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戦国異聞  作者: 椎根津彦
抱卵の章
108/116

戦機近付く

 五月十日 安祥城


 「水野党も不甲斐ないのう。留守居とはいえ、ひと鑓付けるくらいの事は出来たろうに」

刈谷城を下して、知多も鎮撫となれば、その功績は大きい。その事が気に食わない朝比奈太郎は平伏している高力与左衛門を睨み付けた。松平元信の代理として安祥に来た与左衛門にしてみれば、完全なとばっちりである。朝比奈太郎の言葉に、与左衛門と同じ様に平伏していた本多作左衛門が頭を上げた。

「後見どのは、お味方の勝利を喜んでおられぬ様じゃ。岡崎党が死んでおれば違ったかの」

「止せ作左」

「止さぬわい。後見どのの言い様は、岡崎党は捨て駒と言うとる風に聞こえるわい。後見どのは岡崎党が手柄を上げるのが気に食わん様じゃ」

本多作左衛門はそう言い放つと、朝比奈太郎を睨み付けた後、平伏した。

「ふん。そもそも何故ご連枝どのは刈谷を攻めたのじゃ。枝葉は気にせず、鳴海に一当てするのが先鋒の役目ぞ」

朝比奈太郎はそう言い放つとプイと横を向いた。


 三河の宿無しと罵られていた松平元信だったが、三河帰国後は今川義元の姪を娶ったとあって、今川家中からは「ご連枝どの」とか「岡崎どの」と呼ばれる様になっている。当然その事は、今川家中からは快く思われていない。

高力、本多の二人に向き直って言葉を続けようとした朝比奈太郎だったが、太原雪斎に目で制され仕方なく口をつぐんだ。変わって太原雪斎が口を開く。

「朝比奈どのの言う事も尤もな話じゃ。お主達が岡崎どのに勧めたのか」

雪斎の問いに高力与左衛門が口を開いた。

「我が主は『初陣故、大いくさのやり方など知らぬ』と仰せられまして」

「ふむ、それで」

「はっ、『岡崎党の命運もかかっておる戦故、無理は出来ぬが、予のやりたい様にやってみる、後の仕置は雪斎禅師が何とかなさるゆえに心配するな』と…」

与左衛門がそこまで云うと、雪斎は火が着いたかの様に笑いだした。

「そういえば儂も岡崎どのには戦の仕方までは教えておらなんだのう。鳴海では無く刈谷…刈谷から常滑…知多が落ち着くのは確かに大きい。これで我等は鳴海攻めに専念出来ると云う事かの。素直に岡崎どのの功を喜ぼうではないか、朝比奈どの」

「は、はっ。確かにご連枝どのは初陣、鳴海を攻めるよりは親族の刈谷の方が攻め易かったのかも知れませぬなあ。ご連枝どのに負けじ、鳴海は我等朝比奈勢だけで陥としてみせまする」


 朝比奈太郎の言葉の後の方はもう雪斎は聴いてはいなかった。彼の頭の中は、今後の元信の扱い方をどうするか、という事に移っていた。鳴海攻めという観点ならば、正に朝比奈太郎が最初に云った通りであり、それをせず知多半島を抑えた、というのは、元信がどう考えいるかどうかは分からないにしても今回の尾張攻めの目的の半分を達成したと言っても過言ではなかった。

織田に鳴海を奪取されて以来、知多半島南部の情勢がおかしいのは雪斎にも充分分かっていたし、その背後にいるのは織田である事も当然承知していた。刈谷の水野党が織田方なのは明白だからまだいいとしても、知多南部の国人達が此方に従っているのか、それとも従っているフリをしているだけなのか、その見極めが出来ていなかったのだ。元信がそういった事柄をを読みきって刈谷攻めを行ったのなら、若年ながらその智謀恐るべし、というところだが、何も考えずにやったのなら判断に迷う。しかし手紙からはそれを読み取る事はできなかった。雪斎は、自分の死後まで読んで策戦を立てねばならなかった。今川家の現当主・義元は、内政家であった。そうではあるが、義元は戦や外交が下手な訳ではない。役割分担として内向きは義元、外向きは雪斎というだけである。しかしその役割を分担した事が、将来の足枷になるのではないか、と雪斎は考えていた。

自分の死後、誰が戦や外交を担うのか。

国境争いなら譜代の家臣で十分であろう。国同士の外交、謀略となると、どうしても手札が足りない。義元自身がやらねばならぬのだ。義元自身に外交や戦などでの充分な実績があれば問題はないのだが、それがない。雪斎の肝煎りで、という案件が多い。

「海道一の弓取」とは言われてはいるが、本当に周りがそう思っているかはまた別の話だ。義元の後継者が育っているのであれば問題はなかった。しかし嫡子氏真は贔屓目に見てもその器ではないように思える。自分が生きている内に何とかせねばならない。


 「…雪斎どの、聞いておられるか」

いつの間にか、高力、本多の両名はその場を退いていた。朝比奈太郎が雪斎に気を使って退かせたものらしかった。

「…ああ、鳴海攻めは朝比奈どのに任せよう。後詰は必要でござるかな。岡崎勢を呼び戻してもよいが」

「それには及びますまい…手出し無用、とは申さぬ。遠巻きにご覧になって貰えれば結構でござる…岡崎勢など居らずとも、我等のみで充分事足り申す」

「虚心に訊こう。朝比奈どのは岡崎どのをどう思われる」

「…今川一門として、御屋形様を守り立てていただければ…と思うて居りまする。そう御屋形様もお考えのはずじゃ」

「確かにのう」

「確かでなければ困る。腹に据えかねる事はありまするが、そう思わねばなりますまい」

「腹に据えかねる、か」

「政事と私事は別にござる故、譜代筆頭としてそうお答え申した」

「ははは、虚心に、と申したはずだが」

「虚心でござる。であればこそ、ご連枝どのの手を借りる訳にはいかぬのでござる。ご連枝どのは見事に初陣で大功を立てた。それで充分でござらぬか。軍師どのも素直に喜べと先ほど申されたはず…これより後は今川譜代の戦にござる」

「…その心意気やよし。では鳴海攻め、任せましたぞ」

「畏まった。では進発致しまする」





 高力与左衛門と本多作左衛門は、松平元信へ安祥の状況を報告する為に刈谷に戻っていた。

「はは、朝比奈どのはお怒りであったか」

「左様にござりまする、あれが味方とはひどい話じゃ。のう、与左衛門」

「…それは置いておくとして、雪斎名代どのは刈谷攻めの件、喜んでおいででござりました」

「そうか。余計な事ではなかったかと、内心畏れておったのじゃ。で、他には何が申されていたか禅師どのは」

「それが特段、指図は何も…」

「それは何もせずともよいと云う事か」

「申し訳ござりませぬ、今後のお指図、全く失念して居りました」

「ふむ…何かあるなら追って沙汰があろう。作左衛門、刈谷の領民への乱暴狼藉は必ず死罪と皆に再度申し伝えよ。与左衛門、いつお指図があるか分からぬ、いつでも進発出来るよう支度を怠るなと伝えい。二人はこれから戦目付ぞ、分かったか」

「はっ」

「承知仕りました」

二人が出ていくと、入れ替わりにどう見ても大身らしい派手な具足の男が幕内に入ってきた。

「中々の大将ぶりじゃの、竹千代…ではない元信どの。今川方にしとくには勿体ない。このまま織田につかぬか。お主の母者も喜ぼう」

「…滅相もござらん。今川方、織田方に別れておるとはいえ、親類同士が相争うては益々今川と織田につけこまれる…そう思うて此度のお話をお受けしたまでにござる。この元信、そんな節操のない男ではござらん」

「はは、律儀よの元信どのは」


 派手な具足の大身らしき武士は、水野藤四郎であった。彼は織田信広の命を受け、鳴海から常滑に渡り、常滑から刈谷に戻って松平元信と接触していたのである。刈谷や常滑が岡崎勢に服したのは、彼の力によるところが大きかった。

「お互い切なき身よの。織田と盟を結んだとは云え、今の水野は織田の使い走りに過ぎぬし、岡崎へ戻ったとは云え、お主も三河どころかその西半分も治めては居らぬ。詰まらんとは思わぬか」

「思いませぬ。何分まだまだ修行中の身にござる故」

「そうか…そろそろ鳴海攻めが始まると思うが、元信どのは後詰に向かわれるのか」

「いえ、このまま常滑に向うて知多に睨みを効かせまする」

「…そうか。では俺は鳴海に戻ろう。もし織田が負けたらその時は頼む。ではまた、いずれ会おう」


 敵に功を貰う。いや、向こうも算盤通りに事が進んでいるのだから、叔父御に功を立てさせた事になるのだろうか。元信にはまだ分からなかった。

知多を押さえれば味方が有利になるのは分かっていた。知多が織田方なら今川勢は側面から攻撃を受けるのだ。水野藤四郎から話を持ちかけられた時、正直元信は驚いた。自分に知多を押さえさせるというのだ。

織田が不利になるではないか。そもそも叔父御は織田方だし、自分が攻める目標はその叔父御の領地なのだ。

鳴海に向かう軍勢を減らすためだというが、本当にそれだけなのだろうか。岡崎勢二千が知多に留まったところで、今川勢は元々大軍なのだ。あまり意味があるとは思えなかった。雪斎禅師からの指示もない。状況を、様子を見るしかない。

元信はそこまで考えて、ふと気づいた。

この後、味方が、今川勢が負けていたらどうなるのだろうか。

当然、今川勢は撤退する。誰かが殿に立たねばならない。誰が殿を引き受けるのか。元信はゾッとした。





 「水野どのが戻って参りました。上手くやった様にござりまする」

「重畳。では我等は一旦退くぞ左兵衛…まこと大丈夫か」

「鉄砲の援兵五百が居りまする。それにこの五百は織田勢の至宝にござりますれば、必ず還さねばなりませぬ。その為にも死ねませぬ。大丈夫でござりまする」

織田信広は名残惜しそうな、申し訳無さそうな、どちらとも取れる顔をしている。

そりゃそうだろう、俺たちと水野党を残して那古野まで退くんだからな。水野党も途中で居なくなる。彼らには信長から借りた鉄砲五百を連れて帰って貰わねばならない。そして最後には俺達も居なくなる。どれだけ今川勢を減らせるかが肝だ。計画では最後にこの城に火を放つ訳なんだけど…。死ぬより嫌かも知れないな…。

「苦労をかけるぞ。必ず生きて戻れ」

「そのお言葉だけでそれがしの忠心は末代まで伝えられましょう。有り難き幸せに存じまする」

信広率いる三千五百が鳴海を離れていく。その軍勢の中には、身重のせきも交ざっていた。逃げる前提の戦といえ、何があるか分からない。せきは嫌がったが、当然だ。

岩室八郎兵衛が走って来る…そろそろかな。

「物見より注進、敵は朝比奈勢、およそ四千から四千五百。池鯉鮒を抜けて、まもなく有松にござりまする」

四千から四千五百…約三倍。こちらは千五百…朝比奈勢だけで三倍か…気が遠くなりそうだ…さて、気合い入れて頑張るか!



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