柊の花……
見たものは口々にこう言うのだ。
人は一人でに死ぬ
俺は皆からカラスと呼ばれている。
理由は分からない……普段から黒い服ばかり着ているからなのだろうか?
皆私を指差し笑う。
その光景か目に焼き付いて離れない。
憎いわけでもなく、嫌いなわけでもなく……強いて言うのならばどうでもいいがぴったりだろうか?
そんな私が体験したお話。
△
大学のサークル活動の一環で私たちテニス部はこの界隈では少しだけ有名な心霊スポットのダムに向かうことになった。
俺は乗り気ではなかったにしろ、押しに弱いと言うこともあって渋々ついていくことになった。
メンバーはリーダーの倉本、副リーダーの坂本さん、私、千佳ちゃん、笹ヶ峰さんの五人で向かうことになった。
集合場所であるコンビニに着いた。
千佳ちゃんと一緒の車に乗っている俺は、空き缶を捨てるために車から降りた。
一方千佳ちゃんはタバコを口に咥えていた。
煙をもくもくさせ、死んだ魚のような目をしていた。本人曰く至福の時らしい。俺にはわからないが……。
空き缶を捨てていると、コンビニの扉から見知った人が出てきた。
「あ! 倉本さん早いですね」
「お前こそ集合時間には三十分くらい早いんじゃないのか?」
ゲラゲラと声を上げて笑う倉本はいつも通り豪快な人だ。
年がら年中半袖短パンな格好の倉本さんは昭和に生きる人みたいだった。
目の当たりにはパンダのような日焼け跡がくっきりと映っていた。
昨日辺りに海でも行ったのだろう。
「サーフィンですか?」
「いいや、砂浜でお城を作ってた」
「ん? なにがあったんですか?」
「そーか、お前知らないんだったな。昨日は近くの砂浜で大会が開かれてな。そんでその大会の内容が砂で造形アート! みたいな奴が開かれたわけよ」
相槌を打つ。
「それでなにを作ったのですか?」
「フッ、それを聞くか? 勿論岐阜城だろ。なに言ってんだ?」
当たり前だろ的な素振りで俺に問いかける。
「え? 何で岐阜城なんですか?」
倉本さんはコメカミを押さえため息を一つ落とした。
「それはな、俺の地元だからだ!」
「成る程〜」
「何の話ししてるの?」
タバコを吸い終えた千佳ちゃんが車から降りこちらに駆け寄ってきた。
「おいおい、千佳ちゃん。女の子がタバコを吸うんじゃないよ。男に好かれないぞ」
倉本さんは茶化すようにそういうと、千佳は顔を膨らませた。
「いいもん、彼氏いるし〜」
「あ、そっか。カラスがいたな」
「あ〜、もう。そう言うこと言わないの。ちゃんと名前あるんだから」
「へいへい、お熱い事で」
それだけ言うと倉本さんはまたコンビニの中に入って行った。一体何を買うつもりなのだろうか。お金は持ってそうだけどな。
「倉本さんが言ったこと気にしないでね……それと私タバコやめた方がいいなか?」
「タバコ吸わないとイライラするんでしょ?」
「わかってる〜」
いじらしく、いやらしく千佳は言う。
「お? お前達来てたのか?」
「笹ヶ峰さんと坂本さんじゃないですか。グットナイティング」
「何それ? 相変わらず千佳ちゃんは変なことを口走るね〜」
坂本さんはケラケラと潰した蛙のような笑い方をした。
「集まったな」
買い物を終えた倉本さんは片手にビール、もう片方に焼き鳥と何かの入ったビニール袋を持っていた。
「何食ってるんですか、飯食って来なかったんですか?」
俺がそういうと倉本さんはビールの缶の蓋を開け、ぐびぐびと飲み干していた。
「熱いから」
「あっそ」
短く返し、千佳の方を向いた。
相変わらずタバコをふかしていた。タールは一mgとは言え体には悪い。彼氏の俺としてはやっぱりやめて欲しいと思う。もし結婚して子供産むことになった時、子供に何らかの影響が出たら嫌だからだ。それに、それが原因で別れる事があるかもしれないからだ。
「どーした?」
「いんにゃ。何でもない」
俺の顔を覗き込むように千佳は俺を見上げる。
彼女の背はかなり低い。百五十も無いだろう。
白いシューズに短めのジーパン、白いフリルのついた服。可愛らしいのには変わりはないが……。
坂本さんは笹ヶ峰さんと何かを話しているようだ。内容はこちらからは聞こえない。
一通り話し終えた笹ヶ峰さんと坂本さんは俺たちに合流した。
「それじゃあ行こうか。車は……そうだな〜笹ヶ峰の車はデカイからそれにみんなで乗って行こうか!?」
「さんせー」
千佳が元気よく返事をした。
笹ヶ峰さんの車はワゴン車で最大八人まで乗れるやつだ。仕事の関係上この車が便利なのだそうだ。因みに仕事は大工さんのお手伝いらしい……主に荷物運びなのだそうだ。
「オケ、コンビニでジュースとかお菓子でも補充してから行こうか! 道中長いしな」
笹ヶ峰は車のキーをクルクル回し皆にそう勧めた。
「了解!」
倉本がそう言うとみなコンビニに入って行った。内心どんだけ買うんだよと思うが口にはしなかった。
時刻は二十時半……太陽が完全に隠れ夜が現れる時刻。宵闇はすぐそばに……。
一通り買い物を終えた俺たちは笹ヶ峰の車に乗り込んだ。
運転席に笹ヶ峰さん。
助手席にはリーダーの倉本さん。
真ん中の席には坂本さん。
一番後ろには俺と千佳ちゃんの配置だ。
ダークブラックの芳香剤の甘い香りがする。
車の中には至る所にLEDが内蔵されチカチカと光り輝いていた。
「笹ヶ峰、眩しすぎやしないか?」
倉本が眉をひそめそう呟く。
笹ヶ峰は苦笑いをし言葉を返す。
「これ、彼女の趣味なんだよね……改造費や材料費、装飾まで彼女持ちだよ」
その話を鼻歌交じりに聞いていた俺は千佳ちゃんと話していた。
「そう言えば今日行くところなんていうんだ?」
「え? っと……確か、ねーー坂祝ダムだっけ? 倉本くん坂祝ダムだったよね今日行くところ」
倉本が俺たちの方を向き答えた。
「ん? あぁ〜そうだ。施工が1953年五月十日で完成日が1976年十二月二十四日のやつだ。それと、心霊現象はっと……」
倉本は手元にある携帯をスクロールし先を読む。
「あった、これだ。なになに? 作られた当初はまだ戦争が終戦してから間もない時代だった事もあり国が強引に土地開発を進めたがっていた時期である。そのダムも例外ではない。工事途中にも多くの人のデモがあったらしい。そうして工事が終わったその日……水が流された。まだ、街にはたくさんの住民が住んでいた……。後は分かるな」
倉本さんは言葉を濁した。
「それで、心霊現象はだな……白い服を着た女が手招きをするとか、ボールを持った子供達が遊ぼ遊ぼって声を掛けてくる。立札を持った老人達が声をあげながら迫ってくる。足を触られたとか」
「へ、へぇ〜なかなかこ、怖いねー」
坂本さんは肩を揺らしながら怖がっていた。
千佳は我関せずと言わんばかりに窓を開けタバコをふかす。ジメジメとした空気が少しだけ入ってくる。
笹ヶ峰さんは運転に集中していた。
俺はその話を垂れ流すラジオのように聞いていた。
◇
それから更に一時間程経過した頃。
俺は先程のコンビニで買ったポテチをもぐもぐと食べていた。
コーラで流し込むポテチは美味いですな〜。
至福のときを味わいつつも若干の恐怖心が拭えなかった。
坂本さんが口を開いた。
「そう言えば今まで言ってなかったけどさ、俺霊感があるんだよね」
倉本が耳を貸す。
「へぇ〜なんか見えたりとかすんの?」
「あ、ん〜黒いモヤモヤした人影みたいなのはよく見るよ。そう言えば前足を引っ張られた事があってさ〜」
ケラケラと坂本は笑った。いかにも俺は幽霊なんて怖くねーよとでも言いたげなご様子……倉本は少し突っかかる。
「ほぉーんで?」
「いや、特には」
倉本は飽きたのか前を向き、携帯をいじっていた。その時の指のスピードは早かった。携帯ゲームでもやっているのだろうか?
俺たちも話す事なく車に揺られている。
更に進む事三十分……ついには民家が見えなくなった。
「しっかし森しかねーな。いかにもって感じて興奮してくるな」
倉本が呟いた。
車の中では誰一人として話そうとしなかった。その空気を俺は何処か寂しいなと感じていた。
「こんな所通るのか?」
倉本が暇そうに呟いた。
林道と言ってもそんなに良いものではない。
あまり人が通らないのか道には枯れ木や落ち葉、アスファルトの隙間からは草木が生えている。
「不気味だ……」
坂本は眠そうに言った。
きっと徹夜でもして来たのだろう。目にはクマが出来ている。
笹ヶ峰はめんどくさそうに頭をかくと退屈そうにコーヒーを口にした。
笹ヶ峰はコーヒーをコンビニで三缶も買っていた。
ハンドル近くのドリンクスタンドを見ると空になった二つの空き缶が無造作に置いてあった。
「笹ヶ峰くんその缶一つくれない?」
千佳がそう言う。
「どうして?」
「ほら、灰を入れるやつが満タンになったから〜」
「はぁ、タバコ吸いすぎですよ。程々にしてください。カラスさんも言ってあげて下さいね。付き合ってるなら」
笹ヶ峰の言葉に俺は何も返す事が出来ず、苦笑いを浮かべた。
坂本さんから空き缶をもらった千佳は早速その間に灰をドバドバ入れていた。
夏の暑い夜……窓を開けるには少しだけ蒸し暑かった。
更に車に揺られる事十五分……目的地に着く事が出来た。
◇
車から降りた俺たちはまずそのダムの大きさに度肝抜かれた。
「でっかいな〜」
「確か日本三大ダムの一つらしいです。面積、水量、発電量どれ一つとっても最大級らしいよ」
倉本は得意げに皆に教えた。
「今でも改装工事なんかが時たま行われてるらしいしまだ大きくなるんじゃない?」
坂本が補足を入れる。
すでに三箱めの袋を破ろうとする千佳ちゃんを横目で見て、一緒に行こう? と目で合図をすると、猫のような目になり構って欲しそうに俺の元に千佳ちゃんが来た。
「ん? どしたの……手でも繋ぎたいのかな〜?
この寂しがりやめ!」
千佳は自身の頬を赤くしながら俺の頬を突く。
「や、やめろ〜別にそんなんじゃねーよ。ただ」
「ん? ただ?」
「お前が寂しがってるんじゃないかと思ってだな」
千佳はクスリと笑い、俺の肩を優しく叩く。
「ありがと〜。大好きだよ」
「い、いきなりなんだよ。びっくりするだろ」
満足そうに千佳ちゃんは笑う。
「にしても暗いな〜。ここから街灯二、三本しかみえねーぞ?」
倉本が呟いた。その言葉を皆は聞き辺りを見渡すと本当に街灯が少ない……大体百メートル感覚に一つ立っているくらいだろうか?
ダムの大きさは目測ではあるが一.五キロ程はありそうなのに、見える街灯は三本とかなり少ない。奥の方にある街灯はどうやら切れてつかなくなってでもいるのだろうか?
「そういや、今何時だ?」
俺は時計を見た。
現在時刻、二十三時十五分頃……。
まだ、早い時間帯だ。
俺たちがいつも寝るのは三時とかそれくらい。
明日は祝日で何もないのて皆元気そうだ。
俺たちは懐中電灯を一人一つずつもち探索することにした。
◇
でけーな〜。
かれこれ十分程度歩いたのだが、ダムの四分の一すら到達していない。
「一休みするか……」
「オケ、そうしよう」
倉本が暇そうに呟いた。
近くにベンチ二つが対面している休憩スペースがあったので俺たちは少し疲れた体を休めようと椅子に座った。
坂本と倉本が同じ席で後の残りがその前の席という訳だ。千佳が俺と同じ席に座りたがるのは定石であるし笹ヶ峰は気分だそうだ。
坂本と倉本は親友と言うこともあって対面式の椅子ならば大抵このような席順になる。
「それにしても暗いな〜街灯も全然光ってねーしあっても無くても変わらないんじゃない?」
「そうだな〜」
千佳が遠くの方にある街灯を指差しながらそう言うので俺はそれを肯定した。
実際の所街灯が遠すぎて歩いても歩いても近づけないのは事実だった。
人間十分も歩けば一キロくらいは余裕で歩ける遅くても八百は行けるだろう。だけど歩けど歩けどゴールが全く見えないのだ。少しだけ不思議に思った。
坂本が茶化すようにその事を笑うと固かったみんなの表情が少しだけ和らいだ気がした。
「そう言えばなんか見られてる気がしねーか?」
坂本がそう言う。確かに少しだけ見られている気がしてならない。別に怖いとかそんなんじゃないんだけど……なんて言うのかな? ネットリとしたと言うのが一番いいと思う。見られて気分がいいのはモデルだけだと思っている俺は少しだけ気分が悪くなった気がした。
倉本はその辺にあった石ころを拾っては投げ拾っては投げてを繰り返し暇を潰していた。
「何もいなくね? あの噂とかさデマだったんじゃねーのか……………………ぇ?」
倉本は目を丸くし、カタカタと肩を震わせる。次第に歯もカタカタ鳴るようになる。そして顔がどんどん青ざめていく。その様子に皆少し驚くが、何時もの冗談だと思い茶化すように倉本を笑った。
「おいおいどうしたんだ? そんなに顔を青くしてなんかあったのか? あ、もしかして俺たちを驚かそうしてわざとそんな顔してるんだろ〜全く、バレバレなんだよ」
笹ヶ峰が冗談交じりにいう。
その横に座っている坂本は目を細め倉本の肩元をジーっと見ていた。
「おい、坂本何かいるのか」
「…………みんな、喋らない方がいい」
坂本の低い声で言ったその言葉に皆が硬直する。
坂本はいつも明るくて元気なやつだった。だからこそこんな声を出したことにみなびっくりするのだ。
そして俺たちはそれが冗談や酔狂で言っていることではないとすぐにわかる事になる。
俺と千佳、笹ヶ峰は見てしまった。
倉本の体の後ろからいくつもの手が出てくるのを……。しかも真っ暗闇から。そして俺たちの体は金縛りにあったように動かなくなる。
そのうち、倉本の後ろから這い出てきた手たちは倉本の体を覆い尽くす形で数をなして行く。
倉本の顔が更に青くなる……。表情は強張り、何処か悲しげな顔をしていた。
なんだよこれ、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない。
こんなものしんじねーぞ。
心の中で叫ぶ、声は全く出ない!!
やがて、その手たちは倉本を闇へと引きずってゆく。黒より黒い闇へと誘われてゆく。ゆっくりとてもゆっくりと……途中、ケラケラと笑い声が聞こえた気がした。それに咀嚼音も聞こえた。
倉本は顔を青白くさせどんどん闇へと消えていく。
皆金縛りにあっているのか動くことができない。それとも我が身が大切でもし助けたら今度は自分が連れていかれるとでも思ったのだろうか?
そんな中俺は声を荒げようとした。だけど喉が潰れたような痛みが走り声が出せない。
腕は筋肉がそぎ落とされたように痛み動かすことが全くできない。
次第し倉本は闇に吸い込まれていく。
「たすけて……」
カスカスの声で聞こえた。倉本の助けを求める声が聞こえた……。だがその声を最後に倉本は闇に完全に消えて行った。
それと同時に俺たちは金縛りから解かれた。
「…………ねぇ……今のはなんだったんだ……倉本はあいつはどこに行ったんだよ。なぁ、答えてくれよ」
テンパる笹ヶ峰、皆今の光景に驚きを隠せずにいた。
パシンッ。
千佳ちゃんが笹ヶ峰の頬を思いっきりビンタした。
「何すんだよ!」
「落ち着いて……まず私たちは何をすべきなのかを考えなくちゃいけないと思うの。倉本くんが連れていかれたのは全くもって予定外…………だけどいま騒いだって何も解決にはならない……。だったら私たちが今取れる行動は何?」
「警察を呼ぶ……そしてここから今すぐに離れること」
「うん、私もそう思う。幸いなことにここは電波が入るは…………あれ……なんで入らない? どうして、さっきまで入っていたのに??」
「てか、みんな街灯の電気全部消えてねーか?」
笹ヶ峰の言葉でみな辺りを見渡す。
「これってさ、ま、不味いんじゃねーのか?」
「…………」
生唾を飲み込み、俺たちは車へ向かった走り出した。
◇
一目散に走る俺たちの後ろで何かの音が聞こえた。
「なぁ、何か聞こえないか?」
ヒタヒタ……。
「ここはダムだから水でも流れた音じゃないか?」
怖がる笹ヶ峰を先頭に俺、千佳、坂本が順に走る。
笹ヶ峰を慰めるかのように坂本が声をかけた。
ヒタヒタ……。
濡れた足で歩く音が聞こえる。
「なぁ、やっぱりなんの音なんだよ……だれかが俺たちを追いかけてるとしか思えねよ!」
足音が近づく……。
声が聞こえた……。
「みんな……ゲホ待ってくれよ〜なぁ、俺たちダチだろ〜ゲホゲホ」
「倉本の声だ!」
笹ヶ峰がいの一番後ろを見て、それに続く形で俺たちも後ろを見た。
たが、後ろを振り向いたが誰もいない。
「空耳か?」
坂本か何かに気がついたようだ……。
「みんな、聞いてくれ。そのまま動かないでくれ……俺たちの前に何かいる。だけどそれを絶対に見てはいけない。何かは分からないけど見ちゃいけない…………」
小声で俺たちだけに聞こえるように坂本は話す。
「その何かってなんだよ」
笹ヶ峰が言う。
「分かんねーよ。俺だって分かんない……だけと見たらいけないって事は何となくわかる。多分だけど倉本は見ちゃったんだよこいつを……だから連れていかれた。下見て歩こう」
「分かった……坂本怒ってすまない」
坂本はさらに付け加えた。
「それと千佳ちゃん。タバコをみんなに渡してあげてくれないかな?」
「どうして?」
「タバコの煙には昔から除霊の効果があると言われているから。みんなでタバコを吸って少しでも近づけないようにするために」
千佳は何度も頷き、皆にタバコを配る。
「大丈夫だよ……軽いやつだし初心者にもおすすめだよ!」
「こんな時に呑気なこと言ってるんじゃねーよ」
笹ヶ峰は少しだけ怒った。
そしてタバコを千佳から渡された頃。
何か、匂う……腐葉土のような、カブトムシのような、なにかを腐らせたような臭いが鼻をつく。
どうやらみんな気がついたようだ。
「……臭い…………」
「みんな、奴はすぐそばにいるからね。この臭いは多分奴のだから……あんまり嗅いだらダメだ」
俺たちはタバコに火をつけた。
途中噎せたりするものもいたが、死にたくないので必死にタバコを吸った。
臭いが少しだけ薄らいだ気がした。
「行こう」
坂本が短くそう言った。
一斉に皆、振り返り下を向いた。
そして一斉に車へと駆ける。
歩いて十分程度の道だ。走れば三分もかから無い。
◇
「ふぅ、やっとの思いで着いたな……皆無事か?」
坂本が呟いた。
「あぁ、なんとか。千佳も無事らしい」
俺と千佳はアイコンタクトをして互いを確認した。
「あれ? 笹ヶ峰は?」
坂本が言う。
俺と千佳は一気に背筋が冷えた。
蒸し暑いはずの夜の夏がこれ程に寒いと思った事はない。
「笹ヶ峰は見ちまったんだな」
坂本は悲しげにつぶやく。
「多分そうだろうな。タバコの吸い方も一番下手くそだったし……」
千佳はそんな事を口走った。
そんなことよりも今は逃げる方が大切……俺たちは迷わず車の扉を開いた。
「車の鍵ってさしっぱだったよな」
「あ、あぁ……あいついつもさしっぱだから付いてると思う」
運転席近くを見るとキーホルダーと一緒に鍵が置いてあった。
「とにかく今日は帰ろう。ここにいたらまた誰かが連れていかれちまう」
「わかった。運転は俺がする。この車はよく運転させてもらったからな」
エンジンをかけ車を出した。
◇
車を運転して数分が経った。
すっかり静まり返った車の中は少しだけ土臭かった……。
「なあ、倉本と笹ヶ峰はどこ言ったんだろうな? 俺怖いよ……」
坂本は後ろの席で丸くなり窓を開け、前方を眺めていた。
ライトをローからハイに切り替えた。そうしないと前が見えにくいからだ……。
「……なぁ……あれって何だと思う?」
坂本が指を指す。
「ん? なんだよ」
指を指された方を俺と千佳は見た。
ライトの加減で少しだけ見えにくいが確かにそこになにかいた。
丸いくて、毛が沢山生えてて……。
近づけば近づくほどその姿は鮮明に目に映り出す。
そうして五十メートル程まで近づいた頃、やっと俺たちは気が付いたんだ。
『見てはいけないもの』と言うことに……。
少し暗くてまだ見えにくいが、そいつの姿はくっきりと鮮明にわかる。
「なぁ、あれって……」
坂本が冷え切った声で話す。
丸い身体に俺たちが毛かと思ったものは全てが手で、足はなく目はなくあるのは大きな口だけだ。
口から見える大きな歯は人間のそれだった。
大きさは大体百二十センチ前後、体表面は汚い緑色をしている。
俺は急ブレーキをした。
そのせいで後ろにいた坂本はヘッドクッションに頭をぶつけた。
「痛てて……どうして止まった? あれは俺たちを食べるために来たんだろ。なら逃げなきゃ」
「……どこに一体そんな逃げ道があるんだよ!!
逃げるとこなんてここにあるのかよ!!」
怒鳴り散らすように俺は言う。
あいつは慣れない歩き方で俺たちの方へテトテト歩いてくる。
その光景に千佳は気絶し、坂本は号泣、俺は鳥肌と寒気が止まらなかった。
そして、奴が手前二十メートルのところで足を止めた。
そして、大きすぎる口を開けてこう言うのだ。
「……み〜た〜な〜〜……」
男性とも女性とも取れる中性的な声で俺たちに声をかけた。
坂本は気絶し口から泡を吹く。
そして、俺もそこで気を失ってしまった。
◇
ん、ん〜……。
ズキズキする頭を両手で抱え込む。
外からは鳥の鳴き声、開けてあった窓からは枯葉が落ちて来ていた。
は! さっきまで俺はあいつに…………?
横でスヤスヤと眠る千佳を起こし状況を整理する。
「千佳ちゃん起きてくれ」
「ん、ん〜? 朝?」
眠たそうに瞼を擦り背筋を伸ばす。
「あれ? 私寝てた?」
「うん、どうやらそんな感じ。そして、俺たち事故を起こしたらしいよ。ほら前を見てごらん」
車の前方を見る千佳は驚いた表情で声を荒げた。
「嘘でしょ……」
大きな大木に衝突し車の前方はくしゃくしゃになっていた。前に乗っていた倉本と笹ヶ峰は大木の幹に体を貫かれ死んでいた。
坂本は頬に軽い切り傷がある。
俺と千佳には頭痛以外のおかしなところは何一つ無かった。
俺と千佳は坂本を起こした。
「坂本起きろ!」
肩を思いっきり揺すり起こす。
「やめてくれ……眠いんだ」
「そんなこと言ってる場合じゃねーぞ! 前見てみろ」
「あ? あ…………えぇーーーー。なに、これ」
状況が全く掴めていない寝起きの坂本。
「と言うか俺たち昨日の夜あのダムに行ってたはずなのにどうしてこんな所で事故なんかしてるんだ? 倉本と笹ヶ峰は車に居なかったはずなのに……」
「坂本、お前も見たのかあの夢を」
「お前もって事はカラスもか?」
そして、千佳もゆっくりと頭を下げて「私も」と言った。
一体昨日のあれは何だったのだろうか?
「まぁ、夢ならば良かった……いや、現在進行形で不味いな」
「ねぇ、一つ気になったんだけどさ……笹ヶ峰くんと私と坂本くんとカラスくんが手に持ってるそのタバコってなに?」
「…………なぁ、あの夢で俺たちタバコを千佳から貰ったよな?」
「あ、あぁ……貰った。笹ヶ峰が吸うのが下手だった」
坂本は笹ヶ峰の事を呟いた。
「それじゃああの夢は実際に俺たちが見ちまったって事じゃ……」
ふと、気配がしたので右側のガラスを見た。
そこには緑色の手が二、三本生えているような気がした。
目を擦りもう一度見たが、そこには何も居なかった……。
end
面白かった?