始まりの終わり
万見仙千代が幕内に入って来た。
「大殿。信次さまと伊賀守さまが着到なされました」
仙千代が言い終わらぬうちに、織田信次、織田伊賀守が幕内に入って来る。
「やあ、大殿。とうとうこの時が来ましたな」
信次が笑う。伊賀守もうなずいている。
この二人は、守山城の信光と同じく、当初から信長を支持している。先年、清洲方に松葉、深田の城を取られた折も信長に助けられており、表には出さないものの、心中深く信長に感謝している。
「おう、ご両所。馳走有難く。信次叔父には総構の東、伊賀守どのには西を受け持ってもらおう」
「心得た」
「承知仕る」
「南は俺と信時、佐久間半介、前田又左、池田勝三郎。…信時は初陣じゃ。半介、介添せよ」
「はっ」
「ハッ、任せろ」
「ははっ」
「北は平手監物、金森五郎八、飯尾茂助、塙九郎三右衛門」
「はっ、しかと承りましてござる」
「ははっ」
「御意」
「心得ましてござる。が、大殿」
と、平手監物が口を開く。
「どうした、五郎右衛門」
信長は平手監物を通称で呼んだ。
「守護代信友、坂井大膳。…召し捕りまするか、討ち取ってもよろしゅうござるか」
「召し捕らえよ。手に余らば、討て」
「はっ」
そこまで言うと信長は幕内から出て、兵たちの前に立った。
「皆聞け。この戦が終われば清洲は我等が物ぞ。皆気張れっ」
「おおうっ」
兵たちが歓声のどよめきを上げる。
「殿。百人ほどが集まりましてござりまする」
平井信正が嬉しそうに言う。
「よし、その集まった者を溜まり曲輪に入れよ。俺が話す」
溜まり曲輪に百姓たちが集まっている。
「皆、よく集まってくれたのう。俺に仕えてもよい、という奴は手を上げよ」
大声で皆に呼びかけた。ザザッ、と皆が手を上げる。
「恩にきるぞっ。皆はこの鳴海を守るための備になる。今川が来ようが誰が来ようが、鳴海村は皆で守るのじゃあっ」
俺は拳を天高く突き上げた。
「おおっ」
皆もそれに合わせる。
集まりの中から一人が大声で尋ねてきた。
「わし等も侍になれるのでございますか」
「なりたい者はなればよい。が侍になりたい者は我等と動きを一つにせねばならん。村を離れ、この城を離れ、遠国にも行かねばならぬかも知れん。外で戦もせねばならん。嫌な目にも合うかも知れん。それでもよい者だけがなれるのじゃ。もう一辺言うが、皆はこの鳴海村、鳴海城を守る備じゃ。鳴海を離れたくない者、侍になりたい者、どちらをとっても罰があるわけではないゆえ、おのれで決めよ」
兵力は欲しい。が、村に召集をかけたところですぐに使い物になるわけではない。だから、召集をかけた上で彼らに城の守備兵になってもらうことにしたのだ。
元の戦力が三百、今回集まったのが百。三百のうち百をを城付きとして、百姓兵たちの教育訓練をさせる。
教育が済んでも百姓兵たちは基本的に遠征には参加させない。あくまでも彼らは鳴海を守るために集めている。城の守備、野戦、と全て教えるより、まずは城の守備のスペシャリストに育てたい。
史実ではあと四十年もすると刀狩令が発布される。時の為政者・豊臣秀吉によるものだが、自分の出自でもある農民層の怖さを彼は知り尽くしていた。武装した農民の恐ろしさ。良好な関係を築けなければ、
反抗して年貢を出さないばかりか、逃散してしまう。
反抗するからと言って討伐してしまえば、米をつくり年貢を納めてくれるものがいなくなるのだ。
俺は村と良好な関係を築きたい。そのためには強圧的にではなく自主的に皆に来てもらいたかった。
その中から仕官したいものがいれば召抱え、なるべく自然に取り込んでいく。時間はかかるがそれが一番だろうと俺は思う。
それに百姓兵は決して弱くはない。戦い方を知らないだけだ。機械がないこの時代、農作業で体は頑健だし、自然を相手にしている以上、我慢強さも持っている。
合計で四百人、元から居た三百のうち百、今回集まった百。足して二百を城の守備、残りの二百を野戦軍。これを基本として運用すれば、兵力を有効的に使えるのではないかと思う。
他にもやりようはあるかも知れないが、俺の頭で思いつくのはこれが精一杯だった。
「仕方なき事とは云え、見張りとは詰まらんもんじゃのう」
守山城の織田信広は欠伸混じりにそうつぶやいた。
「ハハ、そう言うな。末森が動いたらすべてご破算じゃ。のんびり出来るだけまだましと言うものよ」
信広のつぶやきに、守山城主・織田信光はそう答えた。
彼らは末森城の抑えとして、守山城にいる。信長の清洲攻めの間、末森城の織田勘十郎信行が妙な真似を
しないかどうか、見張っているのだ。
「信広どの、那古野にはどれくらい留守が居る」
信光にそう問われた信広は首を傾げながら、
「うーん。林佐渡が三百、平手のご隠居が百ほどではなかったかな」
と答えた。
織田信広。織田三郎五郎信広は今年二十七歳。信長の腹違いの兄である。
庶腹であったため、相続権はなく、信長も一応兄者と呼んでいるが、叔父のような存在であった。
少しいい加減なところがあるが、兵を率いさせても、政事をやらせてもそつなくこなし、庶腹でなければ長男という事から言っても弾正忠家当主になっていた人物である。
腹違いで仕方ないとは云え十も下の弟・信長が家を継ぐ事になり、普通なら焼餅の一つも焼けようものだが、信広は面倒な事が嫌いな性格で、一族のいざこざにあまり関わりたがらなかった。
ほどよくやって居れば、面白可笑しく生きられようものを。
それが彼の信条だった。
信条だけではなく、父・信秀の強引な手法で守護代から睨まれ、今川とも戦っている状態の弾正忠家の家督がそれほど魅力的には見えなかったのかも知れない。
「四百か。まあ、それくらいおれば、我等と合わせれば何が起きてもしばらくは大丈夫じゃろうて」
信光も欠伸して背伸びをしている。
「信光叔父、碁でも打つか」
「お。しばらくぶりに打つわ。まだ信広どのには負けんぞ」
「それはどうじゃろうの、ハハ」
二人が碁の用意をしていると、信光の近習が慌てて居間に入ってきた。
「と、殿」
「…何じゃ、騒々しい」
「ひ、羊申の方の空が」
近習の顔は必死な形相だ。
信光、信広の二人は怪訝な顔で外に出た。
「…叔父御、空が赤うござるの」
「…うむ。この方角は…」
二人は顔を見合わせた。
「那古野が燃えておる」