感想欄には魔物が棲んでいる。
物語を書く「作者」とそれを読む「読者」。
両者を繋ぐ、感想欄の世界の話。
自分が読んでいるお話については、感想欄は必ず見ます。また、読んでいないけれど人気作と言われているものについては、
「どういう感想が寄せられているのかな?」
と思い、感想欄を覗くことがあります。
「これはこういう意味で……」
などなど、作中の世界観についてさらに考察を繰り広げる方がいたり、逆に
「これこれこんなこと考えてしまった」
みたいな、楽しそうな妄想を話す方がいたり。
いずれにしても、その作品についていろいろな発想を膨らませるというのはそれはそれですごいエネルギーで、読者にそうさせた、というのはその作品にはそれだけの力があるということですよね。
「面白かった」
「このお話好き」
「とても楽しめた」
こういう好感触の言葉は、短くても「満足できた」ことが作者に伝わり、作者の力になります。
ただ、今回このエッセイを書くにあたり「各種マニュアル」の「感想について」という項目を改めて読んだのですが
・良い点がある場合はできるだけ具体的にお書きください。「面白かった」「良かった」のみがダメだということではなく、せっかく書き込むのであれば「何が良かったのか」も添えてもらえるとより作者の励みになるのではないかと思います。
とあるので……「なろう」としては、
「ちゃんと読んで、内容を把握した上で感想は書くようにしてください」
ということを言っているのだと思います。
なぜなら、荒らしの基準として
・作品内容の指摘をしているのに、固有名詞を含んでいない具体性にかけるものは荒らしと考えます。
とあるからです。
それに……ある程度の長さの文章であれば、その人がどういう意図でその感想を書いたかがわかる。
しかし短い文章では、意味が取りづらいこともあります。
例えば、この感想はどうでしょう。
「主人公がヒロインを助けたシーンは、良かったです」
これを読んで作者がどう思うかは大きく分けて二つ考えられます。
「あのシーンは上手く書けたってことかな。良かった」
とホッとしたり嬉しく思うパターン。
もう1つは、
「あのシーンは、ということは他は良くないってこと?」
と捉えてしまうパターン。
これは感想の書き方が悪い、作者の受け取り方が悪い、という話ではないです。
作者の受け止め方は本当に人それぞれで、そのことはちゃんと知っておいた方がいい。
「自分の価値観がすべてではない」という認識を持つべきだ、と言いたいのです。
そしてこの「言葉」なのですが、良い言葉は本当に伝わりにくい。場合によっては、書いている人が思っている1/10も伝わっていないかもしれません。
その作品が好きで、続きが読みたいな、本当に応援したいと思うのであれば、多少言葉は重ねないと熱意が伝わらないのでは、と思います。
まぁ、これは……私自身の反省点でもあるのですが。
私自身は、というと、感想を書くときは単に「面白い」「良かった」「読みやすい」だけではなく、その作品にしか当てはまらない文章を書くようにしていました。
主人公のことだったり、ストーリー展開だったり。
「ちゃんと読みました、読んだ上でこんなことを考えました」
ということを作者に伝えたい、と考えていたからです。
なぜなら、自分だったらその方が嬉しい、と思ったからです。
でもそんな細かいことを考えて感想を書くよりも、分かり易く「面白かった」「読みやすかった」と短くコンパクトに伝えるだけで良かったようだ、というケースもあったんですね。
だから尚更、「作者によりけりなのだ」と思いました。
さて、では「良かった」と思うことを伝える感想ではなく「気になったこと」を伝える感想の場合。
良いことはなかなか伝わらないのに、こちらは凄まじい威力で伝わる、と思った方がよいです。
自分が「ちょっと厳しいことを書いたかもな」と思ったら、その1万倍は作者に刺さっている、と考えてください。
以前、
「読者の方は悪気なく感想を書いたのに、作者の方が過剰に反応して反論していたのを見てヒいてしまった」
という意見をどこかで読みました。
この意見も一理ある。ですが、感想欄を見る「感想を書いた人」「作者」「それ以外の読者」「第三者」のうち、「作者」だけはその文章の受け止め方が全然違う、ということは知っておいた方がいいと思います。
ましてや作品を作るのに相当なエネルギーを使っていますから、些細なことでも気になったり、傷ついたりします。
「些細なこと」と言いましたが、これは作者以外にとって、であり、作者にとっては全く些細なことではない、むしろ些細なことなど一つもない、と言っていいと思います。
第三者から見ると、その言葉が
A「作品が好きで、でも気になったので考えてみてほしかったから書いた」
のか
B「作者を凹ませようという悪意があって書いた」
のかはわかることが多いです。
でもその違いがわからず、すべて「攻撃された」と思う人もいる、ということですね。
ですので、Aの場合でも書き方は考えて欲しいな、と思います。
「自分が言いたいこと」を主軸にするから歯止めが効かなくなったり厳しい言い方になってしまったりする訳で、「作者に伝えたいこと」を主軸として考えるだけでも、書き方はだいぶん変わってくると思います。
まぁ、Bは論外ですね。
そもそも「自分の考えた話、どうでしょう?」と公開しているだけの作者が攻撃されるいわれは全くないと思います。
気に入らなかったのならそのまま黙って立ち去ればいいと思うのですが、どうもこの「なろう世界」はダークな人がちょこちょこ棲息していて
「意地悪なことを言ってやりたい」
「相手を凹ませて自分が勝った気になりたい」
というのが見え隠れしています。いいカモ見つけた、とでも言わんばかりの。
「ちっさ……」と私なんかは思いますが、書いている本人は自分の器の小ささを露呈していても恥ずかしくはないようです。
では「マイナス感想」が来たとき、作者はどう対応するのがいいのだろう?
「こんなこと書くなんてひどい!」
と嘆きたくなる気持ちは本当によくわかります。
ですが、この「なろう世界」ではそれを無くすのは難しく、現状、自分を守るのは作者本人しかいないんですね。
「ひどい!」
という意見は正しい、でも訴えたところで通用しない世界だから、作者側にもそれなりの覚悟と対応が必要だということです。
1年経って、
「なろう世界って昔中国にあった九龍城みたいだな」
と思いました。
正しいことを言っている人が報われる作りにはなっておらず、ズルい人を取り締まれない。
規約違反にならないギリギリがまかり通る。やったもん勝ち(=言ったもん勝ち・書いたもん勝ち)になってしまっている。
この世界で生きていくとしたら、自分なりの戦い方・身の守り方を身に付けなくてはなりません。
なぜここまで断言するかというと、私は「第三者」として何回か違反通告をしたことがあるからです。
第三者の私から見ても「これは悪意しかないな、さすがに誹謗中傷になるのでは」と感じた感想について、問い合わせました。
第三者に対してはどういう措置を取ったかは知らされませんので、その後の変化は感想欄を覗くしかないのですが……結論から言うと、削除になったケースは1度もありません。
これは「第三者」だからなのかもしれません。明確な被害者である作者自身が通告した場合は、また違うのかもしれません。
ですが……
「消去する機能もブロック機能もあります。自分でどうにかしてください」
ということなのだと思います。
実際に「ヘルプ」を見ると
・まずは、感想受付の設定変更やブロックユーザ機能などの自己防衛措置をお試し下さい。
それでも荒らし行為が継続される、またはユーザIDの特定が不可能な場合は、書き込まれている小説のNコードやユーザIDを明記の上、運営までご連絡ください。
となっていました。
つまり1つのIDに対し1つの攻撃までは食らうしかないんですね。
場合によっては1発でも致命傷なのに……。しかも読者は大多数。まごまごしていたら、いったい何発被弾してしまうことやら。
仕方ない、やっぱり作者自らがどうにかするしかないんですよ。
……で、私が思うに、まず「マイナス感想」を受ける覚悟はあるのか、投稿するときは考えた方がいいと思います。
特に読み専から書き手となった作者であれば、この世界がどういうものかはわかっているはず。
受ける覚悟がない場合は、
「批判はやめてください」
的なものを書いておくだけでも、抑止力になると思います。
言葉が通じる人であれば、書き方を考えたり、書くのをやめたり、何らかの対処をすると思います。
これを読んでも全面的に攻撃してくる人は、もうそれは
「作者を凹ませよう」
という悪意がある人……いや、言葉が通じない魔物と考えてよいと思います。
それ以外にも
「先読みはやめてください」
「創作活動を優先していますので感想返信はできないこともあります」
「誤字・脱字はメッセージでお知らせください」
など、作者のスタンスを書いておくのも良いと思います。
ちゃんと作品を読み、ちゃんとした感想を書こうとする読者ならば、必ず考慮してくれるはずです。
作者の方もそれなりの予防策を講じれば、傷つくような事態は減らせるのではないかと思います。
しかし、それでもたまに
「耳心地の良い言葉しか聞きたくないのかよ。傲慢だな」
みたいな意見を目にすることがあるのですが、それは違うと思います。
ここで小説を発表している人の全員が全員、強い志で鍛錬している訳ではない。
それこそ人それぞれです。
ですから、例えば
「別にプロになりたいわけではなく、趣味で書いて「読んでくれる人がいたらいいな」という程度だから、別にシビアな意見は要らないんだよね」
というのは、一つの立派なスタンスだと思います。
では、プロを目指している訳ではないけれど参考になる意見は聞きたいな、と。だから「批判しないで」みたいなことは最初に書いておきたくないな、という場合。
まず、「マイナス感想」というのは次の「マイナス感想」を呼びます。続くことが多いんですね。
これは、それまで書かなかった人も
「みんなが書いてるんなら自分も……」
という意識になって、「マイナス感想」が書きやすくなる雰囲気になってしまうからです。集団心理ですね。
このことを踏まえると、「マイナス感想」がいくつか来はじめたときに
「全面的に受けて立つのか、全部突っぱねるのか」
をなるべく早く決めた方がいい、と思います。
全面的に受けて立つ、というのは、感想欄を開き続け、感想返信をし続ける、ということですね。
全部突っぱねる、というのは感想欄を閉じる、もしくは嫌な感想は削除してそのユーザーをブロックする、あるいは一切感想返信しないことを明言する、ということですね。
そもそも作者は全部を受け止める必要はないので、辛かったら早々に閉じてしまうのがいいと思います。
それは作者の当然の権利ですし。
でも、それはしたくない……という場合。
どっちつかずで適当に流した返信をすると、事態が悪化します。
感想を書いた「悪意」が作者に伝わるように、作者が書いた「テキトーさ」も読者に伝わります。
「悪意」をもって書いた人は余計に逆上しますし、真面目に書いたつもりの人は「一生懸命書いたのにテキトーに流された」と逆に悪い感情を持ってしまいます。
そしてこれは、感想をまだ書いていない感想欄を覗いただけの読者にも伝わります。……これがあまりよろしくない。
もう一度言いますが、「作者が攻撃される言われは全くありません」。
そして感想返信などで罵倒しない限り、「作者が悪いなどということは絶対にあり得ません」。
ですが、このなろう世界はかなりダークな世界なので、真っ向から受け止めるだけでは自分が傷つくばっかりなんですね。相当ハートが強くない限り、もたないと思います。
もし戦い続けることを選ぶのであれば、「怒り」「悲しみ」などの感情をグッと堪え、相手に合わせて戦い方を変え、対処しなければならないんです。
やはりどう考えても、「個」の作者に対し「大勢」の読者という図式になっていますから、作者の方が圧倒的に不利と言いますか、負担が大きいな、と思います。
「言論の自由」を履き違えている人が多いですよ。
そして意外なのが、それが読み専ではなく自らも書き手である場合も結構ある、ということです。
自分が書いた文章、それが自分に送られてきたらどう思う?……と聞きたくなります。
……最後に一つ、こんな話。
ある作品の感想欄に、Aさんがごくごく普通の感想を書き込みました。
その後、Bさんが作品を批判する感想を書き込みました。続けてCさんも批判する感想を書き込みました。
それに気づいたのでしょう、Aさんは自分の書いた感想を消し、Cさんの後に作者を応援するコメントを新たに書き込みました。
これは真夜中の間に起こった出来事だったので、この一部始終を目撃した人は殆どいなかったと思います。
先ほども言ったように、マイナス感想はマイナス感想を呼びます。
Aさんはその流れを切るために、わざわざそんなことをしたんですね。
たまたま見た私は
「こういう人もいるのだなあ」
とじんわりしたものを感じました。
先ほどから何回も「ダークな世界だ」と言いましたが、そればかりではない一面が見れて、ちょっと嬉しかったですね。
感想欄には魔物が棲んでいる。
そして……流されやすい村人もたくさん住んでいる。
でも、魔物に心を痛めている村人もたくさんいて……きっと、その中には勇者になれる人も、いるはず。
※2018/11/10 02:37 追記
最後の一文だけ少し変えました。
本来、誤字訂正ではないエッセイの本文変更はよくないと思うのですが、この方がより伝わりやすいかと思い、手を加えました。申し訳ありません。
※2018/11/11 19:26 追記
色々な方からの感想が寄せられ、私が本文中で言葉足らずだった部分もかなり補完できたように思います。
できましたら感想欄も合わせてご覧いただければ、と思います。
感想を下さった方々、ありがとうございました。
※2018/12/19 13:17 追記
後書きの日付に西暦を追加しました。