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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
60/116

修好

 四月。田の苗もシュンシュンと伸び、一面緑となる季節。ここ清洲の城下でもそういう風景が広がりつつある。商いも盛んだ。四日に一度、二日に一度と市が立つ。市町にしてはどうか、という声もある。

戦が嫌いなわけでは無い。将として戦場に立つ自信もある。が、どちらかというと町造りの方が性に合っているような気がする。

ここはこれからもっと大きくなる。いや、大殿の為にも是非にでも大きゅうせねば。

清洲留守居・筆頭家老、平手監物久秀はそんな事を考えながら空を眺めている。


 「吉兵衛、戻ったか」

「はっ。左兵衛どのは健勝そのものでござりまする。あの塩梅では今川が尾張に入ってくる事は無いかと思われまする」

「そうか、それはよい報せじゃ。していつ戻るか言うて居ったか」

「それは…言うておりませなんだ。西三河を引っかきまわすだけでのうて、どう収めるか思案しておるようにござりまする」

「ふむ」

平手監物は考え込んだ。

彼のの仕える織田弾正忠家はいささか困った状況にあった。犬山を落とし、従わぬ分家筋、国人衆を従え、ほぼ尾張下四郡は織田弾正忠家の支配下に治まった。

だが、末森城が落ちないのである。末森城に籠もる敵は林佐渡以下の約千二百。


 死んだ織田信清は、下四郡制圧のために大量の兵糧を末森城に持ち込ませていた。それを使う事なく本人が織田信長に敗れ去った為に、林勢は餓える事無く篭城しているのである。降伏を促す軍使も全て無視または拒否している。

対する織田方は犬山が落ちた後、清洲から援軍を出した為、守山口と那古野口から計三千の兵を出して包囲している事になる。

包囲していること自体には問題はなかった。


末森には後詰が居らぬ、囲んで居れば無理せずともいずれ落ちるわ。


 織田信清を早い段階で討つ事ができた、という事実が補強材料であったが、そう見立てたがゆえに信長は作戦を変更して包囲を織田信光、信広に任せて自身は犬山に向かったのである。

当初、末森城を激しく攻め立てた信光勢、信広勢も、犬山が落ちた、という報せと織田信長の方針が伝わってくると囲むのみで無理にせめる事はしなくなった。

問題は兵力量であった。

もう十日近くも末森を囲んでいる。三千人を食わせているのである、兵糧の消費も馬鹿にならない。

三日ほどなら皆自前の腰兵糧で済むが、それ以上は織田家が手当てをつけねばならないのだ。

刈田するわけにもいかない。元々自分達の親兄弟の住んでいる所で戦争をしているのだ、嫌がらせや略奪などできない。

一旦兵を引かせて兵糧の消費を抑える事、それに兵達には休養が必要であった。

だが末森の包囲を解く事は出来ない。引いた兵達の代わりに囲む者が要る。そして包囲に使う兵力を節約し、余剰の兵力は上四郡攻略に回さねばならない。末森包囲の将は戦巧者がよい。

白羽の矢が立ったのは大和左兵衛であった。だが彼は三河にて謀略に従事している。

平手監物は困っていた。事が単純すぎて代案がないのだ。


 吉兵衛が済まなそうな顔で言った。今にも泣きそうだ。

「それがしはもう一度三河に参った方が」

「…いや、そなたは犬山に赴け。文を書くゆえ、大殿に会うてワシの考えを話せ。今日はもう帰って休め」

「…はっ」

吉兵衛は武者溜まりを出て行った。


 平手監物は再び考える。

弾正忠家の動員兵力はおよそ六千。現在、犬山にて信長自身が率いる千五百。此処清洲に千五百。末森の包囲に三千。各国人城主たちまで加えれば八千に達するだろう。

八千のうち二千は各地の守備、ということになる。しかし動員兵力が六千だからと言って、六千人全力で戦う訳ではない。出陣している間、他に何か起きたときに対応できないからだ。


 どこかの城が攻められた場合、城の戦力だけで撃退できるならばそれでいい。

撃退できないならば、援軍を呼ぶしかない。当然ながらどこの城も自分のところで一杯一杯だから、援軍を求める先は根城、つまり清洲城だ。

攻められた城は援軍を求める一方、篭城して敵を引きつけ、撃退できないまでも相手の行動を妨害し、しかる後に援軍と挟み撃ちにして撃退する。

援軍は多ければ多いほどいいし、その援軍を出す為には限られた兵力の中からどれだけ余剰を出すかにかかっている。

末森城一つに三千も貼り付けてはいられないのだ。


「ふむ…やはり美濃で人集めかのう」

平手監物はそう独語して、天井を見上げた。









 岡崎の中嶋屋敷にやってきた。まあしばらくお世話になった所だし、勝手も解る。でもこうやって改めて誘いを受けると緊張するよな。

「左兵衛さま、どうなさいました」

「いや、俺が織田の旗頭として此処に来てもいいものかな、と思ってね」

俺がそう言うと春庵は少し真顔になった。

「…まあ、三河の事は大殿もまだ埒外のはず。よほどの事がなければ大殿も平手さまも文句は言わぬでしょう」

「よほどの事とは」

「松平竹千代さまを取り返す、とか」

確かにそんなことになったら、信長も若旦那もひっくり返るだろう。後の事ならいざ知らず、現段階では余計なお荷物なのは間違いない。

「そんな事、今は無理だ」

「今は、でございますか」

春庵が俺の言葉尻を捉えて真顔になる。

「…取り返さずともいずれ戻るさ。さあ、入ろう」



 溜まりには当然ながら中嶋清延、そしてすでに鳥居忠吉と思われる人物が着座していた。で…なぜ上座が空けてあるんだ。他にも誰か来るのか。

「大和さま、お待ちしておりました、ささ、どうぞ」

中嶋清延が上座を指し示す。でも、はあそうですか、と座るわけにもいかない。そもそも何で俺が上座なんだよ。

「いやいやいや、それがしが上座と云う訳には参りません。それより中嶋どの、そちらのお方は」

上座には座らず、そこを空けて三人で向かい合う様に座る事にした。遅れて入ってきた春庵は中嶋清延の隣に着座した。


 「申し遅れました、鳥居伊賀と申しまする」

「大和左兵衛にござりまする。此度は何かとお騒がせして申し訳ござらぬ」

俺が頭を下げると、鳥居忠吉はニヤリと笑った。

「代官を手玉にしたそうで。中々の仕手方と聞いて居りまする」

「あ、いや…岡崎衆が居たら、ああも上手くはいかなかったかと。お礼を申さねばなりません」


 鳥居忠吉も、俺と会う前に多少は中嶋清延から聞かされているのだろうが、俺は改めて今回の計画の大筋と目的を話す事にした。

中嶋清延も、直接俺から話して欲しいのだろう。最初に口を開いた後は何も喋らない。

俺と鳥居忠吉を引き合わせる事で、尾張と岡崎の間に交渉の為の窓口を作っておきたいのだろう。

鳥居忠吉は俺の話を黙って聞いている。でも、敵方の人間が自分の土地で好き放題やっている内容を聞かされるのである、いい気はしないだろう。

松平竹千代を助けたいと思っている、という事も伝えた。その事については軽くではあるが何度も肯いていた。

大体の事を話し終わると、休憩という事なのか、春庵と俺は客間に通された。

鳥居忠吉と中嶋清延は溜まりに残ったままだ。


 「ふう」

溜息が出る。

鳥居忠吉の第一印象は、時代劇に出てくる悪代官、という感じだった。外見だけで行けば、今川に擦り寄る譜代の裏切り者、という構図はぴったりだろう。

「夜膳が出るそうにございます」

使用人が春庵に伝えてきた。今夜はまだまだ続く、という事だ。溜まりでは残った二人が俺の話についての検討と対策でも立てているのだろう。


 膳に酒は付いていなかった。まだ酔っ払ってもらっては困る、という事だろう。それにしても、中嶋家のメシはいつ食べても美味い。食べ終わって溜まりに戻ると、早速鳥居忠吉が口を開いた。

「此処は中島屋敷。商人の家でござる。よいか、これから話す事も商いに関わりのある事、としよう。互いの名前は…それがしは名無し、大和どのは権兵衛どの…とでもしておこうかの。…では権兵衛どの、鳥居伊賀という者がどういう立場にあるかご存知か」


 自分の事を訊いてくる。譜代の中で数少ない今川方と見られている人物、という事は皆が知っている。それでもわざわざ訊いてくる…そして名無しの権兵衛。よし。

「岡崎代官の腹心、今川家に与する譜代の裏切り者、でござる」

俺の言葉に中嶋清延がギョッとしている。春庵は目を閉じていた。

「はは、裏切り者でござるか。それで結構、結構。では、大和左兵衛という者は何者であろうか」

「過ぐる年に鳴海を盗み獲った、今川に楯突く織田の犬、でござる」

春庵が目を閉じたまま笑っている。

「犬か。ふむ、小癪な奴腹でござりまするな」

そう言いながら鳥居忠吉も笑い出した。


 そうなのだ。今こうやって話し合っていても、俺達は敵同士なのだ。手を結びたい、お互い結べる相手と分かっても、建前上は敵同士。そして今はただの名無しどの、権兵衛どの。

「まことに小癪な奴腹でござる。その織田の犬が煽る一揆勢が明後日、岡崎に向けて本証寺を発ちまする。捕らえた岡崎代官を質にしておるようで。何でも一揆方は代官を取られまいと手勢を二百ほど繰り出すとか」

「おお、それはまことか。大事なお方ゆえ、是非とも助け出さねばなるまい」

と鳥居忠吉は大袈裟に驚いてみせた。その様子を見ながら、中嶋清延が深く肯いている。この他人事のような会話の意味が分かってきたようだ。


 だんだん面白くなってきた。

「そう、是非とも助けださねば。されど、許しも無く勝手に兵を出し、一揆勢にしてやられた上に質にされた。そこを岡崎衆に助け出されたとなれば、駿府の今川館さまが知ったらお怒りになるでしょう」

鳥居忠吉はご尤も、いう風に何度も首を縦に振る。

「岡崎衆に作らずともよい借りが出来たわ、と、さぞお怒りでござろうな。されど代官が一揆勢に捕われて居る上は、助けに行くにも駿府に伺いを立てなければならぬ。代官が勝手をして、その代官を助ける為とは云えさらに勝手に兵を出したと知れれば、岡崎衆も只では済まぬであろう」

「それは…そうです」

「大和どの…ではない、権兵衛どの」

「はい」

「一揆勢はまこと明後日に本証寺を発つのでござろうか…彼奴等の出陣はもう少し後ではなかろうか」


 …はは、なるほど。使者の往復と陣立ての時間が欲しいのね。

「ああ、それがしの聞きそびれたのかも知れませぬ。名無しどの、多分…四日後かと」

「四日後…四日後。権兵衛どの、そうでありましょうな」

よし。これでいい。

「はい。…これから三河も益々賑やかになりまるな。その折はよろしくお引き立てのほどを」

俺がそう言うと、鳥居忠吉と中嶋清延は顔を見合わせて微笑した。


 …岡崎衆を織田方に近づかせる事は出来ただろう。面従腹背、今川に与していても中立を保つ、といったところか。でも、これでよかったんだろうか。竹千代が殺されることはないだろうが、彼の駿府での立場がよくなるとも思われない。

無言で考え込んでいると、春庵が気を利かせてくれた。

「酒を運ばせましょう。清延どの、よろしくお願い致します。固め手前の盃、と言ったところでございましょうか」


 






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