10話
神谷空が思っていた以上に、この森は深く険しく。ここから抜け出すのに2日も要してしまった。だが、この世界の一般人は生きて抜けるのは不可能と言われ、抜けれたとしても最低でも5日はかかるのが常識となっていることから考えると、彼は破格のスピードでこの森を抜けたということになるだろう。
彼はこの2日間、この森で寝泊まりしたわけだが、森の主を打倒してから彼に襲い掛かる生き物がいなくなってしまった。ましてや、遭遇した途端に逃げ出す者もいる始末。そのため、食糧確保のため、必死で逃げる動物たちを追い掛け回し、糧としていた。
「眩しい」
久々にさんさんと輝く太陽を見て、目を細めながら呟く。この輝きが恨めしい。
この森に入ったころと比べると、魔力や精神力の減り方も落ちていた。
そのことに関してはちゃんと試しながら来たため、自分がどのくらいの力を持っているのかも彼は正確に把握している。普通なら少しずつの成長は自分ではなかなか気づけないものなのに。本当に実力のある者ならだれでも自分の力はどれほどのものか知っているが、彼の場合は無自覚に、そして本能的にそれを行う。
森を抜けた先にある街。それが大猫国の首都を囲う様に東西南北にある内の北に面する四大都市のひとつ、イヴェール・フォレ。
この都市は森からの魔物に備えてか、南側の門は特に強固に作られ、見張り台も多い。そして、兵士たちが順次巡回し、辺りに不審な点がないか見回っている。
案の定、森から出てきたところを見つけられ、都市の中の兵舎に彼は連行されていた。特に手荒なこともなかったので、今のところ大人しく質問に答えていた。
「もう一度確認するが、君は本当にグランケルドの森から抜けてきたのか?」
「そうだ」
幾度となく繰り返される質問に彼は辟易し、兵士たちは信じられないといった様子で質問を続ける。
「信じられません。団長、この者は一度捕縛して、再度調査すべきです」
団長と呼ばれた男が、無精髭をさすりながら、さも面倒臭そうに欠伸をしながら答える。
「ふぁ~ぁ。もういい、お前ら。何度もこいつに話は聞いた。本人がそう言ってるんだろ。それにお前らだって、こいつがあの森から出てきたのを見たんだろう。ならこれで、万事解決。昼飯にしよう」
「だ、団長。しかし、明らかに私たちよりも若い者があの森を抜けられるとは到底思えません」
団長は、首をやれやれと振る。
「お前らなぁ。人を見かけで判断するなって、母ちゃんに習わなかったか? この言葉はなかなか馬鹿にできんぞ」
「し、しかし」
それでも食い下がる若い団員たち。
「なら、試してみるか」
今まで、無言を貫き、質疑にも決して自分から口を開くことのなかった青年が口を開いた。
「ん? そりゃあどういう意味だ?」
「言葉の通りだ。俺の実力が知りたいのなら試してみればいい。どうなるかは保証しないが」
その言葉に今ここにいる大多数の団員の闘争本能に火が付いた。
「あん!? やるってのか!? ガキが」
「聞けばわかるだろ。俺がやる」
「待て待て、ここは俺がやる」
そのあと、俺がやるだなんだのと、喧騒が辺りに満ちる。団長だけが冷静に青年の様子をうかがっていた。
見ると顔色一つ変えず、口元には一瞬だが笑みが浮かんだ。
勘でわかる。こいつはやばい、と。
バンッ。
机をたたく音に騒いでいた団員たちが静まり返る。
「うるせえっ! お前ら、ガキの戯言に乗せられてんじゃねえ。それとガキ。あんまし大人をからかうじゃねえ」
「俺はいたって真面目だ。この中だとあんたが一番強いのか?」
「俺に喧嘩売ってんのか? 悪いことは言わねえ。その辺にしとけ。今なら見逃してやる」
「見逃すも何も、元々はあんたらが吹っかけてきた喧嘩だ。俺にとってはどうでもいい。さっさとここから出せ」
売り言葉に買い言葉。状況は泥沼と化していった。それを楽しんでいるかのように感じられる青年と、その様子に頭を悩ませる壮年の団長。
団長として発端が何であれ、この場を納めなければならない。
「ふぅ。お前ら静かにしろっ」
その言葉一つで周りを黙らせるのは感嘆させられる。
「わかったよ。俺が相手をする。お前らは手を出すな。団長命令だ」
『はっ!』
一同が直立不動の姿勢でもって答える。この統率力、目の前にいる団長と呼ばれる男の器の大きさも窺えた。
「じゃあ、ついてこい」
後ろも振り返らずに、すたすたと歩きだす。
その後ろで彼はまた薄く笑った。
空と団長が戦う場所として選んだのは兵士が普段訓練するときに使う広場。丸太やら、大きな岩やらが置いてある。
「俺は第2師団長の桐谷冬弥ってんだが、お前は?」
「……」
「だんまりかよ。まあいい、さっき聞いた時もそうだったしな。今回のルールは、相手を殺しさえしなけりゃあなんでもありで、いいか?」
「ああ」
「一つ条件を出させてもらってもいいか?」
「言ってみろ」
「それが年上に対する言葉使いかよ……。俺が勝ったら、名前を教えるのとその言葉使い改めろ」
「一つじゃなかったのか? まあいい」
「なら、やるか。ちなみに、お前が勝ったらどうするよ?」
「もう、負けた時のことを考えているのか?」
小ばかにしたような口調で言う。ここで熱くなってはいけない。喧嘩をするときは冷静なほうが勝つ。これは鉄則なのだから。
「ちげーよ。そんなんじゃねえ。俺ばっかりじゃ不公平だろうって思ってよ」
「必要ないな。どうせ結果は決まっている。残念だがな……」
「ハンッ、大した自信だ。後で後悔するなよ」
「俺を倒してから言うといい」
二人が笑う。冬弥は腰の二振りの刀を抜く。冬弥の武器は剣幅の広い、ずんぐりとした刀。斬るよりも打撃力に重点を置いているように思える。空がそのように考察すると、冬弥が動いた。彼にとっては容易く反応できる速度である。
次の瞬間、影が残像となり交わる。
「チッ」
冬弥の肩が浅く斬り裂かれた。交差した時に、空は右の刀を躱し、そこを狙う左の刀の剣幅に手を添え逸らし、刀を振り下ろした。
それでも、その土壇場で冬弥は硬化術を全開にし、傷をできるだけ浅くしたのは凄いと言わざるを得ない。もちろん、黒刀は使ってはいない。
「やるなぁ、お前」
「……」
彼は予想以上に傷が浅かったのを少なからず驚いていた。
「今何を使ったんだ?」
「ただの【硬化術】だよ。でも俺は、この術が十八番だ」
内心、冬弥は驚きまくりだった。
(何もんだよ。あいつは!? これ使って、人間相手に傷つけられるなんて久々だぞっ)
「そうか。訓練すればそこまで使えるようになるんだな」
また一つ異世界の上限のなさを知り歓喜する。彼もまた【神刀術】を使っていたが、浅くしか着ることが出来なかったのは純粋に練度の差である。
ここにいれば、もしかしたら自分を超える奴がいるかもしれない、と思えるほどに。
「さて、もっと楽しませろ」
「やれやれ、俺は喜劇役者じゃあないんだけどなっ」
再び両雄が激突する。
左刀を太刀で受け、右刀を受ける前に蹴り飛ばす。
「ガハッ。なんて力だ」
彼は、相手の体勢を立て直す暇も与えず、追撃する。
高速で走る勢いのまま刀を叩き付けられ、思わず冬弥は左刀を落としかけるがなんとか耐える。しかし、その力は凄まじく、互いに当たった部分が刃こぼれした。
だが、それでも刀を手放さないのは冬弥が訓練を積み重ねてきた事がうかがえる。
「面白い」
不敵に笑い、空いた手で未だ硬直状態の冬弥の左腕をつかむ。
「何っ!」
無理やりガードを引きはがし、少し飛んで膝蹴りをお見舞いしようとした。
しかし、冬弥も黙ってやられるわけもなく、右刀を突き出しカウンターをする。
それを見ると、掴んでいた腕を離し、膝蹴りをしようとしていた足で冬弥の体に当てて、それを土台に後ろに跳び距離をとる。
「こ、こいつ。はぁ、はぁ」
「団長が押されるなんて」
周りで見守る団員たちも気が気ではない。
「これで終わりではないだろうな」
対する空は汗一つかいておらずまだまだ余裕である。
「ハッ、バカ言え。お前こそ、この程度かよ」
「それだけの元気があれば大丈夫そうだな。ここからは手加減はしないっ」
彼は自身の魔力を使い、魔法に適したイメージをする。
【雷よ】
「何!? 魔法も使えるのか!? させるかよっ」
魔法の弱点は詠唱中である。どんな奴でもそこが隙になる。そして、今その隙をつけるだけの技量も速度も冬弥は持ち合わせていた。
こうなると不利になるのは魔法を使う方、つまり空の方が分が悪い。
「しまった」
だが、それは相手を誘き出すための囮だった。冬弥が近づいてくると、詠唱をやめ、自分も最高速で相手に突っ込む。ここで二刀流の欠点が出てしまう。それは両手で一振りの刀を使うよりも剣速が遅くなるということである。急なカウンターと焦りによりその点が目立ってしまった。
右刀を弾かれ、空の手が冬弥の体に触れる。そして中断していた魔法を再び唱える。
【疾れ】
全身に電気が伝わり、冬弥はその場に崩れ落ちた。
「ク、ソッ」
「お前の負けだ」
首元に刀を突きつける。
固唾をのんで見守っていた団員がそれを見て、一斉に空に襲い掛かった。
それを楽しそうに彼はせせら笑った。
数十分後、冬弥が動けるようになるころには広場に立っているのは空ただ一人だった。
「なんて奴だ……」
彼は団員たちを圧倒していた。良かったのは幸運にもみな生きていること。
パチパチパチとまばらな拍手が響く。音のする方を見ると3人の男女がいた。
「素晴らしいっ」
真っ先に声を上げたのは眼鏡をかけた長髪茶髪の猫男。身長は異世界の住人にしては大きいほうで175cm位だろうか。
「オッサン、負けてやんの。プププッ」
ぼさぼさの髪で寝ぐせも目立つ茶髪の冬弥を指さして笑う少年。
「冬弥さん。大丈夫……?」
一人だけ白髪でセミロングでストレートのどこか儚げな少女。
「お前ら見てたのか!?」
冬弥はうろたえる。
「まあ、ええ。なかなか見ごたえがあり、とても楽しかったですよ」
「チッ」
忌々しそうに舌打ちをする冬弥。
「普段から、あれほど言ってんのに負けてやんの。ダッセえ」
「うるせえ。ガキは黙ってろ」
口を押さえ、指さして笑う少年から冬弥は顔をそらした。
「冬弥さん……」
「何だよっ!」
気がたち、なんでもない事にも怒鳴ると、少女はビクッと肩を震わせる。
「……」
この騒がしさに付き合いきれず、彼は黙って去ろうとした。
「待ちなさいっ」
眼鏡の青年が彼を呼びとめる。
「これで冬弥に勝ったなどとは思わない方がいいですよ。何せこの都市が誇る4師団の師団長が一人ですから。彼の本気はこんなものではありません」
彼は足を止めて振り返る。その表情は見る者に悪寒を抱かせた。
「そうか。なら、次が楽しみだな」
その表情は笑顔だった。だが、何かが違う。まるで壊れてしまっているかのよう。
「待って……」
目の前を見ると少女が立っていた。
これには彼も驚きを隠せない。この世界に来て、これほど近くにいるのに気配が感じ取れなかったのはこれが初めてだったからだ。
(こいつが一番強いな)
「あんた、もしかすると第1師団長か?」
「そうだけど、どうして……?」
四つの師団があるのなら一番力を持つのは第一師団長ではないか、という推測は正しかった。
「やはりな」
思わぬ強敵の出現に笑みを浮かべ、無意識のうちに黒刀に手が伸びる。
『そこまでだ』
男3人が武器を構えて周りに立っていた。冬弥に関しては傷はすでに治り、先ほどとは違う二振りの刀を構えている。
眼鏡の青年は先端に猫が彫られた錫杖、元気のいい少年は大剣を構えていた。
「ほう。本気じゃなかったっていうのは本当らしいな」
「まあ、お前を騙す形になって悪かったけどよ。でもさっきの勝負はお前の勝ちだよ。今度はどうなるか分からんが」
「ふっ。それだと本気を出せば俺に勝てると言っているように聞こえるぞ」
その応酬を茶化すように眼鏡をかけた男は言う。
「そう言ってるのが、分かりませんかねえ~。それと刀から手を離してもらえますか?」
「断ると言ったら?」
「力ずくでも」
冷やかな視線同士がぶつかり火花を散らす。
「お前らも勘違いしているようだから。言っておくが、俺も手を抜いていた事に気づかなかったのか?」
そして、空は結論付ける。
ここは力の差を見せる必要がある、と。
即座に黒刀を抜刀し彼の体は全身黒く染まる。
空気に殺気が満ち、重々しいものへと変わる。
「さて、死にたい奴からかかってこい」
真っ先に突っ込んだのは大剣を持った少年。目は紅く染まり剣に炎を纏っている。
「うおぉぉぉぉっ!!」
豪快に大上段から大きく振り下ろす。スピードもパワーも先程の勝負で空と冬弥のとは比べ物にならないほど強く、速い。確かにさっきまでの空では勝つことは出来なかっただろう。だが妖刀により強化された彼は、今の時点で互角以上の力を発揮する。
ただの力任せの剣をよけるのは容易い。しかし、あえて彼は真正面から立ち向かう。普通の太刀を抜き、思い切り叩き付ける。すると、無残にも太刀は砕け散った。それでも少年の剣の勢いは止まらない。
「へっ。そんな弱い刀じゃ、俺は止めれねえ」
「そうか」
すぐに黒刀を振る。今度は大剣には当てず、空中に散らばる破片を狙う。弾かれた破片は少年に殺到し、眼潰しとなった。
「わっぷ。き、汚えぞ」
「そう言って、お前は戦場でも言い訳するのか?」
ゾクッ。
少年の背筋が凍った。すぐ後ろから声が聞こえたからだ。
一瞬の隙を突いて彼は少年の後ろに周り、その刃は少年に迫る。
【嵐よ、我が荒れ狂う心とともに彼の者を滅せよ】
少年の命もあと少しという所で風の刃が空を襲った。
「おい、大丈夫か?」
少年の傍に冬野が駆け寄った。
「おっさんっ。あいつやべえよ」
「だからお前にはいつも言っているだろうがっ。ちゃんと相手を見ろ」
「お、おう」
「大地、お元気そうで何よりです」
「おうっ。さっきはありがとな、尚貴」
「いえいえ」
「まだだ、よ……」
『え!?』
「やはり、あんたが一番強いな」
体に刻まれた無数の傷は見る見るうちに治り、流れた血に反応して黒刀が妖しく光る。
「お前らは邪魔だ」
ひと際強い殺気が3人を襲い、身動き一つ、呼吸すらできなくなる。嫌な汗だけが流れ落ちる。
彼の足音だけが辺りに響く。
「さて、あんたは何者だ?」
彼以外にただ一人だけ平然と立っている。
「私は……イヴェール八生。第1師団長。あなた、は……?」
「……悪いが、答える名はない。好きに呼べ」
「……じゃあ、クロちゃん」
(あいつと似ている。なんとなくだが)
「クロちゃん、みんなを開放して……」
「あんたなら自分で出来るんじゃないのか」
「疲れるから……」
「……」
しばしの沈黙の後、唐突に殺気が消える。
「ガハッ。ゴホッ、ゴホッ」
「ウッ」
「……ッ」
改めて考えてみる。どこがあいつに似ているのかを。
そして、納得する。あだ名のセンスか、と。
「……ようこそ、イヴェール・フォレへ。歓迎します」
(それにマイペースなところも似ているな)
完全に毒気を抜かれた彼は彼女の後について行った。




