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戦国異聞  作者: 椎根津彦
抱卵の章
109/116

鳴海城の戦(前)

 下を見ると、俺のいる矢倉に藤吉郎が登ってくる。

「いやあ、間に合った間に合った。木下藤吉郎、只今馳せ参じてござりまする」

「善四郎の所に居れと云うたはずだが」

「『それがしの下より左兵衛どのの下に居った方が、お主も功の立て甲斐があろう』と善四郎どのが申されまして」

「成る程な…しかし、その鉄砲はどうしたんだ。買ったのか」

藤吉郎が戻ってきた。まあ、奴が戻ってきた事によって細かい敵情が分かるのは有難い。鉄砲は今川勢からくすねたそうだ。

鉄砲はこの時代かなりの貴重品だ。厳重に保管されていたろうに、よくやるもんだ。というより今川方にも鉄砲があるのが驚きだった。

「ご安心なされませ。今川勢には鉄砲は百挺もありませぬ」

という事はそのうちの一挺って事だよな…保管の責任者はどうなったのだろうか…ええい、そんなことはどうでもいい。


 「よし、藤吉郎、お前はこれから鉄砲組頭だ。務めを果たせよ」

「真でござりまするか!有難き幸せ…お務め屹度果たしてご覧にみせまする」

指揮の要領を説明すると、藤吉郎は何度も復唱していた。

「いいか、出来るだけ隊伍に撃ち込め。狙撃なら組頭、物頭、兜首だ」

「なるべく隊伍を…狙撃は組頭、物頭、兜首…成る程。されどとんでもない量の柵木と逆茂木でござりまするな。中洲曲輪よりこちらは柵木と逆茂木で埋め着くされておるようで」

「地味だが一番嫌がるからな。隊伍が細かく動かれるのを避ける為だ。もし上流側から横鑓を仕掛けてくるのであれば、こちらは搦手から水野党が出る」

「成る程…お、海の上にはお蓉どのの南蛮安宅も居りまするな…あれは嫌でござろうな」

「総力戦というやつだ」

俺は指で書いてみせた。藤吉郎は何度も頷いている。

「皆に持場に着けと伝えよ」

「はっ」





 朝比奈太郎の本陣には岡部左京進・五郎兵衛父子が呼ばれていた。以前に鳴海城代だった経験を買われ、朝比奈太郎に乞われて、与力として加わっていた。

「どうも…それがしが城代であった頃とは様子が違いまするな」

「そうも違うか」

「あの中洲は…以前は只の中洲でござりました。向こう岸は…川岸まで曲輪が拡がって居りまする。これ程まで違うとなると、此度の城攻め、今までの城攻めとはかなり勝手が違いまするぞ」

「骨が折れる、と申すか」

「城の大手に取り付くにはあの中洲の曲輪を落とさねばなりませぬ。されど中洲に取り付くまでに川を渡る味方が射ち倒されまする。あの中洲曲輪にはそれほど敵は居らぬでしょうが、かなり厄介でござる。更には中洲曲輪を取っても、大手にたどり着くまでに向こう岸の曲輪から射ち倒されましょう。その上織田方はしつこく物頭や組頭を狙うて来る故、折れる骨は一本や二本では済みませぬ」

「ふうむ。難儀な城よのう。上流より横鑓かけてはどうか」

「敵もその備えはしてありましょう。横鑓かける事はできましょうが、織田勢の後詰を考えねばなりませぬ故…」

「後詰が居ると申すか」

「これ程の縄張の城でござりまする、織田もそう容易く手放す筈がありませぬ。後詰は居ると思うておった方がよいかと」

「ふうむ。されど手をこまねいておっても仕方ない。一当てするとしようか」

「はっ」

朝比奈太郎は持っていた笹の枝を高く振り上げると同時に大きく法螺貝が鳴り響く。そして、笹の枝が振り降ろされた。陣太鼓がどんどんと打ち鳴らされる。

「かかれっ」






 岩室八郎兵衛が駆け込んで来た。

「殿っ、今川勢が動き出しましたぞ。寄手は朝比奈備中、安倍大蔵、およそ一千」

俺の前に居並ぶのは、佐々内蔵助、平井信正、乾作兵衛、服部小平太、菅野九右衛門、植村八郎、岩室八郎兵衛。

そして水野党の水野藤四郎、その末弟藤十郎、介添として蜂屋般若介。

「さて、いよいよだ。戦のやり方は今までと変わらんが、寄手の数が多い故、心せよ。矢合わせ、鉄砲でなるべく射倒せ。いいか」

「ははっ」

「搦手は藤四郎どのにお任せするが、抜け駆けは慎まれよ。よかろうか。般若介、お主もだぞ」

「承知」

「よし。皆、死に急ぐなよ。では、かかれ」







 清洲城の大広間に、碁石を打つ音だけが響く。

腕を組んで次の手をどうするか悩んでいる信長。それをニヤニヤと眺める平手監物。その監物の側にススっと万身仙千代が近付いて耳打ちした。

「大殿、始まりましてござりまする。寄手は朝比奈勢四千。信広様は那古野まで退かずに笠寺にて後詰のご様子」

「であるか」

「鳴海には大和左兵衛、水野藤四郎、合わせて千五百、籠城の構えにござりまする」

「監物、皆を集めよ」

「はっ」

平手監物が目配せすると、万身仙千代が静かに下がって行く。

「他人の力を当てにはしとうないが、此度ばかりは仕方ないの」

「当てにするのではありませぬ。おだてて使うと思えば気は楽かと」

「カカ、よく云うわ」

具足姿のまま、信長はゴロンと横になった。目は天井をじっと見つめている。

四半刻程経って、主だった家臣達が大広間に集まった。

「既に舅殿の二千が先発しておる。我等も犬山を経て美濃との国ざかいに向けて進発する。皆支度は出来ておろうな」

「…那古野は保ちましょうや」

柴田権六が当然すぎる疑問を口にした。美濃に向かう事は既定路線であったが、時間的な余裕のない作戦である事は確かだからだ。

「権六、義龍と雪斎坊主、どちらが面倒な相手だと思うか」

「…雪斎坊主でないかと推察致しまする」

「であろう。兄者と左兵衛が坊主を足止めして居る内に義龍を叩く。那古野は餌じゃ。判ったか」

「はっ」






 「かかれっ、かかれっ」

大物見に任じられた菅沼織部正は必死に手勢を叱咤していた。大物見の任務は敵前偵察であるから、彼の居る位置は朝比奈勢四千の内の先手、その一千の最先頭だった。

困難な任務であるが、あと少しで中洲曲輪の矢倉門に取り着く事が出来る。

敵ながら、よく造られた城だと織部正は感心していた。大高城に続く道を城の中に取り込んである為、大軍が通るにはこの中洲曲輪を抜けねばならなかった。これより下流は扇川の河口になるため深過ぎて渡河出来ず、上流側を大きく迂回して渡河したとしても、渡った先は森の中であるために大勢の渡河に適しているとは云えなかった。

「おっ、おのれ」

中洲曲輪からまたしても鉄砲が撃ちかけられる。こちらも後ろの朝比奈備中と安部大蔵が負けじと助け矢を射ってくれているが、中洲曲輪の織田勢はそれを物ともせずに射ち返してくる。

鉄砲の威力がこれ程とは、織部正は想像すらしていなかった。それを織田勢は最前線に数を揃えて保有している。そして織田勢の鉄砲は次発が早かった。しかも次に射つまでの間に放たれる矢数が恐ろしく多かった。明らかに鉄砲を使いなれた戦い方だった。

「こ、これは堪らぬ、一度退け」


 菅沼織部正が退くと、先手一千も合わせたように本陣まで退いた。織部正は本陣に戻り状況を説明した。本陣と前線にそれほど距離があるわけでもないので、前線の戦い振りは本陣からも見えていたであろうが、彼としては細かい状況説明をしなければならない。

「よう戻った。如何であった」

「不甲斐なき戦でござりました。言葉がござりませぬ」

「あれでよい、とは申せぬが、一当てせねば分からぬ事が多いでな。如何であったか」

朝比奈太郎は激怒しているのでは、と内心肝の冷えていた織部正は虚を突かれる心持であったが、問われるままに状況を説明した。

「あの中洲曲輪に居る敵は百人程と見受けられまする。此方は二百で攻め申した。数は此方が倍でござりましたが、曲輪門に向かえる兵の数に限りがありまする。門の正面に向かえるのは一寄せ三十人、と云った塩梅にござりまする」

「一寄せ三十人か、少ないのう」

「はい。此処からでも見えまするが、曲輪門は矢倉門になって居って、敵はそこから足軽鉄砲を差引しておりまする」

「ほう。ではそこに居る物頭を射倒せば容易いではないか」

「それが…矢倉も全て板塀に囲まれて居って、敵の物頭は板塀の狭間から此方を見て居るのでござりまする。あれを狙って射倒すのは些か…」

「難しいか」

「はっ。此方からは顔も見えませぬ」


 朝比奈太郎は太い腕を組んだ。

「紀伊どの、左京亮、総懸かりじゃ。覚悟はよいか」

「ようござるが…雪斎さまに後詰を頼んだ方がよいのでは」

「我等が負けると申すのか」

「そうではありませぬ父上、そうではありませぬが、この城はもはや我等を迎え撃つ為だけの城と化して居りまする、そこに総掛かりで挑んだとて、我等の損害は図り知れぬものとなりましょう。であれば今川勢全てで城攻めを行うべきでござりまする。さすれば織田の後詰も引きずり出せまする。如何に」

「紀伊どのも同じ意見か」

「我等だけが貧乏籤を引く事は無いと思いまする」

「…岡部どのを呼べ」

幕内に岡部父子が入ってくると、朝比奈太郎は総懸かりで城攻めを行う旨を告げた。

「かしこまってござりまする。」

岡部左京進がそう短く答えて幕内を出ていこうとすると、朝比奈紀伊守が彼等を呼び止めた。

「岡部どのは後詰が必要とは思わぬか」

岡部左京進は無言だったが、息子の五郎兵衛が朝比奈太郎をチラリと見た後、紀伊守に向き直った。

「紀伊守どの、左京亮どのも同じ意見とお見受けするが…真に後詰が要る、とお思いか」

「左様。この城は難敵、後詰無くば難しかろうとそれがしは考えるが」

「…分かって居られぬ。…太郎どの、それがしが申し上げるのは筋違い、お二人をよく諭した方がよかろうかと…礼を失した物言い、お詫び申し上げまする。行きましょう、父上」

岡部父子は改めて一礼すると、幕内から出ていった。


 「父上、五郎兵衛のあの様な物言いを放って置かれるのかっ。同じ重代の譜代とて断じて許せぬ」

左京亮は両手をこねくりまわしている。余程腹が立ったらしかった。

「左京亮、紀伊どのもよく聞け。あれが譜代の忠臣と云うものぞ」

朝比奈太郎は息子と甥の二人を諭し始めた。

確かに後詰があれば鳴海を落とせる、しかし戦いはまだ序盤なのだ。小城ひとつ落とすのに一万六千でかかったとあっては、卵を牛刀で裂くようなものである。織田方や日和見の土豪、武田や北条など、この戦いを注視している勢力からすれば今川恐るるに足らず、と思われてしまうだろう。お前達は獅子は兎を狩るのに全力を尽くす、と云うかもしれないが、そうであってはならないのだ。それに我等譜代が力を尽くさねば、今川に臣従している国人や他国者はどう思うだろうか。労多くして功に報いる事少なし、と思われるだろう。分け与える土地が余分にあればそうでは無かろうが、今川にその余裕はない。

「それに、お主等はこの戦いが雪斎禅師の最後の戦いになるやも知れぬと思うた事はあるか。禅師が居らぬ様になった後を考えた事はあるか。一度ぐらいはあるであろう。その時に我等譜代が軽く見られる訳にはいかぬのじゃ。一門とは名ばかりの他国者に専横を許す様になるやも知れぬでな。分かったか」

そこまで云うと、朝比奈太郎は嘆息した。

紀伊守と左京亮の二人は、朝比奈太郎が松平元信との功争いの為に後詰を断ったのだと思っていた。確かにその側面もあったが、太郎の考えは二人の及ぶ所ではなかったのだ。

「…父上のお言葉、深く肝に入りましてござりまする。岡部父子に礼を云わねばならぬな、紀伊どの」

「礼は後でよい、今川譜代は要金鉄と、世に示さねばならぬな。叔父上、何なりとご指図を」

「…苦労をかけるの。改めて命ずる。総懸かりじゃ」

「おう!」

「えいおう!」


 


 中洲曲輪では服部小平太と木下藤吉郎がホッと一息ついていた。

「退きましたな」

「ああ、されどこの位で終わる敵ではあるまい。今のうちに握り飯でも食らうとするか」

「左様でこざりまするな。それがしは矢弾の残りを調べて参りまする」

「大体でよいぞ。此方もどうせ此処は引きあげるのじゃからな」

「はっ」


 此処からでも中洲曲輪の様子はよく見えた。第一波は様子見といった所だろうな。

「殿、やはりこれからが本番でござりまするか」

俺の横で平井信正が渋い顔をしている。

「そうだな。敵の本陣が見えるか?動いているだろう。朝比奈勢全てが向かってくるぞ」

「…殿はこの城を何日保たせるつもりでござりましたかな」

「…六日だ」

「いやはや何とも」

「いつでも逃げる支度はしておけと、重ねがさね皆に伝えよ。死ぬに及ばずと」

「はっ」

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