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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
55/116

従兄弟同士

 末森攻めは意外な形で始まった。

 萱津に集結した清洲勢は庄内川を渡り、軍勢を三つに分けて、那古野・守山城の戦力を吸収しながら移動していく。那古野口に織田信光隊、守山口に織田信広隊、そして南東に進み那古野を迂回して進もうとする三郎信長の率いる本隊。

三方向からそれぞれ時間差をつけて進撃し、守山口の軍勢で犬山勢を誘い出し、最終的には同時に犬山勢を包囲、これを打ち破ったのちにを末森城を攻囲する計画であった。

那古野口の織田信光隊は、佐久間半介、飯尾茂助、池田勝三郎の千。

守山口の庶兄信広隊は、柴田権六、前田又左、金森五郎八、塙九郎三右衛門の千三百。

信長の本隊は織田信時、丹羽長秀、森可成の千。


 しかし、末森城を占拠している犬山勢は守山勢に釣られはしたものの攻めては来ない。

まず林佐渡率いる一千が末森から出撃。信広隊と対峙した。これに呼応し那古野口の信光隊が出撃したが、林勢の動きに対応するために釘付けになっている内に、織田信清が密かに出撃。

彼の軍勢は末森から南下、そして西に進み、那古野の南を迂回して北上しようとしている。。

そして、那古野の南をを同じように迂回しようとしていた信長本隊と遭遇した。

信清勢、その数およそ千五百。






 「敵勢、おおよそ五百。我が先備に打ち掛かって来まする」

という物見の報告を受け、信長は目を閉じた。


 「丹羽、どう思うか」

「まさか此処まで出てくるとは思いませなんだ。考える事は同じにござりまするな、南から遠回りして那古野を突くつもりでござりましょう」

と信長に問われた丹羽長秀は他人事のように答えた。肝が据わっているのかいないのか、よく分からない。

「で、あるか」

「されど、五百というのは少のうござりまするな。もう少しは、何処かにおりましょう。しかも我等は信広さまや佐久間どのと比べ末森から最も遠く、近い那古野にも二百ほどの留守居が居るだけにございまする。いやはや」

「で、あるのう」

問うた当の信長は、丹羽長秀が何を言っても相槌しか打たない。


 おそらく相手も不意だっただろう。とりあえず出てきた敵は五百であり、味方は一千。今のところは負けない。

しかし、どこか近くに敵の本隊が居て、このままであれば那古野城と我等の間を断とうとするだろう。

「仙千代、出来るだけ受け流せと信時と森に伝えよ」


 この戦で信長は、自らの旗本たる赤母衣たちを分散させて将士の指揮を取らせていた。

戦が進み、勝って身代が増えていけば、当然家臣が増えていく。

尾張国内での戦であるため、特に一族衆や同族、それらの譜代など、腹に一物も二物も抱えているような難物ばかりが増えていく。

将来予想される今川との大規模な戦に備え、国内の諸勢力に睨みを利かす為にも、信長の直率兵力たる旗本たちは強くなくてはならないし、規模も大きくせねばならないのだ。

そして、強くするためには彼らに能力研鑽の機会と功名の機会を与えることが肝要だ。

指揮能力を高め、手柄を上げさせ昇進させるのである。

父親から受け継いだオトナたちも重要だが、信長は自らの子飼いも育てなくてはならない。


 守山口、那古野口はそれで良かった。若輩者ばかりとはいえ、オトナ達が控えているからである。そうそう下手を打つことも無いだろう。

が、この信長本隊は少し事情が違っていた。

信時は初陣を終えて間もない。丹羽長秀は愚かでは無さそうだが、今まで守護に付いていたのでその実力はまだ分からない。将士たちも半信半疑な面持ちだ。美濃からやってきた新参の森可成も似たような状態である。

信長自身が全ての指揮を取らなくてはならなかった。





 

 「柴田よ、敵は動かぬの」

弾正忠家の庶兄、織田信広は柴田権六と共に敵勢を睨んでいる。

「は。どうも戦う気がないような。かといって捨て置く事も出来ませぬ」

そう答えながら柴田権六は横目で信広の顔をチラと見た。


 今の弾正忠家にとって、現当主・信長と歳の離れたこの兄は得がたい存在だった。

妾腹とはいえ長兄である。大抵の家中なら跡目の事で難癖の一つもつけてきそうなものだが、相続権のない彼は、家中のまとめ役として何も言わずに信長の補佐に甘んじている。彼が居なければ弾正忠家は瓦解していただろう。

能力もある。目先も利く。

勘十郎信行のオトナとして末森にあった頃の柴田権六は、


…三郎さまより信広さまのほうが恐ろしいのではないか。


とよく思うことがあった。

皮肉はよく口にするものの、かと言って皮肉の内容が文句や難癖だった事はない。安祥では仕損じたが、それ以来目立った失敗もなく、むしろ功名のほうが多い。信長とも、勘十郎信行とも違う、不思議な存在だった。

柴田権六がそうやって信広の事を考えていると、彼の元にやってくる者がある。前田又左だった。


 「権六どの。物見に出たい」

と又左は言うのである。

「…物見とな」

柴田権六は首を傾げた。

物見は既に出してあり、しかも戻ってきているのである。林佐渡の指物が見え、数はおよそ一千ほど、との報告だった。

織田信広に進言して、那古野口を進んできている筈の佐久間勢にも既に使いは出してある。佐久間勢はそのまま進み、敵の林勢の退路を断って欲しい、と。


柴田権六は能舞台か歌舞伎踊りの出で立ちのような又左の格好を見て眉をひそめていたが、

「行ってもよいが、ぬしだけか、行くのは」

と問いただした。

「ワシと利久兄者。あとは郎党のみ。二十、といったところじゃ。奴等を引き付けねば、佐久間どのが進めんだろうからの。退き佐久間では進むのは苦手じゃろうと思うて」

「馬鹿にしおるわ…まあ、よかろう。蚊に突きまわされれば、牛でも怒る」

「蚊だと」

自分の事を蚊と言われて前田又左は眉を上げたが、一番鑓は呉れてやる、と柴田権六に言われると、喜び勇んで駆けて行った。









 受け流せとは言われたものの、不意だった事もある。

織田信時は圧され気味だった。初陣を終え一隊を任されているとはいえまだ歳は十四である。そんな織田信時の劣勢を見て、すかさず森可成が助太刀に出た。

森可成が慌てて助太刀するほど先手は圧されているものの、かろうじて崩れることはない。崩れるように見せて受け流している。

やがて攻めかかってきた五百の軍勢の大将が誰なのか分かった。織田広良。織田信清の弟であった。


 万身仙千代の報告を脇で聴いていた丹羽長秀が顔を上げる。

「大殿。織田広良が出てきているということでございますれば」

「ふむ。信清が近くに居る。そして我等の退路を断ちに来よう。よし仙千代、信時と森に伝えよ。広良は戦下手じゃ、兵はどんどんまわすゆえ、そのまますり潰せと」


 信長の命令を聞いて、万身仙千代が駆けていく。と同時に丹羽長秀が信長に尋ねる。

「…信清は放っておかれまするので。信清どのがどれ位手勢を連れておるのか、まだ判りかねまするが」

信長は背伸びをした。

「放っておいてよいのだ。無論、手当てはする。先手の弟が我等と当たった事を知り、今頃信清は我等の背後に回ろうとしておるか、横鑓の支度をしておろう。それにはまず広良の軍勢が我等を引き付けて耐えねばならぬ。が、丹羽は知らぬであろうが、信清は大の弟想いなのじゃ。彼奴が何ぞ企てても、弟が堪えきれぬと見れば、弟を助けに途中で大慌てで出てくるわい」

織田信清・広良兄弟が人一倍仲睦まじいのは有名な話であった。

広良が戦で失敗し、腹を切れと父にいわれた折、兄信清は身代わりに腹を切ろうとし、それを止められると髻を切って父に差し出し、自分が出家するかわりに弟の助命を、と懇願したという。


 「なるほど」

丹羽長秀が感心しながら深く頷くと信長はケラケラと笑った。

「丹羽はいつも他人事のようじゃのう。…鉄砲を集め早合の用意をさせよ。いつでも信清が出てきてもよいようにな。鉄砲はワシが差引するゆえ、用意を指図したらば、馬乗百騎渡すゆえ広良勢に横槍付けよ」

「ははっ」









 「殿、五十ばかりが寄せて来る、との報せが」

「物見かの」

林佐渡は難しい顔をしたままだ。お互いが見える程近くに居るのだ、五十ほどで何が出来るのかと顔に書いてある。

自分の主人のその難しい顔を見た今井修理亮は、慌てて続けた。

「詞合戦でござりましょうか。何にせよ小勢でござりますれば、放っておいてよろしいかと」

「元は同じ那古野の家中じゃ。誰が来ておるか判らぬか」

「奇妙な出で立ちをしておるとの事。能役者か歌舞伎踊りのようじゃと兵が申しておりまする」

歌舞伎踊り、と聞いて林佐渡はハッとした。

「…前田又左じゃな。厄介な」

今井修理亮は、厄介な、という主人の言葉に、訊ね返した。

「前田又左どのの何が厄介なのでござりまするか」

「…しつこいのじゃ。物狂いしておるのではなかろうか、と思うほどにの」

そう言って林佐渡は笑った。







 信長本隊の後方に回りこもうとしていた織田信清勢は、弟・広良が窮地に立たされている事を知ると、

回り込むのをやめて横合いから信長本隊に突っ込んでいった。

信長は伏勢これあるを予期し、その事を本隊全軍に伝えてあった為に奇襲を受ける事は避けられたものの、突っ込んできた信清勢は一千。信長本隊とほぼ同数であった。


 「信清もやるわい」

信長は独り笑う。

「後ろに回られませなんだゆえ、那古野との繋ぎを断たれる事はありませぬが…ちと苦しゅうござりませぬか」

劣勢になった所を森可成に救われ、先手を交代した織田信時が信長の元に来ていた。手勢はそのまま森可成に預けてある。

織田信時は十四歳、元服したばかりである。信長の異母弟、つまり信広の歳の離れた弟だった。

胆力優れ、笑顔涼やかな若者である。

「まあ、苦しいが、これで信光叔父御や兄者は楽になるというものよ」

「確かに」

信長本隊は右側面から信清勢の攻撃を受けていた。今は信長自らそれを食い止めている。

先手の森可成に兵を割き、その上で信清に対しているために信長の周りを固める者は百と居ない。

信長が、信時に何事か言おうとした時、万見仙千代が駆け寄ってきた。

「先手の森どの、下がっておりまするが、目論見通り敵を減らし、丹羽どのの横槍にて広良勢総崩れ、広良どのを召し捕らえたげにござりまする」

「ようやった。二十騎ほど、信清の陣に向けて駆けさせよ。広良の命惜しくば刀を収めよと触れ回れ」

「はっ」


 半刻後、辺りは静けさを取り戻していた。

信長本隊、討ち取った者百五十ほど。

信長側にも、討たれた者が五十ほど出ていた。戦死者だけなら引き分けであるが、信長は織田広良を捕らえたし、その手勢は四散した。残る犬山勢で無事なのは、織田信清の六百ほどである。

お互いの軍勢が睨み合う中、織田の従兄弟同士たちは付近の農家を借りて相対した。


 「久しゅうござるな」

「このような形になったが、三郎どのも息災で何よりじゃ」

織田信清、広良が並んで座っている。広良は、うなだれていた。対座する信長も信時と並んで座っている。

「従兄弟どの。これから如何なさる」

「まあ、犬山を返せ、と言われても返せるものではないし、先日取った末森もそうじゃ。死んだ守護代に乗せられてみたが、どうも当てが外れたの、ハハ」

顔は青いが、信清は昂然と言い放った。言われた信長もカハハと笑った。

「いかにも外れたようじゃのう。従兄弟どの、死んだ守護代より、生きておる守護代に乗せられた方がよい、と思うが如何か。しばし待つゆえ、佳い返事を聞かせてくだされ」

そう言うと信長は、信時と共にあばら屋を出た。出ると同時に信時が自陣に走って行く。隊の再編成の為である。



 あばら屋の中は信清・広良兄弟の二人だけである。

信清は腕を組んで無言で考えていたが、やがて、口を開いた。

「広良、お前は三郎に仕えるのだ。よいな」

信成は顔を上げ、兄の両肩を強く揺さぶった。

「何ゆえ。…兄者は若しや」

「城や所領は失うても、家は絶やしてはならぬ。分かるであろうが。敵味方にはなったが、三郎は話の分かる男じゃ。粗略には扱うまい」

「兄者」

「三郎は主筋じゃ。謀反人は俺だ。お前はずっと反対しておったからのう。けじめはつけねばの、俺が腹を突いたら首を打て。よいな」

広良は肩を震わせながら、元のようにうなだれた。



 手傷を負っている者が意外に多い。それらを那古野に退かせるとすると、残りは七百ほど。

大勝利ではあるが、負けにも等しい大損害だった。

信長、信時があばら屋を出て、また半刻が経とうとしている。

信長は那古野城経由で佐久間隊、信広隊に早馬を走らせた。目論見とは違うが、末森攻めの半分が終わった事を知らせるためである。

 信長が発した早馬と入れ違いに、守山からの使いが到着した。

「信広さまの口上申し上げまする。…末森を発した敵勢、およそ一千。我等、大殿の来到を待つ」

「何だと。待たずともよいものを…詮無きことか。大儀、下がれ」


 使番が下がると丹羽長秀が無表情に信長の前にひざまずく。

「丹羽か、どうした」

「信清どのが腹を召してござりまする。首をご覧になりまするか。広良どのも追い腹切ろうとなされましたが、何とか止めさせましてござりまする」

「…そうか。首は返してやれ。人数をつけて広良を那古野に移せ。丁重に葬ってやれ、とな。沙汰は追ってするゆえ、那古野で待て、とも伝えよ」

「ははっ」

「犬山勢のうち、我等に従う者は降れ、召抱えると触れよ。降らぬ者には、降らぬなら得物を捨て、ここから去れと。命までは取らぬと。そのあと陣を立て直し末森…いや犬山に向かう」

「かしこまってござりまする」

丹羽長秀は、万見仙千代を伴って駆け出した。

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