『老子』
これは僕が最も重視するものです。水のように生きること。物事に執着しないこと。これだけで結構生活を楽しめるものです。
今回は、僕が一番感銘を受けた『老子』が主題です。そこで個人的に重要だと思うのは、人と比べないこと、人目を気にしないことです。
人は、常に他の人と比べようとします。勉強、仕事、容姿、などなど。それで得られるものなんてろくなものではないのに。人に勝ったところで、得られるのは醜い優越感とプライドくらいなものです。長い人生の中で、これらはじわじわと生活を蝕んでいきます。また、人に負けると劣等感を感じます。これらも後々生活を蝕んでいくわけです。つまり、戦いの後にはろくなものが残りません。
人は思い荷物を背負っていると、当然辛く、また、置いたときにはその荷物に押しつぶされて死んでしまうかもしれません。心に余計な荷物を背負わせることをしなければ、老後、安らかに生活できる可能性が上がるものです。
隣の芝は青く見えがちなもの。人は人と比べることに、人に勝つことに必死になり過ぎて、自分に無いものを求め過ぎます。自分に有るものだってたくさんあるはずなのに。それに気付けば、どれほど生活が楽になることでしょうか。足るを知ることは幸せに生きる最も重要なことです。ポケットの中の宝石に満足していれば、荷物を増やし過ぎなければ、老いても人生という旅を楽しく続けることが出来ますが、道端の綺麗な石をなんでもかんでもポケットに入れ、鞄に詰め込んでいてはいつか歩けなくなるし、石がこすれ合って、自分にとって最も大切だったはずの宝石に傷がついてしまうかもしれません。
人が自慢げに見せ付けてくるものが、皆が持っているものが、本当に得るべきものなのか、価値あるものなのか、よく考えることが必要だと思います。
自分が本当に求めているものが何なのか、考え、それを得る為にどうすれば良いか考え、そして、行動すべきです。「皆やってることだから。」は、自分を盲目にさせます。これでは何の為に歴史を学んだかわかりません。歴史を学んだことで大衆の愚かさは承知しているはず。これまでどれだけの人が周りに流されて馬鹿な真似をしたことか。
次に、人は人目を気にしすぎです。なんだか、多くの人は他人からの高評価を得る為だけに生きているように見えます。あもりにもそう見え過ぎて、本当にそうなのではないか不安になります。世間一般の人は、他人からの高評価の為に生きているのですか?
そうでないことを祈って書きます。人は、それぞれの目標を持ってますよね?特定の職に就きたいとか金持ちになりたいとか、幸せな結婚をしたいとか。
ここでは結婚について書きますが、人は好きな相手の前では良い格好をしたがるものです。それは悪いことではありません。しかし、本音を隠したまま結婚したならば、その先に幸せな夫婦生活がある可能性は低くなります。実際、世の中の離婚率は結構なものですし。
その原因として、未婚の人は結婚をゴールだと勘違いしている傾向にある、ということが考えられます。その結果、自分をよく見せ、相手に隠し、結婚し、女にとってはそうでもないが男にとっては地獄であるらしい熟年離婚なんて恐ろしいものが控えていたりするのです。
恋愛のゴールを、仲良く供に老いて死すこととすれば、世の中の離婚率は減るはずです。自分の目標は何なのか、後のことをもっと考えるべきです。
真面目な回は今回で終わりです。早過ぎるとは思いますが仕方ありません。人生は短く、実験できる回数など限られているからです。更には阿呆のやることですから、真面目なものなんてほとんど存在しないわけです。
ということで、次回からはしょうもない実験や、どうでもいい戯言を書くこととなります。