2話
いつも通り俺は村を散歩していた。只今日は何かが違う。そんな事を感じていると俺の目の前に女神が現れた。
お、前にいるのは麗しの嬢ちゃんじゃねえか。ん? 何かいつもと様子が違うな。
「よお、嬢ちゃん」
正吾は片手を上げながら声をかける。
「おはようございます、正吾様」
未希が礼儀正しく礼をする。だが油断してはならない。それをしたが最後、手痛いしっぺ返しが来るのだから。
「いつも綺麗だなぁ。嬢ちゃんは」
さもどうでもいい、という感じで未希は平然としている。
「それはどうもありがとうございます。正吾様はいつもお元気そうですね」
「まあな、それが俺の売りだからな。嬢ちゃん、これからどこかに出かけねえか」
「お断りします」
即答である。しかし、そんな事では正吾はへこたれない。
「まあ、固いこと言うなよ。この村にいる限りは暇だろ。何も起きねえんだからよ」
その答えに彼女はため息をつく。
「それは正吾様だけです。生憎私にはこれから長老見習いとして仕事がありますから」
(この村で何か起きたのか?)
正吾は珍しい事もあるもんだと興味を持つ。
「ほう、そりゃあ何があったんだい? 教えてくれよ」
「あなたには関係のない事です」
そんな事を言いあっていると、一人の青年が家から出てきた。
その青年を見ると未希はすぐにそちらの方に寄っていく。正吾など眼中にないようだ。
「もうお体の様子はよろしいのですか?」
青年は服が破れ、全身血にまみれているが、不思議と血が出ている様子はない。
その様子を観察していた正吾は違和感を覚える。
(あいつ、何者だ? まさか全部返り血だとでも言うのか。でも、そんわけねえよな。服があんなに破けてるんだし、大方治療して治ったってところか。ん? どちらにしろ化け物だな)
「おうおう、そいつが用事のある相手か? 傷だらけじゃねえか」
その瞬間、青年と目が合う。その眼はとても透き通ってはいるが感情らしいものを感じ取ることができない。その不気味さに無意識に一歩下がる。
「坊主、お前何者だ?」
つい口調が剣呑になる。
「……」
だが青年には聞こえなかったのだろうか、そのまま歩いて行ってしまう。
「おい、待てよ」
その肩に手をかけようとした瞬間である。いきなり目の前の風景が天地逆転する。気づいた時には地面に仰向けになっていた。
(な、今何しやがった!?)
これまで正吾は兵士として第一線で働き、引退したといってもこの村一番の実力を持ち、経験も一番あるのは自分だと自負していた。それがなぜ地面に倒れているのか? 正吾には理解することが出来なかった。
「おっさん、邪魔だ」
見下ろされるように言われ、思わず頭に血が上る。
すぐに立ち上がり殴りかかる。後ろから殴りかかったのにもかかわらず、その拳が青年に届くことはない。逆に鳩尾に掌底を入れられ、後方に吹き飛ぶ。
「が、はっ」
正吾は咽びこむ。睨みつけても青年は動じる様子はない。
そこで正吾は瞬時に【速治術】を使い回復し、【軽身術】を使い距離を詰める。
腕を振り上げる。
だが気づいた時には青年の拳が視界いっぱいに広がっていた。再び倒れ伏す正吾。退役してから二度も吹き飛ばされるのは初めての事である。
目の前で起こる理解不能な事態に、痛みすら感じる事もままならない。
そして、もう向かってくる事はないと判断したのか、青年は歩きだす。
「お待ちください」
呼びとめようと未希が駆け寄る。
「おい、嬢ちゃん。あぶねえっ」
ゴホゴホと咳き込みながら言う。
「……」
またも青年からの返答はない。
「私、長老見習いをしております。花風未希と申します。あなた様のお名前をうかがってよろしいでしょうか」
そこでやっと反応を示す。だが睨みつけられると、普段は平然と嫌味を言う未希でさえも足が止まり、震えだす。
「好きに呼べ」
返ってきた言葉は未希の望むものとは違ったが、すぐに切り替える。そこは流石と言えるだろう。
「では……クロ様とお呼びしてもよろしいだろうか」
青年が来ている服装で決めたのだが、とくに嫌がる反応はないのでそのまま続ける。
「先程村の者から報告があり、ナフィを大量に駆逐されたそうで、わが村に平和をもたらしてくれた事、深く感謝いたします」
忠実に職務をこなす未希を見て、こいつなら無駄話はしないだろうと判断する。
「花風と言ったか?」
「は、はい」
不意に名前を呼ばれ、ビクッと体を震わせる。
「そうか。なら聞きたい事がある」
そこに先程の戦闘から回復した正吾がやってくる。
「嬢ちゃん、こいつが誰だろうと答える必要はないぜ」
「アンタには聞いてない」
「んだとっ」
正吾はまたキレそうになるがさっきの事を思い出し抑える。
「武器と服が欲しい。長老見習いならその位用意出来るのだろう」
青年は正吾を無視し話を進める。
「はい。分かりました。もとよりそのつもりでしたので、こちらへお越しください」
武器屋の前の未希を先頭に黒衣の青年と、不機嫌そうな正吾がやってきた。
その様子を見た店主は何事かと目を見張る。
「やあ、未希ちゃん。お客さんかい? 珍しい事もあるもんだねえ」
そののんきな声に未希は脱力する。
「はぁ、彰浩さま。今日は御用があって参りました」
「ほう、そりゃあ何だい?」
彰浩は刀の手入れをしながら答える。
「服と武器が欲しい」
青年が端的に用件を言う。
彰浩はここでマジマジと青年を見る。
(ふうむ。なかなか威圧感のある青年だねえ。こういう人にはこれがいいかね)
「はいよっ」
そう言って差し出されたのは、ひと振りの日本刀にそっくりな刀。これは最早日本刀といっていいレベルだった。それと黒いクロークと黒の簡素な衣だった。
「これでいいかい?」
青年は満足そうに頷く。
「兄ちゃんは黒い色が好きそうだからこれにしといたよ」
「ああ」
「そしてこの刀は」
そう言って抜き放つ。その刀は光を反射し輝いている。よほどの業物なのだろう。
「行商人から買い取ったものだけど兄ちゃんにやるよ。兄ちゃんなら使いこなしてくれそうだからね」
そう言って鞘にしまい差し出す。
「代金は1キャメルと8000キャルドってところかな。お金、あるかい?」
彼は考える。
(ここから考えられるのはキャメルとキャドルだとおそらく、キャメルの方が価値が上なのだろうな)
「いえ、ここは私が払うことになっていますから。これを」
横から未希がお金を差し出す。彰浩は受け取りはするが疑問に思う。
「おや、未希ちゃんがかい? この兄ちゃん何かしたのかい?」
「ええ、調べたところナフィの群れを一人で倒されたそうです」
『な!?』
正吾と彰浩の声が綺麗にハモる。
「こいつ、そんなことをしたのか!?」
信じられないといった様子の正吾。先ほど、ナフィを駆逐したことを聞いていたはずなのだがどうやら聞き流していたようだ。
「なら、その刀を渡したかいもあるってもんだねえ」
自分の目に狂いがなかった事を満足そうにする彰浩。
そんな二人の様子も興味なさそうに刀を眺める青年。
「というわけで私が払います」
「まあ、誰が払ってくれてもかまわないんだけどねえ」
「はぁ、なんて無茶な真似を。そりゃあ俺が敵うはずがねえよな」
正吾は納得がいったというように豪快に笑いだした。過ぎた事をあまり気にしないのも正吾の優れている点だろう。
「おい、坊主。それなら身体強化術も知ってるんだろ」
この青年にはきっと必要はないだろうとは思うが村の者たちを指導するときの癖でついつい言ってしまう。
「何だそれは?」
初めて正吾の問いかけに答える青年。だがその答えを聞いて正吾はさらに驚く。やがて笑いに変わってゆく。
「坊主、お前そんな事も知らずにナフィと戦ったのかよ。こいつはとんだ天才だぜ」
青年は過去に“天才”という言葉を聞いて不快な思いを抱いたが、正吾の言葉には不思議とそんなことは思わなかった。それはひとえに正吾の言葉には賞賛しか籠められていなかったからだろう。
「ではあんたが俺にそれを教えろ」
「俺が、お前にか。こりゃあ笑えるなぁ。本物の天才に手ほどきする日が来るとはな。ああ教えてやる」
気前良く返事をする。正吾は青年の事が気に入ったようだった。
「別に手とり足とり教えてほしいなんて言ってない。その術の名前だけ教えろ。後は自分で何とかする」
正吾の指導に熱が入る前に釘を刺す。それに青年は術名だけ聞けば大体の事は理解できると思っていたし、多少それで使いにくくなっても、それ位でなければ面白くないと考えていた。
その返事を聞いて正吾はさらに笑みを深くする。
「やっぱ、お前は天才だよ。よし、一度しか言わねえからよく聞けよ」
「……」
青年は早く言えとばかりに視線で促す。
「いくぞ。【鬼動術】【速治術】【即神術】【軽身術】【硬化術】だ。覚えたか?」
彼はそれが一体どのような効果なのかは聞くことは無いので、代わりにここで記しておくと、【鬼動術】が筋組織を活性化させ、まるで鬼のような力を得たような状態になることである。
【速治術】は細胞を活性化させることで、自己治癒能力を飛躍的に高める。
【即神術】はあらゆる感覚器官からの神経伝達を速め、強制的に自らの感覚を強化する。
【軽身術】は瞬発力を高めること一点に集中した術である。
【硬化術】は皮膚を硬くすることで防御力を上げる術。
この他にも様々な身体強化術が存在するが、正吾が教えるのは最も基本的な事であり、極めれば最強の存在へと押し上げる術。
「ああ」
さすがにすぐに使うのは無理だろうとは思うが、この青年の事である案外もう一つや二つは使えるかもしれないと考え、手を抜かずに全力で身体強化術を使い、強化したうえで殴りかかる。
だが鬼動術で強化した攻撃はいとも簡単に受け止められる。先程とは比べ物にならない力であるのに、だ。おそらく青年も鬼動術を使っているのだろう。地に根を張ったように微動だにしない。
「は、すげえな」
もうその拳には怒りはない。純粋な賞賛だけだ。そして力を緩めた。
「これであんたの試験には合格ってところか。世話になった」
青年は刀と服をとり、振り返らずに歩いていく。
その姿が見えなくなるまで残された者は何の反応もできなかった。
ある者たちは茫然とし、ある者は青年がまさか礼を言うとは思わず驚いていた。
「はぁ、なんだか。嵐みてえな奴だったなぁ」
そのあとに正吾は呟く。
「随分と規格外な兄ちゃんだったのう。よもや、村一番の戦士よりも強いとはのう」
「いや、あいつに負けたんなら悔いはねえぜ。あれ位やってのけるのなんて、当然な程の才能だったからな」
「そうですね」
暫くはこの3人で青年について語り合っているのだろう。