分かれ目
「殿、よろしゅうござりまするか」
縁側から藤吉郎の声がした。…まだ許可もしとらんのに入って来る奴があるか。
「どうした」
「大体は皆さまに触れましたが、やはり要は殿でないといけませぬ。文の方は終わりましたので」
皆に何を話したのか俺が聞くと、藤吉郎は広間での事を話し始めた。
「…それがしは遠慮いたしましたが、般若介さまが話せと申されましたので」
藤吉郎の見立てはやはり鋭い。さすがだなあ。
「何故最後まで云わなかった」
「殿のお心とそれがしの見通しが違った時が恐ろしゅうござりまする故…」
「俺とヌシの考えが同じならどうだ」
「さしずめそれがしは…今孔明にも劣らぬ名軍師」
「違っていたなら」
「殿のお心が判るとうそぶく増上慢でござりまする。されど、どちらにしても皆に嫉まれる恐れがありまする。それがしはまだ新参、その様な事は避けたいもので」
「もう一つあるぞ、俺では無くてお前の見通しが正しいという事もある」
「滅相もない、畏れ多き事にござりまする」
成る程なあ、確かにそうだろうな。藤吉郎が出来物、という事を理解しているのは俺だけだ。今の藤吉郎は目端の利く新参の小者にすぎない。多分オトナの皆も、俺が藤吉郎の事を目端が利くからスパイとして使っているだけ、と思っているだろう。嫉妬されないのは藤吉郎のキャラクターと奴自身の気配りによるものだ。今なら藤吉郎が信長に仕えた時の苦労が分かる。草履取りの小者から成り上がるのはやはり並大抵の事ではないのだ。
「では…お前はどう見る、此度の尾張攻め」
「雪斎入道は、今川治部に冥土の土産を渡されようとして居るのでは…と」
「冥土の土産だと」
「はい。もう随分とお年を召されて居ります故。殿が駿東で暴れなんだら、甲相駿の会盟が冥土の土産ではなかったかと思し召しまする」
「雪斎入道が己の臨終を悟って此度の戦に臨むと云うのか」
「はい。今川の制は久しく内向きは今川屋形、外向きは雪斎入道となって居りまする。それがしの元の主人も、『入道はその上の鎌倉執権のごとき物よ』とよう申しておりました」
「そうだな、元々お前は今川侍だったな」
「はい。雪斎入道亡き後、外向きの事をどなたがなさるのであろう、という事を直臣陪者問わず話して居った事もありまする」
「それはそうだろうな」
「はい、今川屋形とて戦の指図が出来ぬ訳ではござりませぬ、されど屋形が出陣なさるとすると、留守居をするのはどなたかと云う事でござりまして」
そうか、雪斎入道は自分亡き後の今川家を危ぶんだのだ。武田北条と結んでいれば、少なくとも背中と脇腹を突かれる事はない。
「残るのは彦五郎…氏真か」
「今川屋形の嫡男どのは政事にも戦にもあまり興味がない様子。雪斎入道はご後継の教育の事で屋形にも諫言なされた事があるとか。姪の瀬名姫を竹千代どのに嫁がせたのも、案外まことにご連枝衆として今川を盛り立てる為なのかも知れませぬ」
「となるとやはり目の上のタンコブは織田家か」
「はい。織田を立ち上がれぬ様にする、これで西の守りは充分…それ位の事をせぬと武田はともかく北条は会盟には乗って来ぬと思いまする。三国で盟を結ぶ…さすれば今川屋形が彦五郎どのとなっても三河はともかく遠駿は保てましょう」
ずっと義元上洛の為の三国同盟と思っていた。でも今川家存続の為の三国同盟という見方も出来るのか。確かに跡を継ぐのが氏真じゃ、入道も心細いだろう。入道はずっと義元を補佐してきた。今川家は入道にとって人生をかけた作品なのだ。自分の死後の事が抜けていたのでは、画竜点睛を欠く、というものだろう。
雪斎入道が史実通りに死ぬとは限らないが、そう長くないのは確かだろう。となれば…。
「藤吉郎、先ほど云うた通り善四郎が岡崎に帰参する。与力せよ。岡崎にて中嶋清延を通じて鳥居伊賀に会うのだ」
「はっ」
「この文を鳥居伊賀に必ず渡せ。いいな」
「後はそれがしのよろしいようにやっていいので」
「そうだな。だが出陣となったら戦が終わるまで善四郎に付いてやってくれ」
「畏まってござりまする」
藤吉郎が出ていくと、横でずっと俺と奴のやり取りを眺めていた林佐渡が口を開いた。
「あ奴は…新参か」
「左様にござりまする。中々目端の利く奴にござりまして、細作働きなどに使うて居りまする」
「ふうむ。名は藤吉郎と云うのか」
「はい。木下藤吉郎と申しまする。お目にかけてやって下さいませ…さて、ちと広間に戻りまする故、ささ」
さ、広間に戻って皆にも説明しないとな。
四月二十日 清洲城
「して、諏訪の跡取りの顔は如何であったぞ」
「利発な顔つきにござりました。あの若君なら市様もご満足かと」
「ハハ、たわけめ、まだ互いに雛人形の様な歳じゃぞ。聡い生まれつきであっても今後の育ち方でどうとでも変わるわ」
「左様にござりましょうが、市様の嫁ぎ先としては申し分無き相手にござりまする」
「フン、ヌシも云う事が爺に似て来たわ」
「父の苦労がやっと判った様な気が致しまする」
「よく云うわ」
大殿三郎様は左兵衛からの文に目を通しながら鼻糞を丸めている。何とも器用なものだ。
「監物よ、この文を読んでみよ」
「はっ」
…武田に美濃への出兵を促し、那古野城を捨てよ、じゃと?
「これは…」
今川勢をこちらに奥深く誘い込んで、入道を討つ魂胆か。されどこれは…。
「どう思うか」
「良き策かと思いまする」
「鉄砲足軽を五百貸せ、とも記してあるの」
「はあ、判りまするが…」
「しかもこの策は信広兄者も了承済みと記してあるの。兄者の下には如何ほどの与力がおる」
「はっ。信広様を含め三千程かと」
「その数は確かか」
「水野党、知多の国人達の向背次第にござりまする」
「フウム。確か水野藤四郎は竹千代の伯父であったな」
「左様にござりまする」
「藤四郎は今川に付くと思うか」
「今川に付くのなら、今でなくともとっくの昔に今川方に付いておりましょう。藤四郎どのは知多の主になりたいと思うておる節がありまする、今川に付く事は有りますまい」
「であろうな。よし、水野藤四郎に命ぜよ。知多は切り取り勝手とする。改めて俺の下知を待てと」
「畏まって候」
大殿が手を叩くと、隣の間から道三様と前田又左が現れた。
「舅殿、お聞きの通りにござる。頼まれても宜しきや」
「おおよそ察しはつくが…武田への催促じゃな」
「左様でござる。お願い出来ようか」
「儂は構わぬが…武田に美濃に出られては後々婿殿が困った事になりはせぬかの。どうじゃ監物」
どう答えたものか…。
「武田は北信、越後と未だに戦の最中でござりますれば、美濃へ本腰を入れる事は無いかと推察いたしまするが…。我等から援軍を求められても、国ざかいを犯す事は致しますまい」
「ほう」
「国ざかいを犯す事は無くとも、美濃を侵す素振りを見せて貰えばそれで充分でござりまする、それだけで范何…義龍どのは動けなくなると推察致しまする」
「…ふうむ、やはり今川と美濃の繋ぎはあると思うか」
「何の策も無く尾張に攻め寄せる雪斎禅師とも思えませぬ、繋ぎは有るものと見て居った方が宜しかろうと」
「ふむ。そこまで読んで献策したのであれば…大和左兵衛という男、鳴海の大将で終わる男では無いの」
「はっ、ちと抜けた所もありまするが、頼りになる義弟にござりまする」
「益々織田は栄えるの。我が愚息にも見せてやりとうござるのう、まあそれはさておき婿殿」
「何でござるか」
「婿殿は左兵衛の策を上とされるのか」
「西を直に見ておるのは左兵衛でござる。その策に乗るのも良かろうかと」
「ふむ。されどこの策をそのまま採るとなると、下手すると左兵衛は死ぬるやも知れんのう」
「そうなるやも知れませぬが、あ奴とて己が死ぬるような間抜けな策は立てますまい」
「…ならばよいがの。よし、では儂は甲斐へ向かう仕度でもするかの。又左、仔細は任せたぞ」
「はっ、委細承知」
道三様と名残惜しそうな前田又左が居間を出て行く。
「…又左もちと大人になったようじゃのう、監物よ」
「はい。舅様の側に付けたのは間違いではなかった様に思いまする」
「鑓働きだけしておればよい立場では無うなったからのう、あ奴も」
そう言う大殿は少し寂しげな顔をしている。俺の視線に気付くと、俺の頬を思い切りつねってきた…。
四月二十八日 鳴海城
とうとう今川勢が駿府を出るらしい、と岡崎の大草善四郎が伝えてきた。今川勢の駿府発は五月一日。善四郎が鳥居伊賀に聞いたところによると、今川勢は強行軍はしないとの事で、鳴海に現れるのは多分五月八日くらいだろう、という。当然岡崎党にも陣触れが掛かっている。三河岡崎党の二千は安祥で今川勢の到着を待つ、との事だった。
「ではやはり三河勢が先手でごさりまするな。腕が鳴るのう」
「されど松平め、殿との密約がありながら今川の先手となるとは…」
「竹千代、じゃなかった松平元信が岡崎に戻った今となっては、その密約も無いものと同じだ。元信が駿府に居てこその密約なんだ、そう怒るな般若介」
「じゃと申して」
「岡崎党にしてみれば、主が戻って来たんだから無理に織田と仲良くせんでもいい訳だ。鳥居伊賀が三河勢の動きを教えてくれただけでも儲けものだ。そしてその三河勢が今川勢の到着を待つとなれば、三河勢は無理な戦をするつもりは無いって事だ」
「何故でござる。主が戻って来たからこそ死に物狂いで戦働きをするのでは」
「まあそれはそうだけどなあ」
到頭黙って居られなくなったらしい、俺と般若介のやり取りに内蔵助が割って入った。
「解らぬのか般若介。三河勢は今まで死に物狂いだったのじゃぞ。確かに喜び勇んで死地に飛び込むかも知れぬが、それで三河勢が磨り潰されでもしてみろ、折角主が戻って来たというのに残るのは主だけではないか。却って不忠と云うものじゃ。後詰の今川の大軍が居るのに誰が死に急ぐ戦をするものか」
「では戦わぬと申すのか」
「そうではない、無理に死に急ぐような戦はせぬだろう、という事じゃ。岡崎党は新しい当主に戦働きは見せねばならぬし、その新しい当主は嫁を迎えた後の初陣じゃ。駿府屋形の姪の婿を死なすような算盤を雪斎禅師がするものか」
「…内蔵助。お主、オトナじゃのう」
「それくらい判らんでどうする」
「それくらい、か。相手の算盤で戦をせねばならんとは、まどろっこしいのう」
「何だと」
「二人共それくらいにしておけ、軍議じゃぞ今は。…とまあ、この様な案配でこざりまする信広様」
鳴海城の大広間、上座には織田信広が座っている。三郎五郎というのが通り名だけど、信長も三郎、後ろを取って五郎と呼ぶと若旦那と勘違いされる。俺も最初は三郎五郎と呼んでいたけど信広でよいと言われたのでそう呼んでいる。
「…なんでまた、俺がこちらに居る時にいつも今川は大軍で来るのか…先の安祥の戦で懲り懲りじゃと云うに」
信広は安祥城を巡る戦いで今川の捕虜になったことがある。その時の捕虜交換の相手が織田に人質にされていた当時の松平竹千代、今の松平元信だ。
「与し易しとでも思われて居るのか…いやはやなんともじゃ。左兵衛よ、オヌシの事は買って居るが…此度の戦は荷が勝ちすぎぬかえ。そうは思わぬか勘十郎」
今日の軍議に名を連ねているのは、織田信広、織田勘十郎、水野藤四郎、久松佐渡守、岡田助右衛門。
「案外、今川も大和どのが目の上のタンコブなのかも知れませぬなあ。鳴海一つ取るには大仰すぎる催し方かも知れませぬが、此処が有るのと無いのではだいぶ違う」
…言う様になったなあ勘十郎…。
「手前もだいぶ荷が勝ちすぎるかと思うておりまするが、相手が来る故仕方有りませぬ」
大体だなあ、俺をこんなとこに置くからこうなったんだぞ。俺はまだ死にたくないんだ…その結果こんな大いくさをする破目になったのも事実だけども…。
「されどよう今まで耐えたのう。殊勝じゃぞ。儂も今川に負けっぱなしでは大殿に合わせる顔が無いでの、此処等で皆をあっと言わせんといかん。頼むぞ左兵衛」
「ははっ」




