晴れのち僕と彼女⑤
『晴れのち40%と彼女』
彼女の病気を知ってから十日がたった。
彼女と会ってからまたずっと雨が降ったり止んだりが続いている。
雨が止んでも空は曇り続き、太陽はほとんど顔を出さない。
今年は水不足にはならないだろうが、日照不足になりそうだ。
僕はあれ以来まだ彼女に会っていない。
病院に入院していることが分かったのだから、行こうと思えば、名前が分からなくてもいつでもお見舞いには行くことはできる。しかし僕は病院が嫌いだったし、彼女もそれを望んでいない気がした。
たとえ僕が病院嫌いじゃなかったとしても、病院で彼女に会って何を話せばいいのか分からなかった。僕はほとんど川原に居た彼女しか知らないから、病院で会っても彼女じゃない気がして嫌だった。彼女に合うのは病院なんかじゃなく、あの晴れた日の川原なのだ。あの日彼女の後姿を見送りながら僕はそう思った。
正直、彼女の病気を聞いたときはどうすればいいのか分からなかった。
兎に角、『死のう』なんてそんなことをもう思わないで欲しかった。彼女にそんな言葉は全然まったく合っていない。あんなに笑った彼女に似合ってない。
彼女に死んで欲しくなかった。彼女とまた川原で晴れた空を見たかった。彼女に会えなくなるかもしれないと思うと、僕は叫びたくなった。
今、彼女は生きている。もう死にたくないといっている。僕に会いたいと言ってくれる。僕はそれだけで嬉しかった。
僕は教室の窓から空を見上げた。どんよりとした雲が空を覆っている。
いつになったら梅雨が明けるのだろうか・・・。
そんなことを思いながら、黒板に書かれていることを写す。先生が回ってくるため、ボ~っとばかりもしていられない。それに休んだ分、勉強も遅れているから挽回しなければならない。友達が僕の休んだ分のノートを取っていてくれたおかげで、思っていたより授業についていけた。
「お前、なんか・・・変ったよな。前よりずっと話しやすくなった」
友達がノートをくれたとき僕に言った。
「そうか?」
「なんか・・・雰囲気が丸くなった」
僕は自分では気づかなかった。けど、前の僕だったら気づいてくれる友達も居なかった。
本当に・・・彼女の力はすごいと思った。
あれから僕は放課後、必ず彼女と会った川原を通って家に帰る。
少し遠回りになっても、彼女が居ないことが分かっていても僕は川原を通っていた。
『彼女に会いたい』
本当にそう思った。
その願いが通じたのかは分からないが、今週の日曜日は久しぶりの晴れらしい。
休日に晴れてくれるのはとても都合が良い。彼女は曜日感覚がないようだし、平日に晴れて彼女が川原に来ても僕はなかなか行けない。
体調が良ければ来てくれるだろうか。
そんなことを思いながら僕は今にも雨が降りそうなどんよりした空を見上げた。
日曜日、晴れ。僕はいつもの時間にいつものように川原へ向かった。
しかし、一つだけ違うことがあった。すでに彼女がいた。
僕は彼女の所まで走った。
彼女も僕に気が付いて手を振りながら近づいてきた。
「はぁ・・・はぁ・・・・」
普段、学校の体育すらもほとんど動かない僕は、彼女の所まで走っただけで息を切らせていた。
「大丈夫?」
「だ・・・大丈夫です」
彼女はそんな僕を見て少し笑った。
「今日は早いんですね」
「うん、日曜日だから君が来てくれると思ったから」
「え・・・今日日曜日って気づいていたんですか?」
僕は曜日感覚の無かった彼女の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったので驚いた。
「前は何曜日とか関係なかったんだけどね・・・ほら今日は時計も持ってるんだよ」
そう言って彼女は僕に左手につけた腕時計を見せた。
「本当だ」
僕は彼女の時計よりも、彼女の手首を見ていた。
本当に細い。
彼女の声や表情からは彼女の体が大変なことになってるなんて全くわからないけれど、彼女の手首を見て僕は本当に彼女が入院しているんだと今更ながら実感した。
「けど、どうして時計を持つようになったんですか?」
今まで彼女は時間どころか、今日が何曜日かすら知らなかったのに。
「うん・・・ちょっとね・・・・」
彼女の顔が少し、ほんの少し、暗くなった気がした。けど本当に少しで、僕の気のせいかと思った。
「座って話そうよ」
「あ・・・はい」
僕と彼女は何時ものようにコンクリートに座った。
僕も彼女も少しの間黙って空を見上げていた。風が強いのか、雲の流れが速かった。
「あのね・・・・私・・・・」
彼女が話し出した。
「私・・・手術を受けることにしたの」
僕は彼女の方を思いっきり向いた。
「しゅ・・・・・手術?」
「うん・・・」
僕は彼女の方を向いたまま、彼女は膝に顔を埋めながら少し黙った。
先にこの沈黙を破ったのは彼女だった。
「この手術が成功すればね・・・自由に外に出られるんだ」
彼女は顔を少し上げていった。
「君にも・・・会えるんだ・・・」
彼女は今にも消えそうなくらい小さい声で、けど僕にはしっかり聴こえる声で言った。
「前から病院の先生には言われてた・・・手術をやったほうがいいって」
彼女はゆっくり、少しずつ話し出した。
「けど私ね・・・・・・ずっと拒んでたんだ。これ以上、無理やり生きて・・・私はどうするんだろう・・・。こんなに苦しい思いをして生きて・・・何があるんだろうって・・・思ってたから」
彼女は顔を上げて僕の方を向いた。
「今はそんなこと、少しも思ってないよ」
「いつですか・・・手術を受けるのはいつですか」
僕は声を振り絞った。
「来週の金曜日・・・1時。そのせいなのかな・・・時間とか、今日が何日とか・・・気になって」
そうだったんだ・・・。
彼女が時計をつける理由も、今日が何曜日か分かっているのも・・・。
彼女は今も不安なんだと僕は思った。
「それでね・・・私、手術が終わるまで君に会いにこれないんだ」
「なんで・・・!!」
僕は思わず声を張り上げてしまった。
「看護婦さんにばれてたの。晴れた日に病院を抜け出してたこと」
彼女は苦笑いしながら言った。
「それで・・・必ず12時までに帰るって約束して、今ここに居るんだ・・・最後になるかもしれないから」
「え・・・・・」
『最後になるかもしれない』
「手術の成功率・・・40%なんだって・・・ちょっと・・・成功率低いんだ」
「40%・・・・」
母さんの時と同じなんて・・・・。
「絶対ここにまたくるから・・・元気になってここに来るから・・・」
彼女の細い肩が震えていた。
「また・・・また晴れた日に・・・ここで待ってて・・・」
彼女の目からひと筋涙が流れた。
僕は細い彼女を思いっきり抱きしめた。
「待ってます。いつまでも待っていますから・・・絶対に来てください」
「うん・・・うん」
彼女は何度も何度もうなずいた。
僕も何度も何度も『待ってます』と言った。