一段落
「いやはや、なで斬り、とはこの事でござろうな」
水野信元は笑っていた。
抵抗らしい抵抗も無くこの大高城、そして沓掛城を落としたらしい。安祥が落ちて退路を断たれるとでも思ったのか、よほど慌てて逃げたのだろう、二つの城に在番の将兵たちは殆んどいなかったという。
俺がこの大高城に来ているのは、鳴海に戻る前にやり残した事があるからだ。
「水野党在ったればにござる。まこと、水野どのにはお世話になりっぱなしで。それがし頭が上がらぬ様になってしまいそうでござる」
おべっかみたいだけど、事実だから仕方がない。
横〇光輝、山〇荘八の作品で戦国時代のイメージを作ってしまった俺は、どうもこの水野信元が好きになれない。今思うとそうひどい人でもないし、こうやって実際に顔を会わせている以上は好き嫌いも言ってられないのだけど。
「それで、家次めはまこと殺ってしまってよいのでござるな」
殺っていいんだな、とか、どこぞのチンピラかまったくもう。
「…構いませぬ。が、それがしも立ち会った上での事でござる」
「それは承知してござるよ。殺すにも名分があった方が良うござろうからのう」
言ってる事は正しいんだけど…なんとなく癪に障るな。
「まあ、それがしが味方にしようとした大草昌久を欲かいて襲って滅ぼして居る。人物を見誤りましてござる、このような輩は織田に仇なすかもしれぬ」
…我ながら勝手だな。
人を殺める事にあまり抵抗を感じなくなってきた。生きる為とはいえ、いい事なのか悪いことなのか。
やっと鳴海に戻って来た。
疲れた。
と言ってもいられない。吉兵衛が来ている。
「安祥もそうでしたが、沓掛でもまたやりましたそうで。我が主はまこと恐ろしいお方を友になされたもんじゃ。まあ敵になるよりよほど良いが」
「うるさいな、もう」
吉兵衛も、俺が信長の直臣となって鳴海を治めるようになってからは、一応顔を立ててはくれているものの、態度は相変わらずだ。
「そういえば、大殿自ら末森に乗り込んで事を収めたそうじゃないか。一体何があったんだい」
俺がそう訊ねると、吉兵衛は顛末を語りだした。
何でも末森の包囲を解かせ、自らと弟の勘十郎信行、信時の三人だけで末森城に入っていったそうだ。百騎ほど連れていたものの、その手勢たちは外に置いていったらしい。
「なんでまたそんな事を」
「まったくでござりまする。…で、まあ、囲みを解いたあと、降る者は降れ、去るものは去れ、と大音声で言われましたそうで」
「ほう」
「それから半刻ほど経っても、それでも城には四百ほど残っておったそうで。それを知った大殿は、いきなり勘十郎様と信時様を連れて大手に馬を乗り入れた」
「それで」
「そのまま本曲輪までずかずか入って行って、そこに居た林佐渡どのをぐわんと殴りつけた」
「馬鹿な」
馬鹿な。無茶にもほどがある。草が生えるくらい無茶だwww
想像して思わず噴き出してしまった。馬鹿な。
「馬鹿…とはうつけという事でござるかの。大殿に向かってうつけとは何という事を…と言うても、確かに馬鹿でござるなあ」
吉兵衛も噴き出していた。
「四百も居て、本曲輪まで誰も大殿に立ち塞がる者は居なかったのか」
「大殿の顔を見知って居る者など陪者風情では極わずかでござる。たとえ知って居っても、敵とは云え先日まで味方でござる。いきなり目の前に現れたら度肝を抜かれまする」
「…確かに。目を疑うだろうな」
その光景見てみたかったなあ。面白かっただろうなあ。
真顔になって吉兵衛が続ける。
「一番呆気に取られていたのは当の林佐渡どのだったそうにござりまする。大殿は、『佐渡、気は済んだか』とだけ言われ、林佐渡どのの頬を思い切り殴ったそうで」
子供の喧嘩じゃあるまいし、まともじゃないな…あ、うつけ者か、そうだった。
「佐渡どのもそれで我に返り、太刀を抜いて大殿を斬ろうとしたのでござりまするが」
「が、斬れなんだ」
「はい。太刀を振り上げたものの、勘十郎様が『そなたの意地は判った。されど己の思い通りにいかぬからと、三代仕えた主君に刃を向けるのか。それでも弾正忠家のオトナか』と一喝されまして」
「ほほう」
「佐渡どのは雷に打たれたように平伏したそうにござりまする」
すごい。
いかしてるなあ…格好よすぎる。
これだよ、これなんだ、俺が日本史、戦国が好きなのは。
「それで収まったと」
「左様で。とりあえず、林どのは蟄居、出仕差し止めにござりまする」
「まあ、そりゃそうだろうな」
ふう。面白かった。
あ、俺も若旦那に顛末を報告しなきゃいけないんだった。手紙を書く間、吉兵衛にはオトナたちの所にでも行っててもらうか。
「吉兵衛どの、楽しゅうござった。離れで膳を支度させまする」
岩室三郎兵衛が促すと、吉兵衛は溜まりを出て行った。
鳴海衆が久しぶりに皆揃っている。
平井信正。乾作兵衛。桔梗屋春庵。
服部小平太。植村八郎。岩室三郎兵衛。
与力の佐々内蔵助と蜂屋般若介、菅谷九右衛門。
そして、せき。
吉兵衛と入れ違いに入って来た俺を見て、皆一斉に平伏する。
「皆。何か久しぶりな気がするな」
「でござりまするな。暇ではなかったが、ちと寂しゅうござった」
服部小平太がそう言って笑った。
「嘘こけ。我等が三河に行っとる間に嫁をこさえた癖に」
「な、なんで知っとる」
「せき様より聞いたのじゃ。傷が治ったらさっそくか」
そう言う植村八郎の言葉に、小平太が情けなさそうにせきを見ていた。
「よいではありませんか。他のオトナの皆様がたも早う身を固めねばなりませんよ」
せきはそう言って笑っている。
うむ。微笑ましい家中だ。
「皆聞いてくれ。それぞれ加増じゃ。新知三百五十石」
オトナ衆からどよめきが上がる。皆一律だが、それぞれ五百石取りになったのだ。五百石格と言えばもう高級士官の仲間入りだ。
「それと内蔵助と般若介の二人が与力ではなく俺の旗下に入る」
またしてもどよめきが上がる。吉兵衛が若旦那から預かった手紙にそう書いてあった。
直臣から陪臣になるという事であって、極めて異例の事なのだ。
しかも二人は前々から信長や若旦那に願い出ていたという。
「大和左兵衛は陪者から直臣へと成り上がった。我等も左兵衛の元で自らを鍛え、改めて直臣に取りたててもらい大殿の役に立ちたい」
という事らしい。
そんな回りくどい事をしなくても、信長の側に居た方が出世も早いと思うんだけど、二人がそう言うなら仕方がない。信長が許可を出しているのだし、突っ返すわけにはいかない。
「それがしと般若介共々、これからは同じ家の子でござる。オトナ方、宜しくお引き立てのほどを」
と、内蔵助と般若介両名がオトナ達に向かって深々と頭を下げた。
「よし。内蔵助と般若介も新恩五百石とする」
「ははっ」
「有難く」
「殿、お待ち下され」
平井信正だった。
「なんだ信正」
「殿、内蔵助どのと般若介は与力の時より五百石格でござった。新恩五百石という事は、合わせて千石、と解して良いのでござろうか」
「いや、お前たちと同じで五百石だよ」
「それはいけませぬ」
「なんでだい」
「お二人は元々直臣なのでござりまするぞ。それがし等の様な端武者ではござらぬ。名も通っておりまする。これからはオトナ衆筆頭格になってもらわなければなりませぬ」
信正の言葉にオトナ衆たちが肯く。
その後、オトナ衆と内蔵助たちの遠慮と推薦の押し付け合戦という喧々諤々なやりとりがしばらく続いたが、せきとその下女たちが膳を運んできたので、腹も減っていたし面倒だから、内蔵助と般若介の件はひとまず置くことにした。
皆で飯を食い、少し飲んで皆別れた後、信正を呼んで聞いてみた。
「なんで皆一緒じゃいけないんだい。内蔵助たちだって一からやり直すつもりで俺の直参になったんだぞ」
「一緒でもようござりまするが、それでは箔が付きませぬ」
「箔か」
「はい。直臣だったとは云え、まだ十九や二十の若者でござる。いくら本人たちがそう申しておるからと我等と同じ五百石では不満がありましょう。二人を殿に呉れた大殿とて、二人が微禄ではいい顔しますまい」
「そんなもんかねえ」
「それに二人がまことその様な心持ちなら、高禄を示されれば益々心引き締めて、事に臨むようになるとそれがしは思いまする。筆頭に推されたとは云え、我等の目がある。甘えなど無くなりましょう」
「…厳しいねえ」
伊達に歳取ってるわけじゃないな。言う事が細かい。
「他にも訳はありまする。殿は新参者ながら鳴海を任されて居る身。今のところ三河や今川の事も殿一人でやって居るような塩梅でござる。つまり大敵に一番近い。大殿や監物さまはそうで無くとも、他の家中からかつての山口教継のように見られる恐れがありまする」
「確かに俺は新参だ。そう見られるかも知れないな」
「大殿から頂いた二人を引き立てる事で大殿はもとより家中への聞こえも良くなりましょう。それに若輩でも高禄で召抱えるとなれば、仕官したいと人が集まってくるようになりまする」
「信正、いろいろ考えてるねえ」
「殿は鳴海五千貫文で終わるお方ではないと思うからこそ、でござりまする」
「ありがとう」
日が明けた。皆が溜まりに集まっている。
「おう、揃ったな。昨日の続きじゃ。…佐々内蔵助、蜂屋般若介」
「はっ」
「ははっ」
「元の知行に差し代わり、それぞれ新恩一千石を宛がう。心せよ」
「ははっ。間違うた買い物であった、とならぬよう精進致しまする」
と内蔵助。
「ゆくゆくは左兵衛さまの様になりたいものでござりまする。精進致しまする」
と般若介。
「よし。二人はまだ若いが、オトナの旗頭じゃ。他の家中に侮られるなよ」
「ははっ」
「承知仕ってござりまする」
「よし。平井信正、乾作兵衛」
「はっ」
「内蔵助、般若介が旗頭とはいえ、まだ若輩じゃ。ヌシら二人が介添せよ」
「畏まってござりまする」
「承知仕ってござる」
…人の上に立つ、って難しいよなあ。つくづくそう感じる。一万石の身代でこれだ。直接の部下は七人。春庵も入れると八人。九州に行っている二人、九鬼お蓉と鳴海新九郎も入れると十人。
よくもまあ俺に着いて来てくれているもんだ。
まあ、信長に天下を取らせたい、と若旦那に言ってしまっている以上、頑張らなきゃいけないんだけども。
「小平太」
「はっ」
「俺が留守の間、どうであった」
「はっ。言われた通り各郷を何度も回り、検地したところ、千石ほどの隠し高がござりました」
そう、小平太に命じて検地させたのだ。検地の結果隠し田があれば、年貢は増える。
軍を維持するには金がかかるし、農民たちを守る為にも最低限の物は出してもらわなくちゃならない。税率は上げない代わりにその辺はきちっとやりたい。
「表一万、内高一万一千か」
「はっ」
部下たちの知行が合計で五千石。俺が六千。六千石で準備出来る兵力は…百八十。まあ二百ってとこか。
農民たちから鳴海の守備兵として百人を供出してもらっているからそれはいいとして、内蔵助たちが合計で百五十ほど。俺と合わせて三百五十。足軽雇いをいれても五百がせいぜい。与力としてついている星崎の岡田どの、刈谷の水野党、合わせて七百から八百ほどか。
鳴海をもらった時から分かっていた事だけど、全くもって戦力が足りない。
まあ、敵同士だけど三河は攻めてこないだろうし、今川がアクションを起こすときは、これまで以上に何か伝わってくるようになるだろうから、当面は大丈夫だ。今は休養、休養。




