ゆめかまことか
俺は湯船の中にいた。
…はぁ。
風呂は命の洗濯よ♪なんて誰かが言ってたっけ。
どうしようか。どうするべきか。
もと居た時代への戻り方が判らない、というか、戻れるのかすら判らない。
鎧武者に憧れてはいたけど、装束的なものにであって、生き方としてのそれではなかった。
戦国時代や幕末の世界を見てみたいとは思っていたけど、その世界で生きるという事になると話は別だ。
…あいつは今、何してるんだろうか。
嫁の事が頭をよぎる。
もう少しだけこの世界を見ていたいけど、やっぱり帰りたい。
そもそも俺は死んだのか?本当は病院のベッドの上で夢でも見てるんじゃないのか。
目が覚めた。
…やっぱり夢か。
面白い夢だったな。夢なんてひさしぶりに見たよ。
周りを見ると、和室で俺は寝ていたみたいだ。
布団で寝たのなんて何年ぶりだろう。
…ひい祖父さんの家みたいな部屋だな。
襖がそっと開いた。
正座して、両手をついて頭を下げている女性がいる。
「お目覚めでございますか」
「あの、ここは」
「客間でございます。湯船で気を失われていたのを監物さまみずから此処に運ばれたのでございます」
…やっぱり夢じゃないのね。
「けんもつさま、とは」
気をとりなおして、聞いた。
「久秀さまのことにございます」
官名か。
この時代、身分ある大身の武士は、先祖から受け継いだ朝廷の官位も通称として用いていた。
本物なのか、私称なのかは判らないが。平手監物。
…かっこいいな。俺も欲しいもんだ。
「それで…あなたは?」
「せき、と申します。大和さまのお世話をするよう仰せつかっております」
…おお、大河ドラマじゃんか。
こそばゆいけど、気分いいぞ。
「俺はどれくらい寝てたんでしょ?」
「二刻ほどでございます」
約四時間か。
「目が覚めたら連れてきてくれと、監物さまの仰せにございます」
「そうでしたか。すぐ行きます」
布団を出ると、せきが慌てて顔を伏せる。
俺は裸だった。
「うわわわ!」
「お、おおおお召し物はそちらに」
顔を真っ赤にしながら部屋の隅を手で示す。
男の裸を見るのに慣れてないらしい。
何歳なんだろうか。
「す、すみません!昨日の今日なんで」
誰かのギャグをつい口走りながら、あわてて下着を身につける。
しかしTシャツとトランクスのままで会うわけにもいかないな。
そう思っていると、せきが着流しのような単衣(ひとえ)を持ってきてくれた。
俺の下着姿を妙な目付きで見ていたが、気にすることなく着せてくれた。
メイドに服を着せてもらうって、こんな感じなのかな。
フラグ立ちそうなシチュエーションだなこれは。
「おう、目覚めたか。なかなか似合っておるの」
「落ち着きませんけどね」
お互い苦笑する。
「まずはメシじゃ。腹が減っておろう」 「いただきます」
お互い黙って飯を食べる。質素な、天ぷらのない精進料理のような感じだ。
平成なら、金取れる味だな。
酒も飲む。
甘酒のような、どぶろくのような感じだ。これならぐいぐいいける。
が、抑えておくことにしよう。
「…監物さま。お聞きしたいことがあります」
俺は…五郎をじっと見る。
「五郎でよい。何だ」
「では五郎さま。私はどうなるのでしょうか」
「どういう意味かの」
「どんな扱いを受けるか、という事です」
「友では不服と申すのか」
平手の若旦那は真顔だった。
俺は静かに目を閉じた。
…俺はこの時代の人間になれるのか。
「私は今よりずっと先の世の中の人間です。私の生まれた時代には、この時代の事は戦国時代と呼ばれています」
「戦国か。言いえて妙だの。判らんこともない。それがどうかしたか」
戦国時代という呼び方は、近代になり学術上必要になって生まれた時代区分だ。
この時代の人たちが自ら戦国時代、ときは戦国、とか言ってた訳ではない。
「私は本を読むのが好きです。合戦にも馬乗りの侍にも憧れた。ですが、この時代に生きたいと思っている訳ではないのです」
「それで」
「生き方がわかりません。何をすればいいのか。友達になれるかどうかも」
若旦那は何か考えている。
「…ぬしは、ではない、大和どの」
「は、はい」
「田を耕して暮らしたいか。商いでもするか。それとも遁世者(とんぜもの)にでもなるか」
「…わかりません」
「わかりません、ではこっちが判らんわい」
若旦那は笑った。
「侍に憧れた、と申したな。では憧れのままに生きればよかろうが。ぶつぶつ言っておっても、もとの世に戻れるわけもあるまい。いつかは戻れるかも知れんがの、さしあたって今日や明日のことではあるまいが」
「でも」
「まあ聞け。いきなり友になれと言われて面喰らうのは儂も同じよ。今すぐでなくともよい。もし友になれんならなれんで、それはその時に考えればよい。」
「…そんなものでしょうか」
いまいち納得がいかない。
「そんなものでよいわい。しかし大和どの。ひとつ聞くが、儂に会わなんだらどうするつもりであったのかの」
「…あ」
そういえば何も考えてない。
「であろうが。取り敢えず、馬廻りとして儂に仕えよ。屋敷も与える。今日のところはこれでよかろう。この話はこれで終わりじゃ」
と言うと、若旦那は、今度は俺の身の上話を聞きたがった。
…なんか納得いかないが、これからどうなるんだろう。