表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
54/116

野望と展望

 「禅師、三河がちとキナ臭いの」

今川治部大輔は綺麗に梳かれた庭を眺めながら、太原雪斎に語りかけた。

「織田の画策によるものにござりまするな」

雪斎禅師は平伏したままそう答えた。

「聞くところによると、うつけ殿は下四郡の守護代になったそうじゃ。武衛家もうつけずれにやり込められて、引退を宣言したそうではないか」

と、そう言う今川治部大輔の顔は苦々しい。

「いくら守護代になったとて、国主が引退と言うておるからには、名ばかりで実は在りますまい」

相変わらず雪斎禅師は頭を垂れたままである。


 「確かに名ばかりではあるがの。守護代の職が名前だけとは言うても、推されたお人がうつけ殿、というところがのう」

と更に今川治部は苦々しく笑っている。

「織田の先代、信秀もそうでござりましたが…」

「ああ」

「山椒は小粒でもピリリと辛い」

「嫌いでは無いがのう、あの辛さは。…そういえば、和尚のところの秘蔵っ子は息災か」

「中々行儀良うしておりまする」

「あとでよい、ここに呼べ」

「御意にござりまする」






 岡崎代官・三浦上野介は恐慌の真っ只中にいた。本人はそう思っていないらしいが、周りから見るとそうとしか見えない。

「陣触れじゃっ。鳥居、兵を集めよ」

「集めて何となされますので」

「解りきった事を。安祥を攻めるのじゃ」

見ていて哀れだ、鳥居忠吉はそう思った。

安祥を攻めるより、岡崎が動揺せぬように手を打つのが先ではなかろうか。鼓を打てば響くように、とはこういう事であろうかのう。…いや、違うな。


 「三浦さま」

「何じゃ」

「この事は駿府館には」

「…駿府館にこのような事申さば、わしの首が飛ぶわっ。事が済んでからでよい」

それを聞くと、鳥居忠吉は顔を上げた。

「されど、三浦さまは岡崎の代官であって、三河の進退を預けられた訳ではござりませぬぞ。駿河に一報入れた上で兵を集め岡崎を固めるのが筋でござりましょう」


 物の筋道を言われて腹が立ったのか、いきなり三浦上野介は立ち上がった。

「安祥ひとつ落とせずして何が岡崎代官か。そもそも安祥には城番を百ほどしか入れておらなんだのだ。水野党が攻め立てそれを落とした。攻めた水野勢も小勢じゃ。岡崎には今川勢だけでも千はおる。岡崎勢を合わせれば二千にはなる、負ける算盤が出るわけなかろうが」

「されど」

「水野が動くとなれば織田の仕業よ。うつけごときに、してやられたままでなるものかっ。もうよい、下がれ。…誰か居らぬか、陣触れじゃ」

織田の仕業と判るくらいであれば、その裏に何かある、とは思わんのか…。己の手で安祥を落とし、落とした上で駿府に功を申し立てるつもりであろうな…。

鳥居忠吉は何も言わず平伏して、その場を去ろうとした。が、再び呼び止められた。

「何でござりまするか」

「本証寺に狼藉者が籠もっておる。わしが行こうと思うておったが、そなたに任す、捕らえて吟味せよ。手向かうなら討て」

「本証寺の者が庇うやもしれませぬが」

「その時は寺の者も同様に致せ」

鳥居忠吉は静かに目を閉じた。その脇を三浦上野介が大股で、フンっ、とすり抜けて行く。









 萱津に織田の将兵が集結した。その数、四千。

「皆聞けーいっ」

三郎信長が将士の前の、小高い藪の上に立つ。相変わらず声は大きい。

「機は熟した。これより末森を討つっ。敵は憎き織田信清。心せよっ」

「おおーうっ」

将士全員が右手を突き上げる。

「意気や良しっ。では進めっ、えい、とうっ」

「えいとーうっ」

織田弾正忠家当主、三郎信長による尾張統一戦が始まった。

敵は織田信清だけではない。尾張上四郡も攻略せねば、この戦は終わらない。


 信長が万身仙千代を呼ぶ。

「仙千代参りましてござりまする。して、用向きは」

「諸将に伝えよ、守山に着いたら評定じゃ、と。あと、留守居の平手五郎に使いを出せ」

「かしこまりましてござりまする。平手どのには何と申さばよろしゅうござりまするか」

「ふむ、三河の進退誤るなよ、と言え」

「はっ」








 

 やっぱり他国の者ってわかってしまうのだろうか。身なりには気を付けているつもりなんだけども。

ここ中嶋屋敷の用人たちですら俺の事をじろじろ見るもんなあ。

「左兵衛さま」

「春庵さん、その左兵衛さまっていうのやめてくれないか」

「はは、これでも一応左兵衛さまより扶持を受けている身でございます。分はわきまえませぬと」

「では、そのように。で、何だ」

「平井どの、乾どのも戻ってまいりました。今後どのようになさるおつもりでございますか」

問うてきた春庵、信正、作兵衛。そして中嶋清延が俺の顔を食い入る様に覗き込んでいる。中でも中嶋清延は、俺の春庵たちへの主人っぽくない態度に目を丸くしていた。


 俺は春庵に聞いてみた。

「今、岡崎はどうなっている。代官が手勢を安祥に向ける、って事は知っているが」

「はい。左兵衛さまがこの屋敷に戻って来たのと入れ違いに、陣触れが」

春庵はそう言いながら、中嶋清延に目配せした。清延が春庵の後を続ける。

「岡崎代官・三浦上野介の軍勢はおよそ千。ほぼ今川侍の様にございます」

…おかしいな。岡崎衆には動員をかけないのだろうか。

今川の力を見せつける、ということなのだろうか。が、俺の表情を見透かしたように、中嶋清延が続ける。

「岡崎衆は陣触れを断るようにございます」

言いながら、中嶋清延はクスッと笑った。


 「そんな事をして平気なのでござるか、岡崎衆は」

話を聞いていた乾作兵衛が驚いたように言った。平井信正も目を丸くしている。

「岡崎代官は駿府館に内密で事を進めておるようでして。陣触れの後に戦支度をしていた譜代衆に、鳥居忠吉どのの使者がこれまた内密に回ったそうにございます」

「何と」

「此度は代官に従わずとも、駿府の若君には迷惑が掛からぬ、と」


 駿府の若君とは、人質に取られている松平竹千代の事だ。後の徳川家康ってことになるな。

三河、特に西三河は松平宗家を中心に結束が固いことで知られている。俺の誘いに乗った松平家次なんてのも中には居るが、基本的には鉄壁のスクラムだ。

泣き所は松平竹千代だ。彼が人質に取られているおかげで今川の良いように使われてしまう。

まあ、いつの時代、どこの世界だって弱い勢力というのはそういうモンなんだけども、この時代に来るまではそうは考えなかったもんなあ。

人質に取られた若き主君を想い、身を削り血を汗に変え、文句も言わず働く家臣たち。

美談、美談だね。

美談だけども、とりたてて珍しい事でもない。

でも歴史好きな俺としては、いなくなってもらっては困る存在だからなあ。どんな人か見てみたいし、ちっとは話もしてみたい。

織田家に仕える身としても、彼に生きていてもらった方が好都合なのだ。

どうにかして助けたい。助けられなくても、せめて恩は売っておきたい。

…嫌な考え方するようになったな。嫌だ嫌だ。


 知っているけど、聞いておこう。

「その鳥居忠吉は、今川に擦り寄っているんだろう。なにゆえにそういう事を」

俺の問いに、引き続き中嶋清延が答える。だが、少し言いにくそうにしている。岡崎の内情をあまり知られたくないのに違いない。

彼もまだ、若い。素直に全面的に協力は出来ないのだろう。

「…いわゆる返り忠でございます。岡崎衆の主だった者は全て知っていることでございまして」

返り忠とは、言わば二重スパイのようなものだ。

「なるほど。で、信正。松平昌久の内応は」

いきなり矛先が来て一瞬びっくりしたようだったが、平井信正が答える。

「…昌久どのは駄目でござりました」

「だろうな。大体、どのような事かは察しはつく」

松平昌久は安祥攻めに来なかったからな。家次の答えも何かあやふやだったもんなあ。家次にとっては、岡崎を狙う競争相手は少ない方がいいだろうし。

「面目ありませぬ。大任を仰せつかっておきながら」

乾作兵衛が肩を落とした。一歩及ばなかった事、自らも襲われた事、腹に据えかねているのだろう。閉じた拳がかすかに震えていた。


 「作兵衛、そう気にやむな。…しかし信正、気になる事がある。松平昌久は、一族郎党全て討たれのか」

「屋敷は焼け落ちておりました。屋敷うちもくまなく見たのでござりまするが、あれが全てとは思われませぬ」

…ならば。

「信正、作兵衛、傷を負っているところを悪いが、春庵と共に松平昌久の一族郎党の生き残りを探してくれ」

「かしこまりまするが…見つけてどうなさるので」

作兵衛が解せぬ、という風に聴いてきた。

「解らんか。俺は岡崎という餌で家次を誘ったが、呉れてやるつもりは無い。いずれ松平党の裏切り者として討つつもりだ。何しろ同族の松平昌久を焼き討ちにしたのだからな」

「あ…なるほど。生き証人がいる、という訳で」

「そうだ。一揆は起こすがなるべく三河には平穏であって欲しいんだ。今のところは。今川の好き勝手が困るだけで、三河が憎い、という訳では無いからなあ」

なるべく恨みは買いたくない。三河を松平竹千代が統治することになっても、信長が取る事になっても、面倒な事は避けたいからな。

 

 俺の言葉を聴いて、中嶋清延が身を乗り出してきた。

「大和さまは、三河と敵対するおつもりは無いのでございますか」

「隣あわせだからなあ。なるべく喧嘩せずに済めばと思う。大元は今川と斯波の怨恨だ、今の三河は今川方というだけで。…まあ大概のやつはそうは思わんだろうが」

「ざっくりとしたお考えでございますなあ、何とも」

中嶋清延はちょっと驚いた風だった。ざっくりと、と言われると確かにざっくりしている。

身内を相手に殺されていないからなんだろうなあ、と思う。

長谷川橋介は戦で死んだが、主として彼の死に責任はある、彼を惜しいと思う気持ち、すまない、と思う気持ちもある。

だからと言って『おのれ今川っ』とはならない。その場では確かにそうなるだろうが、それが持続しているわけでもない。 

が、この時代の人々はそれが身内、主従と世代間を通じて連綿と続いてきたのだ。隣国同士で戦が続けば怨恨は容易に解ける事はないだろう。


 「この大和左兵衛、三河に責任を持てる身分ではないが、なるべく三河の立つようにしたい。織田の家臣として、第一にそれが織田の為になるとも俺は思うし、大殿と竹千代さまは親交のあった間柄だ。仲良くできれば重畳だろう」

知っている事は最大限に利用しなければならない。それが生き残る道なのだから。

中嶋清延は俺の言葉をしばらく無言で噛み砕いていたようだったが、

「春庵どのが賭けておられるお方となれば、その言には値千金の重みがあることでしょう。そういう事でございますれば、鳥居さまにも繋ぎをつけますゆえ、なにとぞ承知の程を」

と、深々と平伏した。 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ