表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
70/116

謀事

 信長は再び笑い出した。目には怒りがある。

間もなく日が暮れる。敵も味方も勝って今日を終えたい筈であった。

崩れかけていた織田勢先手は何とか持ち直していた。信長は味方の戦いぶりに怒っている訳ではないらしい。

 「義龍党の忠左衛門とやらがここまで出てきておるとなると、義龍は神輿として担がれておる訳ではなく、すでにその義龍党が美濃の政事を握っている事と相成るか。マムシなら陣は張っても攻めかかってくる事はなかろうしのう」

麦湯の支度の為に幕内を出た万見仙千代と入れ違いに、佐久間半介が入って来た。柴田勢が敵と当たったと聞いて、後備から本陣に駆けつけてきたようだ。

「長井忠左衛門ほどの者なら、備の大将でありましょう。大将自ら鑓働きとは愚かにも程がありまするな」

「であろうな。されど半介、敵はその長井忠左衛門を見て奮い立って我等に攻めかかっておる様だぞ」


 信長は今度は面白そうに先手の戦いぶりを眺めている。

「…確かに。柴田勢には下がるようお伝えなされまするか」

「いや、よい。持ち直しておるようだ…半介、敵はいかほどと見るか」

問われた半介の顔は神妙だった。

「長井忠左衛門が敵の先手とするならば…見える限りでは八百程かと」

「ふむ。八百に圧されて居るのか此方は。権六に伝えよ。先手の数はヌシの方が多い。まだ際ではないぞ、いなせ、とな」

「はっ」

佐久間半介が目配せすると、麦湯を運んで来た仙見万千代がスススと幕の外に下がっていく。では、と佐久間半介も本陣を後にした。




 佐々隼人正と、その弟孫介は、先手の一番前で督戦し、美濃勢の攻撃を退けた。

「追うな。ゆるりと矢合わせに戻れ」

そう指図すると柴田権六の下に向かう。

「柴田さま、前は落ち着きましてござりまする」

隼人正の言葉に、柴田権六は握り飯を頬張りながらホッと息を吐く。

「ようやった。大殿からも受け流しておるだけでよいとのお指図じゃ。一息つけるな」

「左様でござりまするか」

佐々兄弟は、自分達の指示が間違っていなかった事に胸をなでおろしていた。

「ところで、そち達の弟は大和左兵衛の配下になったと聞くが、息災か」

「は、はあ…。息災ではありましょうが、大殿に砂をかけるような事でまったく面目が立ちませぬ」

佐々兄弟はしかめ面で下を向いた。

「なぜそう思うのじゃ。なかなか見所があるぞ、左兵衛は」

柴田権六は笑っている。

「されど…素性はしかと判らず、出来星かも知れませぬが新参者にござりまするぞ」



 隼人正と孫介は、弟の内蔵助が大和左兵衛の配下になりたい、と言った時、有無を言わさず反対した。

 『内蔵助…お主、代々のご恩を忘れたのか、不忠じゃぞ』

『兄者たちはこのままでよいのか。左兵衛は新参ながら五千貫文、一万石じゃ。我が佐々家は二千石。悔しくはないのか』

『新参者が大功を上げた。新参者ゆえ目立つ。外様は大禄を与えねば釣れぬ。それだけじゃ』

『左兵衛は監物どのの馬廻りから取りたてられたのだぞ。外様ではないわ』

『確かに外様ではないかも知れぬ。が、譜代とは云えぬ』

『譜代はつつましゅうせねばならんのか。貧しくあらねばならんのか。何の為の戦働きか』

『判らぬか』

『判らぬ。判る時が来るやも知れんが、今では無いようじゃ。大殿の許しは貰うてある、ワシは左兵衛の下で学ぶ。学んで佐々家を大身にしてみせる。般若介も一緒じゃ』

『…ワシ等二人の目の黒いうちは、佐々家には戻れんと思え、よいな』


 

隼人正の言葉を聞くと柴田権六はさらに笑った。

「…そうかも知れぬが。されどこの権六を怒鳴りつける男だぞ、左兵衛というやつは」

「そうなので」

「青びょうたんの様ではあるが、肝は座っとる。…内蔵助もよき男じゃ。なにか左兵衛に惹かれたのであろうよ。でなくては流石に直臣から陪者にはならぬであろ。よい弟を持ったのう」








 平手監物は勘十郎信行の屯所に来ていた。彼はこの一宮に留まる本来の織田勢の先備の大将である。大将とはいえ、副将介添たる織田勘十郎は主筋である。礼は尽くさねばならない。

「勘十郎さま、柴田どの先手と美濃勢がぶつかったげにござりまする」

柴田どの、ときいて勘十郎信行の動きが止まる。柴田権六は勘十郎の傅役、後見人だ。気にならない訳が無い。

「心配めさるな。かかれ柴田でござりまするぞ」

「ハハ。戦が始まったという事は、我等も動くのか」

「はっ。岩倉攻めを始めまする」

「岩倉攻めだと…。美濃に向かうのではないのか」 

平手監物は策の全てを話し始めた。






 織田信長の軍勢が、美濃勢と交戦を開始した、という報告は、ここ岩倉城にも届いている。

「蔵人よ。今が好機と申すのか」

上四郡守護、伊勢守信安は上座上段から生駒蔵人を見下ろしている。

生駒蔵人と相対して、嫡男の信賢、次男の信家が座っていた。信賢は生駒蔵人を睨みつけ、信家は微笑を湛えている。薄笑いの弟、信家を見て、信賢は弟をも睨みつけた。

「ははっ。美濃は義龍どのの治めるところとなっておりまする。うつけどのの舅、道三どのの威勢すでにに無く、伊勢守さまと義龍どのでうつけどのを追い落とす好機かと」

「確かにそうであろう」

伊勢守は深く頷く。


 「待て、蔵人」

信賢が口を挟む。

「何かご懸念でもありましょうや、御曹司」

「大炊助を忘れたとは言わさぬ」

声を荒げる信賢と生駒蔵人のやり取りを伊勢守は苦い顔で見つめている。信家はまだ薄笑いのままだ。

「信賢、やめよ」


 大炊助とは信長への内通の疑いで処断された稲田大炊助の事である。

彼は信賢の傅役であり、伊勢守家の次期当主に信賢を推していた。その稲田大炊助を内通謀反で処断されたのだから、信賢としてはたまらない。

大炊助が信長に内通している、と伊勢守に通報したのは生駒蔵人であった。伊勢守も最初は信じていなかったが、内通の証拠を蔵人が見つけ差し出した事によって、状況は変わった。

上意により稲田大炊助を討ったのは、信家であった。

伊勢守本人は信賢より信家に跡を継がせたかったのである。が、オトナの稲田大炊助は信賢を推している。家中に波風を立てたくない伊勢守は、大炊助の意見も無下にはできなかった。

そんな折の生駒蔵人の訴えは渡りに船であった。


 やめよ、と言われたが、今度は生駒蔵人が信賢に向き直る。

「御曹司は何か勘違いをなされてござらぬか。それがしは伊勢守家の為を思うて訴えでたのでござりまするぞ。内通謀反の証もあったではありませぬか」

「偽物じゃ。大炊助が内通などするはずが無かろう。彼奴は三郎信長を嫌うておったわ。そちの讒言じゃ」

信賢は讒言だと信じたかったが、内通の誓紙は本物だった。

なぜなら内通させたのは生駒蔵人、本人だったからだ。

彼は信長の命により、犬山城の丹羽長秀と協力し、稲田大炊助を謀にかけたのである。

内通の交渉をしたのは丹羽長秀。無論、仕掛けたのが生駒蔵人とは大炊助は知るよしも無い。


”稲田どの。我等の大殿は上四郡には興味がない。が、上四郡の守護代が信安どのである限り、我等としては枕を高くして眠れぬ。我等の大殿が後押しするゆえ、御曹司信賢どのに今すぐにでも守護代になってもらいたいのであるが、どうであろう”


 ”そ、それは”


”我等が大殿は下四郡守護代、尾張総追捕使に任ぜられた。このままでは、今のままでは伊勢守家は信安どのの代で終いでござるぞ。信賢さまの為にも良くは無い、そうは思いなさらぬか”


”そうかのう。が、三郎信長どのに援けてもらおうとは思わぬ。当ては他にもござるゆえ”


”…なるほど。当ては義龍どのでござるかな。確かに合力してくださる事でござりましょう。美濃と上四郡が相手では、我等が大殿でも手も足も出ますまい。おまけに東は今川、八方塞がりじゃ。されど義龍どのが大殿を討ち果たされた後は、上四郡はどうなりましょうや……

ときに稲田どの。今川方の三河、岡崎衆がどのように扱われておるかご存知か”


”…………”


”織田宗家の大事と思うて参ったのでござりまするが、いやはや。まあ、折角でござりまするゆえ、この茶だけはもろうて帰りましょう。それがしも茶数奇でござってな、ハハハ。……では、これにて”


”まあ、待たれよ……。明日、熱田に寄進の用件がござりましてな。その折にもう一度茶でも如何でござろうか”


”熱田の社に寄進、でござりまするか。よきお心がけかと存じまする”




 「嫌うておっても、自ら傅役として手塩に育てた方を推して貰えると思えば、手を握る事も出来ましょう」

そう言われると、信賢も口をつぐまざるを得ない。自分を盛り立てる為に内通したのだ。

「されど蔵人。どのようにして内通を知ったのだ。しかも誓紙まで。どのようにして見つけたのだ」

信賢にはどうしても生駒蔵人が信用出来なかった。

死んだ織田信清の重臣。信長を嫌って伊勢守家を頼ってきた。内通の気配すらうかがわせなかった大炊助の内通の事実を発見し、報告。その報告には誓紙まで付いている。都合がよすぎるのだ。

最大の理解者である大炊助が処断された事が悔しい、という事もあるが、とにかく都合がよすぎる。

伊勢守家の為とは言うが、これでは亀裂を煽っているのと同じではなかろうか。


 「もうよい、信賢。過ぎた事だ。すぐに忘れよとは言わぬ。が、もう口にするな」

「…はっ」

伊勢守の言葉に、信賢は俯いて答えた。すると、真顔に戻っている信家が話を切り出し始めた。

「蔵人の申した通り、それがしも今が三郎信長を討つ好機かと思いまする。彼奴が笠松で美濃勢と戦っておるとすれば、清洲への横槍を封じる為にも犬山城の軍勢は動かせませぬ。犬山を抜かれたなら、那古野、清洲まで遮る者は居りませぬゆえ。我等が出陣しても出てくるのは留守居だけじゃ。清洲を落とすのはたやすき事かと」

伊勢守は深く頷いた。再び生駒蔵人が口を開く。

「信家さま。一宮に平手監物の軍勢が居るようでござりまするが」

「主人は美濃勢と戦の真っ最中じゃ、そんな処に監物とて助けは乞えぬであろう。清洲への退路を断てば、散り散りに退くか、降るしかあるまい」

「左様にござりまするな。ご慧眼、畏れ入りましてござりまする」








 平手監物の話を聴くうちに、勘十郎信行は当然すぎる疑問を口にした。

「岩倉を攻めるというても、我等だけで当たらねばならぬぞ。兄者は笠松で戦うておるし、戦うておる相手が美濃勢では、犬山から助勢を出して岩倉城に当たらせる訳にもいかぬであろう。ましてや清洲、那古野には留守居しか居らぬ」

「その通りにござりまする」

「では、どうするつもりか」

「我等に通じたのは、死んだ稲田大炊助だけではありませぬ」

「…まさかとは思うが」

「はっ。そのまさかにござりまする。残るオトナの山内盛豊どの、そして堀尾泰晴どのも通じておりまする」

「…確かに我等だけでも大丈夫な戦よのう。兄者の策か」

「はっ。所領安堵、並びににそれぞれ五千石の加増。伊勢守家の尾張追放、という条件でお味方と相成りましてござりまする」

「…堪らぬな、伊勢守家も」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ