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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
41/116

那古野落つ

 「その後大殿から報せはないか」

那古野城の武者溜まりで、平手中務と菅谷長頼が話していた。

「平手のご隠居さま、何か気になることでもござりまするか」

菅谷長頼は、大殿に何かあったのか、と言わんばかりの顔をしている。

「いや、別段何もなかろうが、そろそろ清洲に着いたころじゃと思うての。…ご隠居はよせ」

平手中務はしかめ面で菅谷長頼を睨む。

「ハハ、申し訳ござりませぬ。…次あたりはそれがしも初陣できましょうか」

菅谷長頼は目をきらきらさせて言う。織田信時が今回初陣で、それが羨ましかったらしい。

「…かのう。そんなに戦に行きたいか」

平手中務は自分の孫でも見るような表情をしていた。


 「はい。早う戦に出て大殿のお役に立ちとうござりまする。…戦ばなしをしていただけませぬか」

菅谷長頼も自分の祖父に対するように接していた。

菅谷長頼の態度を察してか、やがて平手中務はしみじみと話し出した。

「戦ばなし、のう。…小豆坂の戦は知っておるか」 

「はい。されど詳しくは知っては居りませぬ」

「であろうの。あの戦は…」

平手中務がそこまで話したとき、林佐渡が入ってきた。

「昔話をしておられるのか、ご隠居」

林佐渡はそう言って笑う。

「ハハ、もう昔話くらいしか出来ん」

平手中務は昔を懐かしがるように嘆息した

。それを見ていた菅谷長頼は、

「隠居なされたとは云え、中務さまから教わる事は沢山ありまする」

と平手中務を庇うように林佐渡を見た。


「菅谷はご隠居と仲がよいのう。…ところでご隠居、ちと屋敷に戻っても良いか」

林佐渡は済まなそうにそう言う。

那古野の留守居なので、勝手に屋敷に戻る訳にはいかないのだ。

済まなそうにしている林佐渡を見て、

「…早う戻って来てくれよ」

と、平手中務が苦笑すると、林佐渡も苦笑を返しながら武者溜まりを出ていった。

「…で、小豆坂じゃったの」

「はい」


「…大きな戦だった。矢作川を渡り、上和田に抜け、小豆坂で今川とやり合うた。我等は四千、…今川は一万」

平手中務は遠い目をする。

話し始めて、彼の瞼の裏には在りし日の織田信秀の姿が浮かんでいた。

…小豆坂の戦。

この戦いの結果が、尾張、三河、駿河の現在を形作っている。

戦いのあと、織田側は三河における拠点、安祥城を失い、三河に対する求心力は小さくなった。

織田信秀の威勢にも陰りが見え始め、それはそのまま今川による尾張侵攻に繋がっていく。


平手中務が戦語りを始めてすでに半刻が過ぎようとしていた。

「…で、今川方は人質に取っておる信広さまと安祥城を交換しようと…」

と、平手中務がそこまで言うと、毛利吉兵衛が倒れ込むように武者溜まりに駆け込んできた。

「…殿っ、那古野の町屋が」

「…もう殿ではない、隠居じゃ。何べん言うたら…で、町屋がどうしたっ」

吉兵衛の慌て方を見ると、悠長に戦語りをしている場合ではないことを平手中務は悟った。

「町屋が燃えて居りまするっ。火付狼藉は…言い難き事ながら林さまの手勢によるものかと」

吉兵衛の言葉に平手中務は愕然としたが、我に返ると次々に指示を出し始めた。

「城の我等の手勢はいかほどじゃったかの」

「百ほどかと。留守居の大半は林さまの手勢ゆえ」

吉兵衛は悔しそうに目を閉じる。


そうか、と答えて、平手中務は菅谷長頼に向き直った。

「長頼どの。望まぬ形ではあろうが初陣でござる」

「え」

菅谷長頼はポカンとしている。平手中務は再び吉兵衛に向き直ると、

「吉兵衛。林勢は城にはまだ寄せて居らぬのか」

と問い質す。

「はっ。されど、それもまもなく寄せて来るものかと」

「……吉兵衛。十騎やるゆえ、星崎、鳴海に走れ。岡田直教、左兵衛に助けを請うのだ。ヌシはそのまま左兵衛に与力せよ」

「そ。それは…ははっ」

吉兵衛は抗おうとしたが、平手中務の有無を言わさぬ口調に抗う事の無意味を悟ると、未練を断ち切るかの様に武者溜まりを出ていった。


「長頼どの。どうなさる」

問われた菅谷長頼は声も出ない。

「ハハハ。せっかくの初陣がこれではの。…長頼どのにも十騎やるゆえ、守山城に走って下され」

「しかし、それでは」

平手中務の言葉の意味を悟ると、菅谷長頼は狼狽えた。

「…ハハ、長頼どの。信光さまに、末森の動きに充分意を配りなされ、と。示し合わせての事かどうかは判らぬが、林勢と末森は合力するであろう。守山を固く守ったほうが良いであろう、とも伝えてくだされよ」

「し、しかし」

「しかしも案山子もござらぬ。我等は留守居。那古野の城を守らねばならぬ。…ならぬが、長頼どのはまだ若い。若い上に初陣、足手まといでござる。…ハハハ。早う行きなされ」

「されど、残り八十ではとても城は」

「…保たぬであろうが、致仕方無い。敵わぬまでも籠って戦い、いざとなれば城に火を放つ。城は渡さぬ。安堵なされよ」

「し…承知仕った。自重なされませ」

菅谷長頼は泣いて返事をした。

「さ、早う。林の物見が城に来ぬ内に」

急かされて菅谷長頼は出ていった。







「那古野城に使いを出せ。城を明け渡すなら命は取らぬ、落ちよ、と」

林佐渡は部下にそう命じると、腕を組んで考えこんだ。


…他に手は無かったか。もっと穏便に事を進められなかったか。

いや、末森勢は煮えきらぬ。権六が云と言わぬのであろうが、悠長すぎる。大殿がいない今しかなかったのだ。こちらが立てば、末森も立つしか道はない。


…弾正忠家を守るには致仕方無いのだ。

林佐渡は自らを奮い起たせるように、そう自問自答し、一時的にとは言え主家に弓引く事となった罪悪感から逃れようとしていた。

彼は赤々と燃える那古野の町並みを見つめていたが、そこに弟の林美作が駆け寄ってきた。

「城からの返事は、これでござる」

林美作は手に持っていた矢を、林佐渡に見せた。見せた上で、

「明け渡す気は無いと見たゆえ、今城の大手を攻めて居り申す」

と、林美作は笑った。

「何だと」

「何だと、ではござらぬ。早うせねば清洲攻めの大殿が戻ろうし、城を落とした上で無うては、末森もお味方同心とはなりますまい」

林美作はうそぶいた。


林佐渡としては、平手中務を説得し城を無傷で手に入れたかったのだが、相手に降る気はなく、すでにこちらが攻めかかったとなれば、彼の弟の言う通り一刻も早く城を落とし、末森勢と合流しなければならない。

「…確かに。が、平手中務は討ってはならぬ。必ず捕らえよ。それか、落ち延びさせよ」

「兄者」

「余計な恨み辛みは作りとうない。城は貰わねばならぬが、大殿の怨みは買いとうないわ」







「…寄手は、どこまで来たかの」

平手中務は目を閉じている。

「この曲輪のすぐ下まで来て居りまする。防いでは居りまするが、何とも」

問われた毛利新助の顔には疲労の色が濃い。

「逃れられようかの」

その言葉を聞いた毛利新助の顔に、怒りと何を今更、といった表情が表れたが、

「ハハ、ワシではない。そなた達じゃ」

と聞くと、愕然となった。

「どうじゃ、新助どの」

「各々の才覚次第でござりましょうが、この期に及んで中務さまを置いて逃げたとあってはこの新助、末代まで笑われまする」

「いや、ワシは死なねばならぬ。ワシが生きて居れば、大殿の、林佐渡や合力するであろう末森勢に対する仕置が甘うなる。城が落ちた上にワシまで死ねば、大殿も覚悟が決まりなさるわ。ああ見えて、大殿は身内に甘うござっての、ハハ」


「では」

「林佐渡、末森勢は見せしめにされる。大殿は怒ると怖いお方じゃ。他の分家の方々も、これを期に叛こうなどとは思わなくなるであろう。であるがゆえにワシは死なねばならぬのよ。…新助どの、介錯致せ」

「か、介錯などと。それがしは」

若い毛利新助に、当然介錯を頼まれた経験は無かった。

「ワシの首を持ったら、此処に火を付けよ。付けた上で、清洲攻めの大殿の元に走れ。今ワシの申した事を全て伝えてはくれぬか。よいな」

「は…ははっ」

「ワシが良いと云うたら、首を落とせ」

「はっ、されど」

「もう云うな。…大殿、あの世で御先代さまと先に盃を上げて居りまする。生き様、しかと見て居りますぞ」

平手中務は腹を割る前に、独り信長に向かって独語した。


「…ぐっ…よ、良いぞ新助」

「な、中務どの」

「な、何じゃ…ちと痛いゆえ、は、早う致せ」

「ご、御免、屹度成仏をっ」

毛利新助の大刀が一閃した。






林佐渡は那古野城を見上げている。彼の弟、林美作からの報せでは、まもなく本丸に取り付く、との事だった。

「あ、本丸が」

誰ともなく声をあげた。見ると本丸から火の手が上がっている。

「兄者っ」

林美作が走ってきた。

「…うむ」

「平手中務は本丸に」

美作の言葉に、林佐渡の顔が強張る。

「…美作、末森に使いせよ。那古野を落とした、そちらに合力する、と」

「承知」

承知、と言って駆けて行く林美作の後ろ姿を見ながら、林佐渡は思った。


…中務どの。そなたの思惑通りに事が運ぶとは限らんぞ。


林佐渡の顔は、暗い。

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