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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
44/116

勘十郎信行

 「大手門で林勢と城方が小競り合いじゃと。…どういう事かの」

物見の報告に、菅谷長頼は考えこんだ。考えながら、服部小平太を見る。

「…末森と林佐渡の談合が上手くいかなかったのでござろうか。このまま兵を進めましょう。…おい、火蓋は切らせよ」

服部小平太は菅谷長頼の疑問に答えながら、物頭たちに指示を出す。

しばらく進むと、前から一騎の馬乗が駆けてくる。馬乗は菅谷長頼たちを見ると走りを緩め、誰何する。

「どこの手の者かあっ」

菅谷長頼は躊躇したが、誰何の声に返事を返す。

「…守山勢じゃっ。それがしは菅谷長頼」

「…おお、天祐にござる」

天祐と大袈裟な言葉を発した馬乗は、そのまま歩を進め菅谷長頼に近付くと、馬を下り片膝をついた。

「末森城の橋本十蔵にござるっ。わが殿と柴田権六さま、佐久間大学さま、末森城に籠り林勢と戦の真っ最中にござる。何卒後詰めの合力をっ」


 「合力か。…何ゆえ戦になった」

どう問うていいか分からぬ菅谷長頼の代わりに服部小平太が十蔵に問う。

「柴田さまの指図で、林ご兄弟を召し捕ろうとして戦になった、としかそれがしは判りませぬ。それがしは打って出る味方に紛れ城を出て、守山に使いする途中でござりまする」

十蔵の答えを聴いた小平太は、菅谷長頼を見た。

「…十蔵、このまましばらく行くと織田信広さまが居られる。案内を一騎付けるゆえ、今申した事を信広さまに申しあげよ」

「では」

「我等の任は林兄弟の討滅じゃ。我等先手はこのまま進む、仔細は信広さまが決めなさるゆえ、行け」

「ははっ」

橋本十蔵は喜色満面の返事で、再び馬に乗り駆け出した。


 菅谷長頼の顔は強張っていた。

「…宜しいので」

小平太は菅谷長頼に問う。

「よいのです。林佐渡どのは我が手で討たねば気が済まぬのでござる。平手のご隠居の仇じゃ」

長頼の強張った顔には、涙の跡がある。








 「なるほど。那古野は押さえたか」

俺は守山城で織田信光と話をしている。直にサシで話すのは初めてだ。

「はい。今頃は焼けた本丸も綺麗に清められて居りましょう。修繕、とまではいかぬでしょうが」

「左兵衛、ようやってくれた。で、お主はどうする」

「末森に向かいまする。大殿が戻る前に何らかの決着は付けねばなりますまい」

「そうよの。ワシはここを動けぬゆえ、頼む。信広を助けてやってくれ」

「はっ」

返事をして、信光の元を離れる。急がないと。

信広たち、小平太は大丈夫だろうか。もし林と織田信行が合流すると、その軍勢は千を超える。

先発した信広の軍勢は二百ほど。まずい、どころの話ではない。









 清洲城は落ちた。

前田又左が坂井五郎を討ち取り、池田勝三郎が坂井大膳を討ち取る、という大金星を上げた。

大手北口から逃れた守護代・織田信友は、塙九郎三郎衛門に捕まり、信長の前に連れて来られていた。


 「…息災か、守護代どの」

「見れば判るであろ、この姿のどこが息災なのじゃっ」

普通に声をかけた信長の態度と、縄を打たれた守護代信友の態度の落差がその場に居る者の笑いを誘う。

「息災でも息災でなくとも、信友どのは磔となるゆえ、関わりなき事でござるがの」

「しゅ、守護代を磔とか。聞いたこともないわっ」

磔と聞いた織田信友はひどく狼狽し、狼狽の次の瞬間には怒りの形相になり、自由にならぬ手足のまま信長に近づこうとする。が、それも取り押さえられると、フフフと笑い出した。

「フフフ。…信長よ。那古野は落ちたぞ」

「知っておる。毛利新助が平手爺の首を持ってきた。されど林佐渡は落としはしたが、抑えも残さず末森に逃れたそうな。ゆえ、すでに奪い返した。建替えるのに丁度よいわ」

信長は、信友を見据えて薄く笑う。それを見て信友は一瞬意外そうな顔をしたものの、さらにフフフと笑い続けている。

「林佐渡め。存外なやつじゃ。あやつにも全て話しておけばよかったの、フフフ…」

「たとえ林兄弟が末森と合力しようとも、我等が戻ればすぐに片が付く。信友、抜かったの」

「抜かってはおらぬ。…まあ、早く那古野に戻ったがよいぞ、信長よ」

信長は、信友の言葉を強がりとして聞きたかった。が、胸のうちはどす黒く塗りつぶされている。


 「仙千代」

「はっ」

「こやつを斬れ。連れて戻ってもいずれ磔じゃ。慈悲をくれてやるわい」

「は…ははっ」

万見仙千代が織田信友を連れていく。信友は引きたてられて行く時もずっと笑っていた。信長はそれを見送りながら佐久間半介に声をかけた。

「佐久間、兵はいかほど残っておる」

「ははっ。およそ二千かと」

「俺と赤母衣は那古野に戻る。佐久間、信次どの、伊賀守どのは清洲に残れ」









 「それっ。林勢を蹴散らせっ」

守山勢の先手が、末森城を攻めている林勢の後背を衝いた。林勢の後備は、突然の夜襲に混乱し慌てふためいている。


 何とか末森城を脱した林兄弟は、中備で指揮を取っていた。

末森勢はおおよそ千。だが、信長から守護代追捕の触れが来ておらず、陣触れも無く、軍勢の集結命令自体が出されていなかった。それでも情勢を鑑みて城詰めの宿直の人数だけは増やされていた。城に籠もるのはおよそ百。

単純に城攻めなら林勢は三百五十。城方は百に満たない。末森城を落とすのは造作もなかった。

「…那古野だけではなく、まさか末森城を攻めることになるとはのう」

林佐渡は嘆息した。

「兄者、まことに済まん」

林佐渡が口を開くたび、弟の林美作は謝る事しきりだった。

「もうよいと言うておる…後ろがちと騒がしいの」

林佐渡が後ろを気にし出した頃には、後備はちと騒がしいどころの話ではなくなっていた。

「あ、兄者。敵の後詰じゃっ。前は頼む」

と、林美作は後備を支えるために走っていった。



 菅谷長頼は相変わらず先頭を走っていた。

「菅谷どのっ。先駆けなどと危うござるっ」

服部小平太が並走して、菅谷長頼を諫める。初陣ゆえ分からぬか、と小平太は思ったが、戦果は上げさせねばならない。

守山勢の先手は百にも満たない数であったが、奇襲の効果は充分にあった。

林勢の後備はまもなく崩れる、と小平太が思っていた矢先、一人の大身の鑓を持った具足の侍が現れた。どう見ても雑兵ではない。

「菅谷どのっ。敵の物頭じゃ。よい敵ぞ」

「おうよっ」

菅谷長頼はその敵の侍めがけ突っ込んでいく。が、馬上から突くものの、全ていなされ、終いには菅谷長頼は馬から落ちた。

「なんだ、小童か。わしを林美作と知って打ち掛かってきたのか」

「…林美作だとっ」

菅谷長頼はすぐさま起き上がり、再び林美作に向かって行く。

「腰が入っとらんぞ。ヌシのような小童に付き合っとる暇はないわ」

林美作は、りゅうと鑓をしごく。長頼はたまらずたたらを踏んだ。見ていた服部小平太がすかさず助太刀に入る。

「長頼どのっ、名乗りぐらいせんか」

小平太はニヤリと笑って林美作の鑓を払う。

「む、助太刀か。名を名乗れ」

「鳴海の服部小平太じゃ。お主、死んだぞ」

小平太は、名乗った途端突いてきた林美作の鑓を左の小脇に抱え込み、脇差で相手の咽喉を突き刺した。

「ふう。…菅谷どの。首を取られよ」

「小平太が倒したのだ、お主が取れ」

長頼は助太刀されたことに納得がいっていないようだった。

「…介添が助太刀するのは当然にござる。さ、早う首を。…仇の片割れにござるぞ」

仇の片割れ、という言葉にハッとなった長頼は、

「そうであった。意地を張って居る時ではなかった。…忝い、小平太」

と言って首を取ると、首の無くなった林美作の胴に手を合わせた。それを見ていた守山勢の小者たちが叫ぶ。

「林美作、守山の菅谷長頼が討ち取ったああっ」





 後詰の軍勢が守山勢であり、林美作が討ち取られたことは、攻められている末森城の衆にも伝わってきた。攻めている林勢が少し浮き足立っている。

宿直の兵を指揮して戦っている織田勘十郎と柴田権六、佐久間大学であったが、防戦にも限界が来ていた。相手は後ろを取られ浮き足立っているとはいえ、後備が崩れかけたに過ぎず、城から見える限り、残った中備、先手の数は、後詰の守山勢と城の兵を足した数より尚多いのである。

大手門は打ち破られる寸前であり、林勢が落ち着いて勢いを取りもどせば、守山勢も城も敗れるのは必至である。

戦の経験は少ないとはいえ、織田勘十郎にもそれぐらいは分かる。

「…権六、城を出よう」

権六は耳を疑った。

「今、何と仰せられましたので」

「城を出る。兄者の元へ向かおう。…ワシはもう兄者に背こうとは思うておらぬ。いくら大義を並べても、力が無うてはただの腐れ儒子じゃ。守護代のやりようを見ても、とても守護代とは思われぬ所業をなさる。ワシと兄者の仲を裂こうとして毒を盛ったのであろうが、兄者は何も言わなかった。ワシは何も言えなかった。ワシは兄者に救われた。大殿が尾張を獲ろうとする訳も今なら判る」

言いながら勘十郎は大手門をじっと見ている。


 権六は驚いていた。勘十郎が信長のことを大殿と呼ぶのはこれが初めてだったからだ。

「されど、清洲から大殿が戻れば、末森を保つ事も出来ましょう。それでも城を出ると」

「出る。権六、そなたは知らぬであろう。林の謀反は突然ではなく、前から守護代と練られていたことを」

「おぼろげながら判りまする。守護代が那古野に蔓を持つとすれば、思いつくのは林兄弟しかござりませぬ。那古野のオトナでありながら、大殿の事を悪しざまに罵っておりましたゆえ」

権六は自分の想像が当たっていたことに目を伏せた。権六の表情を見て、勘十郎が苦い顔をしながら続ける。

「ワシも話は守護代から聞いておった。が、毒騒ぎのあとワシは皆と繋ぎを全て絶ち、黙する事に徹した。引いた所で考えてみたかったからじゃ。考えてみて、兄者に背こうとは思わなくなった。がもう一つ策が進んでおるのじゃ。末森を捨てても兄者に伝えねばならぬ」

「…それは」

それは、と権六が発したとき、大手門が大きな音を出して崩れた。

ずっと大手門を見ていた勘十郎は柴田権六に視線を移す。

「…権六、佐久間大学を呼べ。皆ひとかたまりで林勢を抜くぞ、と伝えよ。後詰の守山勢に合力するのだ」






 俺と蜂屋般若介の三十騎は、やっとのことで織田信広に追いついた。

「おう、鳴海の左兵衛か。こんなとこまでご苦労な事だの。まあ、那古野の件は礼を言うぞ、ハハ」

気さくと言えば気さく、投げやりと言えば投げやりな態度で、織田信広は俺達を迎えてくれた。

聞くと末森と林勢は交戦状態にあるらしい。

しかも末森から後詰要請があり、先手の菅谷長頼と我等の先発の服部小平太が既に林勢と戦っているという。

「意外でござりまするな、末森が我等に後詰を請うとは」

と、俺は織田信広に聴いてみた。

「意外かの。那古野、末森と争っておるというが、蓋を開ければこんなものよ。兄弟喧嘩をオトナどもが寄ってたかって大きくしとるだけじゃ。三郎は若くして当主になったがゆえに舐められぬよう大きく気張らねばならんし、さらに若い勘十郎は若いゆえに世間が見えぬし、見えぬがゆえに真っ直ぐじゃ。喧嘩の素はその程度なのに、舞うオトナは間抜けよの。…自ら進んで舞って居るのかも知れぬがの」

と信広は笑いながら答える。

案外、器量人なんじゃないか、この人は。一向一揆との戦で死ななかったら、どうなっていたんだろう。

もっとゆっくり話してみたいが、今はそれどころじゃないんだった。

「…では末森と我等とで挟み撃ちにすれば、林兄弟を討てまするな」

「それがそうもいかぬかも知れぬ。末森は陣触れをかけて居らぬそうな。城には宿直の兵が百も居らんという。我等の先手が、林の後備を衝いておろうが、打ち破るには至って居るまい」

「…では尚の事急ぎませぬと」

暢気というか何と言うか。まあ、この人の性格なんだろうな。

「じゃの。ちと急ごうか、…橋本十蔵、行って見て参れ」

橋本十蔵と呼ばれた男が馬で駆け出して行く。


 十蔵と入れ違いに馬乗りが一騎、近づいてきた。先手からの使いみたいだ。

「先手の使い、長田五兵衛と申しまする。末森城の織田勘十郎さま、柴田権六さまと佐久間大学さま、城より出て我等先手と合力、先手はそのまま後備を打ち崩し、中備に打ち掛かっておりまする」

使いの長田五兵衛の言葉に、織田信広は顔色を変える。

「勘十郎達が城を出たなら林勢は当然、城に入るであろうが、如何じゃ」

「はっ。林勢の先手は既に城に入り、菅谷長頼さま、服部小平太さまは中備と鑓合わせの最中にござりまする。また、菅谷さまは林美作を討ち取り申した」

長田五兵衛の返事に、信広は少し考えていたが、

「ふむ。菅谷が美作を討ち取るとはの。…五兵衛。戻って菅谷に伝えよ。…美作を討ち取り、良い武者振りじゃ、と。それと一旦陣を戻して林勢の好きなようにさせよ、とな」

と、五兵衛を再び先手に戻らせた。戻らせた後も信広は何か考えている。

…何かあるのか。


 …というか、なぜ勘十郎たちは城を出たんだろう。

先手だけではなく全ての守山勢を待てば、殲滅はできなくても、城への攻撃を中止させ、林兄弟の撃退は出来ただろうと思う。

そもそも林兄弟は勘十郎たちと合流したくて末森にやって来たのだ。が、末森の気が変わり、合流できなくてこの戦いが始まっている。

末森に合流出来なければ、林兄弟に行き場は無いのだ。

撃退出来なくても、末森城に籠もったまま後詰の守山勢とで林兄弟を包囲して、清洲からの信長の帰りを待てば済む話で、そうすれば遅くとも明日には片付く戦なのだ。

何か危険な気がする。

見落としている事は無いか。…何か無かったっけ。ああチクショウ。


 「信広さま」

「ん。左兵衛、何だ」

「先手を呼び戻した方が良うござりまする」

俺の言葉に信広はハハ、と笑う。

「ハハ。陣を下げさせよと、使いはさっき出したばかりではないか」

「下げさせるのでは無く、呼び戻した方が良いと思われまする。早う使いを」

俺の表情に何かを察してくれたのか、信広は笑うのを止めた。

「…まあよい。…皆止まれ。誰か先手に使いせよ。急ぎじゃ」


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