『堕落論』
ふざけた内容にするはずが、真面目な話に?おかしなことです。
今回は『堕落論』より。人は失わないとその価値に気付けないという話です。失わないと価値に気付けないのならば、例えこれまで時間を無駄にしてきた人も、そうでない人より時間の有難味が分かるようになり、こんな駄文を読むことをすぐさま止めにするはず。そして、明日から他の者以上に無駄のない日々をおくる可能性を秘めているってことです!
よく聞く言葉に、「あの時もっと勉強していれば。」なんてものがありますが、そこで虚しくなって終われば本当に終わり。後悔をばねにその日から頑張れば、中々面白いことになるわけです。それが実行できるならば苦労はしないですけどね。
世の中には、いかにも頑張っている人もいればいかにも頑張って無さそうな人もいるわけです。しかし、面白いことに頑張っている人間は、頑張っていない人間よりも頑張ることの価値を知らないことが多々あるのです。金持ちは貧乏人よりも金の価値を知らなかったり、美食家は飢えて死ぬ人よりも食べ物の価値を知らなかったり。
世の中上手く行かないものです。しかし、上手く行かないからこそ世の中が変化していく力が生まれるのだとも思います。前回、満足することが幸せへの道だと書きましたが、全ての人が本当に満足してしまったら、世の中はつまらなくなってしまいそうです。新しいものが無ければ、僕のような阿呆はつまらな死にしてしまいます。無ほどこわいものはないです。
不満があっても、不満のおかげで何がしかのメリットはある。満足しても、満足のせいで何がしかのデメリットはある。結局同じようなものですから、楽しまなければ損です。幸も不幸も、同じ阿呆ならおどらにゃ損損。阿呆じゃないなら阿呆になりましょう。
阿呆になる際には、法を守り、モラルを身に付けた良い阿呆になりましょう。でなければそのうち痛い目に遭う可能性があります。また、モラル的に大丈夫でも、あまり目立つとやんちゃな若造に絡まれるかもです。てか僕は絡まれました。憎き若造め。かならず復讐してくれる!!、、とか思ってると水みたいな人にはなれないので、それこそ水に流しましたが、まあ、若造に絡まれるよりは普通に生活したほうが楽しいのは当然なので、腹立たしいものは腹立たしいです。
僕は大概のことは面白がってやる主義ですが、脳にチップをを埋め込まれた人間の如く頑なになってしまうことが一つだけあるのです。それは、『年上は年下を守り、年下は年上に敬意をはらうべし』という古臭い考えです。自分でもこんな考え今時浸透しないだろうとは思いますけど、どうにもこれだけは。あの時の若造ども、どうにも年上に見えたので、腹が立って仕方がありませんでした。あれが年下なら説教するなり逃げるなりしたし、同い年なら通報するなり殴り返すなりしますが、モラルの無い年上にはどう対応してよいかさっぱりわかりません。
うぎぎ。憎い、憎いぞ。
ふふふ、そうか、そうしよう!俺は水のように生きるのではなく、毒水のように憎き敵を討ち果たし生き永らえんっ!!
てな感じで阿呆から暗黒阿呆に進化してしまいそうです。
いやしかし、思えば僕が阿呆になるまで、普通に物事に怯えたりしていたころは、自分の身可愛さに年下の苦しんでいるところを見てみぬふりをしていたことがありました。中学はとてつもなく治安の悪いところに通っていたので。あの頃は頭の中が責任感と義務感で埋まっているクソ真面目人間でありながら、臆病者でほとんど行動が出来なかった人生の暗黒期でした。生きることに資格なんていらないのに、自分は生きる資格が無いとか馬鹿なことを考えてたりしたものです。
人は成長するもの。あの無礼な若造どもも、いつか真人間に、いや出来れば阿呆になってくれることを祈りましょう。しかし、ただの阿呆ではいけません!勤勉で正しい、徳のある阿呆でなければならないのです。具体的には、幼いときの好奇心を忘れないこと。あの頃の楽しい気持ちを忘れてはなりませぬ。
そうそう、『堕落論』です。あやつらは真面目に生きてきた人間以上に、真面目に生きることの価値を知っているかもしれません。実際、僕はこれまで本当に真面目な人間に一人しか出会ったことがありませんし、普通に暮らしている人とあやつらには、ほんの少しの違いしかないのかもしれません。人はカメレオンみたいに周囲にがっつり影響を受けてしまうものですからねぇ。それこそ、他人からどう思われているか気にし過ぎないことが広まれば、大部分の不良少年がまともな足を洗ってくれそうにも思えます。他人の評価を得る為の親切な人も少し減るかもしれませんけど。
実際どうなんでしょう?善行をする人間の背景は義務感なのか、評価を得る為なのか。僕は『~すべき』という義務感と、人が面白みの種であるからなるべく人に優しくしてるのですけど、昔恋愛ごとをしていたときは相手の評価を得たいという気持ちが強かったですね。
うーむ。
『老子』の教えはさいこーだって思ってましたけど、実際実践するとやばいのか?
お金を得たいと考える人間が人からの評価を無視すると、どうなりましょう?いや、そもそも人からの評価の為にお金を得たいのでは?
考えてもわかりません。よって、気にしないことにします。ここはありがちな文句でお茶を濁させていただきます。
『人生に答えなんてないんです。』
次回からこそ、しょうもない話になります。しょうもないやつが書くものですから。






