3-4
石畳ではなく土の上に落ちられたのは幸いだった。僕はもちろんのこと、フランさんも大きな怪我はないと思う。
「いててて」
その予想よりも痛みは少なかった。下に何かがあって、それがクッションとなってダメージを緩衝してくれたようだった。
頭に柔らかい何かが当たっている。顔を上げて確認した瞬間、僕の背筋は凍りついた。
「……………………」
「…………………………あ」
フランさんの顔があった。
僕の下敷きになるように大の字に横たわっている。ちょうど、僕の頭の位置が彼女の豊満な胸だったことで、頭部は守られていたようだった。
「怪我は……なくて?」
「は……はい、おかげさまで……」
彼女は笑っていた。
この状況で笑顔だった。
慈愛の女神のような、母性溢れる微笑みだった。
そして、彼女は光っていた。
感情が抑えられないと漏れるという、魔力の光。僕にとって不吉な色の赤。この直後、僕はろくな目にあってない。
「だったら……………………さっさとどきやがれですわーっ!!」
「ぎゃああああああああああああああ!」
フランさんの拳が顔面を吹き飛ばした。鼻血をまき散らし、天高く僕の体舞う。
(その鼻血は胸を触ったから?)
(違います!)
そこまでウブじゃないやい。
吹っ飛ばされたのは逆によかったと、ぐちゃぐちゃな頭で(見た目ではなく思考が)考える。接近戦ではまず勝てないから距離をとって遠くから攻めるしかない。
さっきの攻撃は奇襲。互いに後がない今、彼女が油断してくれるわけもなく、ここからが本当の戦いとなる。
「我が内に流れる魔力よ! 彼の者を燃やして打ち砕く火の玉となれ! ファイアボール・カー!」
「ムダムダですわ!」
ダメージと疲労からうまく精神集中ができず、火球に勢いがない。あっさりいなされた。
(ライトくん、そろそろ魔力切れを起こすわ。乱発はしないで)
「くっ!」
背を向けて走る。もう僕の魔術では彼女に通用し辛い。
あと一歩。必勝の機まで魔術はとっておかなければならない。
「逃がしませんわ! 我が内に流れる魔力よ! 我の武器は肉体、我を守るも肉体なり! ストロング・ワー!」
肉体を強化する魔術。全身凶器となった彼女は再び襲い掛かる。
「がッ……ああ!」
すぐに追いつかれ、蹴りを食らう。かろうじて杖は守ったものの、僕の体は風に舞う木の葉のように軽々と飛ばされた。
「まだまだですわよ!」
地面に落ちる前に――追撃の膝蹴り。内臓が潰れるようなえぐい威力。またもや空に舞う僕。
「トドメですわ!」
三撃目。跳躍したフランさんは僕のみぞおち目がけて――踵落とし!
貫通するような激痛。痛みに目の前が真っ暗になる。
「これぞ我がメルカリー家に代々伝わる格闘術ですわ!」
(しっかりして、ライトくん!)
一瞬意識が飛んだけど、イオンさんの呼びかけで感覚を戻すことができた。
痛む体を起こすと、遠くから悠々と歩いてくるフランさんがみえる。だいぶ遠くまで蹴り飛ばされたようだった。
「ここは……」
僕は土に埋まっていた。柔らかい土だったのが救いだった。周囲の植物がぐちゃっと潰れている。
それは見覚えのある植物。
魔薬学の授業でも取り扱ったもの。
ここは学院の栽培地だ。
この暑い季節に群生する植物が、畑一面に育っている。
「もう逃げ場はありませんわね」
じりじりと僕を隅まで追いつめて、勝ち誇っている。
狙うべき杖は背中に背負っていて、正面からは狙えない。
僕の体はあちこちが悲鳴を上げ、立つこともままならない。魔術を使えても、せいぜい一回か二回くらいか。それも、ただ放っただけでは通用しないことは火を見るよりも明らかだ。
対して、フランさんはさほどダメージを負ってない。強化魔術をかけなおしたばかりなので、僕にとどめを刺す時間は十分にある。コンディションは万全で、つまりは万が一にも僕如きに負ける要素はない。
「お覚悟はよろしくて?」
「……」
冷たい目で僕を睨みつける。激情は既に冷静に変わり、油断を生まない。たとえ不意を打って石を投げつけても華麗に躱されるだけだろう。
躱してくれるだろう。
「我が内に流れる魔力よ! 彼の者を燃やして打ち砕く火の玉となれ! ファイアボール・カー!」
小さな、拳大の火球が飛ぶ。
「今更そんなものが通用するとでも?」
軽く体をひねるだけで火球は彼女の後方へと通過した。
「…………」
「これで終わり? 拍子抜けですわ」
「……僕はね、あまり成績がよくなかったんだ。キミの知るように、落第したものもあった。だけど、ただひとつ、たったひとつだけ誇れるものがあったんだ」
「……何を言ってるんですの」
「たったひとつ、魔薬学だけは。魔術と薬を混ぜ合わせる学問さ。その授業でこの栽培地はよく使うんだよ。薬に使う植物を育ててね。だから僕は知っていた。今の時期に何が植えられているのかをそれは――」
続きは、大きな音によってかき消された。
耳をつんざく爆発音。
「ですわーっ!?」
フランさんの後ろで発生した爆発は、熱と爆風で彼女を押し飛ばした。
「くっ」
僕も吹き飛ばされそうになる。姿勢を低くして必死に耐えた。
すぐに、備え付けられていた防災用の魔術装置が作動して水が雨のように降り注ぎ、炎は鎮火されていく。
辺り一面に煙が燻り、土に水たまりができる。さっきまで生えそろっていた植物は見る影もなくなっていた。
その中で、すっかりまっ黒くなって目を回し、倒れているフランさんの姿があった。
痛む体を必死に動かし、彼女のそばまで歩く。
「火炎草。火を近づけると爆発する、危険な植物だよ。火球はフランさんを狙ったんじゃない。そっちに火をつけるためだったんだ」
彼女の近くに砕けた魔術杖の破片が散乱している。
僕の杖は健在。
つまり、僕の勝利だ。
僕の、勝ちだ。
「や………………………………ったぁ」
足元がぐにゃりと歪み。おぼつかなくなり。僕の体は。意識は。
遠くなっていった。
――どうしよう、全然目を覚まさないよ。
――こういう時はショックを与えてみたらどうだ?
――なるほど! じゃあこの石でガツンと。
――いやいや、もっと大きくなきゃ。これはどうだ。
――え、大きすぎない?
――これくらいハデにやらねぇと。せーのっ!
「ちょっと待ってよ何する気!?」
体を起こすと、今まさにロックくんが一抱えもある石を振りかぶっているところだった。
「ほら起きただろ」
「起きたろ、じゃないよ! その石で僕を永遠に眠らせる気ですか!?」
ってなんでロックくんがいるんだ?
「大きな音が聞こえたんでな、見回りに来たんだよ」
「大きな音って……そうだ、決闘は? フランさんは?」
「フランさんならすぐに目を覚まして『わたくしが負けるなんてありえませんわーっ!』って言いながら飛んでっちゃったよ」
とイオンさん。物真似がうまかった。
「はあ、飛んで」
「うん。いろんな色に光ながら」
「……」
ともかく、僕はちゃんと勝ってたようだ。あまり実感はなく、勝利の余韻もない。
「うーん、ハデにやったもんだねぇ」
と、僕たちの誰とも違う声。
「あ、スタンプ先生」
グレーの髪と髭、和やかな微笑みを浮かべるスタンプ先生の姿。
「まーた君たちが関わってたね。インプのことも解決してないのに仕事が増えちゃうよ」
あの件はスタンプ先生に報告していた。調査も直接指揮を執っているようだ。
「す、すみません」
「いやいや、冗談さ。若者はそうでなくちゃね。儂も若い頃は、そりゃいろんなことをしたもんさ。あれは……」
この手の昔話は長くなる。イオンさん、ロックくんと顔を見合わせ、嘆息する。
「っと、そうだ。ロックくん、せっかくだから進捗具合を聞いておこうか」
長くなると覚悟していたけれど、早い段階で話題を変えてくれた。
「進捗って言っても何も進展はないですよ。そのインプ、野良だったんじゃないですか?」
「え、なんでロックくんがインプのことを?」
つい口を挟んでしまった。
「ああ、彼ともうひとり、フランくんにも、事件を調査してもらってるんだよ。暇そうにしてたからね。しかし、そうか。ま、何も出てこないってことはただの野良インプだったってことかな。たまにあるんだよね」
「……」
僕たちが遭遇したインプ。正確には、イオンさんを襲ったインプ。脅迫と無関係とは思えないけど、証拠も何もない以上、関連付けるのはやや強引か。
「後の処理は儂がやっておくよ。ロックくん、調査は終了して構わない。ご苦労だったね。フランくんにも伝えておいてくれ」
せっかくだから自作のカエルパンでもどうかい、というスタンプ先生の申し出に、僕たちは口を揃えて辞退した。先生は残念そうに去って行った。
あれはただの偶然だった? じゃあ、脅迫なんてただのイタズラに過ぎなかったのか?
二つの件にインプが関わっているから関連して考えていたけど、その繋がりが無関係だったとしたら。
それぞれ何の意味もないアクシデントだった。
そうであるなら、何の危険もない。
「お前ら、何に首突っ込んでるんだ?」
ロックくんがにやりと笑う。
「納得してないって顔だぜ。何か気がかりなことがあるのか?」
「な、何のことかな」
「とぼけたって無駄だ。お前のことは何でもお見通しだからな」
「な、何でも!?」
「寝言で『イオンさんが』」
「全く覚えがないけどやめて!?」
頼れる友人は恐るべき同居人だった。
誤魔化すのは難しい。僕が勝手に話すわけにはいかない。どうする。
「いいよ。話そう、ライトくん」
「イオンさん……」
「ロックくんのこと、信用してるんでしょ? だったら私も信じるよ」
他言無用と前置きをして、彼女は語った。
彼女のことについて、“魔法”について。
試験前日に脅迫を受けていたこと。
僕に話してくれた時ほど詳細じゃないにしても、必要なこと全てを語った。
それを神妙に聞くロックくん。
「なるほど。そんなことがあったのか。早くに相談してくれればよかったのに、って言うのは野暮だな」
「ロックくんも力を貸してくれないかな」
「是非もない、と言いたいところだが、もうお前たちが動くのはよした方がいいかもな」
「な、なんでさ。何もわかってないんだよ」
「二人とも、明日試験だろう。お前、“魔法”を知ったからって、そのボロボロの体で本番に臨めるのか?」
決闘で受けた怪我や疲労がある。十分な休養が必要だ。
「う……で、でも」
それをおしてでも、今動かなければならないんじゃないか。
「そうだね。ロックくんの言う通りだよ」
イオンさんは言う。
「見えない敵より明日の試験。今のところ動きようもないんだから、今後のことを考えなきゃ。たとえ事件が解決しても追試で不合格だったら目も当てられないからね」
「……」
「その後のことは、後で考えればいいんだよ」
一日時間があるといっても外に出られる時間は限られる。その限られた時間では、これ以上の調査は厳しい。
ならば、ここからは来たる試験について考えた方がいいのだろうか。
「……そうだね」
「そうと決まれば、俺が見てやるよ」
ロックくん指導の下、許される時間いっぱいまで試験対策に当てた。
帰りはイオンさんを寮まで送り、何事もなかったことを確認してから僕らも帰った。