7 朧三日月
それはきっと、憧れていたからこその失望だったのだと思う。
世界を救うなどという大それたことを、彼は見事成し遂げてみせた。その姿は、本当に勇者を名乗るのに相応しかった。
けれども、
その先に、彼の望む世界は無かった。
争いは続いた。
人が人を殺し、国の上層だけが私腹を肥やす様を、彼は黙って見ていた。
勇者が、魔王から世界を救う以上のことをするのを、国は許さなかった。
得たものも、無かったとは言い難い。けれど、世界を救って失ったものはあまりにも多かった。
国から離れた場所に、彼はこっそりと移り住んだ。近くの村人は、勇者に優しく接してくれた。
その瞬間、世界は確かに美しかった。
***
影のようだ、と少女は思う。
艶のある濡れ羽色の髪に、同色の瞳。背が高く、闇色の服を身に着けている。
夕闇に、細く長く伸びる影のような『勇者』は、一度少女に目を向けた。
「怪我を見せてみろ」
「え?あ、はい」
男がそっと傷に触れると、むず痒いような感触があった。けれどそれも数瞬のことで、手が離れたときには痒みも痛みも消えていた。
「行くぞ」
「はい!」
***
少女の足では半刻ほどかかる道を、男は半分ほどの時間で村に辿りついた。
抱えていた少女を下ろし、あたりに視線をやる。魔物は、この辺りにはいないようだ。
「勇者様、あっちです」
案内に従い、集会所を目指す。この村も、ずいぶんと変わったものだ。
男も昔は父母とともにこの辺りに住んでいた。
あの事件までは。
「勇者様、あそこです!」
その声に意識を戻し、指さされた方を見やる。闇にじわりと溶け込むような、大きな魔物の影が目に入った。がり、がり、と石造りの建物を引っ掻いている鳥型の魔物は、まだこちらに気付いていないようだ。
男は、腰の刀―――朧三日月を抜き放った。名の通り、三日月のように細く、鋭く、濡れたような銀色に光る『勇者』の刀。
勇者以外は、持ち得ない刀。
***
重さを確かめるように、男が刀を緩く振るう。たったそれだけの動作に、少女はつい見とれていた。
(どうした)
魔物に気付かれないようにか、ほとんど声を出さずに男が尋ねてくる。
(あっ、ううん、何でもないです!)
(そうか)
男の鋭い目が、魔物を見据える。
そして、少女の視界から男の姿が消えた。
「あ、……」
男を探して少女は視線を魔物の方に向ける。その瞬間、すべて終わっていることを悟った。
ずしゃり、と湿った音を立てて魔物の首が落ちる。男はそれを見ることもなく、汚れひとつない刀を鞘に仕舞った。
言葉を失ってただ唖然としている少女に、声がかけられる。
「帰るぞ」
「は、はい!……え?」
少女が首を傾げると、男も訝しげな表情を浮かべた。
「何でもすると言っただろう?嘘か」
『三日月宗近』と被るので『朧三日月』にしたわけではないです。