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戦国異聞  作者: 椎根津彦
抱卵の章
101/116

文殊の知恵

 「大殿、左兵衛より便りが参って居りまする」

俺の言葉で三郎様はぴょんと飛び起きた。

清洲城の奥には三郎様と濃様、舅の斎藤道三どの、それに俺。

奥に呼ばれて正月から御酒下されとは忝ない限りだ。

「ふむ。見せろ」

俺が便りを差し出すと、またゴロンと寝転がって便りを広げて読み出した。当然、舅どのも濃様も覗き込む。

「これは…何やら面白き、では無うて不穏でござるな大殿よ」

「舅どのに大殿などと呼ばれるのはこそばゆうてなりませんな」

嫡子義龍どのに美濃を逐われた舅どのは当然、三郎様に降られた。それ以来、舅どのが美濃攻めを任されている。

美濃攻めといっても力攻めでは無くて、調略が主だ。

三郎様は美濃攻めを急いではいない。

俺も含めたオトナ共の腹案を進言すると、

「監物の策を採ろう」と仰って下さった。


 「駿東の策は思うたほど上手くいかなかった様だのう」

「御意。駿東で事を起こした事が却って三河を固める事となってござりまする」

「今川治部がまさか竹千代を三河に戻すとは思わなんだ。…ときに舅どの」

「なんでござろう」

「舅どのが今川治部なら、如何なさる」

「儂が今川治部なら、か。…駿東は放って置いて西に進むじゃろうな」

「何故にござろう」

「坂東、いわゆる東国は面倒でござるからの。駿東での揉め事は国ざかいのいざこざじゃ。鎮まって居った物を左兵衛とやらがまた火を着けただけ。東国にもっと大きい火種を抱えとる北条としては早う消したかろうし、今川治部も伊豆を引っ掻き回して北条の恨みは買いたくなかろう。それに北条が痩せ細れば東国侍やら上杉やらと直にかち合うのは今川じゃからな」

「成程のう。五郎なら如何じゃ」

「それがしも舅さまと同じにござりまする」

「知恵者二人がそう思うか。俺も同じだ。これが文殊の知恵ならば、左兵衛の見立て通り今年は大いくさじゃのう」

「大殿よ。その大いくさじゃが、時期はいつ頃と見る」

「田植えも終わった…五月頃かの」

「さもあろう。分かって居るのであれば手の打ち様もあろうて。これは正月だからというてのんびりもして居れんのう」


 よいしょ、と舅さまは立ち上がると、孫はまだか桔梗よ、と言い捨てて舅さまは奥を出て行った。

「大殿、舅さまの言う通りでござりまする。いくら濃様が頑張っても、一人相撲では困りまするぞ」

「五月蝿いのう…世継ぎか。世継ぎもそうじゃが今川治部を何とかせんことにはのう」

そう言いながら三郎様は茶道具の支度を始めた。三郎様自身も茶を立てるが、近頃は濃様にも教えているようだ。

「それ。濃、茶じゃ」

「はい」

左兵衛からの便りを濃様も見て居られた。思うところはあるのだろうが口出しはしない。湯を沸かす音だけが奥に響いている。


 「濃よ」

「何でございましょう」

「濃が俺なら如何する」

これは夫婦の話だ。俺はその場を離れようとしたが、三郎様に止められた。

「わたくしが大殿なら、でございますか」

「うん」

「女としては言い辛うございます」

「今は女ではない、俺として答えてみい」

「市どのの嫁ぎ先を探しまする」

「市のか」

「はい」

目から鱗とはこの事か。三郎様も一瞬ぽかんとして居られたが、俺のほうを見て笑い出した。

「カハハ、市には子作りはまだ早かろうて。…確かに女としては言い辛いかもしれぬのう」

「はい。せめて市どのの器量に恥じない良き良人を探してやらねば、と濃は常々思うて居ります」

濃様は深々と頭を下げた。大殿は丸めた鼻くそを指先で弾いている。


 茶が終わると大殿は、ひと鞭当てるか、着いて参れ、と奥を飛び出した。急いで追う。

着いたのは生駒屋敷だった。

「蔵人は居るかっ」

声で大殿と気付いたのだろう、慌てて生駒蔵人が飛び出してきた。

「これはこれは。正月早々、何ぞ火急の御用がごさりまするか」

「おう、火急も火急、市の嫁入り支度をヌシに頼もうと思うてな」

「は…。オトナ衆からは何も聞いて居りませぬが」

「ついぞ今決まったのじゃ。知っているのは監物だけよ」

生駒蔵人が俺を見る。苦笑を返すしかない。

「左様にごさりまするか。で、ご相手はどこのご家中の御曹子で」

「それはまだ決まっておらぬ」

「え」

思わず下を向いてしまった。笑いが堪えられぬ。

「蔵人どの、わからぬか。お市さまの婚儀にかこつけて大殿は吉乃どのに会いに来られたのじゃ…あ痛っ」

余計な事を言うなと大殿が拳と目で訴えている。

「…成程成程。これ吉乃、大殿がお見えじゃ」

奥からドタドタと音がしたかと思うとしんとなり、大殿は上がるぞ、と言い残し表に消えて行った。

「ハハ、蔵人どの、これで話が出来る。上がってもようござるか」


 きゃあ、という黄色い声と共に馬の音がする。それと同時に蔵人の家人が走り込んできた。大体想像はつく。

「ふむ。よい、下がれ。…大殿も相変わらずでござるな監物どの」

「正月でござる。目を瞑ってくだされ」

「まあそれはよいとして…婚儀の話はまことでごさりまするか」

「まことでござる。が、相手にはこれから話を持って行くでな。それ故、いつ婚儀にとなってもよいように蔵人どのの所に来た、という訳じゃ」

「えっ、ではそれがしが婚儀の差配をせねばならぬと云う訳で」

蔵人どのは先が思いやられる、といった顔をしている。

「心配召さるな、儂も手伝う。嫁ぎ先は決まっておらぬが、心当たりはあるのじゃ。内々故まだ申せぬが、衣装やら何やらといった道具は揃えておいて貰いたい。嫁ぎ先は津島代官としてのお主の奉公にも関わってくる」

「成程。畏まってござりまする。…ああ、申し訳ござらぬ、酒も出さずに」

「ハハ、まだ昼でござるぞ」

「正月ゆえ昼間から酒を喰ろうてもバチは当たりますまいて」

…ありがたく頂くとするか。三郎様は何処へ行かれたのか、全く。

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