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ASTRALIUM  作者: 鶴形怜
3/5

君から目が離せない

「君は一体いつまでここにいるつもりなんだ」


 サタンがぶっきらぼうに問いかけた先は、サタンの自室(ラボ)の隅で本を広げている女性だ。少女とも女性とも言える年代の彼女は、茶色の髪を左右に三つ編みにしてまとめている。サタンの方を向いて膝を抱えて座り、膝の上に本を乗せているため角度によってはスカートの中が見えそうになり、サタンはむやみに振り返れなかった。

 黙々と試験管を振って薬品を混ぜる。背後で本を読んでいる女性――ジュリが動く布擦れの音がした。しばらく沈黙が下りる。


「うーん……、この本が読み終わるまで……」


 ちらりと横目で彼女の様子を見ると、スカートの中が見えそうにならない横座りになっていた。サタンは安心して振り返る。その手元にある分厚い本を見ると、まだ先は長そうだ。彼はため息をついた。


「今日も随分長く居座る気なんだな。君にも自室があるだろう」

「でも……ここが落ち着くから」


 いつも通りの小言を言うと、いつも通りの返事が返ってきた。仕方ないか、とサタンはまた机に向かう。なぜか彼女は気が付くとこの部屋に入り浸っているのだ。部屋にはもちろん鍵はついているのだが、在室の時は鍵をかけないままでいる。嫌なら鍵をかければいいのだが、本音を言うと別にジュリがこの部屋にいることは嫌ではないからそのままにしている。

 サタンは作業に戻ることにした。今日中にこの薬品の組み合わせで反応を見てみたい。

 壁に備え付けられた棚から目的の薬品を探し出し、試験管の中へ入れる。


「サタン」


 急に声を掛けられ、何かと思って振り返ると髪の毛が引っ張られる感じがした。見ると、いつの間にか背後に移動したジュリが、サタンの伸ばしっぱなしにしているボサボサな深緑色の髪の毛を左手で掴んでいた。邪魔な髪の毛はいつも紐で括っている。

 彼女の優しいこげ茶色をした瞳がサタンを見下ろしていた。立ち上がった彼女は実はとても身長が高い。


「紐が……ほどけかけてるよ」

「そうか。直してくれるか」


 サタンはそう言って机の方へ向き直った。髪をいじる気配がする。頭皮を引っ張られるような感覚があって数秒の後、白衣の背中に髪の毛が流された。彼女の息遣いを間近に感じた気がした。


「できたよ」

「ああ、ありがとう」


 礼を言って、作業に戻る。ジュリも元の位置に戻っていったようだった。


 サタンの作業の音と、ジュリが本のページをめくる音だけが響いていた。

 唐突に本を閉じる音がする。彼は作業に熱中しておりその音には気づかなかった。

 椅子に座る脚に何か大きなものが触れた感覚があり、サタンは掲げたフラスコをそのままに自分の脚を見下ろした。そこには三つ編みにまとめた後頭部。少しほつれた髪が白いうなじにかかっている。彼女の小さな頭の向こうには、読みかけらしい本が開かれていた。


「……何だ」


 不愛想にそう声をかけると、ページをめくる手を途中で止めた彼女がこちらを伺うように見上げた。どうやら構ってほしいらしい。上目遣いは反則だ。


「だめ?」

「……寄り掛かってるだけなら良い」

「それなら、良かった」


 短く返事をすると、ジュリはまた本に目を落とした。脚にかかる力が僅かに強くなる。彼女の規則的に並んだ背骨を、脚の側面に感じた。伝わってくる温度がじんわりと温かい。

 サタンはもう一度白いうなじを見て、左手の手元で止まったフラスコを見た。左手を回すと、中の液体もぐるりと動く。

 ――まぁ悪くないな、こういうのも。

 フラスコを置くと、サタンは近くのモニターへ目を向けた。近年我が国で開発されたこの『コンピュータ』というものは、実験をする上でとても便利だ。ただ、まだ開発されたばかりのものであるから足りない機能も多い。だから当時軍にいたサタンは先の戦争でこの技術を戦争にどう生かせるのかを研究させられていた。まぁ昔の話だが。

 次の実験に必要な薬品の量をコンピュータで計算しようとした時だった。

 窓の外で何かが光り、ピシャーン、という音が後に続いた。雷だ。すぐに窓を叩く雨の音も聞こえ始める。

 これはやばいな、と思い見下ろすと、ジュリが窓の外の光景に釘付けになっていた。サタンはまずコンピュータの電源を落とし、身じろぎをする。ジュリは取りつかれたように窓へふらふらと歩いていった。本を残して。彼はため息をついた。


「眺めるのはいいが、ほどほどにしろよ」

「……うん」


 彼女はなぜだか雷を眺めるのが好きだ。雷が鳴り始めると、窓のそばに寄って行って鳴り終わるまでずっと眺めている。

 何を言ってもやめないことは知っているため、彼は実験を続けることにした。足元がやたらと寒い気がしたが気のせいだろう。


「……ジュリ?」


 しばらく実験に熱中していたら結構な時間が経っていたことに気付いた。外ではまだ雷が鳴っていたが、窓際にいたはずの彼女の姿が見当たらない。


「ジュリ?」


 もう一度彼女の名前を呼んで部屋の中を見回した。相変わらず足元には本が落ちていた。でも、彼女はこの部屋にいない。

 サタンは少しの焦燥感を覚えながら、近くにあった装置を起動した。

 電源の付いたモニターを見ると、赤い点がぽつんと光っている。この点は、彼女の位置を示しているものだ。ふらふらといなくなるジュリの安全のために、サタンが独自に開発した。放っておくと勝手にどこへ行ってしまうかわからないのだ。今までで一番遠かったのは、隣町まで歩いて行ってしまったときだろうか。

 装置によると、どうやらジュリはこの家の中でどこかに留まっているらしい。それを確認してサタンは装置の電源を落とした。

 あの様子だと雷をよく見るために外に出て行ってもおかしくないだろう。外は危険だから、出ないようにしっかりと言い聞かせないと。

 部屋から出て、周りを見回す。ここにはいないようだ。サタンは階段を下りてリビングへ出た。


「相変わらずすごいな」

「……綺麗。ずっと、見ていられる」

「――そんな人はジュリくらいだよ、多分」


 話し声が聞こえ、そちらを見ると広い窓の前でジュリと並ぶオレンジ色の頭の男が見えた。

 ただ並んで話していただけだろうが、少しばかり苛々した気持ちを感じ二人の方へ足音も荒く歩いていく。それに気づいた男――アポロは、やべっというような顔をして慌ててジュリから離れた。


「ジュリ」


 名前を呼び、振り向きざまの手を引くと彼女の体がぐらついた。もう片方の手でその体を受け止める。金木犀の花のような香りが鼻孔をくすぐった。


「……サタン」


 白衣の腕の中の彼女が、無邪気な瞳でサタンを見上げていた。

 その唇の端がくすぐったそうな表情を作るように徐々に上がっていく。彼は気まずそうに顔を逸らした。


「ふふふ」


 小さな笑い声が上がる。笑い声の方向を見れなくて、サタンは近くにいた男を睨みつけた。


「何もしてないよ、俺は……」


 少し幼い顔に苦笑いを浮かべたアポロは両手を上げていた。言われなくてもそんなのは知っている。体が勝手に動いただけだ。ジュリを抱く手に力が入る。


「ジュリ、雷が見たくても外には出るなよ。危ないからな」


 アポロを軽く無視して、ジュリを見下ろした。


「うん、分かってるよ」


 にこにこしたままの彼女は、そう言ってふふふと笑った。

 サタンはその言葉を聞いてようやくジュリを離した。そしてそのままジュリの横に並んで窓の外を見る。


「好きにしてくれ……」


 ため息をついたアポロは、すごすごとリビングの奥へと引っ込んでいった。


「メイ……サタンが怖い……」

「また? あんたもいい加減そのヘタレ直しなさいよね」

「メイも俺を苛めるのか……」

「うっさいわね、ほらそこ座んなさいよ」


 腑抜けた声を出したアポロは、奥にいたメイにもすげなくされてしょんぼりと席に座った。メイは彼の前に、クッキーを置く。


「……余ってたから、あげるわよ」

「メイの手作り?」

「一応……味は保証しないけど」


 一転して笑顔になったアポロはさくさくと音を立ててかぶりついていた。メイはツンとした顔で彼から顔を背けて近くの椅子に座っている。美味しいと言って食べるアポロの方をちらちらと見て顔を赤くしていた。


「ジュリ――雷も止んだし、上に戻ろう」

「……うん」


 こいつら見ていられない、と思いサタンはジュリの手を引いて階段の方へ向かった。ジュリは何が面白いのかまだにこにことしていた。

 ――めったに見られないジュリの笑顔が見られるなら、たまには雷も良いな。

 サタンはひっそりと口元に笑みを浮かべた。

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