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戦国異聞  作者: 椎根津彦
抱卵の章
93/116

対岸の火事

 左兵衛は上手くやって居るだろうか。

事が重大ゆえ大殿にも五郎どのにも、駿東の策については仔細明かせませぬ、と申して居ったが…。

“カハハ、思うままやるがよい。されど、尻拭いはできんぞ”

”はっ“

されど、今となっては駿東の事より、


“五郎どの、見通しは立っていない“


という左兵衛の言葉が気になる。

未来とやらの事が知りたい。どうしたものか…。


 「殿っ」

吉兵衛が飛び込んできた。吉兵衛に続きドタドタと前田又左も駆け込んでくる。

「何かあったか」

吉兵衛が口を開こうとしたが前田又左に遮られた。

「兄貴、何かどころじゃあねえ」

「ワシはお主の兄貴では無いがのう」

「そんな事はどうでもいい、てえへんだ。美濃で戦だ」

…何があった。

「大殿の許へ参る。お主等も来い」




 俺は道すがら、大殿は今、前田又左より直に報告を受けていた。

濃姫様も聴いている、何しろ実家の一大事だ。普段は我等の話に口を出さぬ濃姫が又左に尋ねている。

「父上と兄上が戦、とは真でいやるか」

「は、はっ…」

俺はひと月程前、傷の癒えた又左に美濃の密偵を命じていた。




 『傷は癒えたか又左』

『ああ。もうすっかりだ。…兄貴、俺はこれからどうすればよい』

『ワシはお主の兄貴ではないが…。どうしたい』

『どうもこうも…幸い、家は継がせてもらった。されど、真なら蔵人兄者が次ぐ筈だった。有り難さ二分、悔しさ八分ってとこだ』

『そうか…。又左よ、どうだ、出奔せぬか』

『唐突に何言って居くさる、有り難さ二分とは申したが、大殿への奉公は忘れぬわい』

『ハハ、そうだな。されど、ワシはこう大殿に言おうと思うのだ。…前田又左、思う処有りて出奔したげにごさりまする。又左はこう申して居りました、美濃など諸国を見て歩いて、身内を失うた傷を癒して参りまする、と』

『すると細作働きか。俺には出来ぬ』

『細作や調略を命じて居るのではない。心を癒して来いと言うて居るのだ。実のところ、辛かろうが。悔しさ八分、なのであろう』

『…』

『それに、だ。織田譜代の前田家の当主が出奔したとなれば、細作働きなどせずとも向こうから声をかけるわ』




 又左は続ける。

「真でござる。まだ戦にはなっては居らぬが、今日でも明日でも、いつ戦になってもおかしゅうない…。実は今それがし、美濃のまむし殿の所に身を寄せて居り申す」

大殿は脇息に頭を乗せて横になっている。

「大殿の舅殿ぞ、まむし殿などと…控えよ又左」

俺が又左をたしなめると、大殿が口を開いた。

「マムシは息災か」

「それはもう…そんな事よりどうなさるのだ大殿」

「どう、とは」

「まむし、では無い、舅殿のお味方せずともよいのか、と聞いて居るのだ俺は」

大殿は脇息に乗せた頭をゴロリと天井に向けた。

「どう思うか監物」

大殿、ここで俺に振るのでござりまするか。

「左様にござりまするなあ。又左、舅殿と義龍どの、それぞれ兵はいかほどか」

「舅殿に聴いたところ、義龍どのはおよそ一万八千」

「舅殿は」

「…二千五百にごさる。多く見積もっても三千」

舅殿の兵数を答えた又左は、俯いて眉間に皺を寄せている。


 「大殿、これは話になりませぬ。又左よ、今陣触れかけて織田勢がいかほど集まると思うか」

「一統も成った、一万は下りますまい」

「三千ほどじゃ。我ら赤母衣、また黒母衣合わせても五千が良いところよ」

「なんと」

「それ故話にならぬと申したのじゃ」

「大殿、俺はどの様に」

大殿はすっくと立ち上がると、濃姫を伴って奥に消え

た。

「大殿っ」

「止めよ又左。無駄じゃ」

「と申して」

「お主は出奔して舅殿に仕えて居るのであろう。早う発ち戻って舅殿を助けねばなるまい。急げ」

「何故」

「判らぬか。お主は出奔という体なのだぞ。実は織田と繋がって居ったと知れれば舅殿とて良い顔はすまい。短い間であっても奉公の筋は通せ。搦手から出るのだ、早よう行け」

「わ、判った…。五郎兄貴、済まねえ」




 夕刻、御酒下されという事でオトナ共が集められた。一族衆からも数人が集められて居る。

孫三郎信光さま、三郎五郎信広さま、勘十郎信行さま、喜六郎信時さま。

オトナ共は佐久間半介どの、柴田権六郎どの、林佐渡どの、そして俺。

大殿が広間に入られた。濃姫も伴って居られる。

集められた者には前もって、酔うたふりをして一刻ほど騒げと耳打ちしてあった。

忍び込んでいる他国の細作をごまかす為だ。

酔わぬ様呑むのは、多少の根気がいる。若い勘十郎さまや喜六郎さまは徳利に水が入れてあった。

振りとは云え、皆は楽しそうだ。

武者溜まりの方でも、赤母衣や黒母衣の者共に御酒下されがあった。ここまで笑い声が聞こえてくる。

宿直や警固番の者はさぞ悔しかろう。



 大殿がそろそろか、と口を開く。

「美濃に兵を出す。マムシを救わねばならん」

神妙な顔をして勘十郎さまが皆を見渡した。

「兄上、いか程出されるおつもりか」

「オトナ、譜代で二千、赤母衣、黒母衣で二千、都合四千」

「四千…平手監物、まだ我等は仔細を知らぬ。美濃の具合はどうなのじゃ」

「はっ、細作の報せによれば、舅殿は二千五百、義龍どのは一万八千との事。お二方の間で今にも戦が始まりそうな具合にござりまする」

皆が苦い顔をしている。すると、佐久間どのが問うてきた。

「監物どの、大殿はそれでも舅殿にお味方なさると」

今度は皆が能面顔で佐久間どのを見ている。

大殿は黙ったままだ。

「左様にござりますが…何か存念がありましょうや」

「存念とはいやはや…孫三郎さまはどう思われまするか」

佐久間どのに問われた孫三郎さまは、ポリポリ顔を掻いている。

「…大殿の下知に従うまでの事よ」

皆、味方が合わせても七千五百にしかならぬ事が案じられるらしい。

柴田どのは素知らぬ顔で徳利を手にしている。

孫三郎さまが答えたあとは皆、無言。

…まあ、負け戦は誰しも嫌なものだ。俺が口を開こうとすると、大殿が手で制した。

「頼りなき奴腹よの。…明朝、陣触れ致せ。監物、赤母衣と黒母衣のみでよいぞ。犬山に集まれと申せ。勘十郎、明日でよい、犬山に発ち戻り受入れの支度をさせよ」

「畏まってござりまする」

「清洲の留守居は信広兄者とする。戦目付は丹羽五郎左、小荷駄は要らぬ。腰兵糧は三日分とせよ。陣立ては犬山にて下知致す。…今日は好きに致せ」

そう申されると、大殿は濃姫と共に広間から出ていかれた…


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