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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
72/116

危難

 佐久間半介を始め、幕内の家臣たち皆が信長の顔をじっと見つめていた。

既に日も暮れて、篝火の炎だけが揺れている。足軽達が酒盛りでもしているのだろう、あちこちで笑い声がする。

「皆どうした、俺の顔に何ぞ付いておるか」

信長は面白くもなさそうに瓜をかじり続けている。

「ではこの美濃攻めは初めから岩倉攻めの為でありましたので…いや、まさか岩倉攻めの為に監物勢を残してあったとは思い及びませなんだゆえ。なあ、権六よ」

「左様にござりまする。大殿もお人が悪い」

柴田権六の言葉に信長はフン、と鼻で笑った。


 「まだ終わった訳ではないが。しくじれば我等は美濃勢と岩倉勢に挟まれて練り雲雀よ」

「大殿は、監物と勘十郎さまがしくじる、とお思いで」

「そうは言うて居らぬ」

「では」

「岩倉と、義龍の間に繋ぎがあればどうなる」

充分考えられる事であった。

「あるとすれば、我等が長良川を渡り美濃勢と当たった時点で我等の背中を討ちに来よう。繋ぎが無いとしても岩倉勢とすれば、我等を討つ好機と見たろうな」


信長の言葉の後半は、半介や権六も考えた事だった。一宮に監物勢が残ったのは、もし岩倉勢が寄せて来た時や清洲城を衝かれたときの為であろう、と彼等は想像していたのだ。

「はい。我等の後背を衝かずとも、清洲城に寄せる事も出来ましょう。それで大殿は一宮に監物と勘十郎さまを残された。大殿の策の表向きはそうなるのでござりませぬか」

「うむ」

「されど、千五百では守るにしても岩倉攻めをするにしても足りぬのでは」

「そこが要じゃ」

信長は瓜でとりあえずの腹が膨れたのか、再び麦湯をすすりだした。


 半介と権六は腕を組んで考えている。

「二人とも判らぬのか。勝てぬ、勝つのは厳しいやも、と思う数を残したのでは、岩倉勢を引きずりだせぬではないか」

「あ」

半介と権六は間の抜けた顔をしていた。

「岩倉勢が美濃と結んで居っても居らぬでも、勝てる、と思わせねばならぬのよ。それとの、生駒蔵人に命じて、岩倉のオトナどもを…」

オトナどもを内応させておる、と信長が言おうとした時、万身仙千代が入って来た。

「大殿、勘十郎さまよりの文にござりまする」


 信長がおう、と受け取り手紙を読み出すと、万身仙千代は下がっていく。幕内の皆が信長に注視しながらもざわついている。

「皆喜べ。岩倉城を落とした。これより城に入ると記してある」

「おお、重畳じゃ、大殿、ご一統御目出度うござりまする」

皆が御目出度うござりまする、と平伏していた。信長は嬉しがる事も無く、面を上げよ、とつぶやいた。

「まあ、目出度い。が喜べぬ事もある。この文に記してある」

そう言うと、信長は半介に手紙を投げてよこした。半介が会釈して手紙を読み始めると、幕内の皆全員が覗き込むように集まって来た。しばらくして、半介が固まった。

「伊勢守、スデニ美濃殿トノ密盟コレアリ候、と書いてありまするぞ」

信長が頷く。

「うむ。となると、危ういの」

「何故でござりまするか。既に岩倉は滅んで居りますれば、明朝にでも陣払いで宜しいのでは」

河尻与兵衛が堪りかねて口を開く。

「明日では遅い、すぐに陣払いじゃ」









 「そろそろでござりまする」

間もなく寅の刻。午前4時少し前、というところだ。さすがにまだ暗い。

ここは常滑…常滑市か。知多市の南だっけか…だったな。

俺の率いる二百五十は大野の浜に上陸、蜂屋般若介の先手、百五十は西ノ口という所にいる筈。

「まだ暗いな」

「当たり前ではござらぬか。明りはなるべく出せませぬからな」

佐々内蔵助が呆れたように言う。

暗いと言っても少しは見える。…松明が走ってるぞ。お、止まった。松明を円を描くように回している。


 「あれは味方の合図じゃ。殿、此方も合図を返してようござるか」

内蔵助は少し興奮気味だ。

「いいぞ」

内蔵助が松明を点け、その松明を上下にまっすぐ振っている。…松明が消えた。足音だけが走って来る。

足音が声を出した。顔は松明の影になって、よく見えない。

「荒尾小太郎にござる。水野籐四郎どのに言われ、案内に参り申した。鳴海の大和左兵衛どのにござりまするか」

「いかにも大和左兵衛にござる、此度はご足労をおかけする」

俺が頭を下げると、荒尾小太郎と名乗った男も頭を下げた。年は内蔵助と同じくらいだろうか、やたら歯の白いやつだ。


 荒尾小太郎は佐治為貞の次男坊が婿入りした荒尾家の嫡男だ。という事は佐治家現当主・為景と荒尾家の現当主・作右衛門は兄弟で今川方、織田方として争っている、という事になる。

小勢力の悲しい現実、とでも言えばいいのかな。関が原合戦の真田親子の話を思い出した。

勝とうが負けようが、どちらかが残って家を残す事が出来る、と親子が泣く泣く敵味方に別れた、という話だ。

こうやって見ると、あれは特別珍しい話でないんだなと思う。確かに親戚が敵味方に別れていれば、かなりの確率で一族が絶える事は無い。

家を守るのが一番大事なこの時代、当たり前だったんだろうな。

という事は、表向きは親戚同士が今川方織田方と別れて争っていても、そんなに仲が悪いという訳じゃないのかもしれない。


 白い歯がカカカと笑う。

「とんでもござりませぬ。ところで、大野城を攻めるのは構いませぬが、伯父御は助けたい。如何ござりましょう」

「それは」

どうだろう。佐治氏は水軍を率いている。伊勢湾の制海権を握る上で重要な存在だ。助命は出来るだろう。が、水軍は切り離さねばならない。

攻めた場所は切り取り勝手、佐治氏が俺の直臣になる、という事なら話は簡単だけど、それを信長が認めるのは難しいだろう。俺は東の旗頭なだけであって、土地の安堵や恩賞の沙汰などが許されている訳では無いのだ。

それに水軍を保持したままで佐治氏が織田に降るとなると、俺の立場が無い。九鬼水軍は協力してくれているが、俺の旗下では無い。南蛮船があるといっても、一隻では何も出来ない。

いや、これは厳しいぞ。無い無い尽くしだ。ううむ…

「小太郎どの、まずは大野城を落としてからだ」

「畏まってござる」

小太郎といつの間にか合流していた四、五人ほどの部下たちが、一目散に駆けていく。多分向かった方に大野城があるのだ。城に取り付いたら、篝火の合図があるはずだった。

 

 「では、大和どの、見張りに参りますれば、これにて」

俺と荒尾小太郎の会話を少し離れたところから見ていた九鬼籐三郎が声を張って此方に手を振っている。

…ああ、籐三郎、ちょっと待ってくれ。

「籐三郎どの、佐治水軍を知っとるか」

「はい。それがしは知りませぬが、死んだ親父どのの頃はよう戦をしとった様にござりまする」

「強いのか」

「さあそれは…」

籐三郎は困惑しつつも、目には輝きがある。

「此度、船をいかほど連れてきた」

「関船二十艘、小早が二十五、小安宅二艘でござりまする」

「そんなにか」

「はい。兄者は水軍にはあまり興味がござりませぬ。ゆえ水軍はそれがしの差引に任されておりますれば、九鬼水軍全てではござりませぬが、それがしの率いる全てを連れて来ておりまする」

籐三郎は明らかに戦いを欲している。そりゃそうだろう。こんだけ連れてきて、やった事が兵員輸送、この後はお蓉の南蛮船の護衛・警戒。これだけでは、詰まらぬ、と言わないまでも不満である事は間違いない。


 「籐三郎どの、やって欲しい事がある」

「佐治水軍との戦でござりまするか」

答えながら籐三郎は笑っている。今までの俺の質問から当たりをつけていたようだ。大まかな作戦を説明する。

「ああ。お蓉さんに大野城を砲撃してもらう、籐三郎どのはその警戒。ここまでは変わらん」

最初、藤三郎は砲撃、という言葉の意味を知らなかった。大砲が無いのだから無理も無い話だけど。

「はい」

「そのまま知多沿いに南に下る。内海まで進めば、一色城、岡部城とふたつの城がある。そこも砲撃してもらう」

「なるほど…されど、それでは我等の出番がないような」

藤三郎の顔が疑問で曇る。

「いや、大野城が攻められている、という報せが佐治方の城である一色城、岡部城に行くだろう。船から砲撃されている、という事が伝われば、当然出てくるのは相手の水軍だ」

「なるほど、おっとり刀の敵を向かえ討つのでござるな」

「そうだ。佐治水軍が出てきたら、一色、岡部への砲撃は途中でやめていい。戦の差引は二人に任せるよ。お蓉さんに伝えてくれよ」

「畏まってござりまする」

藤三郎は深々と頭を下げると、自分の小安宅に駆けていく。さあ、始まりだ。







 織田勢は慌てて陣払いの支度を始めていた。酔って千鳥足の者、慌てて他人の革胴を着ける者、すっころんで、煮汁をひっかぶる者、様々である。

「大殿の下知は承知いたしましてござりまするが、何故今すぐの陣払いを」

河尻与兵衛の疑問に柴田権六が答える。

「わからぬか。繋ぎが無いなら、この美濃攻めはただの小競り合いじゃ。されど岩倉勢と美濃が繋がっておるという事は、大垣からの後詰が来る、という事ぞ。我等が笠松に入った時には既に後詰の催促がなされていようし、その後詰は事の始めから支度が済んでいたと思わねばならぬ。すぐ来るぞ。長井忠左衛門がこちらより少ない手勢で打ち掛かってきたのも、こちらに勝てると思わせるためであろうよ。大殿の言葉ではないが、忠左衛門は此方が勝てる、と思わせ、引きつける為の撒き餌じゃ」

「ああ、成程」


 柴田権六は言葉を続ける。

「大殿が岩倉攻めの策の為にここ笠松まで出た様に、敵には敵の思惑がある。美濃と岩倉勢が手を組み、我等を挟み撃ちにする策を立てた。折り悪しく、我等は岩倉攻めの策を立て、岩倉勢を引きずり出すため美濃に出陣。頃合い良しと岩倉勢が我等の退き口を絶つ、その上で美濃勢が攻めれば、我等は終いじゃ」

「まこと左様に」

河尻与兵衛はどこか暢気な男であった。

「幸いに岩倉勢は破れた。退き口の心配は無い。その事を美濃勢が知って居るか居らぬか、それは判らぬ。知らぬならまだ間は有ろう。知って居るとすれば、暇を与えず夜討ちに来るはずじゃ」


 「…それは何故で」

河尻与兵衛の暢気さに我慢できなくなったのか、信長自らが疑問に答える。

「ええい、美濃と岩倉は結んでおる。両者にとって我等は邪魔だ。今我等を討てば、義龍はマムシの鼻を明かす事が出来ようし、当面東から美濃が攻められる事は無くなる。岩倉の伊勢守は、もう守護も居らぬ故、岩倉は下四郡を切り取り放題。両者に損は無い。岩倉が我等に敗れたとしても、美濃勢は我等に負けることは無かろう。この笠松で俺の首さえ取ればよいのだからな。さすれば義龍の許に尾張一国が転がり込んでくる。…まあ今川も居るし半国程かのう。いずれにしても損は無い」

「成程成程」

「それ故夜討ちなどされぬ内に陣払いなのじゃ、わかったか与兵衛」

河尻与兵衛は今更のように慌てだした。

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