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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
53/116

始動

 安祥城は混乱に包まれた。

寄手は水野党。そして服部小平太からの報せで水野党が動く事を知った大和左兵衛、また、左兵衛に同心した松平家次もこれに加わっている。

水野党や松平家次は、安祥城の弱点を知り抜いていた。それもその筈、水野党にとってはもともと親戚の城、松平家次にとってはもともと主家の持ち城である。

敵より多い戦力を擁しながら、安祥の今川勢は撤退を開始した。

かつての織田信広になる事を怖れたのか、今川勢は我先にと逃げていく。


 「…あっけないのう。はたして今川とはこんなにも弱かったか」

松平家次は信じられぬものを見るような目で今川勢の撤退というか潰走に近い様を眺めていた。

「平手さまの指図を聴いたときはどうかと思うたのでござるが、案外上手くいきましたな」

と水野党の現当主・水野信元も拍子抜けしたかのように笑っている。

「まあ、今川と言うても後詰が無ければこんなものでござろう。が、これからが本番。水野どの、松平どのはこれから大高、沓掛の城を調略してくだされ。降ればよし、攻めても構いませぬ。それがしはこれから一揆勢と合力し、岡崎の今川勢を蹴散らしに向かいまする」

大和左兵衛がその場を立ち去ろうとすると、松平家次が左兵衛を呼び止めた。

「待たれよ、左兵衛どの」

「何でござろうか、松平どの」

「安祥は誰の物になるのでござろうか」

「…家次どのに、と言いたいところでござるが、まだ判りませぬ。が、差し置き城代とするのは松平家次どのの他に居りませぬ」

と左兵衛に言われ、松平家次は少し不満そうな顔をしたがすぐに元の表情に戻ると、

「相判った。では安祥の城代では無く岡崎の城代にでもなれるようにもう一頑張り致しまするか、ハハ」

大和左兵衛はそれには答えず、水野信元に向き直った。

「忘れるところでござった。水野どの、平手どのに使いをお頼み申す。岡崎とはいかぬが、安祥の仇は取りましたぞ、と」

「畏まった。それだけでよいのか」

「それだけにござる。それだけで判るはずでござりますれば」








 岡崎の中嶋屋敷に、大草から命からがら逃げ出した平井信正、乾作兵衛が合流していた。両名とも手傷を負っている。

「では大草屋敷を攻めたのは松平家次なのか」

桔梗屋春庵は軽い驚きをもって両名に問うた。中嶋清延は腕組みして何か考えている。

「我等が大草に着いたときには、昌久どのの屋敷は焼け落ちておりました。途中我等を追い抜いていった軍勢の中に、桜井のオトナと思しき者が混ざっておりましたゆえ間違いありませぬ」

苦い顔をして平井信正がそう言う。

松平家次が欲をかいた結果であろう、と春庵は見当をつけていた。

岡崎の主の座は一つしかないのである。

岡崎はくれてやる、というのがこちらの売り文句なのだ。誘いに乗った松平家次も必死なことだろう、と春庵はつい吹き出しそうになった。

「春庵どの、大和さまに伝えるべきではありませんか」

と、中嶋清延が春庵にささやく。

「いや、松平家次が欲をかいた故だとすれば、伝えずともよいでしょう。岡崎を我が手にするまでは裏切らぬでしょうからな。今は余計な疑念を左兵衛さまにも家次どのにも抱かせぬことが肝でございましょう」

そう言うと春庵は庭を見ながら耳をほじっている。

 「春庵どの、本証寺に向かった二人はどうなっておるのでござろうか」

今度は乾作兵衛が失礼、と横になりながら春庵に問うた。

「…さてのう。何も言うて来ぬ」

問われた春庵は苦笑した。中嶋清延も笑っていた。











本証寺は静けさの中にある。その静けさの中にあって、蜂屋般若介と佐々内蔵助の一行だけが騒がしい。

岡崎城代に追われてきた、という二人の説明を一向門徒たちは疑いもせずに受け入れ、蜂屋・佐々の一行は本証寺の客分のような形になっていた。

「はて、あれから二日経つが、岡崎城代は寄せて来ぬのう。我等が此処に逃げ込んだのは、ばれて居る筈じゃが」

言いながら、蜂屋般若介は鑓をしごいている。

「若うても城代じゃからのう。我等ごときには構うて居られぬのかもな」

言いながら、佐々内蔵助は太刀の手入れをしている。

寄騎の者共も横になったり、組み打ちの鍛練をしたり相撲を取ったりと思い思いに過ごしている。が、皆なにかしら上の空、といった顔である。

居候三日目にして、寺での生活に飽々しているのだ。

城代に啖呵を切った以上、うかつに外に出る訳にもいかない。

説法を聴いて神妙な心持ちになる彼等ではないし、そもそも一向門徒でもないので、寺の坊主の有難い説法など最初から聞く耳など持ってはいなかった。



「やあやあ皆の方、ご精がでますな」

般若介たちの様子を見て笑いながら話しかけて来たのは、寺の皆から将監どの、と呼ばれている酒井忠尚という三河侍だった。

般若介や内蔵助も寺の皆に習って将監どのと呼んでいる。

「これは将監どの、精が出る、と言うても飯ばかり食ろうて居るだけでござる」

般若介は鑓を置いて汗を拭うと、苦笑しながら酒井忠尚に向き直った。

「ハハ、飯ばかり食って居る割には中々の鑓捌きにござる…それはさておき」

般若介にあわせて苦笑していた酒井忠尚が真顔になった。

横で見ていた内蔵助が酒井忠尚に問う。

「何か大事話があるのではござりませぬか」

「ふむ、中々察しがよい。…安祥城が、水野信元と松平家次の手によって奪われ申した。そこの庵で冷えた麦茶でもどうでござろうか」

般若介と内蔵助は顔を見合わせた。酒井将監はそれを見てまたカラカラと笑った。











 清洲では戦の支度が着々と進んでいる。

支度が進むと共に、下尾張での戦の匂いを嗅ぎつけて浪人足軽、弾正忠家に馳走して一旗揚げようとする者たちが続々と清洲に集まってきていた。

信長はこれらの者達を身分家柄問わず召抱えている。

折目にうるさい勘十郎信行は兄・信長を軽く嗜めたが、

「勘十郎、喧嘩は数よ」

と云われると、ははあ、とそれ以上は苦言を言わなかった。

「で、兄者。今いかほどの人数が居りまするので」

「ざっと五千ほどかのう」

信長と勘十郎信行は、清洲の天守台から町並みを眺めていた。

「ご、五千も」

「勘十郎は五千と聞いて驚く肝っ玉の小さい男か。カハハ」

「いえ、兄者の決意のほどが窺いしれて、それがしも安堵しておるところでござる」

「そうか、ならよい」

兄弟が話しているところに、近習がやってきて何やら信長に耳打ちした。信長がコクリとうなずくと、近習はスススと下がっていった。

「勘十郎、広間に向かうぞ。評定じゃ」

二人は歩きながら話す。

「何が起きましたので」

「左兵衛が動いておるのは知って居ろう。あやつ安祥を落としたそうだ。よくもまあ」

「…はて、安祥でござるか。一向門徒共を煽っての一揆と聞いて居りましたが」

勘十郎信行は兄の言葉に納得がいかない様な顔をしている。

「何重も策をめぐらして居るのであろう。…まあ、平手に頼まれて水野党を動かしはしたが」

信長はクククと笑った。

「兄者、勝手にやらせておいてよいのでござるか。水野党を動かしたとなれば、今川に一揆の背後に居るのは織田だと教えて居るようなものではありませぬか」

信長の後を着いて歩く勘十郎信行は顔色を変えていた。が、信長は勘十郎の顔色を意に介さず、ずんずん歩いていく。

「我等が背後に居る事は隠しても隠し切れぬし、義元と雪斎坊主は事の始めから気付いておるだろうよ」

「では尚の事」

ずんずんずんと大股な信長の足が止まる。勘十郎信行は止まり切れずに信長の背中にぶつかった。

「よいか勘十郎、火事は大きゅうないとすぐ消えるであろうが。我等は国を獲るのだぞ。その最中は誰にも邪魔はさせたくないのじゃ」

「で、ありましょうが、大きくなりすぎた火は手に余る、という事にはなりませぬか」

信長は勘十郎信行の言葉に表情を厳しくする。

「もうよい、それ以上は言うな勘十郎。今は尾張をまとめることだけを考えるのだ、よいな。それに火消しに向かうのは今のところ我等で無うて今川じゃ、気にするな。それ、もう広間じゃ」

そう言う信長の表情は厳しかったが、険しくはない。勘十郎信行は微笑して頷いた。










 酒井将監が出してくれた冷えた麦茶は、旨かった。少なくとも、不味くは無い。


「では、将監どのは、岡崎城代を攻めるのか」

般若介が呆気に取られた顔をした。

「それがしが、では無うて、我等門徒一丸でじゃ。そなた等も同心せぬか」

酒井将監は表情を崩さない。それを見ている内蔵助も表情を崩さない。

「しかしのう」

「そなた等は門徒では無いから無理にとは言わぬが、金は出すぞ。雇い働きじゃ。一人あたま十貫文」

「よし。酒と女もつけろ」

とすかさず言った般若介の目はキラキラと輝いていた。

「わかった。あとこの庵はお二方で使うてくれてよい。寺には言うておくゆえ」

と言い残すと、酒井将監はまた笑いながら去っていた。酒井将監が居なくなると、内蔵助は般若介をジロリと睨んだ。

「なんだ内蔵助、十貫文に酒と女では不服なのか」

「そうでは無い。…まったくお前というやつは。般若介、行き当たりばったりではいかぬのだぞ」

「解って居る」

「解って居らぬでないか。うかつに乗ってどうする」

ますます内蔵助は般若介を睨んだ。

「解って居らぬのは内蔵助ではないか。いいか、我等はこの寺に逃げ込んだだけ、という体なのだぞ。そんな体でどうやって一揆する、いや一揆させるのだ。城代に追われて歯痒いゆえ、一泡吹かせる。一揆じゃ、とでも言うのか」

「それはそうであろうが…」

「折角向こうから誘いが来たのじゃ。手蔓が無ければ乗るしかあるまい。どうせ乗るなら貰える物は貰うておいて損は無かろうが」

「まあな」

「それに安祥が落ちた、と言っておったであろう。将監も詳しくは言わなんだが、三河衆の一揆なのか、我等織田か、のどちらかであろうよ。今こんな事が起きたと言うことは、左兵衛どのが一枚噛んで居らぬ筈があるまい」

「…なるほどのう。般若介、よう考えた。褒めて遣わす」

「馬鹿こけっ」



久しぶりの更新です。これからも遅筆になってしまいそうですが、よろしくお願い致します。

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