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1-4

 今日は授業もなく、これからは自由な時間となる。追試を受けなければならない身としては、勉強に励まなければならないのだけれども、僕の抱える問題はただ机に向かって勉強するのでは意味がなく、三日という限られた時間ではどうにもできない類のもの。ならばせめて、魔術行使の手順に一切の間違いが起こる余地のないよう、内容を頭に叩き込んでおいて試験に臨むべきだ。

 昼を過ぎると盛況だった水場がいつもの静寂を取り戻していたので、脇に抱えたローブを洗った。今日は日差しが強いので、寮に戻って夕方まで干しておけば乾く。


 寮に戻る道すがら、僕はずっと考えを巡らせていた。

 さっきのイオンさんとの会話。

 存在しない、“魔法”というもの。

 実際にあるのであれば、まさに今の僕が必要とするものだった。

 術者の魔力の強さに依らないで行使できる。身に着けることができれば、試験においてこれほど心強いものはない。

 本当に存在しないのか? イオンさんはないと言ったけれど、もしかしたらイオンさんが知らないだけでひっそりと人目に付かず存在してるんじゃないか? 学院にいる先生ほどの魔術師なら、誰かしら知る人物がいるかもしれない。帰ったら寮の頼れる同居人、ロックくんに相談してみよう。


「あ、ウサギだ」

 前から、石畳を駆けてこちらに向かってくる白いものが見えた。

 学院が建つこの町、ラビィポップは町ひとつが丘になっている。何を隠そう、もともと丘はウサギの巣だったのだ。初代学院長が丘のてっぺんに学院を創ると、その周り、丘の中腹を切り拓いて先生や学生が住む寮が建ち学生街となる。さらにその周りには商人や職人が集まって商店街を形作った。

 学院、学生街、商店街と三層から成り立つラビィポップは、いたるところで野生のウサギと遭遇できる。町に住む人は慣れたもので、ウサギと人がうまく共存している。


 そのウサギの一匹が、僕の横を通り過ぎて行った。

 半年前はこんなにも人に近づくウサギがいるなんて、と驚いたものだけど、今となっては僕も慣れてしまい、日常の風景として思えるようになっていた。

「そういえば、こっちに来てから食べてないな。ウサギのシチュー」

 人が可愛がっているところを見ると、食べようという気が失せてくる。食堂や寮の食事にもウサギ肉は出たことがないので、この町では食用とする慣習はないようだ。商人のキャラバンがウサギを荷車に積んでいるのをみたことがあるけど、他の町へは普通に卸しているのだろうか。

 ウサギについて思いを馳せていると、またウサギとすれ違った。一匹、また一匹。次々に通過していく。脇目もふらず、一目散に。まるで逃げているように。

「な、なんだぁ?」

 この先に、ウサギが逃げるような何かがある、ということか?

 最後にやってきた、一際大きな黒ウサギが僕に向かって飛び掛かってきた。

「痛たたた!」

 噛みつかれ、髪をむしられる。追い払おうにも、興奮しているようで容赦なくしがみついてくる。

「痛い、痛い! うわ、血が!」

 手のひらにべったりと赤い血が付いていた。だけど、僕の体を見回しても流血するような怪我は見当たらない。

「あ、こいつ……怪我してる」

 黒い毛でわかりにくかったが、腹の辺りから出血していた。よく見ると、右目にも切り付けられた傷があり、血が流れている。怪我のせいで興奮していたのだった。

「ちょっとだけ我慢してね」

 片手でウサギを押さえ込み、もう片方の手で魔術杖を構える。魔術で傷を癒すのだ。

「えーと、まずは物質魔術で出血を止めてから傷口を塞いで、それから精神魔術で痛みを和らげて……」

 傷を癒すと一言で言っても、その工程は複数の魔術を組み合わせて行うので、初級者では応急手当くらいしかできない。それでも、やらないよりはマシなはずだ。


「我が内に流れる魔力よ! この手に触れしものの苦痛を和らげる癒しをもたらせ! ヒール・コー!」

 僕の手が光を放ち、ウサギを包み込む。すると、暴れていたウサギが大人しくなった。

「ちゃんとした治療をしないとまた傷が開いちゃう。医者に見せればいいのかな。……あっ」

 僕を見上げていたウサギは、手をするりと抜けて行ってしまう。一度だけ振り返り、町中へと消えた。

「ま、あれだけ動ければ大丈夫かな」

 あまり野生の動物に手を加えるのはよくない。

 ウサギがいなくなった方角を見ながらそう考えていた。だけど、今の僕は選択を誤っていた。心配すべきはウサギのことじゃない。自分の身に降りかかる出来事について、もっとよく考えるべきだった。何故ウサギはああも一方向に走って行ったのかを。脱兎のごとく逃走を見せていたのかを。

「え……?」

 兎が逃げてきた方向。僕の進行方向にそれはいた。


 距離があっても臭ってくる異臭。生物特有の生臭さではない、もっと異質で不快なもの。人間の子供を思わせる小さく浅黒い体。腕は地面に着くほど長く細い。鋭いかぎづめがカリカリと石畳を削る。体に似合わない大きな頭には、人間にはない角が二本生えている。背中にはコウモリのような羽があった。そのフォルムは、悪魔的。

 魔物であり、魔神。

「インプだ……ッ!」

 異界に住み、欲望や悪意を糧に人間を弄ぶ、異形の生物。冥府魔術で呼び出される魔神、その最下級に位置するインプの姿がそこにあった。普通は術者によって召喚されることでこの世界に姿を現すが、中には異界から直接顕現する魔神もいて、そういうものは術による縛りを受けていないので極めて危険が高い。


 ゲラゲラ。ゲラゲラ。ゲラゲラ。

インプは鋭く細かい歯をむき出しにして笑った。

 獲物を見つけたかのように。

 得物を見せつけるかのように。嗤った。

「――――ッ!」

 僕は振り返り、全力でダッシュした。魔術師見習いとはいえ、戦いの経験のない十四歳の子供では魔神なんかに歯が立たない。

「な、なんで学院にあんなのがいるんだ!?」

 いきなり背を向けたのはいけなかった。後ろから衝撃と共に重さが伸し掛かる。あっさり追いついたインプが僕に飛び掛かっていた。

「いっ……てえええええええ!」

 肩の辺りに激痛が走る。ナイフのように鋭い牙が肉に突き刺さった。

バランスを崩し、転倒。倒れた僕に跨り、大口を開ける。インプの小さな歯では骨を砕くことはできない。それでも肉を噛みちぎり、喰らうことはできる。

――何か、何かないか!?

 右手に固い感触があった。何も考えず、それをインプの口に押し込む。

「グゲアアアアアアアアア!」

 耳障りな悲鳴を上げ、後ずさった。

 ウサギを治癒した時に持っていた魔術杖。その硬さは何度も先生に頭を叩かれたことで熟知している。褒められたものではないが、魔術以外にもこんな使い方がある。

「はあ、はあ……。い、今のうちに逃げなきゃ」

 見ると、インプは笑みを消し、怒りの形相で僕を睨んでいた。ダメージはなく、怒りに火をつけてしまったようだ。

「グガアアアア!」

 唸り声をあげて突進してくる。注意すべきは歯だけじゃない。長い腕、そし先の爪にも攻撃力がある。

 僕はその顔頭めがけて黒いものを投げつける。それはばっと広がりインプの頭を包みこんだ。

 洗ったばかりのローブだけど、背に腹は代えられない。小柄な僕のローブは視界を奪うくらいの働きはある。目標を失った攻撃は回避が容易かった。

「でも……」

 二回目はない。だからこの好機を逃す訳にはいかない……!

「我が内に流れる魔力よ! 彼の者を吹き飛ばす大風となれ! ウィンディ・カー!」

 かざした杖から風が迸る。砂埃が立ち木の葉が舞い上がる。インプの小さな体程度なら軽く吹き飛ばせるはずだ!

「グ……ゴゴゴ!」

 踏ん張っていたインプだけど、風力に負けてころころと転がっていった。僕の目算だともっと勢いよく吹き飛ぶはずだったんだけどな……。

 とにもかくにも、逃げるチャンスだ。

「……あれ」

 踏み出そうとした脚が地面に縫い付けられているように動かない。前のめりになって、そのまま倒れてしまった。

「もう一匹いたのか……!」

 僕の足にしがみつくインプ。風で転ばせたのと別の個体。

 爪がくるぶしに食い込む。振りほどこうにもまるで意に介さない。

 まごついている間に先の個体が悠々と立ち上がり、こっちに向かってくる。その顔に残虐な笑みが浮かんでいた。

 まずい。とてつもないピンチ。一匹でさえ手こずるのに、二匹もいる。足を封じられて動けず、頼みの綱の魔術も僕の魔力じゃ脱出できるかかない怪しい。

 絶体絶命。

 絶対に、絶命する。そんな恐怖に僕は叫ぶしかなかった。

「誰か助けて!!」


「私を呼んだかな」


 インプのさらに後方からその声は聞こえた。

 彼女の声が、聞こえた。

「我が内に流れる魔力よ! 彼の者を燃やして打ち砕く火の玉となれ! ファイアボール・カー!」

 火球が飛ぶ。小さくて速いから威力はさほどないが、避けるのは難しい。実践魔術の授業で学ぶ、基礎的な魔術だ。

 その小さな火球が、

「グギャアア!」

 インプに命中すると大きな炎となり、体を包み込んだ。だけどそれはおかしい。僕が知る限り、この魔術はここまでの威力を出すにはある程度熟練した魔術師でないと出せないはず。彼女がそれほどの魔力を持っているはずがない。

 炎にまかれ、インプの動きは止まった。断末魔を上げる間もなく、業火はインプの全てを燃やす。

 やがてインプを焼き尽くすと炎は消え、くすぶる煙の中から彼女が姿を現した。

 敵わないとみたもう一匹のインプはすぐに僕のそばから離れ、風景に溶け込むように消えた。

「大丈夫?」

『フクロウ堂』でも聞いた台詞。同じ声。

「イオン・テイルさん……」

 今度はきちんと憶えていたその名前。その顔。

「あ、ちょっと怪我してるね。今治してあげるよ」

 イオンさんは出血した僕の肩に手を当て、治癒の魔術を使う。みるみる痛みが引いていった。

「ありがとう、イオンさん。助かったよ」

「友達は助け合いって言ったでしょ?」

 快活に笑い、白い歯を見せる。

「イオンさん、――今の魔術、ずいぶん強かったね」

 僕の、質問とはいえない確認の言葉に、彼女は困ったように笑った。

「うーん、本当は誰にも知られないまま卒業したかったんだけどね。しょうがないか」

 そして、言った。

「私は“魔法使い”です」

 諦観のような笑顔だった。

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