違うよ、そんなんじゃないよ! 彼女はそう、友達なんだよ。ね、イオンさん」
「はい。そんなんじゃなくてただの友達のイオン・テイルです」
ただの、のところをやけに強調する彼女。にこりと微笑んでいるはずなのに何故かこの笑顔に寒気を覚えた。
「イオン。イオン・テイルね。覚えたぜ。自慢じゃないが、一度覚えた名前は忘れないんだ。俺はロック・ソルト。こいつと相部屋のモンだ。よろしくな」
ウインクを交えて自己紹介する姿は様になっていて、男らしい魅力がにじみ出ている。
「ところでライト、いつ女の子の友達なんてできたんだ? 学院じゃ俺以外の奴と仲良くしてるところなんて見たことなかったぞ」
僕とイオンさんとの出会い(正確に言うならば初めての授業のときに顔を合わせているはずで、半年くらい前まで遡れるのだけれども、そこまで正確さを求める必要はない)について説明した。いくら僕が信用しているロックくんといえども“魔法”について話すわけにはいかないので、『フクロウ堂』での一件の後に意気投合し、こうして町に遊びに来たということになった。嘘はついてないけど本当のことを言わないなんて詐欺の手口のようで心苦しいけれども、ロックくんとの友情とイオンさんとの約束は別の問題だ。
「なるほど。つまりデートに来たんだな」
違うよ! と否定しかかったものの、否定してしまったら本当のことを話さねばならない。
「ち……がわなくもないと言えないこともないかもしれない可能性が含まれなくもない」
「どっちだよ」
曖昧にすることで明言を避ける高等テクニック。
まあいい、とロックくん。
「そういえばお前、成績はどうだった? あれだけ落とすわけにはいかないって意気込んでいたが」
帰ってから報告しようと思っていたので、ここで話す。かくかくしかじか。
「あー、キューク先生か。俺は授業受けてないけど、厳しいって評判は聞いてる。追試は大丈夫なのか?」
「うん。当てがないわけじゃないからね。頑張るよ」
本当は大丈夫でもないし、その前にやらなきゃならないこともある。でも、ロックくんに余計な心配はかけられない。
「そっか。力になれることがあったら言ってくれ。イオンもよかったら力になってやってくれよ。それじゃ、そろそろ俺は退散しよっかな。デート、楽しめよ」
そう言って、ロックくんは去って行った。
さて、そろそろいい時間だ。行動を再開しなきゃ。
「イオンさん、僕たちもそろそろ行こっか」
「え、で、デートに!?」
違うって。