2-1
インプを撃退した後、近くにいた先生に事のあらましを報告した。僕とイオンさんの身に起きたことは話したが、魔法についてはイオンさんの強い希望によって詳細を省いた。
報告を終えると、少し話をしようというイオンさんの提案を受け、僕は彼女の住まう寮へと招かれた。どこの寮でも二人で一部屋が基本だから僕が行くと同居人に迷惑がかかるのではないかと遠慮しようとしたけど、イオンさんの同居人はすでに学校をやめていて、今は彼女ひとりの部屋になっているそうだ。
イオンさんの部屋はひとり分の荷物が綺麗に整頓されている。授業で使う資料や日用品の数々、物はあるけど収まるべきところに収まっているので雑多な印象がない。
だけど、空気が重かった。
「…………」
「…………」
部屋に通されてから彼女は一言もしゃべらない。ずっと俯いたまま、僕と目を合わそうともしない。おいおい、連れてきたのキミでしょ、と突っ込みたかったけど、とても軽口を言えるような空気じゃなかったので、僕の聞きたいことを聞くことにする。
「イオンさんはその、……“魔法使い”なの?」
「……うん」
沈黙を破り、そう答えた。
本物の“魔法使い”。
本物の“魔法”。
本当にあったんだ!
「………………」
と手放しで喜べない程、イオンさんの顔は暗い。怯えているような、思い詰めているような、そんな表情だった。
「ライトくん。……その、ね、お願いがあるの」
「お願い?」
「私が“魔法”を使えること、“魔法使い”だってことを誰にも言わないでほしいの」
何をお願いされるのかと身構えてしまったけど、なんてことのないことだった。
「その代わり……えと、な、何でも言うこと聞くよ」
「何でも――って」
宿題をやってくれるとか、勉強を教えてくれるとか、そういうことなら是非ともお願いしたいところ。
「って、ちょっとちょっと! なんで服を脱ぎ始めるの!?」
「だって、何でも言うこと聞くって言ったし……。そういうお願いでしょ?」
そういうことが頭をかすめてないとは言わないけど、だからこそあえて考えないようにしてたのに!
「しないの?」
「う……」
上着をまくり上げているので下着まで晒し、小ぶりながらも形のいい胸の形が見える。引き締まったお腹には、玉のような汗が浮かぶ。白くすらりとした腕や太ももにも汗が流れ、肌を濡らした。服を掴む手が震えているのは緊張のためか。上目遣いに僕を見る顔は、羞恥に頬を赤くしている。
扇情的であり、蠱惑的であり、魅力的だった。僕は、その柔肌に手を伸ばし――――
「ごめんなさい許して!」
自分の目を塞いだ。
「……意気地なし」
冷たい言葉をかけられるも、僕には刺激が強い!
「女の子が覚悟を決めて脱いだっていうのに、指ひとつ触れないんだ」
「僕には覚悟がありません! 服を着てください!」
ややあって服を着るイオンさん。目を塞いでいても衣擦れがさっきの光景を思い出させる。これは、夜眠れなくなるんじゃ? 何故僕が罰のような仕打ちを受けなければならないのだろうか。
「えーと、何の話だったっけ」
「私が“魔法”を使えること、“魔法使い”だってことを秘密にしていてほしいの」
「ああ、うん、そうだったね。もちろん。イオンさんが秘密にしてほしいって言うなら誰にも言わないよ」
「そう……ありがとう。もしもダメだって言われたら、私はライトくんの記憶を消さなきゃならなくなるところだった」
「ま、“魔法”で?」
「鈍器で」
「物理的に!?」
記憶だけじゃなく、僕の命まで消えてしまいそうだ。元よりそんなつもりはないけれど、より強く漏らすことのないよう誓うのだった。
「もし“魔法”を知ってることがバレたら、私だけじゃなくてライトくんにも危害が及ぶかもしれないの」
「危害って……知ってるだけでも?」
「私のお母さんは“魔法使い”だったんだ」
「……」
「でも、死んじゃった」
平坦な声で言った。でもそれは、努めて平静さを取り繕っている声だとわかる。
イオンさんは語る。彼女が経験したことを。途中、彼女はトラウマが蘇ったようで何度かつっかえたり話が停まったりした。主観が入り混じり客観性の乏しいので細部が異なる場合があるも、何が起きたのか大まかなディティールは把握できた。それは彼女にとって目を背けたい過去であり、目を瞑りたい愚行だった。
イオンさんの家族、テイル家はとある町で慎ましやかに暮らしていた。母親は“魔法使い”ということを隠し、魔術の研究者として町人に受け入れられていた。
母親はきつく言い含める。決して“魔法”に携わっていることを口外してはならないと。“魔法”の秘密を狙う悪意ある者が近づかないように。町に、家族に、そして何より娘に危害が及ばないよう、願っていた。
だが、その願いは叶わなかった。
『お嬢ちゃん、すごい魔術を見せてあげよう』
イオンさんは町の外にいたという。森の中だったか、川辺だったか、それとも草原だったか記憶は定かではないというが、街の中でないことだけは確かだった。そこに、魔術師の老人が佇んでいた。イオンさんの知らない魔術を披露する老人に、次第に心を開いていく。そして、ついうっかり、口を滑らせてしまう。
『私のお母さん、“魔法使い”なんだ』
老人は、そうなのかい、と言っただけ。それで会話は終わった。
町に戻ってきたイオンさんを待っていたのは、あまりにも予想外のことだった。
黒い煙を上げ、渦巻く炎が一軒の家を包み込む光景。
それが自分の家だと理解するのに、時間を必要としなかった。
めらめらと。
ぱちぱちと。
燃え盛る火に焼かれる家と、その周りで消火活動に励む人々をどこか異国の光景として視ていた。
『俺、前から怪しいと思ってたんだよ。魔術の研究とか言って、本当は怪しげな“魔法”を研究してたんじゃないかって。だとしたら、この火事は自業自得だろ』
心無いその言葉は取り囲む野次馬から発せられた。言ったのは近所に住む青年だった。
『私もそう思ってたわ』『実は俺も』『気持ち悪いと思ってた』『私も』『俺も』
炎は熱を生み、熱は人を狂わせる。
熱く、狂ったように参道の声を上げる町人は、次第にテイル家を非難する声に変わる。
『怪しい術に俺たちを巻き込むな』『出ていけ』『この“魔法使い”一家め!』
放心しているイオンさんはそれを眺めることしかできない。
すると、腕が引かれた。
彼女の父親だった。
『町を出よう。少し遠いところに安全なところがある。そこに逃げるんだ』
悪いことをしてないのになぜ逃げるんだろう。何から逃げるんだろう。炎から? 町の人から? それとも……。
長いこと歩いた。歩いて歩いて歩いて、ようやくたどり着いたのは父親の妹夫妻の家だった。イオンさんからすれば叔母に当たる人。学院に入学するまでの数年間暮らすことになる家だった。
道中で一切喋らなかった父親に、母親の所在について問う。ほとんど直感的にその答えは予想してしまっていたので、半ば答え合わせのような質問だった。返ってきたのは、ただの一言。
死んだ、と。
その原因、火事については触れなかった。後日聞いた話によると、あの町では出火原因は火元の不注意ということになっているが、町人は怪しげな“魔法”の結果によるものと信じられている。
違う、私が喋っちゃったからだ。
自分のせいで住む家を失い、町人に目の敵にされ、最愛の母を喪った。
後悔した。
後悔した。
後悔した。
だから、彼女はもう誰にも“魔法”について話さないと誓ったのだった。
後に、常々母に聞かされていたことと父の勧めもあり、学院で魔術を学ぶ決意をする。