3.
屋敷に戻り、娘を医務室に運ぶ前に浴室へ連れて行く。
メイドを数人呼んで娘の体を洗わせ様としたが、
「大丈夫、私とセラでやります」
と言うお嬢様が一生懸命少女を洗い、
綺麗になった少女をバスタオルに包んで運び
医務室のベッドへ寝かせた。
屋敷付きの女医が丁寧に診察している間、
俺は廊下のソファに腰掛けてエスプレッソを三杯飲み干した。
時間は午前三時、モンキーは仮眠室へと消えた。
「診察と手当ては終りましたので、私は仮眠します」
診察を終え、医務室から出てきた女医に会釈をしてから
入れ替わりに医務室へと入ると、
お嬢様が少女の左手を握り締めながら座っている。
改めて少女の顔を見ると、綺麗な顔立ちをしている。
あんなガキ共にゃあ勿体無ぇな。
それにしても、本当に日本人っぽい顔立ちだよな。
「ベア、本当にありがとう。
女医のお話では、あのまま放置されてたら
命が危なかったかもしれないって…」
お嬢様の瞳からキラキラと宝石が零れ落ちる。
あれを固形化して売ったら、きっと大金持ちになれるなと
バカな事を考えてから思わず苦笑する。
「それは良かった。しかしお嬢様、この少女をこれからどうするのですか?」
俺は懸念していた事を聞いてみる。
「…私のお友達になってもらうの。
それで、この娘がもし承知してくれたら、家で引き取って
一緒に暮らしたいと思ってるわ。もちろん、お父様にお願いしてね」
なぜ、この娘にそんなに拘るのか?
俺の表情を見て、まるで心を読んだかのようにお嬢様は話し出した。
「私はいつも、この娘の事を追っていました。
彼女はとても優しくて、そして強い娘です。
いつも彼女の周りには子供や動物が集まってきていました。
それに、彼女はご老人や妊婦さんにとても優しく接していたの。
彼女はきっとご両親やご家族が居ないのでしょう。
彼女は弱き者達に限りない優しさを向ける事が出来て、
そして本当の哀しさと辛さと涙を知っているから
弱い人達は彼女の前で心を開く…
貴方やモンキーは私の事を天使とか女神とかって褒めてくれるけど、
本当の天使や女神は私みたいに恵まれた立場には居ないのよ。
自分が一番辛いのに、それでも他の弱いモノに優しく出来る…
そんな、この娘の様な人こそが本当の女神なの」
…俺は心の底から驚き、そして感動していた。
確かに、俺もモンキーもお嬢様の優しさは本物だと知っていたが、
少なくとも経済的には一切困る事の無い、
文字通りお嬢様としての優しさが主な成分だと思っていた。
もちろん、そういう環境の中で弱者を思いやれる優しさを持てる事が
現実では非常に稀有な事であるのは、世界中の富がごく一部の人間に集中して、
その連中が富を本当の意味で弱者に分け与える事を絶対にしない事を見れば一目瞭然だ。
しかしお嬢様は、その稀有な資質を備えた上で更に底辺に居る人間の、
僅かしかモノを持たない人々がそれを分け与える事の優しさを理解している。
…ああ、この娘は、まさに聖母なのだ…。
「…お嬢様、失礼しました」
バッと頭を下げる俺に「え?」と不思議そうな顔を向けるお嬢様。
俺は、お嬢様の為ならば本当に命も要らないな。
例え世界中がお嬢様の敵となろうとも、俺だけはお嬢様の為に闘う事を誓おう。
ふと壁際に控えているセラを見ると、うんうんと誇らしげに頷いている。
彼女は俺の謝罪の意味を理解した様だ。
「…?ええと、ですから、この娘はその本当の優しさを持っている娘なんです。
だから、彼女がもし承知してくれたら、私の大切な…妹を預けたいのです」
「妹君、ですか」
俺の脳内に三人の娘の顔が現れる。いずれもお嬢様とは腹違いの姉妹だ。
直接会った事の有るのは、末妹のレイラ様だけだが…
「どの方を、ですか?」
俺の質問にお嬢様はふっと、寂しげに微笑んだ。
「…まだ、その妹はこの世に生まれてきていないのです…」
「え!?それでは、奥様がご懐妊なさったのですか?」
美しいが、人を見下している様な表情を浮べている女主人の顔が脳裏に閃く。
「…いいえ、違います。お義母様がお生みになるのでは有りません…」
「…そうですか」
これ以上は俺に伺う権利は無い。
おそらくご主人に新たな愛人でも出来たのだろうが…。
「とりあえず、彼女が目を覚ますまではお預けですね」
ウインクするお嬢様。
「ベア、貴方も休んで下さい。セラ、貴女もね」
「「いいえ!!」」
俺とセラがハモった。
「…ベア、お先にどうぞ」「いや、セラこそ…」
発言を譲り合う俺達にお嬢様がコロコロと笑う。
「じゃあ、三人で起きてましょう。誰が一番先に眠るか勝負ね!」
俺とセラは顔を見合わせて苦笑した。