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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
33/116

予期するもの

「手配、済みましてござりまする。殿に連日大声を張り上げて頂いたお陰で、鳴海村に住みたいと申す者が増えておりまする」

平井信正がニコニコしながら言う。

俺は鳴海村の代官に平井信正を当てる事にした。

平井信正は本物の公卿だったらしい。京にいた頃は宮内卿と呼ばれていた、と彼を探して連れて来てくれた桔梗屋春庵が言っていた。


美濃に流れ、斎藤道三に苦言の手紙を送り続けるも無視され、失意の内に過ごしていたところを春庵の手の者が見つけたのだという。

故実に明るく、兵法を諳じており、この時代としてはかなりの教養を持った男だ。しかし、それは公家の一般教養としてのそれであり、実践的なものではない。戦の駆け引きも得意なわけではないから、あまり戦場に出したくない。だから、鳴海の留守居、代官として頑張ってもらうことにしたのだ。


「それはよかった。鳴海との往復も苦労をかけた。入り用の物があったら何でも言ってくれ」

俺は信正に酌をする。

「殿自ら勿体無い。が、有り難く。ところで、殿はもうお聞き及びにござるか」

「何を」

「平手中務さまが、隠居なさるそうで」

…聞いてない。盃を持つ手が止まる。


毒殺騒ぎのあと、信長に、

「出仕には及ばず。鳴海に励め」

って言われたから、那古野には居ても城には登っていなかった。

信長に鳴海に励め、って言われたって事は、

当面の間は俺に東尾張の守りを任せたって事で、それからの俺は忙しかった。

元から求人はしていたが、毎日のように市に行き、求人の演説を張り、春庵と物資や人間の移動の調整。

五日に一度は鳴海に行き、乾たちから現状報告を受け、鳴海村の各郷を見てまわり、ぶっ倒れ、血尿まで出た。

それらがやっと落ち着いての今日のこの日なのだ。季節はもう師走。当然、若旦那ともゆっくり話す暇もなかった。


「せきは、若旦那から何か聞いていたか」

俺の側で、一緒に話を聞いていたせきに尋ねる。

「いえ、兄様からは何も。このような大事な話、聞いていたら真っ先に申しております」

せきも知らない。

せきは俺に嫁ぐ時に、 若旦那から自分の妹であることを知らされていた。せきも薄々は気づいていたらしく、その事を正式に知らされた時は、兄様、と若旦那に飛びついていた。

そんなせきも知らないとなると、平手家でも一部しか知らないのかもしれない。


「初めて聞いたぞ。信正、お前はその事を誰に聞いたんだ」

「毛利吉兵衛どのより聞き及びましてござりまする」

吉兵衛か。あいつ元気にしてるのかな。

「吉兵衛はどうしてそれを」

「殿は平手家にとって大事なお方ゆえ、折を見て言うてくだされ、と。若旦那さまからいずれお聞きになりましょうが、それでは遅い、と言うておりました」

「吉兵衛ねえ…」

吉兵衛め、若旦那の相談相手ならそれくらい事前に知っとけ、って事か。

しかし、切腹でなくて隠居ねえ。…楽隠居出来るといいけど。跡取りは優秀だし、大丈夫だろう。


「では、それがしはこれにて」

信正が頭を下げる。

「そうか。明日からは鳴海だし、早めに切り上げるか」

お互い勿体無さげに徳利ごと酒を飲み干す。


平井信正は居間を出て行った。

「せき、また忙しくて済まなかったな」

膳と酒を片付けているせきは、微笑みを返してくる。

「いえ、忙しゅうても、こうして毎日側に居られます。それだけでも幸せにございます」

「せきも、鳴海に来るかい」

「行っても、よろしゅうございますか」

「ああ。今までは鳴海と那古野を行ったり来たりだったけど、人も物もそろそろ落ち着く。一緒においで」

「はい」







平手五郎右衛門は父・平手中務と共に信長に拝謁していた。

信長の内諾は得てあったものの、正式にはこの拝謁後から、五郎右衛門が平手家の当主となる。


「新しゅう平手の家を継ぎました、当代、監物、平手五郎右衛門久秀にござりまする。これまで御奉公致して参りましたが、更なる奉公をもって、これからも弾正忠家に尽くす所存にござりまする」

両名は平伏した。そして信長の宣言。

「おう。祝着。…志賀、及び福富併せ、本領一万七千貫文、安堵する。励め」

「ははっ。安堵有り難く」

再び五郎右衛門と中務両名は、平伏した。


「よし。堅苦しいのはここまでじゃ。二人とも表を上げよ」

信長はそう言うと、早速自分が横になる。

「若、隠居しても、陰より見ておりますぞ」

平手中務が笑いながら言う。

「何だと。…せっかく繰り言爺が居なくなると思うたに。何とか致せ、五郎右衛門」

「父の繰り言はしつこうござりまする、それがしでも、どうにも」

三人は顔を見合わせて笑った。


「よし。茶でも振る舞おう。近く、此に凝っていてな」

「茶…でござりまするか」

平手家の二人は、物珍しそうな顔をしている。

「なに、湯を沸かして茶葉を煎じて飲むだけじゃ。大袈裟なものでもない」

信長は笑ってそう言いながら準備を始める。

平手家の二人はそれをじっと見つめていた。


「…おい、二人とも。黙っとらんで何か話せ」

見つめられて恥ずかしくなったのか、信長が片眉を上げる。

「は、はあ。ちと物珍しくありまして。…来年は、清洲を攻めまするか」

茶道具を見ていた平手中務は、とっさに清洲攻めを口にした。

「…爺なら、どうする」

「ハハ…隠居でごさる。倅に訊いて下さりませ」

「訊いておいて、何だ。…五郎、どうする」

訊かれた平手五郎右衛門は詰まりながらも、

「何か、こう…決め手がありませぬ。すでに戦はしておりまするが、年も新しゅうなりまする、名分の立たぬ清洲攻めは…いささか」

と答える。


「名分か…」

信長は考えて込んだ。湯が沸いている。







「せき、見えた。あれが鳴海の城だ」

俺はせきに城を指し示す。

「…あら。意外に大きゅうございますね」


そう。今川方にあった頃より城は大きくなっている。溜まり曲輪を徹底的に拡げた。

一の曲輪、二の曲輪は、丘を利用して作られているため、拡げる事は無理に近い。

溜まり曲輪は、今川時代に作られたもので、その頃は、大高道を取り込むためのただ堀をうって平地を柵で囲んだだけ、の物に過ぎなかった。


今回の拡張工事で、鳴海城の防御力は少し上がった、と思う。

大高道が中島砦に続く東大手門周りは、掘を穿ち、その出た土で土塁を海岸方向に二町ほど伸ばした。一直線の土塁では、射撃に死角が出来るので、各所に折れを付けてある。土塁が切れると、そこから更に海岸方向へ二重の柵が続く。東大手の外には、更に馬出を作り、直接大手門に取り付けないようにしてあった。

何故溜まり曲輪を拡張したのかと言うと、そこに足軽雇いの者を住まわせるためだ。

西側は町屋も建つ。西の大手はまだ簡素なもので、新しくどの辺りに作るか決めていない。

これらの大工事は、各郷を回り、今年の年貢を半減するかわりに、人足を大量に出してもらい、寒さが増す中、城の兵たちも合わせ突貫工事で仕上げた。

溜まり曲輪は戦の時の避難所も兼ねている、城は鳴海衆だけではなく、鳴海村を守るための城ぞ、と説明すると、快く人足の供出に応じてくれた。

この、城の拡張工事を通じて、鳴海村の各郷の頭たちも俺がどれだけ本気で鳴海を守ろうとしているか、好意的に受け止めてくれている。


「お帰りなさいませ」

俺より先に那古野を出た平井信正が、皆と共に俺とせきを出迎える。

「…小平太は」

「中島砦で手傷を負い、臥せっておりまする。砦には代わりに長谷川橋介が詰めておりまする」

二の曲輪の小平太の長屋に行くと、右太股と

右肩をさらしでぐるぐる巻きにしている小平太がいた。


「あ。殿」

「あ。殿、ではない。大丈夫か小平太」

「薬師が大袈裟にしただけでござる。大事ありませぬ」

「ならいいが」

俺は胸を撫で下ろす。

守備を任せておいてこんな事を言うのもどうかと思うが、小競り合い程度で死なれては困る。

「されど、今回は危のうござりました。今川はいつもの倍近く出して来たのでござる」

「倍だと」

「はい。多分、三河の松平衆でござりましょう。今川侍とは、勢いが違いまする」

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