8話
あの虐殺といえるような一方的な勝利で終わった戦闘の後、彼は油断なく辺りを見回し、警戒を続けていた。
いつ何時でも対応できるように【即神術】と【軽身術】を併用しながら、索敵を続ける。
すると、どこからか微かな物音が聞こえる。【即神術】により強化された知覚、つまりこの場合、彼の聴覚はその僅かな音でさえも聴き逃さなかった。
物音を聞くや否や、彼はその方向に向かって一目散に駆け出した。
そして、その物音がこの盗賊の住処であるこの村の中で一番豪勢で大きな家の中からだ。
彼の研ぎ澄まされた感覚は耳を扉に当てるなどというような確認作業を必要としない。それに確認するまでもなく、ここには何か隠されていると一目で分かった。
それはなぜか? 鍵と鉄の鎖で固定されていて、何かあるぞというような気を放っている。
そこで彼は刀を抜き、【神刀術】を使いその鉄の鎖ごと斬ろうとする。
火花を上げ高い音を出したが切断には至らなかったようだ。
「チッ」
小さく舌打ちをする。いくら業物とは言ってもこの太刀では、今の彼の力では斬れなかった。
仕方ないと気が乗らなそうに黒刀を抜く。それもそのはず、正気を失うまでではないが未だに憎しみの声や怨嗟の声がこの刀から伝わるからだ。
再び集中して振り下ろす。今度は音も火花も立てず、さらには斬った感触さえも残さずに両断した。やはり太時化羅命から貰った、この妖刀は、大層な切れ味を持つようだ。
用心しながら家に入ると、明るく辺りに物が散らかしてあり、酒瓶やら武器やらが散乱していた。
家の奥に行くとそこには鎖で繋がれた女性たちの姿があった。
盗賊たちが付近の村や町から攫ってきたのだろう。女性たちは皆怯え、震えている。着ている物も汚れあちこちが擦れた粗末なものを着ていた。それは服と言うよりも布切れである。
彼は刀を納め、お決まりの言葉を言う。
「大丈夫か?」
もちろん大丈夫ではないだろう。女性たちは、切り傷のある者、痣のある者ばかり抵抗したときの傷だろうが、そうなるとやはり彼が来るのは遅すぎたようだ。
大丈夫かという言葉をかけられ、女性たちからの明らかな敵意は消えつつある。それに、安心させるには彼はあまりにも無表情すぎた。
だがそんな彼にも感情はあるようで、この惨状を見て微かな憤りを抱いた。
思わず腰の刀に手がかかり抜き放った。盗賊に対して怒りから殺気が溢れ出す。
全身を血で真っ赤に染め上げ、刀を手に女性たちのほうにゆっくりと近づく。そんな彼を見て、女性たちは盗賊以上に恐怖心を抱き、泣き叫ぶ者、気を失う者までいる。
怒りによって彼の中の才能がまた一つ開花したようだ。今さっきまで斬ることのできなかった彼女たちを繋ぐ鎖を只の太刀で斬って見せた。
女性たちは自分たちが斬られると思ったのだろう、呆然として声も発せないでいる。
その様子には目も振らず、仕事は済んだとばかりに今度は辺りを物色し始める。
そして彼が手にしているのは黒い衣服と黒い皮製の袋。それを取り、手当たり次第に使えそうなものを詰め込んでいく。
「これで整ったか」
おそらく盗賊たちが盗んできた物ではあると思われるが戦利品と思い、躊躇なく持ち去る。
彼は残った女性たちに慰めも優しい声を掛ける事無く出て行った。
「騒がしいな」
戻ってみると、町全体がお祭り騒ぎのように浮かれ、はしゃいでいた。
彼に気づいた門番が駆け寄ってくる。
「盗賊たちはどうした?」
彼のなりを見て、分かってはいるのだろう笑みを浮かべ聞いてくる。
なぜ答えが分かっているのに聞いてくるのか。彼は面倒で仕方なかった。だから言葉少なに答える。
「斬った」
「本当か! ありがとう! あんたはこの町の英雄だな」
満面の笑みを浮かべるのに対し、彼は眉間のしわを深くする。なぜ盗賊どもを斬っただけで英雄扱いされなければならないのか。
「うざいからいい」
「そう言うな。まずはともあれ、無事に帰って来てくれて嬉しいよ。まあ何だ、報酬の件で町長から話があるそうだ。付いて来てくれるか」
「さっさとしてくれ、早く体を洗いたいんだ」
彼はきれい好きというわけではない。だが、返り血と僅かにかいた汗で、衣服が体に張り付いたり、血が固まって動きづらく、とても気持ちが悪いのである。
「ああ、分かった。すぐに連れて行く」
そして足早に町長の家に向かっていった。
「あれが英雄様? カッコいい~」
「うん、ちょっと怖そうだけど、寡黙で強そ~」
「強いのなんて当たり前じゃん。だってあの盗賊たちを一人で倒したんでしょ」
「そうだけど。そんな風に見えない位綺麗って言うか。男の子に綺麗って言うのはおかしいかもしれないけど、綺麗じゃない?」
「確かに~」
猫耳のギャルや娘だから、キャンギャル、と名づけよう。また別のもののような気がするがこれはこれで。
「おい、あいつが盗賊を倒したって噂の……」
「ああ、あいつに違いねえ。返り血の量が尋常じゃねえ」
「それに見ろよ。ピンピンしてるじゃねえか。もしかして、怪我一つしてねえんじゃね」
「いや、あの盗賊ども相手にそれはいくらなんでも」
「いや、だってよ。普通に歩いてるしよ。よく見ると服も、どこも破けてねえじゃんかよ」
「確かにな。そうだとしたらどうすれば、あんな風になれるんだろうな」
「俺はあいつみたいにはなりたくねえな。確かに見た目もカッコいいし強いのには憧れる。しかし、だ。あいつは化けもんだ。ああいう風にはなりたくねえよ」
『それもそうだな』
「でもよ。一度でいいからあんな顔になりたくねえか。町中の女どもを虜に出来るぜ」
「それは思った。一度でいいからなってみてえな~」
男たちには恐れられ、羨ましがられている。
早い話なぜか、彼がしたことが町中に広まっているということだ。
そんな様子に彼はますます渋面になった。
そして、ついに到着、木谷邸。
『お帰りなさいませ』
総勢十は超えるであろう給仕たちのお出向かいである。
これがまた彼を苛立たせた。やらせた本人は満面の笑みを浮かべ、良かれと思いしている。
「満足いただけたかの。英雄殿」
その笑みに、刀を向けた。
「うざいぞ。誰がやれと言った。報酬の話がしたいところだが、まず先に風呂だ。あるか?」
「おお、相変わらず、恐ろしい。もちろんあるぞ。これ、案内しなさい」
いきなりの要求にも笑みを崩さず答える町長、天晴れである。
「こちらへどうぞ英雄様」
そして彼は連れられて浴場に着いた。
十畳ほどの広い檜の浴槽。露天風呂になっており、整えられた庭園の一望できた。
これには彼も満足のようで、眉間のしわも取れ満喫している。
その静寂を破るように脱衣場の方から声がかかる。
「お背中流しに参りました」
若く女性の給仕の声だろう。一般の男にとっては嬉しいが彼にとっては鬱陶しい。
「そんなの要らん」
冷静に即座に突っぱねる。
「そう言われましても、旦那様の指示ですので」
「そうか。ではそれは客である俺の意見よりも重要なものなのか? 俺がいいと言っているのだから、来なくていい。斬るぞ」
「わ、分かりましたそれでは失礼いたします」
「やっと静かになったか。奴には文句を言うか」
そこには口元に笑みを浮かべ佇む、珍しく上機嫌な彼がいた。
空は風呂上りに、この世界での牛乳を飲み、今は豪勢な料理に舌鼓を打っていた。
「ふむ、うまいな」
ポツリと呟く。その声は小さすぎて誰にも届くことはなかったが、彼が満足しているということは表情にこそ出さないものの、箸を進めるスピードから窺える。
そして、食べ終わるといよいよ本題に入った。
「行く前に言っておいた物は用意したのか」
「もちろんじゃ。今お主が休んでいる間に町のものたちが様子を見てきての。あの【南の斧】が壊滅したことが確認されたのじゃ。おぬし一人でよくぞ……本当に感謝してもしきれん」
そう町長は涙ぐみながら言った。
「それでじゃ。その中にはもちろん賞金首が含まれておる。その分の報酬と旅に必要なものは全部こちらで揃えた。だが、それでも今回のことと比べると微々たる物じゃ。本当にこれだけでいいのかの?」
「ああ。だが、一つだけ聞きたい。あの町の騒ぎはあんたが?」
この町の浮かれようを彼は町長が指示したのでは勘ぐっていた。そして、なぜか、自分がしたことも知られている事についてもだ。
「うむ、わしがこれから盗賊どもがみな倒される、と町の者に告げたが、それだけじゃ。この祭りは町の衆がみな自主的に行っていること。わしはそこまで言ってはおらんよ」
「やはり、発端はあんたか。なら、この騒ぎを止めるのもあんただ。止めろ」
「むう、そうは言ってものぉ」
「そうか。それなら仕方ない」
青年の意外なまでの引きのよさに驚き、そして本能的に疑う。何かある、と。
「では、その代わりに盗賊の住処にいた女たちをここで雇え」
「む? どういうことじゃ?」
「そのままの意味だ。おそらくだが、もう少しすればここにも何人かの女たちが来るだろう。そいつらを雇えということだ」
彼の口からはせられた言葉にこの老人は呆気にとられた。もちろん、今回町のために動いたのだからそれなりの正義感はあるのだろう。だが、どうしてもそこまでの情けをかけるような人には見えなかったのである。
「分かった。他ならぬお主の頼みじゃ、それも致そう。ほかには何かあるか?」
「いや、ないな」
「そうか。おぬしは長々と話すのがあまり好きではなさそうなのでな。このまま用意したものについて話そうと思うのだが、どうじゃ?」
「……」
彼は答えない。ここでの沈黙は続けろという意味なのだろう。そう解釈し話を続ける。
「まず、生活必需品じゃが。保存の利く食料と水を用意した。次に旅に必要な物じゃが、今この町にあった最高のものを用意した」
町長の話では、その代表的なものは自分の状態を確認することのできる、魔法の手鏡。
魔力を溜めて置ける魔石。これは、いつでも魔力を溜める事が出来、逆に魔力が足りないときにはそこから引き出すことが出来るというもの。
この辺りの地理が詳しく書いてある地図。
そして、切れ味を磨き上げる砥石。だが、これは一般の刀向けであり、妖刀の黒刀には斬れ味が落ちることはないため、その必要は無い。
どれも、みな高級な物ばかりで、魔石には予め限界まで魔力が込められているらしい。
「他に必要なものはあるかの?」
「無いな。今日泊まるのはどこだ」
「わしの家の離れを使ってくれ。また何か必要なものがあれば、使用人にでも言いつければ用意させよう」
「そうか。あんたには世話になるな」
この感謝の言葉に、町長は目を丸くして驚く。
「どうした」
おそらくこの青年は根はいい人間なのだろう、どこかで自分を殺している気がしてならない、と思えた。
だが、素直に言えば、それこそ殺されかねないので笑って誤魔化したが。
そのやり取りの後、彼の長い異世界1日目は幕を閉じた。
朝は早々と目を覚まし、朝食をとる。また騒がれないうちにこの町を出て行こうと思ってのである。
昨日も夜遅くまで、町は騒がしくお祭り騒ぎであったのでおかげで彼は少し不機嫌になっている。
「早い目覚めじゃの。まるで年寄りのようじゃ」
「……」
黙々と食事をし続ける。
「どうじゃ、美味いかの?」
「ああ」
どうやら、彼は用件のある時と、関心のある時には口を開いてくれるようだ。
「それは、よかった。英雄様に満足なされたとなれば、わしの誇りにもなろう」
「その英雄と言うのはやめろ」
「この偉業を成し遂げたのに、英雄と言わずして何と言うのじゃ? それとも名前を教えてくれるのかの?」
「……分かった。好きに呼べ」
「そこまでして言いたくないのかの? なぜじゃ?」
「大それてるからな」
「ふむ。もしそうだとしてもそれは誇ってよいのではないかの? 現にそれに見合うことをしておるではないか」
「……」
彼にとっては、他人がなんと言おうが変えるつもりの無いことだった。
「そうか、ならよい。それでいつ出発するのじゃ?」
「食べ終わったらすぐに出る」
「もう少しゆっくりしていかんのか?」
「ああ」
「ではせめてもの餞別じゃ。これを」
何か書かれた文であった。
「何だこれは」
「わしの紹介状じゃ。これがあれば、おぬしが金に困り、駆逐者として働くときに優遇してくれるじゃろう」
「駆逐者とは何だ?」
「魔物を狩る者の事じゃ。それを生業として生計を立てておる。そこで名を上げれば、軍に入るときも優遇されるじゃろうて」
「そうか」
そして、食事を取り終えると荷物を手に席を立った。
これほど朝早くに出れば、騒ぎにならないだろうと言う予測の元に出たのだが、そう上手くはいかなかった。
それは彼が元の世界の基準で以って考えていたからである。この世界の住民の仕事始めは早く。朝だと言うのに人通りも多い。
一人に見つかると、案の定一人また一人と鼠算式に増えていった。それでも前をふさぐものは居なかったので、無視して突っ切っていた。
「英雄さまぁ。家にこなぁい?」
やたら甘い声をかけてくる女性。
「よお、英雄様。旅に出んならこれ持って行きな」
無理やり肉を持たせようとする中年の男性。
「やっぱり、カッコいい~」
「うん、カッコいいね。私あの人に贈り物持って来たの」
「ええ~、抜け駆けじゃん。ずるいよ~」
「私も家から持って来よっと」
「あ、私も~」
と、黄色い声の数々。
「俺、あの人の弟子にしてもらおうかな」
「お、それなら俺も。強くなりてえし」
「よっしゃあ、行こうぜ」
若い青年たちが土下座する勢いで頼み込んで来たが、彼も堂に入った対応で。すべてを無視し切った。
そしてもう町を出ようかというところでいかにも柄の悪そうな連中が門の前で屯していた。それぞれ、大剣や脇差やら、弓やらで武装している。
「世尾、お前英雄なんだって。ちょっと相手してくれや」
横柄な態度を取る若者たちが数人立ち上がった。
「邪魔だ」
「あぁん。ちょっとだけでいいからよ。ツラかせや」
このような若者はどこにでも居るものである。彼は黙って技能【威圧】を使い、ついでに今まで五月蝿かった町人たちに向かって殺気を向ける。
その途端に周囲を異常な空気が支配し、静寂が訪れる。
誰かがつばを飲み込む音が聞こえる。あまりの事に誰も動くことも声を発することも出来ないでいる。
「退け」
さっきまでの威勢のよさがうそのように素直に従う若者たち。
「喧嘩を売る相手はちゃんと選べ。次は殺す」
そして彼はすれ違いざまに刀を抜き、若者の持つ武器が切り落とされる。
それが音を立てて落ちるのと同時に若者たちも恐怖で崩れ落ちた。
そして彼は去り際にこんな言葉を残した。
「それと、お前らも騒ぎすぎだ。うざい」
大きな声ではなかったが、辺りが静まり返っている中ではよく響いた。
彼が去り、ようやく恐怖から開放されると今度は静かな熱狂が巻き起こった。この出来事は町の記録に代々受け継がれていくことになる。
そうとも知らず、彼は今日も当ても無く、さ迷う旅路を歩く。