第7話 ヒロイン辞めたい vsウェルウィッチア
「名取君、君は今日から3日強制有給休暇だ。ご両親に顔を見せてあげなさい」
夜明けの巡視船上に帰ってきた仁子に加藤雑班長から通信が入った。
「隊長ご存知だったんですか?」
「一応君の上司だからね、って実は君を阿嘉利島に派遣してから思い出したんだけど。そうそう帰京交通費は個人負担ということで頼むよ。何せ予算厳しいんで」
「お心遣いありがとうございます」
こんなタイミングで親元を訪ねるかどうか、いろんな面から逡巡していた背中を押してくれた班長の厚意に感謝しつつ、ヘリで帰るジェニファーたちに事情を話して別れ、巡視船を下船し連絡ボートで島に上陸した仁子は、島で唯一のスーパー兼ホームセンターでジーンズ、シャツ、スニーカーを買ってフィッティングルームで着替え、防災服と安全靴をキャスターバッグに押し込み両親の家へ向かった。
「わっ、びっくりした、仁子どうしたん?」
「お母さんただいま。異常潮位の調査で派遣されたんだけど、原因が解ったんでそのままお休みもらっちゃったの。明後日までお世話になります」
両親の家は海岸からわずかに陸地に入った一面のサトウキビ畑に囲まれた場所に建つ二階建て。ベランダからは狭い海峡を挟んだ小島の向うに青い大海原が見渡せる。何度眺めても絶景だと思う。
「お~、仁子。帰ったか」
家庭菜園の農作業から父親も戻ってきた。島に来て早2年、会社経営者の鋭い眼差しはやわらぎ、色鮮やかなスエットパンツにTシャツ姿が青い海の背景にフィットしている。
「昨日は緊急避難指示とか出て大騒ぎだったで。高潮や言われてもこの島には逃げる場所もそうはなくて、防災無線がとにかく高いところへ言うんで。全財産持ってここの二階に上がっとったけど、生きた心地がせんかったわ。何ともなかったみたいでよかった。大クラゲが出たらしいなあ?」
島に移住しても名古屋弁の抜けないのんびりした父の語り口に切迫感はないが、母と二人恐怖の明け方を過ごしたのだろう。
「この子もその関係で島に来たんやって」
「いや、私は国土交通省なんで調査だけだよ。よく知らないけど大クラゲは自衛隊がやっつけたみたいだよ。。」
<その大クラゲと直接闘ったのは自分だなんて言ったら、二人ともきっと卒倒しちゃうよ>
特殊災害対策庁に配属されていることすら心配かけまいと話せていない仁子は言い淀む。
「まあ、これで怖い思いもせんでええみたいやし、ゆっくりしてったらええわ」
「ありがとう!」
楽しい時間はあっという間に過ぎて帰京前日の夕飯の食卓。沖で獲れたばかりの沖縄県魚グルクンの唐揚げや夜光貝の刺身が並ぶ。
「仁子は今スポーツでもやっとるんか?何や体操に打ち込んどった時みたいに身体つきががっちりしとるように見えるな」
と父が自分の両肩の端に手を載せる。
「えっ、う~うん。特には。。あっ、ちょっと太ったのかも」
父の仕草に反応し両腕をクロスさせて肩をすぼめる仁子。
<父さん鋭いなあ>
「国土交通省にはええ人はおらんの?」
箸を片手に今度は母が訊ねる。
「ええ人って?」
「ほら彼氏とか」
「いや全然」
<変身ヒロインって、やっぱり恋愛禁止なのかな?>
敢えて反応薄を装いビールグラスに口をつける。
「私らがここに移ったのは名古屋より暖かい場所でのんびり過ごしたいゆうのと、もう一つ孫の遊び場にここの海は最高かなとも思ったからなんよ」
「ま・ご。。」
グルクンの骨を外していた箸を止めて絶句する仁子。
「私まだ25よ。結婚とか出産とかは先ずは仕事で一人前になってから。日本の女の婚期はお母さんの頃とは違うのよ」
動揺を隠しきれず箸を振り回して早口でまくしたてる。しかし、狼狽がだんだん収まると同時にある疑問が仁子の脳内に持ち上がった。
<私、変身できる今の身体で赤ちゃん産めるのかな?>
翌朝短い休暇を終え玄関でキャスターバッグを手にする仁子に母が声を掛ける。
「昨日はあんなこと言ったけど、私らは仁子が元気でいてくれたらそれで十分。危ないことだけはせんようにね」
父がその横でにっこりと頷く。両親は仁子の仕事に薄々気付いていると思われるが、その想像はたぶん雑班の業務範疇。まさか彼女がかつてのウルトラマンのように巨大生物と闘っているだなんて思いもよらないだろう。
「私は技術職国家公務員よ。危ないことなんかしてないから大丈夫だよ。お世話になりました。また来るね」
軽く手を振って、ピンクのブーゲンビリアの花が彩る家を後にした。しかし、暖かな南の島の陽光に照らされても、いくつかの疑問に囚われた仁子の顔が晴れることはなかったのだった。
里帰りでリフレッシュするはずが、新たな悩みを抱え込んで帰ってきた仁子は、浮かない顔でデスクに向かう日々が続いていた。
「申し訳ありません!」
加藤班長の横で長身を折りたたむ仁子。
「君がこんな単純なところでミスするなんて珍しいね。この資料明日の本省との会議で使うんで、悪いけど今日は残業してやり直しておいて」
加藤が言い終えるやいなや終業ベルが鳴り、同僚たちが次々席を立つ。ジェニファーは仁子の変化にとうに気付いていたが、”不可視のヒロイン”事件以来、積極的に声をかけられないでいた。
「ネバーマインド、仁子。お先に失礼するわね」
「ありがとう。バイバイ、ジェニファー」
仁子が力なく微笑み手を振った。
その後何とか資料を作り直して深夜に帰宅し、ベッドに入ったものの眠れない。
<私、いつまでこの役割を引き受けたらいいんだろ?こんな激しい運動や格闘は若いうちしかできない。これって期間限定だよね?>
「ねえ、聞いてるんでしょ教えてよ!」
サイドテーブル上のスマホに手を伸ばし、アプリを起動して叫ぶがM90星人からの答えはない。
<私だって恋愛もしたいし、結婚して赤ちゃんも欲しいけど、ヒロインに産休ってあるの?その先は夫に隠してママさんヒロイン?あり得ない!も~何でこんなことに。。>
頭をかきむしりながら仁子はあることに気付きハッとする。
<大倉山の事故で私たぶん死んでたんだ>
今は宇宙人に余生を与えられ、脇目もふらず”地球を守るのが我が使命”と考えをまとめにかかるが。
<地球を守る?>
モグラ、ハヤブサ、サイそしてクラゲそれぞれとの戦闘シーンが脳裡に蘇える。自分が闘ったのは皆地球の生き物だった。彼らには巨大化してまで訴えたいメッセージがあったのではないか?それを自分は宇宙人に授けられた力で抑え込んだだけではないか?仁子は自らの”使命”にさえ懐疑を抱き、再び煩悶する。両親にも心配をかけ、大好きなジェニファーにも嘘をつく日々。ベッドから起き上がる。
「もう無理、辞めたい!前みたいに目立たず平凡に生きたい。だって私、そのために公務員になったんだもの!」
そう声に出して拳を振り上げる仁子。確かに辞めるのは簡単だ。白昼みんなの前で変身すればそれでおしまい。こんな悩みに囚われることはなくなる。器械体操もそうして簡単に止めた。
<今度もそうするの?>
遅ればせながら登場したもう一人の自分がつぶやく。再びベッドに倒れ込み闇に見開いた眼から零れ落ちる自らの涙に驚いて、布団を顔までかき上げる仁子だった。
翌日夕方、庁舎内ジムで仁子は丘との格闘術のスパーリングマッチに臨む。仁子の上達ぶりは庁内で噂になっていて、試合情報を聞きつけたギャラリーがジムの壁際にズラリと貼り付いている。ハーフパンツとノースリーブTシャツ、髪も含めて黒一色の仁子と、黒の短パンにゴールドのタンクトップ、いつものポニーテール姿の丘が入場してきた。誰とも知れず起きた拍手が、あっという間にジム全体に広がる。
「よろしくお願いします」
レフリーの上原に一礼後、二人はヘッドギアとフィンガーグローブをぶつけ合い試合開始。
丘がパンチを繰り出すが仁子が消える。側転して丘のサイドに現れた仁子が右脚で丘の後頭部を狙う。《バチ~ン!》咄嗟に半身で振り返った丘の左腕がキックを受け止めた。
「ウオ~!」
ギャラリーからどよめきが沸き起こる。衝撃を吸収しパンチで反撃に転ずる丘に対し、仁子は幻惑するような後方転回で間合いを空けた。長い素足が優雅に弧を描く様子に、ギャラリーから溜め息が漏れる。巨大生物との実戦で鍛えられ、打撃と体操技を融合させた仁子オリジナルのヒットアンドアウェイ格闘術に翻弄される丘。遂に仁子の鋭いパンチが、蹴りを警戒していた丘のガードの中央の隙間を突き破りヘッドギアにヒット。グラつく丘のガードが下がる。丘に教えられ闘争心を身に付けた仁子が、勢いをつけて後ろ回し蹴り一閃!しかし、丘はこの一瞬を待っていた。素早く両腕を上げて強烈な蹴りを受け止め、仁子の軸足の付け根に肩から飛び込んだ。《ド~ン!》背中から押し倒された仁子に、マウントポジションを取った丘の右手が仁子のTシャツの右襟ぐりを掴みクロスさせると、左肩から仁子の上半身に覆いかぶさり、奥襟を左手で絞り込んでその肘を首に滑り込ませ、十字絞めの体勢に入る。頸動脈が塞がって気が遠のいていく仁子。落ちる寸前空いている左手で、絞め上げる丘の右腕を極めて、渾身の力で下半身を振り上げて左に横転した。これには丘もたまらず手を放し、回転して受け身を取った。お互い離れて丘は片膝立ち、仁子は立ち上がってファイティングポーズで構えて睨みあう。《カンカンカンカ~ン》5分経過のゴングが鳴り響き、上原が緊張感漂う二人の空間に割って入る。
「それまで。この勝負引き分け!」
固唾を飲んで試合の行方を見守っていた同僚たちから深い溜め息に続き、万雷の拍手。
「自衛隊員と互角に渡り合うとは、名取ってすげ~奴だったんだ」
「丘さんの逆転サブミッション、キレッキレだったね」
口々に出るギャラリーの称賛の言葉を背に、二人は並んでジムを後にしたのだった。
<巨大化してたらここで変身解除か。変異生物たちは自分より大きなのばかり、丘さんは私なんだ。今の彼女の動き覚えとかなきゃ。え?あれ?私もう闘わないつもりだったんだ>
闘い終えてドレッシングルームのスチームバスに並んで腰かける仁子と丘。
「仁子一気に強くなったね。これどこかで使ってない?」
ヘアピンで止めてアップにした髪に左手をあて、右の拳を仁子の目の前にかざす丘。
「何言ってんですか智美さん。私国家公務員ですよ。ストリートファイトで懲戒免職なんてそれこそ御免です」
現場を共にし、ジムで鍛え合う二人はいつしか名前で呼び合うようになっていた。
「ま、そうだね。でもあんなにウジウジ暗かった仁子が、ある日いきなり髪切ったと思ったら、上原君に弟子入りした時は驚いた。あなたが全国クラスの体操選手だったって知らなかったしね」
「ウジウジは言い過ぎですよ、も~。でも憧れの智美さんとこんなふうにお風呂で並んでお話できるなんて、私嬉しいです!」
やっぱり汗をかくことがストレス解消の特効薬なのか、仁子の声も弾んでいる。
「そんなにおだてたって、安月給の自衛官からは何も出ないよ」
汗が滴る顔を見合わせて微笑み合う二人。そんな雰囲気が仁子の背中を押したようだ。
「智美さん、一つ突拍子もない質問してもいいですか?もしも智美さんがウルトラマンみたいな巨大変身能力を身に付けたとしたらどうしますか?」
瞼を見開きしげしげと仁子の顔を見つめた後、丘が静かに語り始めた。
「私、ウルトラマン嫌いなの。もちろんリアルには見たことないけど、ニュース映像とか見る限り彼は怪獣を情け容赦なく徹底的に痛めつけ、スペシウム光線で完全破壊して悠々と飛び去ってく。3分という時間的制約もあるんだろうけどまさに問答無用、怪獣の言い分は一切斟酌なし。実はね私が自衛官になった動機の一つは彼だったんだ」
「すみません。つまんない質問して」
「う~うん。たぶん近親憎悪ってやつよ。ほんとはスーパーヒーロー大好きなくせして、自分ならこうできるなんて、自衛官それもSDTU隊員になってはみた。でもモグラに情け容赦なく焼却弾を撃ち込んじゃった。。」
いつもキリっと前を向く丘が肩をすぼめて俯いた。
<智美さん。。>
「そうそう仁子、ジェニファーに聞いたわ。一連の巨大生物事案には、私たちを助ける見えざる力の介在があるとね。もしそれが本当にいるとしたら、サイの結末は私の理想だった。ただ脅威を排除するんじゃなくて、サイに寄り添ってくれたんじゃないかと思う。クラゲの時はなぜ?って思ったけど、帰りのヘリでジェニファーが終始ご機嫌だったってことは、つまりそういう解決だったってことなんでしょ」
「ジェニファーが。。」
「その時ジェニファーに訊いたの。その見えざる力の正体を、あなたはもう掴んでるんでしょって。でも彼女は笑いながら、私はファンタジー作家じゃなくて科学者よ。魔法は解き明かせないわって」
丘がいつも通りキリっと顔を上げた。
「私もね、そんなスーパーヒーローならなってみたい。っていうか武器を扱う人間として、いつもそのマインドを忘れずに脅威に接していきたいと思う」
仁子の目からまた涙が零れ落ちる。ただこの涙は昨夜のそれとは明らかに異質のものだった。
「あ~、仁子の顔が汗みずくだね。スチームバスってついつい長居しちゃうんだよな。さあシャワーシャワー!」
丘が引き締まった裸の背を向け、さっと右手を上げながら出ていった。
<ありがとうございます。智美さん>
「私はそういうの全く興味がない。断る」
「そんなこと言わずに協力してよ」
特殊災害対策庁のリフレッシュルームで押し問答するのは丘とジェニファー。ジェニファーは悩める仁子の気晴らしと、彼女との仲直りの機会にと、外資系金融機関の東京支店長として赴任している叔父に頼り、彼の部下の日本人との3対3の合コンをセットし、丘に協力を依頼した。ジェニファーの思いを聞き、最近は妹のように感じている仁子のためと。
「今度だけだぞ。普段着で行くし、口をきかない置物だと覚悟していて」
「わかったわ。それでもあなたなら最高のビスクドールよ」
仁子のもとにそそくさと向かうジェニファーに、優しい笑みを見られてはなるかと背を向けた丘だった。
「仁子助けて!合コンのメンバーがインフルエンザに罹って一人欠けちゃったの」
「えっ、合コン?ムリムリ!私、知らない人となんて気軽に話せないよ」
オフィスに戻ってきたジェニファーにいきなり手を取られ、グイグイ引き摺られてきた給湯室で、思いも寄らないオファーを受けて戸惑う仁子。
「これサトミの依頼案件なのよ」
「誰、サトミって。。え~!ウ・ソでしょ」
「ああ見えて彼女も婚期を意識し始めたようなのよ。私のアンクルにお願いして、一流銀行マンを調達したので、智美のためにも絶対外せないの。プリ~ズ!」
両手を胸の前で組んで腰をくねらせ、濃いアイシャドウとつけまつげに飾られた目を潤ませて懇願するジェニファー。
「だって私、今は恋愛禁止だし」
唇から零れ落ちた本音に自ら驚き、両手で口元を覆う仁子。
「ホワット?テルミー・ワンスモアマサコ」
そう言いながら微笑を浮かべたジェニファーの顔には”聴いたわよ”と書いてある。またやってしまった仁子は視線を外して観念の溜め息をついた。
「う~うん、何でもない。お世話になってる丘さんのためなら協力するわ」
「感謝するわ。お礼に当日のファッションコーディネートは私に任せて。仁子を大人の女に大変身させてあげる」
仁子の頬にさらりと手を滑らせるジェニファー。
「私は数合わせなんだから。そんなことしなくていいでしょ」
「美女三人でエリート銀行マンの度肝を抜いてやるのよ。気にしないでね」
「そう、なの?」
踵を返して給湯室を後にする同僚を唖然と見送る仁子には、彼女に背を向け片手で小さくガッツポーズを作ってウインクするジェニファーの様子はうかがえなかった。
「ねえジェニファー、このワンピースとても着心地よくてデザインも素晴らしいと思うんだけど、膝上15cm丈はちょっと短すぎる気が。。」
冬晴れの土曜日の昼下がり、”コートだけは自前で”との指示通り黒のハーフコートを羽織ってジェニファーのマンションを訪れた仁子が着せられたのは、ベージュのカシミヤニットワンピース。前身ごろだけ手編み風のケーブル柄で上半身にフィットし、袖やスカートはふわりとゆったりしたデザイン。
「よく似合ってるわ。あなたは脚が長いんだからこれくらいの丈ならセクシーだけどエロくはないわ。さあこれ履いて。靴はブラックのショートブーツを用意してあるのよ」
「えっ、ナチュストなんて絶対無理!黒のタイツにする」
「トゥーシャイマサコ。しょうがないわね。でもタイツは40デニールで。これだけはスポンサーとして譲れないわ」
<変身後のピチピチスタイルと比べれば、これくらいどうってことないか。とっても動きやすくて戦闘にはバッチリなんだけど、やっぱりあの姿は掟抜きに人目に曝せないな>
苦笑いを浮かべ、観念したようにもぞもぞとタイツを履き終えた仁子の後ろに回ったジェニファーが、背伸びして結んだブラックリボンチョーカーには大粒のティアドロップパールが下がっている。
「あとはメイク、あなたの肌は私と違って白くてきめ細かいので、ルージュはローズピンク。アイライン入れたら、ルージュと同系色のチークを軽くね」
デパートの化粧品売り場にいる販売員のような手早さで仁子にメイクを施すジェニファー。
「何から何までありがとう。でも、どうしてここまでしてくれるの?」
「いいのよ。大切な友人を思い通りに着飾らせて美しくするのは私の趣味。あっ言っとくけど、ワンピースと靴はサイズの問題でプレゼントするけど、アクセとバッグは貸すだけよ。今夜別行動になってもどこかに忘れて来ないでね」
イタズラっぽくウィンクするジェニファー。
「もう!丘さんを差し置いて、おまけの私がそんなことするわけないじゃん」
「合コンは成り行きよ!じゃあ行きましょう」
襟周り、肩口、スカート部の両ポケットにふんだんにパールの縫い込まれた、黒のノースリーブワンピースに身を包んだジェニファーが艶然と微笑んだ。
”アフリカの赤い砂漠展 =ナミブ砂漠の奇想天外な生き物たち=”
仁子とジェニファーは合コン会場の上野の森の一軒家フレンチへ向かう道すがら、科学博物館に掲げられたこの看板を目にして足を止める。
「奇想天外か。あれが来てるなら面白そうね」
まだ待ち合わせまで余裕があるため、専門家ジェニファーの解説付きで会場を見て回ることにした二人。仁子の目を惹いたのは、完全成長体としては本邦初公開のウェルウィッチア。ナミブ砂漠外縁の生息地から自然な状態のまま移植されたグロテスクで神秘的な植物。地面から直接ウジャウジャ湧きだしたような細長い葉っぱが数十枚、左右の葉先と葉先を結んだ直径はゆうに5-6mはありそうだ。パックリ縦に割れ縁がソテツの幹のようにカサカサしている中心部に近付いて中を覗き込んだ仁子が、飛び上がって悲鳴を上げる。
「キャア~!」
大きなすり鉢状の割れ目には薄黄色の松ぼっくり状のものがキノコのように立ち並び、その間を鮮やかなオレンジ色の何かが無数に蠢いていた。
「まあ、自然のまま移植ってこういうことだったのね。松ぼっくりは雌花、ウェルウィッチアは裸子植物なのよ。雌花の周りを活動してるのはホシカメムシ。よく見るとオレンジの甲羅に黒の三角ストライプが入っててかわいいのよ。彼らはこの割れ目を棲み処にして雌花の受粉を手助けしているの。刺激すると臭腺から耐えがたい悪臭を発するから気を付けてね」
ジェニファーのガイドも上の空、仁子は虫が苦手のようで、口元を片手で覆ってこみ上げてくるものを必死にこらえているようだ。
「ウェルウィッチアは別名”奇想天外”。昔の人のネーミングセンスは抜群よね。千年も生きると言われるこんな生き物、実物見るまで誰もその姿形を想像できないわよね」
ウェルウィッチアショックで這う這うの体でレストラン前に到着した仁子たちに、セミロングの髪を下ろしてはいるがいつも通りデニムにブラックの革ジャンを羽織った丘が合流する。
<今日の主役は智美さんなんじゃ?>
丘の装いに戸惑いの表情を浮かべる仁子。何食わぬ様子のジェニファーと丘だったが、仁子のこの”変身”ぶりに、微かに頷きあった。
「一番後ろ、デカっ!」
「でも脚長くてスタイル良さそう。あのショートヘアお前の好みじゃね?」
「二番目はチョー美人だけどあえての普段着?手強そうだな」
「俺、ツンデレ大好き。チャレンジしてみるわ」
「アメリカ人が一人いるとは聞いてたけど、三人とも全然国家公務員っぽくないんだけど」
先にテーブルについていた、思い思いの柄のツイードのジャケットに身を包んだ銀行マン三人組が、入店してこちらに案内されるお相手の”値踏み”と”手分け”の相談を始めているようだ。
「ハ~イ!エブリバディ。さあ今夜は美味しいフレンチと楽しい会話で盛り上がりましょう!」
ジェニファーが両手を広げて満面の笑みのオープニングパフォーマンス。そのテンションに気圧されつつ男性側中央に座る眼鏡が応じる。
「それじゃあ恒例なんでこちらの自己紹介から」
男性三人のコメント中、カメムシパニックを引き摺る仁子は青白い顔で俯き、興味なさげな丘はデニムの脚を組んで時々天井を睨んでいる。
「じゃあ私たちの番ね。それじゃ隣のビスクドールが口を開くわよ」
ジェニファーのふりに、左頬を上げ困ったような表情をしたのも一瞬。律儀に姿勢を正すと。
「丘智美、28歳陸上自衛官。以上!」
「国家公務員ってお姉さんたち自衛隊のヒトなの?」
丘の正面に陣取ったツンデレ狙いがあんぐり口を開ける。
「いえ、私たちは別の省庁。この子と違ってか弱い乙女よ。ねえ仁子」
気分悪く俯いていた仁子は会話の空気が読めていない。やにわに顔を上げると。
「はい、智美さんにはこの間もスパーリングでお世話になりました!」
「ス、スパーリングって、こういうやつ?」
仁子の前のショートカット好きが、恐る恐るファイティングポーズを取る。あきれつつ溜め息をつき、ジェニファーがそれでもフォローの口を開こうとしたその時。《ズッシ~ン!》
グラリとレストランが傾き、何かが崩れ落ちるような重低音がテーブルを囲む6人の腹に響く。丘のスマホに”科学博物館が突如倒壊した”との一報が入り、その旨を二人に耳打ちすると、セミロングの髪を手際よく黒ゴムで纏めて、さっと飛び出していく。ジェニファーが取り出したタブレットには博物館近隣の監視カメラ映像がキャッチされ、倒壊した瓦礫に被さるのは巨大な緑の枝分かれした物体。
「葉っぱみたい?まさかこれさっきの!」
「ヘイ、ボーイズ、ベリーソーリー。私たち急用ができちゃったの。宴の続きはまたの機会に。あなた方は上野の森を南に下ってお家に帰った方がいいわ。寄り道しちゃだめよ」
「お姉さんたちはいったい??」
コンコンチキチンコンチキチン、ここで仁子のスマホから祇園囃子が流れる。画面には今度はウェルウィッチアとはっきり判る植物が映し出される。
<さっきより大きくなってる?>
「さあボーイズ、そこまで私がご一緒するわ」
「仁子は先にお仕事場所へ向かってくれる。さっきの講義忘れないでね。ウェルウィッチアは裸子植物よ!」
ジェニファーが人差し指を立ててウインクすると、三人の男性の背中を押すようにレストランを出て行った。
「ジェニファーはきっと私のこと。。よし、私がんばるね。ジェニファー!」
そう呟き右の拳を握り込むと仁子はレストランの化粧室に駆け込んだのだった。
巨大化したウェルウィッチアは直径60mを超え博物館を突き崩し覆いつくしている。その傍らに両腰に拳を充ててすっくと立つのは身長40m、シルバーボディにグリーンのストライプ、深紅のショートヘアに金色のティアラ、オレンジ色揺らめく慈愛に満ちた眼光。本人の意向はさておき不可視なのはもったいない、力強くかつしなやかな変身体の仁子。動かない植物に対し体操技や格闘術は不要とばかりに、早速巨大ウェルウィッチアに駆け寄り葉の下に潜り込むと、数十本はある長い葉を根本からまとめて抱え込み膝立ちとなり、抱えた右手を左腕のアームレットに触れて念じる。
<元に戻って!>
大量の葉を抱え込んだ仁子の身体が光に包まれるが、フラッシュを重ねるばかりで収縮していかない。やがて弱々しく光が解けたが彼我に変化は見られない。
<どうして?>
葉の束がどんどん重くなってきた。
<まだ増殖してる>
重みに耐えきれず地面に広がろうとする葉に弾き飛ばされた仁子は、敷地を空けて隣接する美術館や公会堂へ背中から落下。
<危ない、またやっちゃう!>
背面に危険を察した仁子が上半身にひねりをきかせながら下半身を伸び上がらせ、公会堂と美術館の間に手を付いてバク転で美術館を飛び越して何とか着地したが、ポーズを取る余裕もなくすぐに膝をついた。縮小技に時間を要したためエネルギーを通常より多く消耗し、肩で息をする仁子の身体のストライプがスプラッシュしてイエローに変わる。
<そうか、植物には根っこがある。地面に出てる葉っぱだけ抱えてもだめなんだ>
そうしている間にもジワジワとウェルウィッチアは葉先を伸ばし遂にその直径は100mを超えた。
<このまま大きくなり続けたら街が呑み込まれてしまう>
慣れない植物相手の戦闘に苦戦するヒロインの脳裡には、窮余の解決策は想定されている。しかしそれは、相手を生かし、助けたい彼女には究極の選択だ。どうする仁子!君に奇想天外な一手は残されているのか?