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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
77/116

木曽川の戦(中)

「その儀はいけませぬ」

平手監物は再び繰り返した。

「…何ゆえか」

首を傾げる勘十郎信行に監物は体ごと勘十郎に向けて姿勢を正した。

「今はまだその潮ではござりませぬ。今、使者を送れば必ず舅さまは我等のお味方として動かれまする。されど今後の助力は無くなるものかと」

「…組し易し、と思われるという事か」

そう言うと勘十郎信行は無言で腕を組んだ。構わず平手監物は続けた。

「舅さまは、大殿が今後は尾張の要となる、美濃にとって今川からの楯足りうる、と見て濃さまを嫁がせてござりまする。無論、大殿が織田宗家を継ぐ期待もあった事でござりましょう。そしてその皮算用は見事当たりつつある。されど蓋を開けてみてみれば義龍どのをもあしらえない、となれば、舅さまの目には如何程に映りましょうや」

「…そうよの」

勘十郎は苦笑いしている。つられて平手監物も苦笑した。

「組し易しと見られれば…表向きはこれまでと変わらぬでしょう。されど仲違いしていた斎藤親子が揃って尾張を狙う様になるやもしれませぬ」

「あるやもしれぬな」

「使者を送るのでござりますれば義龍勢を退却させた後でなければなりませぬ。十中八九我等の勝ちとなった後、義龍勢に追討ちをかける頃合、そこが潮でござりまする」

「そこで挟み撃ちにするのか」

勘十郎信行は思わず得心がいった、という明るい顔をした。平手監物はまだ続けるべきか迷っている素振りだったが、

「…左様にござりまする」

といって平伏した。






 殿(しんがり)を大殿信長に任せ、ひたすら恐縮、青くなって河尻勢は駆けに駆けた。彼等が早く退かねば、それだけ彼等の大殿が苦戦するのである。

「おお与兵衛。やっと来たか」

河尻与兵衛の姿を認めた佐久間半介がニッコリ笑う。後に退き佐久間と言われた男は、少しも動じるところがない。

「もうヘトヘトでござりまする」

「情け無いのヌシは。休んどる暇なぞありゃせんぞ、もう十町ほど駆けよ」

「…畏まった」

泣きそうな顔をして再び河尻勢が走り出す。河尻勢が駆け出すのを見て、柴田権六が佐久間半介の許に駆け寄った。

「佐久間どの、では手筈通りに」

「うむ、もう一度じゃ。わしが小勢で大殿の許に参る。さすれば大殿は引くゆえ、そなたは大殿と合力せい。合力したなら河尻勢の右手の林の中に陣取るのじゃ」

「相判った」

深々と相槌を打った権六を見ながら、ほうっ、と佐久間半介は息を吐いた。

「美濃の先手を潰すことが出来れば、今日のこの戦はほぼ終わりじゃ。お主は大殿と共に林に潜み、それがしが逃げるのを」

「それは」

「すべて大殿と平手監物の策よ。大殿はともかく、平手監物、末恐ろしいの」

柴田権六と佐久間半介は面白そうもない笑みを交わした。







 所変わって犬山城の対岸、鵜沼城は大騒ぎであった。

夜が明けきらぬ内から織田勢が渡河してきたのである。


 「ちちうえ。しろはおちるのでござりまするか」

鵜沼城主、大沢次郎左衛門は、この幼い倅、万松丸の一言で織田勢に降ることにした。

「…ふむ。万松よ、敵に囲まれはしたが城は落ちぬぞ。大騒ぎじゃが、あれは味方の様なものじゃ…そなたの母御前はまむし様の娘御じゃ、織田どのも悪いようにはせぬじゃろう。が、万松。そなたにはちと辛抱して貰わねばならぬ。わかるな」

大沢次郎衛門は元気良く、はい、と返事をした万松丸を抱き上げてニコと笑うと、外の織田勢に使いを出せ、と大声で近習を呼んだ。



 「重畳。…もっともなご条相判った、決して粗略には扱わぬ、と大沢どのにお伝えくだされ」

丹羽五郎左は大沢次郎左衛門からの降伏の文を詠み終わると、鵜沼城からの使いに深々と頭を下げた。

使者が去り、大沢万松丸とその近習たちが本陣から出て行くと、森三左衛門が入れ違いに本陣へ入って来た。

「よろしかったので」

三左衛門は遠慮がちに丹羽五郎左に訊ねた。

「大沢どのはマムシの道三どのの婿殿じゃ。腹違いではあるが、濃さまの姉にあたる方が嫁いでおられる。それを考えての降伏だろうて」

丹羽五郎左は、生やし始めたばかりの口髭を大事そうに撫でている。

「されど五郎左どの。鵜沼勢は城に残ったままでござりまするが」

「質も取った。信ずる。三左衛門どの、考えてもみなされ。そのまま戦うて、鵜沼勢だけで我等に勝てるか。此方は二千、鵜沼は二百じゃ」

「勝てませぬ」

「であろうて。彼奴等とて篭城すればいっときは負けぬであろうが、妻と子、つまり道三の娘と孫を殺す事にもなるやもしれぬ。それはすまい」

「せぬでしょうな」

「であれば降ったとて我等には背く訳が無かろう。後はお主が一番詳しかろう。美濃は今真っ二つ、しかも織田、帰蝶さまの嫁ぎ先といくさ中」

「ふむ」

「それで、もっともなご条、相判った、でござる。鵜沼城には大沢どののオトナに残って貰うて、大沢どのはこのまま我等の先導じゃ。降るものは降ればよい、敵にならぬなら戦はせぬと触れて貰う」

三左衛門は何度も肯いた。

 

 大沢次郎左衛門は戦うより自分と同じ立場の信長に降った方が斎藤道三の心象は悪くないだろう、と計算したのだった。それに大沢次郎左衛門にとって、義龍側に味方するのは論外であった。

「では三左衛門どの、あとの手配をよろしゅうお頼み申したぞ」

「相分かった。では」

森三左衛門は降伏の受諾の準備にとりかかった。軍使を鵜沼城に帰し、城方を城外に出し、味方とし此方の先鋒として戦力を供出させるのである。

丹羽五郎左は近習を呼ぶと、

「これで半刻。あとは大垣めがけて走ればわれらの役目は終いじゃ。鵜沼の長百姓に密かに触れよ。織田勢五千が犬山から攻めてきたと方々に触れさせよ。大垣城を目指して居る、とな」

「ははっ、されど五千とはまあ…。他には何か」

「あとは先程申したとおりでござる。かかれ」

「はっ」







 一方、使番から戦況報告を受けている斎藤新九郎義龍はまったく面白くなかった。一見長者風の彼は戦となると、まったくもって人が打って変わったかの様になる。

戦が始まるまではよい。が、始まってしまうと、普段の堪え性が消え失せてしまうのだ。

「先手は何をしておるのか」

「…は、いま暫くで川を渡れましょう。辛抱でござりまする」

「早うせいっ。織田はうつけ自らが殿戦ぞ。虚仮にするにも程があるわ」

「はっ。再度、督戦致しますれば、いま暫くのご辛抱を」

周りの者は考えざるを得ない。勝っているときは、かかれかかれでよい。が、こうも膠着、しかも味方が圧されているとなれば、もう少し落ち着いてもらはねば困る…。







 「潮時よな。そろそろ半介が……来おった来おった。半介、首尾はよいか」

「ははっ。されどようもお考えなされましたな。それがしに大殿に化けてわざと退き戦をせよ、とは」

佐久間半介はバツの悪そうな顔をしている。

「カカカ。面白かろう。ヌシが無様に退いていけば行く程、美濃の先手はヌシを追うていくであろうよ」

「で、ござりましょうな」

「おう。先手に続こうと美濃勢の中備が木曽川を渡ろうとする頃には、犬山城を発した織田勢が大垣を突く、という流言が義龍の耳にも入るであろうよ」

「ははっ。…されど義龍どのはまことに大垣に退きまするか」

上機嫌な信長に相槌を打ちながらも、佐久間半介は半信半疑な態度である。

「退くであろうな。子まむしはまだ美濃を治めてはおらぬ。彼奴が美濃の国主なら笑い飛ばせようが、親まむしが見ておるからの」

「…あ。成程」

「このまま子まむし自身が我等を攻めたいと申しても、彼奴のオトナ共が義龍をぶん殴ってでも止めるであろうよ」

「…大殿を恨むでありましょうな」

「カカカ。先に美濃に攻め入ったのは我等よ。それを尾張に押し返した。その上この織田三郎が逃げに逃げたとなれば、絵面は織田の負けよ。子まむしの面目も立つだろうよ。フフフ」


 佐久間半介は得心がいった様だ。だが、その顔はますます情ない表情になっている。

「絵面はそうでござりましょうが…大殿の策の通りになるとすれば、どう見てもいくさ場では美濃の負けで

ござりまするな。義龍どのからすれば、戦に負けた上に先手衆を失うとなれば、面目は立ちましょうが算盤が合いませぬ。腸が煮えくり返りましょうな」

「であろうな。されどこれぐらいせぬと、彼奴等の尾張を如何せん、という魂胆をくじく事は出来ぬのでな」

そう言う信長の顔は、もう笑ってはいなかった。




 






久しぶりの投稿です。まだ読んでくださっている方がいるとは思いませんが、おまたせいたしました。長々の中断、申し訳ありませんでした。

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