6 『勇者』
『勇者』という呼称は、一体いつからあるのだろう。そう思って、過去の文献を調べたことがあった。
それは、ある時期を境に急に生まれていた。それまでは『聖なる者』『神の子』など、ほとんど統一されていなかったのだが―――『魔王』を倒すべく全国行脚を始めてから、唐突に『勇者』という単語が使われるようになっていた。
まるで、誰かが作為的にそうしたように。
***
『キュルゥ…?』
全身闇色のその魔物を、少女は立ち止まって見つめていた。
逃げ場はない。集会所の扉は固く閉ざされている。走って逃げたところで、すぐに追いつかれるに決まっている。
不意に、魔物が動いた。
『キュル……キュルァアアアア!!』
威嚇するように大きな翼を広げ、鳴き声をあげる。
「…!」
その迫力に、少女は思わず後ずさった。
『キュルル…』
もう一度声をあげた魔物は、ゆったりした足取りで近付いてくる。少女の背中が、石の壁に触れた。
「あ…」
じりじりと、距離が詰まっていく。
黒い羽根の一本ずつが見分けられるほどまで近付くと、魔物は鋭い爪を振るった。
腕に痛みが走り、真っ赤な血がぱたぱたと落ちる。
思ったよりも傷が浅いのは、きっとこの魔物が遊んでいるからだろう。
「勇者様……」
少女は、ぽつりと呟いた。
ふと、魔物の足が止まる。そして、何かを探すように振り返った。
「…?」
良く分からないが、今しかない。
魔物が少女の方に視線を戻した時には、もうその姿は消えていた。
***
「勇者様!」
悲鳴のような叫び声とともに、扉が強く叩かれる。もう聞きなれた、少女の声だ。
「どうした、こんな時間に」
少女のことをそんなに詳しく知っているわけではないが、こんな時間に用もなく訪ねてくるようなことはしないはずだ。もっとも、男に理解できる用かどうかはわからないが。
扉を開けると、腕から血を滴らせた少女が泣き出しそうな様子で立っていた。
「…その怪我は」
「魔物が、…村に、魔物が来たんです!助けてください!」
思わず、扉を閉めていた。
「…勇者様……」
「どうして、私を頼る?『勇者』を名乗る人間など、他にいくらでもいる」
その疑問は、少女が初めて訪ねてきたときから感じていた。なぜ、自分なのか。
自分だけが『勇者』であることなど、誰にもわからない。
「放っておいてくれ。私は誰も救わない。人の事などどうでもいい」
***
少女は見ていた。
応接間に『勇者の刀』が飾ってあることを。
積み上げてある本が『勇者』に関するものであることを。
少女が帰ったあと、木刀を振っていることを。
知っていた。彼が『勇者』であることを。
***
「勇者様」
扉の向こうから、少女の声が聞こえる。
「勇者様、お願いです。僕を助けてください。お礼に、何でもしますから」
「勇者様は、勇者ですよね?だから」
「助けてください。」
男は久しぶりに、勇者の刀を手にした。
そろそろいろいろ明かしてもいいんじゃないかという気分になってきますがまだまだ先は長いです。