第三十五話
当時、五歳のハルはいつも近所の森に冒険と称して遊びに行っていた。
最近は危険な魔物が出ることも少なかったため、周囲の大人もあまり心配はしていなかったものの、それでも見かけると森で遊ばないようにそれとなく注意していた。
それでも子どもの好奇心を止めることはできず、ハルに限らず子どもたちは森で遊ぶことをやめなかった。
ただ、子どもたちの中でも一定のルールが存在しており、途中の看板より奥には行かないことが暗黙の了解となっていた。
その看板より奥は危険な魔物がいると言われているエリアであり、子どもたちもその危険性を薄々感じ取っていた。
幼いハルも例に漏れず、そのルールに従っていた。
――しかし、ハルはそれを一度だけ破ることになった。
近所の子どもで集まって森で遊んでいた時の話である。
ハルよりも二つ下の三歳の女の子が、看板の向こうへと迷い込んでしまった。
どうしてもついていきたいと言われたため、ハルが連れてきた女の子だった。
「どうしよう……」
子どもたちは、看板の近くで見つけた女の子のリボンを手にしてどうしたものかと悩んでいた。
ひらひらと寂しげに揺れるリボンは女の子がこの先に行ってしまったことを示していた。
「……俺が連れてきたんだから、俺が行ってくるよ! みんなは俺が戻ってこなかった時に父さんや母さんに伝えて!」
引き留める子どもたちにそう言い残してハルは看板の向こうへと自らも足を踏み入れて飛び出していった。
しばらく探していると、すぐに女の子は見つかった。
どうやら自分がどこにいるのかわからずに歩き回ったものの元の道が見つからず、しょんぼりと地面を見ながら途方に暮れて座り込んでいた。
「おーい! よかった、無事だったね」
「あっ、ハル兄ちゃん! ハルにいちゃあああああああん!」
呼びかけにぱっと顔を上げた女の子はハルを見つけたことに喜んで、涙を流しながら手を伸ばしてハルへと駆け寄ろうとする。
その時、身が固まってしまったハルの目には見たことのない魔物の姿が映っていた。
幼いハルの何倍もの巨躯をもつその魔物は、目が合った瞬間、凶暴さをむき出しにしてこちらに向かってくる。
魔物は走る女の子の後ろから迫ってきており、このままでは彼女が魔物の手にかかってしまうことは明らかだった。
そんなことを考えた瞬間、とっさにハルの足は彼女に向かって駆け出していた。
「うおおおおおおおおおおお!」
自分がどうなっても構わない! なんとしても彼女だけは無事に帰らせてやらないと!
――その強い思いがハルの頭から逃げるという選択肢を消去し、女の子を守るという一心にさせていた。
なんとか魔物の手が届く前に彼女のもとへたどり着いたハルは彼女を抱きしめて、自らの背中を魔物に向ける。
自分が攻撃を受ければ、彼女だけは無事なはずだ――そう考えた末の行動だった。
「ガアアアアアアア!」
魔物はそんなハルの背中を目がけて勢いよく爪を振り下ろす。
ハルは目を瞑って、彼女を彼女に覆いかぶさるように守る姿勢を取っていた。
自身に襲い来るであろう痛みが全くやってこないことに気づくと、そーっと後ろを見た。
「――やあ、カッコいいじゃないか! 君の気持ちは俺が引き受けた!」
ハルたちと魔物の間には、一振りの剣を持った男性が立っていた。
颯爽と現れた彼は太陽の逆光ではっきりと顔は見えなかったが、ハルはその時の光景を一生忘れないだろうと感じた。
助けられたあとに聞いた話では、彼は以前ハルたちの村に住んでいたことがある冒険者だということだった。
冒険者によって助けられた子供たちは、彼によって村まで送り届けられる。
立ち入り禁止の場所に入っていったことを知った親たちは大層心配し、大目玉を喰らわせることになる。
その冒険者は村の人たちに大層感謝され、大したことはしていないと困ったように笑っていた。
しかし、叱られながらも、ハルの心は冒険者の彼のことばかり考えていた。
――いつか、自分も彼のような冒険者になりたい、と。
「……というのが、子どもの頃に初めて冒険者になろうと思った時の話さ」
そこまで一気に話すとハルは、飲み物を口にする。思っていたより長話になったせいで喉が渇いていた。
「ふむふむ、なるほどです。それで、ハルさんはギフトが無いとわかっても、心が折れずに憧れに向かって頑張れたんですね! やはり子どもの頃の思い出は大事ですねっ」
うんうんと納得するルナリアだが、ハルが苦笑しながら首を横に振る。
「いや、この話はまだ続くんだよ。聞いてくれ……」
そこから話は進んで、第一成人の儀でハルは何もギフトがないことを知る。
「――ギフトがなくたって、絶対に冒険者になってやる!」
その言葉を胸に頑張っていたが、十五歳の頃にはその気持ちも徐々に薄れていくのが自分でもわかっていた。
このままではいけないと思ったハルは、自分が初めて憧れのあの冒険者に出会った森へと足を踏み入れた。
子どもの頃は広大な森だと思っていたが、それなりの広さはあるものの思っていたほどではなく、あっさりと看板の向こうへと行くことができた。それだけ自分の身体が成長したんだとハルは目を細める。
危険な魔物は例の冒険者によって掃討されて、今では安全な森として村人や子どもも安全に足を踏みいれることができるようになっている。
「懐かしいな、ここであの子を守ろうとして助けられたんだっけ……」
誰に言うでもなくぼそりと呟きながら、ハルは魔物に襲われそうになったあの場所に辿りついていた。
懐かしさと、憧れの気持ち、そして何もない今の自分への悔しさ――そして自分は冒険者になれないのではないか? という徒労感が心を支配していた。
「おっ、君は確か……昔助けた少年かい?」
そう声をかけてきたのは例の冒険者だった。
「な、なんで?」
なんでこんな場所にあなたが? そう言いたかったが、ハルは言葉が上手く出てこなかった。
自分が冒険者になる将来を諦めようとして、たまたま立ち寄った森に、自分が冒険者を目指そうと憧れた存在が目の前にいる――なんてできすぎた状況なんだとハルは、動揺していた。
「あぁ、昔ここの魔物を俺が倒したんだけど、こうやってたまに様子を見に来ているんだよ。いつ新しい魔物が住み着くかわからないからね。まあ、もうずっと何もないからそろそろ別の人に引き継ごうかと思っているけどね?」
平和そのものの森を嬉しそうに見回しながら、彼はそろそろ森のチェックに来るのをやめようかと考えていた。
それゆえに、今日ハルと再会したのは奇跡のようなタイミングであった。
「いや、でも君も立派になったね、うんうん。――ところで君はどうしてこんな場所にいるんだい?」
自分が助けた少年が、大きくなっていることに喜んだが、その相手の表情からは元気のなさが感じ取られたため、彼は質問をする。
「えっと……」
ハルは何を言えばいいのかわからなくなっていた。
ギフトがないこと、それが原因で冒険者になることを諦めそうになっていること――。
そんな情けないことを憧れの人に言えるのか? と葛藤している。
「ふーむ、何か大きな悩みがあることはわかった。それはきっと俺には言いづらいことなんだろう。だったら、話さなくてもいいさ。でも、悩みを抱えていても辛いだけだ。誰でもいいから聞いてもらうんだよ。……それじゃ、俺は行くよ」
ハルの悩みを聞く相手に自分は選ばれなかった――そう思った冒険者は深く聞き入ることはせず、ハルに背を向けると森の確認に向かう。
彼は森の見回りをやめるかもしれないと言っていた――だったらこのままだと、彼と会う機会はないかもしれない。
「あっ……」
そう思うと、小さく声が出る。
「……ん?」
ハルの声が彼の耳に届いて、優しい表情で振り向いた。
「っ――あ、あの! 話、なんですけど! 俺っ、その……冒険者になりたいんです! 俺のことを助けてくれた、あなたのような冒険者になりたいんです!」
閉じ込めていた感情を溢れ出すように叫ぶハルの言葉を一つ一つしっかりと冒険者は受け止めて聞いていた。
「でも……そのっ、あの……!」
感情が先行しているせいか、ハルは言葉がまとまらない。
「いいよ、うん。落ち着いて、君の言葉で話してくれ」
早く話さなければと慌てて、苦しそうな表情のハル。それを見た冒険者は、少し戻ってくると、肩に手を乗せ、優しい表情で諭すように声をかける。
「っ……あの、ギフトがなくても冒険者になれますか? あなたみたいな冒険者になれますか!?」
冒険者に縋るような表情を見せたハルのその声は、腹の底から出た声であり、森に響き渡るかと思える言葉だった。
このハルの言葉は、ずっと心の奥にひっかかっていたものだった。
自分の憧れの人にずっと聞きたかった言葉。彼ならばこの問いに対する答えを持っているのだろうとハルは思っていたのだ。
それを絞り出したハルは疲労感を感じながらも、ついに言えたという思いもあった。
「――簡単になれる、.とは言えない」
ハルの言葉を全身で受け止めて、考えた末に冒険者は言葉を選んでいく。その声音は硬く、重い。
なれるとは言えない――この言葉にハルはビクリと身体を震わせる。
「だがね、俺も大したギフトは持っていないんだよ。それこそ戦闘系のギフトとはいいがたい。……でも、俺は諦めなかった。ずっと努力を続けた。心が折れそうな時も、笑顔でそれを乗り切った……」
何かを思い出すように下を向きながら冒険者は語っていく。
そして、今度はハルの目を見てにっと歯を見せつつ爽快に笑いながら言う。
「だから、なれるとはいえないけど、諦めずに自分にできる努力を続ければ俺みたいに、いや俺よりもすごい冒険者になれる可能性はある! 可能性は誰にだってあるんだよ!!」
腕を大きく広げ、どんと構えた冒険者のその言葉は、ハルの心を強く撃ち抜いた。
ぶわりと自分に大きく風が吹きつけたように身体を何かが突き抜けていく感覚に襲われた。
みるみるうちにハルの目からは自然と涙が流れ落ち、泣いているハルを見て冒険者の彼は面白いようにわたわたと動揺していた。
「……ということがあったのさ。それから、俺は彼の言葉を胸にずっと努力を続けたんだよ」
「ふわあ、すごいですねえ。まさにハルさんの恩人ですね」
目をキラキラと輝かせたルナリアの言葉に、嬉しそうにハルは頷く。
「命の恩人だし、夢の恩人だよ」
「……その方は今?」
どうしているのか? ルナリアの質問にハルは遠くを見つめるような目になる。
「あぁ、今もどこかで冒険者をやっているはずだよ。世界初のSSSランク冒険者としてね」
ハルの憧れは、遥か遠くの高みにいる。
しかし、ハルはせっかく追い越すなら目標はデカイ方がいいと、昔その冒険者が見せてくれたような二カッと爽快な笑顔になっていた。
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名前:ハル
性別:男
レベル:1
ギフト:成長
スキル:炎鎧2、ブレス(炎)1、ブレス(氷)2、竜鱗1、耐炎2、耐氷1、耐雷1、氷牙2、帯電1、甲羅の盾、鑑定、皮膚硬化、腕力強化1、火魔法1、爆発魔法1、解呪
加護:女神セア、女神ディオナ
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名前:ルナリア
性別:女
レベル:-
ギフト:火魔法1、氷魔法1、風魔法1、土魔法1、雷魔法1
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