第3話:ムカツク
翌朝。カーテン越しのにじんだ光を顔に受け、私は目を覚ました。
昨日はいろいろなことがあり疲れていたせいか(精神的に)、ぐっすりと眠ることができた。
私はあくびをかみ殺し、昨日の昼からずと閉じられっぱなしになっているカーテンをそっと開く。
いっそ『昨日のことは全部夢でした』なんてことになっていればいいのにと願ったが、現実はそう甘くなかった。
目の前に飛び込んできたのは、大の字になって寝ている拓海の姿だった。私は肩を落とす。へたをすれば、一週間ずっとカーテンを引きっぱなしかもしれない、なんてことを考えながら、音を立ててベッドに座った。
「千瀬ちゃーん、拓海くーん、朝よー」
突如、白衣を着た悪魔が、その最後の砦を崩していく。
「おはようございまーす……」
間延びしたあいさつ。目をこすりながら拓海が身を起こした。
「はい、ふたりとも検温しておいてね。また後で朝食持ってくるから」
体温計と騒がしさを残して、看護婦さんは部屋を出ていった。
「あ、おはよう千瀬」
相変わらず呼び捨て。もうつっこむ気力もない。
「おはよう……」
視線をはずしたままあいさつを返す。カーテンを閉めてもよかったが、どうせもう少しすれば看護婦さんがやってくる。意味がない。
「昨日はよく眠れた?」
「まあまあ」
「いやー、病院のベッドってやっぱ寝にくいな。動くたびにきしむ音がするし」
「そうね」
拓海の話を適当に聞き流す。
会話のきっかけを探そうとしているのか、それともこういう性格なのか。どちらにしろ、一人でべらべらとしゃべる人間は、あまり好きではない。
「それにしても、病院って退屈だよなー。おまけに左手がこんな状態じゃ、かなり不便だし」
いつまでしゃべる気だろうか。このままいけば自分の生い立ちさえ語り始めるかもしれない。
そのとき、ちょうど拓海の体温計が鳴り、話はそこで中断された。私はこのときほど体温計に感謝したことはない。
「二人とも、朝ごはんよ」
しばらくして朝食を持って看護婦さんが現れた。
私はいつものようにみそ汁を一口すすり、ご飯を二、三口食べただけで食事を終了した。
「あれ、もう食べないの?」
ほとんど残っている私の朝食を見て、驚いたように拓海が尋ねる。
「私、朝は食欲ないの」
実際は朝食に限ったことではないが。
「でも、朝はちゃんと食ったほがいいって」
それから『ちょっと待ってろ』と言って、カバンを右手で探り始めた。そして、中から何かを取り出すと私のベッドへ向かってそれを投げた。
「これ食べとけ」
飛んできたのはメロンパンだった。
「別にいいわよ」
私はそれを投げ返す。
「遠慮するなって」
再び飛んでくるメロンパン。
どこまでおせっかいを押し付けてくる気だろう。
「遠慮なんかしてないわ」
もう一度それを投げ返した後、私はカーテンに手をかける。
が、カーテンをつかんだ瞬間、ひざがベッドの端から落ちそうになった。
「きゃっ!?」
当然そうなれば、落ちないように何かをつかむわけだが、私が両手でとっさにつかんだのは、カーテンだった。
小さな止め具で吊っているだけのカーテンが、私の体重を支えられるはずもなく、私にとっての最後の砦は、文字通り音を立てて崩れていった。
そしてそのまま、私は床に勢いよくお尻をうってしまった。
「おい、大丈夫か!?」
拓海が慌てて駆け寄ってくる。私はその顔をキッと睨んだ。
「べつにいいっていったのに!」
「ご、ごめん……」
私の一喝がきいたのか、拓海は塩をかけられたナメクジみたいに、急に勢いを失った。
「もういいから、戻って」
「うん……ごめん」ベッドに戻っていくその肩が小さく見える。さすがに強く言い過ぎたかな。
「なあ……コレ食べるか?」
前言撤回。やっぱりムカツク。




