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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
49/116

展望

 「今川を嵌める」

俺の言葉に皆ギョッとした。


 蜂屋般若介が訊いてきた。顔には笑みがある。

「左兵衛どの。嵌めるとは、どのようにして化かすので」

「般若介、話の腰を折るな。…八郎、鳳来寺に居た頃は、寺の者とは懇意にしておったか」

「はっ。いつでも戻って来い、と言われて居るくらいでござりまする」

「ハハッ。ならばしばらく戻るがよい」

八郎は一瞬暇でも出されたのかと暗い顔になった。

「そ、それはどういう訳で…」

「ハハ、暇を出す訳ではない。鳳来寺に行き、三河に蔓を作るのだ。今川を憎む者、三河の主になりたい者、今川に人質を取られて居る者、一向宗。色々居る」

俺がそこまでしゃべると、平井信正が、判った、というように口をはさんできた。

「殿、三河に一揆を起こすのでござりまするか」

「そうだ。大殿が織田信清と戦う間、というか尾張を取る戦をなされておる間、もし今川勢が攻めてきても食い止めねばならぬ。攻められて鳴海を抜かれでもしたら、大殿の戦に差し障りが出る。が、我等には兵がない。

よって、逆に三河に攻め込むのも論外。

ならば三河を混乱させ、尾張との戦どころでは無くしてしまえばよい」


 よくも考えたものだ、という顔で皆が俺を見ている。

三河での一揆。史実でも今川義元が死に、徳川家康による三河統一の時期に一向一揆が起こる。

一向宗徒だけではなく、今川に組した者の残党、家康による三河支配に反対する者なども加わっていた、かなり大きい規模の内乱だ。

それに似た物をこの時期に起こす。

後年の三河一向一揆の時より有利な材料が揃っている。

なにしろ今川家は三河の衆に歓迎されてはいないのである。ここがまず大きい。

宗家の嫡男を人質にとり、代官を置いて治めるなど、こんなに三河衆をバカにした話もないだろう。

後年の三河一向一揆なら、家康につくか一向宗につくか、と態度を決めづらい戦いだっただろうが、相手が今川家なら団結しやすいはずだ。

そして家康の出た松平宗家の座を狙う桜井松平、大草松平。

斯波家、今川家と同じ足利一門ながら今川家と敵対している吉良氏。

八郎のいた鳳来寺は真言宗だが、家康の母・於大の方と関係が深い。うまくすれば味方になるだろう。

あと一向宗だが…宗徒を主体にしては後々面倒なので、彼らには口火を切らせる程度でいい。

どうやって口火を切らせるか。

一向宗の寺で狼藉、寺領の押領などを、今川侍として好き放題やればいいのだ。

守護不入の特権を大きく侵してやればいいのである。


 「オトナ、与力総出で行うぞ。まず留守居は服部小平太」

「えっ。今総出と…」

「だまれ、お前は目立つから今回は留守居」

「は、はあ」

小平太がシュンとしている。それを見て般若介がクスクス笑う。

「植村八郎は先ほど言うた通り、鳳来寺に行け。住持どのには松平竹千代さまを助けたい、と打ち明けよ。打ち明けた上で合力願うのだ。合力叶うたら一度戻れ」

「はっ」

「乾作兵衛と平井信正は桜井松平、大草松平の順で回り、織田が後押しするゆえ、と説き伏せよ」

「はっ。…が、信じぬ時は」

「信じる。守山の織田信光どのに聞いた事だが、信光どののご内儀は、桜井松平の先々代の娘、要するに今の当主・松平家次の叔母じゃ。信光どのの内意を請けて居る、と言え。松平家次を説いたならば、同道してもらい大草松平に向かえ」

「はっ。されど…それでも信じぬ時は」

信じぬ時、か。…やりたくはないが。

「…斬れ。内密に進める事じゃ。話が漏れても困る」

「は…ははっ」


 俺の言葉に皆の顔色が変わる。

人死には避けたいし、策を進める上で波風は立てたくないが、邪魔になるとすればやらねばならない。どんどん人が悪くなっていくのを感じる。

「蜂屋般若介と佐々内蔵助は…今川侍に化けてもらう。やり方は任せる。一向宗徒が今川を憎むように仕向けよ。八郎が戻るまでは俺と共にあれ」

「ははっ」

代表して内蔵助が返事をした。オトナ達から小さな罵声が上がる。

暴れられていいなあ、とでも思っているのだろうか、まったく。

「菅谷長頼は那古野の桔梗屋春庵に使いせよ。鳴海に来て役に立ってもらいたい、とな」

「ははっ」







 平手監物は、勘十郎信行と対していた。

信長との対面の前に、勘十郎信行の心根を訊いておこうと思ったからである。

「監物どの。それがしの世迷いのせいでそなたの父上を死なせてしもうた。…この通りじゃ。済まぬ」

対面するなり、勘十郎は頭を深々と下げた。

「勘十郎さま、顔を上げてくだされませ。あれは林兄弟がやったこと。勘十郎さまのせいではございませぬ」

監物の父・政秀の死の背景は、勘十郎信行が今言った通りであった。

彼がもう少し早く協力姿勢を表してくれていたら、那古野の騒動も末森落城もなかったのである。

監物久秀自身としては、目の前の勘十郎を斬ってしまいたかった。

十年前の久秀であれば、有無を云わさず斬っていただろう。

が、耐えねばならぬ。

溜飲が下がる、ただそれだけのことだ。何も生まれない。


 「されど」

されど、と続けようとした勘十郎を制し、平手監物は言う。

「全てお互いのオトナの力が足りぬゆえにござりまする。煽り、又は目を逸らし、自ら進んで家を束ねる事を怠った。それがしも此度の事で学び申した。悪いのは勘十郎さまではありませぬ」

平手監物の目からは光るものが流れていた。

世の習いがそうであるとは云え、まだ十七や十九を過ぎたばかりの若者に判断を委ねるのは、荷が勝ち過ぎる事ばかりなのである。

監物は、死んだ父の苦労がやっと分かったような気がした。

「…監物どの。遅きに失しておるとは思うが、これからは兄者の成そうとしておる事に力を添えるつもりじゃ。許していただけようか」

勘十郎信行はそう言って再び頭を下げた。

「大殿になり替わり御礼申し上げまする。死んだ父も喜びましょう、何よりの一番供養でござりまする」

勘十郎信行に頭を上げさせると平手監物はそう言って、泣きながら笑っていた。






 那古野城の広間に、那古野に居る者の中で主だったものが集まっている。

斯波義銀から何か発表があるらしい。

上座に、志賀城から戻った斯波義銀。その横に上総介三郎信長。

右の譜代衆は、斯波義銀の臣として丹羽長秀。弾正忠家譜代として平手監物を筆頭に赤母衣衆。近習の万見仙千代。

左の親族衆は、守山の守備を織田信広に任せて馳せ参じた織田信光。

清洲攻めで初陣を果たした織田信時。

そして、織田勘十郎信行。

やはり皆気になるのか、勘十郎信行をチラチラと見ている。

斯波義銀と信長は何やら小声で話しながら書状をしたためている。

他には話す者も無く、居並んだ者たちは信長と斯波義銀を待つ。


 無言の広間に堪えきれなくなったのか、前田又左が堰を切ったように口を開いた。

「見かけぬ顔がおるわい」

又左の言葉に皆が動きを止めた。が、信長と斯波義銀は変わらず書状をしたためている。

当の前田又左は、上を向いて鼻をほじっていた。

自分の事と思ったのだろう、勘十郎信行が前田又左に向き直った。

天井を見つつも、横目で周りを見ていた前田又左も勘十郎信行に向き直る。

前田又左の言葉は、信長に付き従う者たちの心情を一言で表したものだった。

…どの面下げてこの場に来た。

平手監物を除く、譜代の衆誰しもがそう言いたいのである。


 しかし、静寂から険悪へとなりかけた場の空気を読んだのか、丹羽長秀が口を開いた。

「見なれぬ者、とは拙者の事でござろうか、ハハ。守護の臣ながら、義銀さまの何の役にも立って居らぬ、肩身が狭うござるのう」


 守護の臣、と自ら言う丹羽長秀であったが、守護に仕えながら信長にも仕えるという複雑な立場であり、ある意味、勘十郎とは違う意味でこの場にいるのは珍しい事だった。

その丹羽長秀の言葉に、前田又左が焦る。

「丹羽どのの事を申した訳ではござらん」

「では誰の事じゃ」

と飯尾茂助が食ってかかったが、

「止めよ」

と信長が割って入った。すでに筆は置かれている。


 「皆聞け、今日より上総介を下四郡の守護代とする。尾張総追捕使、守護代じゃ」

斯波義銀が宣言した。

信長以下全員が平伏する。

「守護代の任、謹んでお受け致しまする。一層の忠勤を以て奉公に励む所存にござりまする」

信長が言い終わると、全員が頭を上げた。

再び、斯波義銀が口を開く。

「上総介、これからどうするつもりじゃ。正直に申せ」

「はっ。義銀さまの心を乱す織田信清を討ち、下四郡を静かにし、今川づれに押領された三河を取り戻す所存」

斯波義銀は目を閉じて聴いていたが、目を開けると、

「…正直に申せ、と申したであろう。これからどうするつもりじゃ」

と言って再び目を閉じた。促されて、信長が言う。

「まず、下四郡を静かにし、上四郡を平らげ、尾張を一つに致しまする」

「で、あろうの。その時、ワシはどうなるかのう」

斯波義銀は目を閉じたままだ。

「…それは」

「申せ、上総介」

「…義銀さまにおかれましては、尾張追放もやむ無き仕儀かと」

信長は平伏した。広間に居る全員がざわついている。

「…よう申した。出ていかぬ、と申したら殺されるであろうな」


 斯波義銀は青ざめてはいたが、すっきりした表情になっていた。そして続ける。

「ワシは考えた。守護とは何か、と。守護であり尾張で一番尊いはずの父上が殺され、清洲からこの那古野に逃げ、さらに志賀城に逃げ、そして今じゃ。何ゆえにこうなったのか。守護が守護たる力を持たぬからじゃ。いつからこうなったかは判らぬ。政は他人任せ、自らは京で室町御所で言葉遊び。…まあ、遊びでは無いがの、足元を疎かにしておったのじゃ。たまに国許に戻れば、敬われても頼まれては居らぬ。当然じゃ」


 そこまで言うと斯波義銀は万見仙千代に水を持って来させた。

水を飲んで一息ついて、続ける。

「ふう。…父上が生きておわした頃は、口惜しゅうてたまらんじゃった。何ゆえに守護代づれにいいようにされておるのか、と。父上は、守護とはそういう物じゃ、と仰せられた。判らなかった。が、今は何ゆえそう仰せられたか判る。判って、考えて、疲れた。力が無いとは切なき事じゃのう」


 斯波義銀は広間を見渡した。皆意外そうな顔をしている。

一番意外な顔をしているのは信長だった。

信長にとって蹴落とすべき存在である守護の嫡男が、自らの存在を否定するような事を言っているのだ。

「義銀さまは、どうなされるおつもりでござりまするか」

信長は斯波義銀に問わずにはいられない。

「…父上の菩提を弔いたい。出家はせぬがの。今はそれしか考えられぬ。…上総介、寺を一つ建ててくれぬか。今すぐに、とは言わぬ。表向きは…そうじゃ、そなたのオトナ、平手中務の菩提を弔う寺、という事にしての」

「はっ。それがしも中務のために寺を建てようかと思うてござりました。畏まってござる」

「ワシは武衛家嫡男じゃが、まだ守護では無い。今、尾張は無主の国じゃ。織田信清を討てば、名実共にそなたが織田の棟梁じゃ。早うまとめよ、上総介」

「はっ。屹度まとめてみせまする」


 斯波義銀の、事実上の隠居であった。

神輿である事にも堪えられず、かといって死にたくもない。

父を殺され、復讐する力も、国をまとめる力もなく、どうすればよいのか。

いずれは邪魔者扱いされるのは分かっている。敵はいなくなるかもしれないが、積極的に味方をしてくれる者もいないのである。

若い斯波義銀には解決できない現実だらけであっただろう。

己の身を全うするには引くしか術は無かった。

守護で無くとも家は残る。

斯波武衛家当主になる者として、家は存続させねばならない。

斯波義銀にとって、先が見える故の悲しき決断であった。

「…皆、造作をかけたの。話は終わりじゃ。

上総介、あとは任せた。…後で長秀を寄越してくれ」

斯波義銀は広間を出ていった。丹羽長秀が後を追おうとするが、信長が止めた。

「丹羽、よい。長秀とはヌシの事ではない。毛利長秀じゃ。ヌシは俺に仕えよ、との事じゃ。事前にそう申された」

「は…ははっ」


 信長は上座に座り直した。

「…嫡子さまもああ申された。異存のあるものはおるか」

間があって、織田信光が口を開く。

「若は知っておったのか、嫡子さまの話を」

「いや、知らぬ…と申せば嘘になる。俺の存念は申してあった。斬られそうになったがの」

「なんと」

「斬られても仕方がない。謀叛すると言うておるようなものじゃからのう。…が、分かって下された。俺も、義銀さまが今ここで全て申されるとは思わなんだ。…斯波の家は潰さぬ、という約定じゃ。三河を取り、遠江、駿河を取って今川を討ち果たす事が出来たら、駿河はそっくり差し上げる」

「なんと。まだ尾張半国ではないか」

前田又左が笑う。

「笑いたければ笑え。俺の存念じゃ、何があろうとも曲げぬ」

信長の強い口調に、前田又左は笑うのをやめた。

今度は勘十郎信行が口を開く。

「兄者。今一度兄者の存念を聴かせて下されませぬか」

「…尾張をまとめ、今川を討つ。守護同様、織田の悲願じゃ」

「今川を討ったあとは」

「今川を討った後、のう。…まだ考えては居らぬ。又左が申した通り、まだ尾張半国ぞ、カハハ。…よし、皆下がってよい。勘十郎と五郎右衛門は残れ」

信長の言葉に皆広間を出ていく。

言われた通り、勘十郎信行と平手監物だけが広間に残っていた。

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