長良川の戦(中)
「不破どのも相変わらず小戦が巧いのう。中々の名人ぶりじゃ」
安藤伊賀守は薄く笑うと、弟を呼び出した。
「何だ兄者」
「敵は不破太郎左右衛門じゃ。お主の名乗りも太郎左右衛門、どっちの太郎が優れて居るか、勝負して参れ」
「畏まった。が…いちおう兄者の攻め手をお教えくだされ」
「こやつ…まあよい。物見から敵の鉄砲は逃げ去った、残りは六百ほどとある。このまま敵の左手から押せば、勝負あったと見るが、どうか」
「成る程…同じ考えの様じゃ。いかほど差引させて下さるのか」
「千五百」
「それがしの勝ちじゃ。…畏まった。では」
安藤太郎左右衛門は駆けていった。
「敵の新手の大将は安藤太郎左右衛門」
物見の報告に、不破太郎左右衛門は笑いだしてしまった。
「彦三よ、伊賀守も粋な事をするとは思わぬか」
不破彦三は笑いだした自分の父に呆れている。
「確かに粋でござりまするが、敵は見たところ我等の倍は越えて居りますぞ。どうなさるので」
「どうもこうもない。我等が負ければ、お屋形さまは引く。此方に急ぎ向かって居る織田勢と合力なさる。ならばこのまま、お屋形さまの退き戦の間を稼がねばならぬ」
「畏まった。初陣でこれとは…暴れ甲斐がありまするな」
「ヌシは鷺山に引け」
「なんと申される」
「怒らず聞け。鷺山には幼き若君達がおわすであろ」
「あ」
「この先どうなるか判らぬ。今すぐ本陣に行んで前田又左どのにご助力願うのだ」
「前田どのとは」
「以前は織田どのに仕えて居ったお人じゃ。前田どのも、お判りなさるであろう」
「畏まってござりまする」
彦三が父の許を去ると入れ違いに、再び物見が不破太郎の許に走り込んで来た。
「お屋形さまの本陣が動いて居りまするっ」
「何処へだ」
「はっ、敵陣の左手にござりまする。烽矢の備になって居る様に見受けられまする」
報告を終えると物見は去って行った。
物見が去っていくと、不破太郎は思わず本陣が居るであろう方角を見ていた。
「…ワシなどの為に、お屋形さまは死ぬ気かっ。…陣をまとめる、主善、かかれ」
呼ばれたオトナの不破主善は、急いで陣太鼓の支度を始めている。
「本陣全てで横槍とか。さすがご先代」
緒戦で引いた長井忠左右衛門は、安藤勢の後尾に位置していた。安藤勢から少し離れるようにして、余裕の観戦である。
「呑気に見ておる暇はありませぬぞ、殿」
諫める長田隼人の言葉に顔をしかめながら、忠左右衛門は答えを返した。
「我等の役目は終わっておる。今どうこうしても伊賀守どのの差引が乱れるだけじゃ。お声が掛かるまでこの場に居ったがよい」
「そうでござりましょうか」
「そうとも。ご先代の本陣が此方に突っ込んで来たとて、千五百しかおらぬのだぞ。安藤太郎どのと伊賀守どのの間に突っ込んで、不破勢を助けようとしておるのであろうが、いずれ勢いを失うわ。お若い安藤太郎どのは崩れるかもしれぬが、伊賀守どのは崩れぬわい。そこで我等がシレッと回り込んで止めを刺す」
「な、成る程」
「わかったか。今しばらくは見物じゃ」
日根野備中が報告する。
「稲葉勢五千、川を渡り切ってござりまする」
「うむ。安藤勢はどうなっておる」
「ご先代さまの軍勢が…」
「道三でよい。マムシでもよいぞ、遠慮は要らぬ」
「は、はっ。では、改めて…安藤勢一番手の長井勢が引いた後、伊賀守どのは弟の太郎左右衛門どのに千五百を預け、敵の不破勢に打ち掛からせる様命じたげにござりまする」
「ふむ」
「その陣替えの最中に、左手から道三勢が烽矢陣にて横槍かけて来た様子」
「ふむ。父上は不破を助けに参ったのじゃな」
「左様で。で、横槍は付けられましたが、伊賀守どのはそれほど乱れては居らぬ様にござりまする。陣替えの最中の太郎左右衛門どのの方が、いたく乱れて居る様子で」
「それで」
「はっ。それで、面目ありませぬ、されど弟の陣が鎮まり次第、それがしと弟でこのまま挟み撃ちにする、との伊賀守どのよりの仰せにござりまする」
「相判った。成る程のう…」
范可義龍は考え込んでいたが、
「よし、伊賀守の使番はまだ居るか。ここへ呼べ」
すぐに使番が呼ばれて来た。
「ご口上承りまする」
「よし、伊賀守の許に戻る前に稲葉の許へ行け」
「はっ」
「稲葉に伝えよ。手持ちぶさたであろう、鷺山を突くように見せかけよ、と。伊賀守には、そのまま父上を擂り潰せ、と伝えよ」
「はっ。ご口上承ってござりまする」
織田勢は駆けに駆けた。
「着いてこれぬ者共はいずれ追い付けばよい、まとまって鷺山を目指せ」
当初は三千五百だった軍勢も、三千を切っていた。
自分のすぐ後を駆ける平手監物に、三郎信長は問いかけた。
「あといかほど減るかのうっ」
「その様な事より、先頭を走るのはお止めくださりませ。万一がありまするっ」
お互い馬上のため、大声で罵りあっている様にも聞こえる。
「馬鹿を云え、俺が先頭を走らねば誰も着いて来ぬわ」
「その様な事はありませぬ。我等赤母衣、黒母衣共々、大殿と一蓮托生にござりますれば」
「いちれんたくしょう、か……主ゃあ、物言いが左兵衛に似てきたの。禅問答か念仏の様な事を言いくさるわい、カハハ」
「ハハ、その様な事は…」
「ないか」
「有るかも知れませぬなあ…大殿、この辺りで陣立てを」
「よし」
三郎信長の右手が上がると、平手監物が叫ぶ。
「止まれえっ。…陣立てを決める、急げっ」