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勝鬨橋さんと千本木くん  作者: 坂本鷹人
1/3

ティッシュは学園生活の必需品。


 例えばこんな昔話がある。

 あるところにとても悪い魔女がいた。ある時容姿の美しい男に心を奪われた魔女は、あらゆる手段を駆使して男の心を我が物にしようと挑んだが、篭絡することはできなかった。理由としては実に単純で、男の恋人を想う気持ちが強かったというだけのことだった。

 そのことを知った悪い魔女は、男の恋人である清純な乙女を妬み、乙女にある呪いをかけた。それは恋人に対して愛の言葉をかけると死んでしまうというもの。呪われた乙女は自分の命を守るため、以後男に愛をささやくことはなくなった。男は恋人の心が自分から離れてしまったと思い、絶望して街を出て行った。

 悪い魔女はその様に満足し、その男への興味も、乙女にかけた呪いのことも忘れて次の男を次々漁ったという。この話の結末を千本木一郎は覚えていない。だが、彼の現在はまさに、この昔話のような状況だった。

 そう、今現在を切り取るなら、これはそんな酷い話だ。


          ・・・・・・


 ――夕刻。ここはA県T市、気候もよく大地も肥沃で農業が盛んな片田舎だ。その東の果て、神明町にある名も失われた旧い神社を目指して、一組の男女が自転車を漕いでいた。


「なぁ、瀬川?」と、千本木一郎。

「何かしら? 千本木くん」と応えたのは瀬川愛理。

「俺はさ、好きでもない相手のことを、好きだと言うのは罪だと思うんだ。口に出すたび自分の本当に好きな相手を想う気持ちを裏切っているように感じるからな」

 悲痛な表情でこめかみに人差し指を当てながらそうのたまう一郎を見て、突然何を言い出すのかと思ったのだろう、愛理は少し考える素振りを見せたが、すぐに一郎の言いたいことがわかったのだろう。「私もそう思うわ」と返した。

 これは彼と彼女の嘘偽りない本心だ。

 なのに、なのにどうして――。

「瀬川、好きだ」

「私も好きよ、千本木くん」

 言った後に長い沈黙――。二人ともとても愛の告白をした直後とは思えないほど無表情。自転車を漕ぐたび軋む音と虫の音だけがあたりを支配している。

『……はぁーーーーーー』

 二人は盛大なため息をつく。

 そう、一郎の前置きからおわかりかと思うが、彼らはお互い好き合っているわけではない。むしろ有り体に言えば嫌い、或いは邪魔だとさえ思っている。やむにやまれぬ事情があって、お互い好き合っているように接することを強制されているのである。

 なぜ? どうしてこうなった? と、考えない日はない。なぜなら彼らにはお互い、別に好きな相手がいるからだ。こんな奴と、こんな無益なことをしている暇なんて一秒だって惜しい。一刻も早く想い人にその想いの丈をぶつけたいのに――。

 なのに、どうしても、一郎は瀬川愛理以外の人間を好きだと言うことができない。愛理はどうしても、千本木一郎以外の人間を好きだと言うことができない。

「もう! いい加減にしてよ! 何なのよこの状況は!」

 愛利は相当に怒っている、普段容姿も性格も生活態度も大人しい愛理の怒声に、一郎は一瞬ぎょっとしたが、これもここ数日では珍しくもなくなっていた。

「怒ったってしかたないだろうよ、原因もわからないのに」

「怒るくらいいいでしょ! あんたみたいなのを好きだって言わされるこっちの身にもなってよね!」

「それを言うなら俺だって」

「なによ、だいたいあの日、あんたがわけのわからない神社なんかをフィールドワークに選ぶから!」

「それは人気の無いトコがいいからってお前が決めたことだろ、俺のせいにするなよ」

「覚えてないわよそんなの! 細かいこという男ってホント無理」

 酷い言われ様だ。だが愛理の気持ちを思えば一郎も強くは言い返せないのである。

 こいつも可哀想なやつなんだから――。

「まぁ、もうすぐその神社に着くし、とりあえずは調べてみよう。何かわかるかもしれないし」

「わかんなきゃ困るのよ! 其ノ神坂くんに誤解されたままじゃ気が狂いそうなんだから」


 さて、そろそろこの状況について、詳しく語らなければならないだろう。

 どこから話したものかと思うが、やはりここは千本木一郎と、瀬川愛理の出会いからというのが筋だろう。退屈な話だが、時間が許すならどうか聞いていって欲しい。


       1 


 勝鬨橋アリスが盛大に鼻血を噴き出している。

 その量たるや、花粉症がひどいために鼻を強くかみ過ぎて鼻から出血し、鼻にティッシュを詰めたパンキッシュなスタイルで高校二年生スタートの始業式を通過したこの男、千本木一郎もビビる程のものだ。

「う、うおおおおおおおお! なんじゃこりゃあああああ!」

 勝鬨橋アリスが叫んでいる。体育館から校舎に繋がる白い渡り廊下の床を染め上げる自らの鼻から噴出した赤い液体に戦慄している。

「ま、また!? カッちゃん! 今日は多いよ!」

 勝鬨橋アリスの隣にいた友人であろう女子がティッシュを手に声をかけた。

「ら、らいじょふぶだ、あらしはまだいひきを、た、はもってひる!」

「カッちゃん何言ってるかわかんないよ! ああ! ティッシュが足りない! とにかく保健室!」

 そそくさと一郎の脇を抜けて保健室に向かう二人を横目に、一郎は一人、拳を握り締めて悔しさに耐えていた。

(今しかないだろ! 勝鬨橋の助けになれるのは! なんでこんなチャンスにティッシュ切らしてんだよ! この時を1年も待ったのに!)

 こんなこともあろうかと一年のときから教科書は忘れてもずっとポケットティッシュだけは欠かさず毎日持ってきていたのに!

 いや、まずは弁解をさせて欲しい。ティッシュは今日も持ってきていたし、花粉症対策にスキマの少ないちょっと高いマスクだって着けていた。ここまで一郎に落ち度はなかった。

 しかし季節は春。四月七日吉日、私立森永高校は始業式。

新しいクラスの発表を生徒達で込み合う掲示板で確認し、自分と同じ2年F組に彼女、入学式の時から一郎のアイドル、笑顔の眩しいテニス部のスター・カチドキバシアリスの名前を見つけて有頂天になった一郎は何故だか突然叫びだしたくなって、ついマスクをとって名前も知らない隣にいた坊主頭の同級生の肩をバシバシと叩きながら「やったね! 楽しみだね! これからの高校生活が! 君の人生これからだ! 俺もな!」なんてやった後にその坊主を片腕で抱き寄せ、拳を振り上げて「一緒に甲子園行こうな!」とかやってしまった。これがいけなかったのだ。今になって思う。一瞬でもマスクを取ってしまったこの瞬間が命運を分けたのだと。

 教室に荷物を置いた後体育館に集合、花粉に屈した鼻をグズグズやりながら校長の長い話をうまく捌いていた一郎はここで重大なミスを犯す。想い人と同じクラスになって人生バラ色と息巻いていた彼は、この好き日に、詰っている鼻を成敗してやりたくなったのだ。だからつい、自分の鼻から勢いよく噴き出される鼻息と鼻水に耐えられるよう持っていたティッシュを二枚重ねてさらに二つ折りにして強度を増し、その強化ティッシュでもって思い切り鼻をかんでしまった。その数秒後――。

 ポタリ、一滴の赤い雫が体育館の光沢のある床に落ちた。

「イチロー、鼻血か?」

 後ろから幼馴染みのスバルが声をかけてきた。

「ん、やべぇ、強くかみ過ぎた」

「大丈夫かよ?」

「おー、平気平気、ちょっとティッシュ詰めときゃすぐ止まるよ」

 鼻に丸めたティッシュを詰めたあと、すぐ後ろのスバルに心配するなと手を軽く振って前に向き直る。すると偶然だろうか、出席番号順で何人かを挟んで少し前に立っている勝鬨橋アリスと目が合った。後ろを振り返っていたのだ。

(うるさかったかな?)

 とりあえず両手を合わせて「ごめん!」とジェスチャーで謝った。すると勝鬨橋はすぐに前に向き直ってしまった。

(しまった、ほぼ初対面なのに馴れ馴れしかったか……。ってか俺今鼻にティッシュ詰まってるよな……)

 少しショックを受けた一郎だった。

 さてそんなこんなで始業式を終えた一郎たちだが事件は体育館から教室へ戻る途中で起こってしまう。

 始業式の間、出席番号順にきりりとした列を作っていた同級生たちも式が終われば今回同じクラスとなった仲間達と親交を深めるべくバラバラになって歩く。1年の時に同じクラスだった者で固まったり、部活の友人と同じクラスになった者もいるのだろう。当然一郎にもこの新クラスに友人は何人かいる。例えば今隣を歩き、始業式では真後ろにいたこの其ノ神坂ソノカミザカスバルというイケメンだ。出席番号並びですぐ後ろに立つスバルとは、元々幼馴染みで小・中学と同じ、高校も同じでさらに二年からは同じクラスになった。何かと一郎の世話を焼いてくれるナイスガイだ。最早当然のように女子にもモテる。親友だと思っているがそれが故に勝鬨橋アリスまでこいつの毒牙にかかってはしまわないかと内心ドキドキしていることは秘密である。

「そんで、鼻血は止まったのかよ?」

 スバルに聞かれたので鼻につめたティッシュを恐る恐る抜いてみる。ドロリとした血の半端な塊がついてきたが、完全に液状の血が鼻から出てくることはなかった。血のついたティッシュを新しいティッシュで包み、ポケットにしまう。ちなみに最後の一枚のティッシュだった。

「止まったみたいだな、いやぁ、ティッシュ持ってて良かったぁ」

「いつもそれだけは忘れないもんな」

 そう、そうなのだ。一郎は学校にポケットティッシュを持ってこないことはほぼ無い。別にハンカチとティッシュを常に持ち歩く優等生だからじゃない。現にハンカチなど持ってきたことはない。

 実を言うと、気持ち悪いことに一郎は以前から入念に勝鬨橋アリスの情報を探っている。好きな男はいるのか? 付き合ってる奴はいるのか? とかそんな話はもちろんのこと、好きな食べ物や得意教科なんかもさり気無くチェック済みだ。まぁ、情報の出所は1年の時、勝鬨橋アリスと同じクラスだったスバルからなのだが、こいつはこいつで女子人気が高く、女友達も多いので情報は多く持っている。その中の一つに気になる情報があった。

 勝鬨橋アリスはよく鼻血を出す、というものだ。テニス部の星として活躍する武闘派として知られる彼女だが、粘膜が弱いのだろう、よく鼻血を出して保健室に行くため、1年の時のクラスでは鼻血アイドル略して『はじドル』などというラノベのタイトルのような不名誉な二つ名まで持っていたという。

 さて、スバルを介して以外、これといった繋がりのなかった勝鬨橋アリスと自分は、どのようにしてお近づきになればいいのかと、この1年ずっと考えてきた。スバルに紹介してもらえばいい、と普通なら考える所だろう、スバルも紹介してくれると言ってくれたこともある。

 しかし一郎は正直言って友達の紹介だとか、そういったことで勝鬨橋アリスと知り合いになりたくはなかったのである。漫画の読みすぎかもしれないが少年誌のラブコメを読んで育った一郎は少年少女のボーイ・ミーツ・ガールにはそれなりのエピソードが欲しい、ロマンスの神様が微笑んで欲しいのだ。だから勝鬨橋アリスと自分の出逢いは、そんな、なんとなく俗っぽいというか、安っぽい感じのある知り合い方は嫌だった。だから一郎は他の男が勝鬨橋アリスに近付くという恐怖に耐えながら今日まで生きてきたのである。さらに言うなら毎夜毎夜、明日は勝鬨橋と廊下や購買ですれ違えるかとか、あわよくば偶然勝鬨橋の落し物を拾ったりしないかとか、勝鬨橋が偶然鼻血を出した時、そこに居合わせて颯爽とティッシュを差し出したりできないかとかあらゆる可能性を考えフォローできる準備を常に整えて生きてきたのだ。

そして今日、その待ちに待った千載一遇ともいえる好機は突然彼の前に訪れたのだが――。


 体育館を出て、二年の校舎へ続く渡り廊下に差し掛かった頃だ。

「おいイチロー、勝鬨橋とせっかく同じクラスになったんだ。早速今日から攻めて行こうじゃねーか」

 スバルが一郎の肩に手を回し、耳元で小声で言った。

「お、おう。わかってるさ。当然ガンガン行――」

 少ししどろもどろになりながらスバルに、当然ガンガン行くぜ俺は、見てろよ、夏までには勝鬨橋さんと仲良くメールが出来るまでの仲になってやるぜ! と自分でも情けなくなるくらい低い目標を高らかに告げようとしたその瞬間、一郎達のすぐ後ろで、ブシュッという何か、詰まっていたものが噴き出すような、そんな音が微かに聞こえた。

 その直後――。そう、冒頭のアレである。

「う、うおおおおおおおお! なんじゃこりゃあああああ!」

 いつもテニスコートに響いていたあの声だ。

 勝鬨橋アリスが鼻から血を凄い勢いで噴出している。

「ま、また!? カッちゃん! 今日は多いよ!」

 勝鬨橋アリスの隣にいた友人であろう女子がティッシュを手に声をかけた。

「ら、らいじょふぶだ、あらしはまだいひきを、た、はもってひる!」

「カッちゃん何言ってるかわかんないよ! ああ! ティッシュが足りない! とにかく保健室!」

 そそくさと一郎の脇を抜けて保健室に向かう二人を横目に、一郎は一人悔しさに耐えていた。

「おいイチロー、お前のアイドルが鼻血を噴き出していたぞ。同じ鼻血一族として何かお前に出来ることはなかったのか?」

 スバルが責めるように言った。

 一郎は拳を握り締めていた。

「うう、スバルぅ」

「イチロー、まさかお前、さっきのでティッシュを――」

「俺ヒーローになりたかったよ。差し出すべきだったかな? 今朝母さんが卸してくれたこのクリーニングから帰ってきたばかりで折り目正しく真っ白なシャツを」

「イチロー、お前……」

 スバルがため息をついた。

「まぁそう気を落とすなよ、俺、勝鬨橋とは少し話せる程度には仲いいつもりだからさ。これから同じクラスなんだし、お前が嫌じゃない程度に、少しは近づけるように手助けしてやるさ」

「スバル、お前ってやつはホント、イケメンだな。どうやったらお前みたいになんの? 俺幼馴染みだけどお前の製作過程がわかんねーんだけど」

「俺だってわかんねーよ」

「ただこれだけは言える。俺が女だったら絶対お前に惚れてるよ、妬ましい」

「妬むな、めんどくせえ」

 スバルはまたため息をついた。

「ほら、行こうぜイチロー。もうクラスの奴ら、大分先に行っちまった」

 スバルに促されて、新しく1年を過ごすことになる2年F組の教室に向かう。

「イチロー、これから1年よろしくな」

「俺こそよろしくな、お前にかかってるんだからな! 色々!」

 スバルの手を無理矢理とって力強くぶんぶんと振って握手をした。

「振るな! 痛ぇ!」

 これが、彼らの高校二年生の始まりだった。


 

若返りてぇ

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