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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
62/116

暗雲

 犬山城に居る織田信長は、上四郡の要、岩倉城の準備を始めている。手始めに彼は生駒蔵人に命じ、上四郡の守護代家である伊勢守家の調略を始めようとしていた。

標的は山内盛豊、稲田大炊助である。

「山内、稲田両名が伊勢守家の要。しかも伊勢守家では跡目争いの真っ最中でござりまする」

「ほう」

「現当主、信安どのは倅達のうち、次男信家を。家臣達は長男の信堅を推して居りまする」

「伊勢守家は親子喧嘩か。ハハ、どこもかしこもようやるわ」

「さ、左様で」

笑う信長に対し生駒蔵人はそう遠慮がちに答えた。

「蔵人よ、そう畏まるな。言いたい事も言えぬ様になるぞ」

「は、ははっ」

そこへ万見仙千代が入って来た。

「大殿、清洲より使者にござりまする。毛利吉兵衛と名乗っております」

「吉兵衛…監物の手の者か。よい、此処へ通せ。…蔵人、下がるに及ばず。ヌシも聴いて居れ」


「清洲から参りましてござりまする」

吉兵衛は頭も下げずに入ってきた。対する信長も気にする風もない。

「大儀。して用向きは」

「末森城の儀にござりまする」

「…落ちぬな。まあのんびりやれ、と云うてはあるが」

「我が主は、岩倉攻めに差し障りが出ぬか、と気にして居りまする」

「カハハ、差し障りならすでに出ておるゆえ気にするな、と申せ」

「ははあ」

「気の無い返事をする奴だ。五郎は他にも何か言うて居ったであろう」

「これを」

吉兵衛は懐から文を取り出し、信長に渡した。







 此処は関口屋敷。今川義元どころか松平竹千代にまで逢えるとは思ってもみなかった。

俺は元の歴史を知っているからワクワクだけども、今川家の連中からしてみれば今の竹千代は「三河の小倅」でしかない。不思議だな。

「お初にお目にかかりまする、鳥居伊賀名代、鳥居一忠にござりまする。竹千代さまにおかれましてはご機嫌麗しゅう」

「鳥居の一族の者か。大儀じゃ」

背は普通。十一歳にしては、この時代の人にしては高いほうかな。優しそうな顔立ちだけど目だけは厳しく光っている。側に控えているのは後の平岩親吉と鳥居元忠だな。

中嶋清延もそうだったけど、この時代の少年というのは、大人びているな。

「岡崎はどうか。鳥居の爺、阿部の爺など皆恙無うしておるか」

「はっ。色々ありましたが、皆息災でござりまする」


 側に控えている二人の近習。一人はにこにこしているが、もう一人の表情は厳しく、俺から視線を外さない。

要するにガンをつけられている。息苦しくなって、何か、と聞いてみた。

「竹千代様。この者は鳥居の一族などではありませぬ。このような者を、それがしは見たことがありませぬ」

あ。元忠は鳥居忠吉の息子じゃねえか。すっかり忘れてた。そりゃ俺が偽物ってばれるわな。

という事はニコニコしていたのが平岩親吉で…おいおい、二人とも脇差に手をかけるのはやめろ。

「待て」

竹千代が二人を制した。…助かった。

「鳥居一忠とやら、そなた何奴じゃ。彦右衛門が居るのに鳥居を名乗るとは、ぬかったな」

斬られる、という事態は避けられたものの、斬られない、という保証も無いようだ。

「それがしは鳥居一忠ではありませぬ。名を偽っては居りまするが、竹千代さまの敵ではございませぬ」 

 今は三人が俺を睨んでいる。…竹千代は睨むというより目を細めて俺の顔色を覗っている。

「名は名乗れぬ、という訳か」

無礼であろう、と平岩親吉が俺を咎めたが、無視して続ける。

「はい。訳知りになっては、竹千代さまが後々困る事になるやも知れませぬ。されど鳥居伊賀どのの名代というのはまことにござりまする」

「そうか」


 「竹千代さま。駿府での暮らしは如何にござりまするか」

いい思いをしている筈が無い。つらい仕打ちも受けているだろう。が、あえて訊いてみた。

「…うむ。御館様もよくしてくれるし、爺からの仕送りもある。案ずるな。それより松平に力が無いばかりに苦労をかける、済まぬ」

「御労りの言葉、まこと頭が下がるばかりでござりまする。いつとは申せませぬが、もうしばらくの辛抱でござりまする」

「…無理はせずともよいぞ」


 俺と竹千代はそれから四半刻ほど談笑した。相変わらず近習の二人には警戒されたままだった。まあ、それが近習の仕事だから仕方ないか。

「おお、すっかり長居して申し訳ござりませぬ。そろそろお暇致しまする。楽しゅうござりました」

「名も名乗らぬ無礼な奴だが楽しかったぞ。折を見てまた来るがよい」

「はっ、必ず」

屋敷を出る。

意外に普通だったな。まあ初対面だし、俺は名前言ってないし、打ち解ける筈もないか。

あるいは普通を装っているのか。多分そうだろう。人質という身分で目立とうものなら、周囲の反発はひどいものになるだろう。能ある鷹は…ってやつだ。

ゆっくりもしていられないし、早く岡崎に戻らなきゃ。








 信長は吉兵衛が懐から出した手紙を熱心に読んでいる。読み終わると吉兵衛に尋ねた。

「五郎は美濃が崩れると申すのだな」

「はっ。マムシどのと、ご嫡男の義龍どのの仲が極めて悪く、戦になると思うておるのか百姓、武士を問わず尾張に流れ込んで居りまする。元の土岐家の郎党共も居り、清洲や岩倉にて仕官を求めて居る有様でござりまする」

「そういえば、新参の森三左衛門も美濃に居ったのだったな。ふむ…」

信長は考え込んだ。斎藤道三ともあろう者が息子を抑えられないとは。マムシが衰えたのか、マムシに抑えられない程の器量人なのか。あるいはその両方か。


 「蔵人」

信長が顔を上げて生駒蔵人に向き直った。

「何でござりましょう」

「ヌシは信清のオトナ、犬山の留守居だったな」

「…は、はあ」

「信長に赦されてその下についたものの、やはりうつけは大うつけ、とても従えたものでは無い」

「な、何を仰せられまする」

「いいから聞け、とても従えたものでは無いゆえ、岩倉城と通じる事にした」

「あ…そういう事で。なるほど」

「そういう事だ」


 生駒蔵人はひとしきり感心して頭を上下させた後、

「そう云う事なれば、早速下拵えにかかりまする。よろしゅうござりまするか」

「よろしいぞ、そして吉兵衛」

「はっ」

「清洲に戻れ。勘十郎に末森に行けと云え。叔父御の陣で待てと。それと末森攻めの兵を引かせよと五郎にそう申し伝えよ」

「はっ。では」

生駒蔵人、吉兵衛が急ぎ広間を出て行く。信長はそれを見送りながら万見仙千代を呼んだ。

「はっ。御用は」

「丹羽と森を呼べ。あと、馬乗百騎支度させよ」

「はっ」

「支度が出来次第、末森に行く。共は信時だけでよい」

「はっ」


 丹羽長秀と森可成が広間に入って来た。

「おう、来たか。三左衛門。話には聞いたが美濃はそんなにひどいのか」

尾張生まれながら土岐家に仕えていた森可成は、土岐家が斎藤道三に滅ぼされた後、尾張に戻って信長に仕えている。そうした経緯から美濃の状況はそれなりに知っていた。

「はっ。まむ…道三どのが下克上により、土岐家の家臣は大体斉藤家の下に流れたのでござりまするが、やはり道三どのの所行を腹に据えかねて居る者が多ござりまする。その上道三どのは嫡男義龍どのを疎んじておられ、もし両者で戦となれば、義龍どのに味方する者がほとんどでござりましょう」


 信長は縁側に立って庭を眺めている。丹羽長秀が首を傾げながら森可成に訊ねた。

「腹に据えかねるのは解るが、何故義達どのの元に集まるのでござる」

「…義龍どのは、土岐頼芸どのお子である、という噂がござりまして」

信長は相変わらず庭を眺めている。空は鈍く明るく、今にも雨が降りそうだ。

「三左衛門どの、それはまことか」

「それがしもそこまでは。噂でござりまする。されど義龍どののご母堂は元々頼芸どの妾でござった。道三どのの元に来られた時には既に腹が膨らんでいたとかいないとか」


 雨が降り出した。

「カハハ。五郎左も三左衛門も、女共の井戸端話のようだの。義龍がどちらの子であろうと、それはどうでもよいのだ。マムシならいずれ俺に美濃を呉れたであろうが、義龍なら俺に牙を剥いて来よう」

「それは何故で」

森可成はつまらぬ事を言ってしまった、という顔をしながら信長に尋ねた。

「判らぬか。義龍から見れば、嫡男の己を差し置いて、うつけごときに美濃を呉れてやるとは、親父は己より信長を買って居るのか、という事になる。跡は継いだものの、義龍にすれば面白くあるまい」

「でござりまするなあ」

丹羽長秀がどこか他人事の様に相槌を打つ。信長はそれに苦笑しながら言葉を続ける。

「その上尾張は割れて居る。義龍にすれば、いい儲け話が転がって居るようなものよ。土岐頼芸の子かも知れぬ、というのも義龍自ら流した噂であろう。母は土岐頼芸の妾だった女、親父には疎まれて居る、となれば、本人が思わせぶりに黙って居れば勝手に周りが信じてくれるわい」

「…でござりまするなあ。いやはや大変でござる」

「まこと他人事じゃのう、ヌシは」


 森可成は顔をしかめながら丹羽長秀を横目に見つつ、自分達が広間に呼ばれた理由を信長に尋ねた。

「おう。二人で留守居せい。留守居役は丹羽、ヌシは介添じゃ。あと、蔵人に伊勢守家のオトナの調略を任せてあるゆえ、あ奴ともよく談合して全うせよ。俺は信時と末森に行ってくる」





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[気になる点] 「腹に据えかねるのは解るが、何故義達どのの元に集まるのでござる」                  ↓ 「腹に据えかねるのは解るが、何故義龍どのの元に集まるのでござる」
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