第一話
建築屋がいれば、解体屋がいるみたいに、殺し屋がいるのなら、「殺され屋」だっている。
俺は殺され屋だ。なんてったって、殺される仕事ってのは、どう考えてもアウトロー過ぎる。
あ、別にドラマで殺される役をする、なんてものじゃなくて、本当に殺される。
厳密にいうと、殺されていないのかもしれない。というのも、俺は、不死だから。つまり死なない。だが、年はとる。おそらく、年をとっても死なないのだと思う。まだ、三十二歳だからその時が来るまでわからないが。
この事実、死なない身体ってことに気づいたのは大学の卒業式。初めて死んだの日でもある。
同じ映画サークルの美紀ちゃんがインカレのテニスサークルにも入っていて、他大学の男にストーカーされていた。イカレたこのストーカー男はまた後で出てくるのだが、ともかくコイツに待ち伏せされ、ナイフで脅されたところに、俺が通りかかったわけだ。目が大きくて、二重。童顔にも見えるが、化粧映えする顔立ち。右目下のホクロが、印象的だ。背はほどほど、俺より二十センチは、低く一五〇センチぐらい。手足が長くて、ワンピースが似合う。
あろうことか、美紀ちゃんが
「この人が彼氏なの」と俺を指さした。
いやいや、小悪魔なんてものを通り過ぎている。二回生の頃から何度デートに誘っても断られ続けたものとしては、俺もそのイカレた男側であっていいわけだ。だが、俺には祖父譲りの野太い理性があるのと、「くじけない」不屈の精神で、諦めないところが俺の良さだ。若干、ストーカー気質が俺にもあるのかもしれない。
みんなが記念撮影して賑わう校門での出来事で、入学式の時以上に人でごった返す卒業のセレモニーとやらが、その五分後には悲鳴に変わるのだ。
サバイバルナイフの刃渡りが思ったより長く感じた。ダガー使いってそこそこ凶悪だったんだ、なんてオンラインゲームの装備について、気づきがあった。だからといって、余裕があったわけじゃない。
プロテクターを装備したアメフト部の連中が、高跳びの着地用マットみたいなのを校門の袖で広げ始めた。恒例のタックル会を始めた頃だった。横目で見ながら、「ここでやるなバカ」なんて呟いたら、ストーカー男が視界から消えていた。
黒い影が左横から脇腹を下から上に突き刺すように、抉り上げてきた。
「美紀ちゃんは僕がまもる!」
と、すえた汗が頭皮からにおう。コイツ、風呂入っていないの? 臭い、あ、痛い。痛い。やけにメガネがデカく見える。トンボみたいだ。
メガネなサバイバルナイフ男が、肋骨の隙間を縫ったナイフを器用に抜くと、血がドバっ噴き出していた。俺の血に驚いたのか、ナイフを血だまりができ始めたアスファルトに投げ捨てた。カンカランと乾いた音が校門に響く。ワンテンポずれて、悲鳴が聞こえる。悲鳴がドミノ倒しみたいに、俺を中心として、時計台の中庭の方まで順に追いかけていった。俺の意識が研ぎ澄まされていたのか、音が遠くに消えていたようにも感じた。
意識が朦朧とするのに、悲鳴は聞こえる。自分には危害は及ばないであろうと高を括る袴姿の同級生女子たちが、俺を取り囲む。レンタルした袴が血で汚れないようにと、俺から一定の距離を取る。いいから、救急車呼んでくれ、頼むと願った。
プロテクターを身に着けた「ごっつい」アメフトマンたちが、そのストーカー男に、強烈なタックルを連続コンボで浴びせた。俺は、地面に伏したままだ。流れ弾にあたった戦場カメラマンが、落としたカメラの視点だ。テープは回り続け、動画が撮られているあの感じ。勝手に記録しているスクープ映像の視点で、俺は当事者なのに他人事として見ていた。
ストーカー男が取り押さえられ、アスファルトに右横顔を抑えつけられたとき、俺と目が合った。メガネのツルがおおよそ耳が無い方向に傾き、鼻だけで支えらえれている。誰かが意味もなく、ナイフをカンとつま先で蹴ったもんだから、ケガをしたと大騒ぎしている。バカばっかりだ。
救急車のけたたましいサイレン音が、大通りから聞こえる。乾燥した空気のせいかよく響く。誰かが呼んでくれたのか。ここは正確には正門で、我が大学には他にも、門が三つもある。正門らしくない正門ゆえに、反対側に救急車が行ったのか、こちらに到着するまで随分時間がかかった。おとなし目に抑えられたサイレン音は、場所を間違えてゴメン、といった申し訳なさが感じられた。
死にそうなのに、どうしてこんなに鮮明に覚えているのかというと、ナイフで刺されて、血を噴き出して倒れたあたりから、傷口がゆっくりと閉じていったからだ。
飲んだ後にラーメン喰った翌日の下痢みたいにドサシャッと出し切った感覚。余計な血だまりを傷口と口から吐き出したら、俺は全快していった。刺される前よりも調子が良い。救急隊員が血だらけのスーツ姿の俺を見て、大丈夫ですか? と言ったものの「このとおり」とおどけて返してしまった。白けた空気が流れるも、「怪我人はどこですか?」と救急隊員は怪我人を探す。こんな状況で! と言わんばかりに、小柄な救急隊員は怒っていた。
肝心の美紀ちゃんは、どさくさに紛れてどこかに消えていた。ストーカー男は、この日のためにタックルパワーをストックしていたアメフト部員たちにのされて、気絶していた。数回しか袖を通していないスーツが俺の血で汚れている。口から吹いた泡と目が大きく見えるメガネのせいで、蟹だと見物人の誰かが笑っていた。
卒業式は、アメフト部員の3回生たちが、憎っき四回生たちのハレの日に、タックルでやり返せるという日なのだ。日頃のしごきがコンプラ的に厳しくなりつつある中、練習と称した可愛がりに、唯一、正当な手段でお礼参りできるという日なのだ。発想が中二。
スーツ姿のガタイのいい男たちが、プロテクターを装備した後輩に吹っ飛ばされる姿は、我が大学の卒業式恒例行事だ。知らんがな、というのが俺の感想であるが、コイツラの前近代的なケモノ行事のおかげで、助かったのかもしれない。
というか、傷が自然と塞がっていることに、俺はもっと驚かなければならなかったはずだが。自然と受け入れていた。
救急隊員がなおも刺された怪我人を探し回っている間、俺は美紀ちゃんがしたように、人混みに紛れて、逃げた。面倒なことに巻き込まれた上に、警察になんかお世話になりたくない。
俺の父と母は、殺し屋だった。といっても、子どもはNG。理由はいらいない。外国人もダメ、国際問題になることがあるから。というルールがあるも、ヤクザも相手にはしない。三下でも殺されたとなると、報復合戦の抗争が起こる。それはそれで厄介だからだ。
父が罠に嵌められたのは、母が暗殺ターゲットに捕まったからだ。救出に向かった父は、映画でよくあるパターンで、母救出のために、武器を捨てたものの、予想通りそのまま蜂の巣に。母もそのあと、一緒に殺された。ここから助かると言うフラグは立たないようだ。
と言う話を、中学生の頃の俺に事情聴取と称して、刑事が楽しそうに話したのだ。こいつはサイコパスだと、その刑事は真田修二、といった。
この真田という刑事のせいで、俺は警察が嫌いなのだ。デリカシーがないのはいいとしよう。真田は、俺に「刑事になって、復讐をしろ」とそそのかしてきたのだ。そんな警察がいるか? 俺は、犯人を見つけてくれと泣きついたが、「殺し屋が殺されるのは自業自得だ」と一喝した。ヤニ臭くて吐き気がした。両親を亡くしたばかりの中学生に、血も涙もないやつだ。
ということで、俺はたとえ被害者の立場であっても、警察とは同じ次元に存在しないこととしているのだ。俺が三次元ならあいつらは二次元だぐらいの気分で。
それから、十年経った今、三十二歳になった俺は、「殺され屋」で飯を喰ってる。刺されても、殴られても、首を絞められても死なない。この前は、灯油をぶっかけられて燃やされたが、死ななかった。皮膚が剥がれるのは痛かったが、みるみる再生に入っていく。再生行動が始まっても、やっぱり痛い。焼け、黒ずみ、塵になった皮膚の下から、皮膚がメリメリと浮き上がってくる感覚だ。そこに恐怖がないのか? と問われれば迷わずに「ある」と言える。殺され方もバラエティに富む分、いつだって、死ぬのは怖い。
俺の仕事は具体的には、「身代わり」だ。殺し屋のターゲットになったヤツが依頼人。姿形をそっくりに特殊メイクで変装して、手早く殺されてやること。
殺し屋は、ターゲットが殺されたことを確認しない。奴らは、脈をとったり、呼吸を確認したりはしないのだ。万一生きていたら、返り討ちにあうからだそうだ。だから、銃があれば至近距離で余分に三発撃ち込んでくる。
頭、腹、太もも。まぁ、普通は絶命する。
俺はその頃には、再生が既に始まっていることが多いから、ただただ痛い。ちなみに銃弾の輪郭のあたりが皮膚にこすれて、痛い。
話を戻す。俺がこの仕事に就いたのは、十年前の美紀ちゃん事件のことがきっかけだった。同じ映画製作サークルで大学院生の先輩、指揮嶋鳩子が、あの事件の日、逃げる俺のあとをつけていた。
地下鉄今ノ川駅に向かう階段はⅬ字に何度も曲がり、死角が多い。だから、広告付きの鏡がいたるところに配置されている。
鳩子が「ねぇ、高篠藤巳くんだよね」と言うと、プラモのパーツ作り用のパテナイフみたいなもので、俺の喉を突いた。一切の躊躇がなかった。こいつもサイコパスだと、自信を持って言える。
メスみたいな迷いのない切れ味で、おれは首から大量に出血したが、意外にもすぐ止まった。鏡に血しぶきが付いたが、鳩子は後ろポケットから取り出した白いハンカチでサッと拭きとった。喉の内側から咽頭を越えて逆流した血は、お約束通りのサビの味がした。
後日鳩子から後聞いたところ、美紀ちゃんのストーカ男に刺されて再生・回復した波長が身体の中でまだ残っていたらしい。そのせいで、即時回復ができたと教えてくれた。
「すごいわね、思ってた以上。もう、血が止まった」
首を抑える白い手には、ドロリと俺の血がついている。か細い指の間から、ポタリポタリと粘性のある血が落ち、駅のうす黒ずんだタイルに吸い込まれる。
校門ストーカー事件のおかげで、地下鉄に降りる人が少なかった。警察の規制も張られたせいもあるだろう。学校の門という門が、どこから聞きつけて来たのか地元のテレビ局と新聞社、野次馬たちでごったがえしていたのだ。
鳩子は自己紹介をはじめた。自分が造形学科の大学院生で、いまはSFXといった特殊メイクの勉強をしていること。同じ映画製作サークルだが、鳩子はほとんど顔を出さない。幽霊部員で、特殊メイクができる先輩がいるとは聞いていたが、こうして話すのは初めてだ。昔の先輩が撮影した映画に、鳩子らしい人が数秒出演していたのを覚えている。
鳩子は俺の腕を引っ張る。年上のお姉さん、修士で大学院には見切りをつけるらしい。メガネっ子だが、その奥の目は黒目が大きく、まつげが長い。上向きに美しくカールしているのは、メイクのおかげか?
手入れの行き届いた艶のあるショートカットで、身長は一六〇センチ弱。肌が異常に白い。前髪がぱっつんと揃っている。なのに、戦後昭和の女子児童みたいなルックスではなく、年相応の美しさを装備している。まぁ、前髪ぱっつん女は、自分に自信があるのだと美紀ちゃんはよく言っていた。鳩子の華奢そうに見える腕は、想像以上に怪力だ。喉にあてる手の圧が強い。
鳩子はやわらかな頬を俺に近づける。さっきのストーカー男と違って柑橘系のいい匂いがする。頬がやわらかい、吐息が温かくて気持ちいい。
改札の横にある、広告ラックの側で鳩子はだしぬけにこう言った。「殺し屋の修行を受けたが、足抜けした。だから、追われている」と。そして、俺の「死なない体質」について簡潔に説明してくれた。殺し屋の世界では、俺はちょっとした有名人らしい。鳩子が持ってきた資料によると、俺が三歳の頃、父の銃が暴発したそうだ。俺は頭を撃ち抜かれた。だが、傷口が二時間ほどで回復し、俺は復活したと。
【機密】とあからさまに背表紙に印字されたファイルを見せてもらい、妙に納得できる説明だった。上目遣いでメガネ越しに話す鳩子に、胸が高鳴った。さっき殺されかけたのに。
「私の身代わりになって、殺されて欲しい」
鳩子の突拍子もない依頼に目をむいた。さっき刺された首の傷が完全に癒えていない。俺は、自分が「死なない体質」ということを改めて理解し、丁重に断った。もう一度刺されてはマジで痛いし、なんといっても怖い。
鳩子が混雑し始めた地下鉄改札に入ろうと促してきた。血の臭いと口のなかのサビの味が取れない。期限切れのイコカのチャージを済ませて、改札をくぐる。卒業したら、みんなコレそのまま会社の定期にするのかな。無職の俺には関係ないかと、自嘲する。
生ぬるい風が吹き上げる階段を下る。上りと下りが一緒になった狭いホームに降りる。十分間隔で到着する電車は、この時間だとまだ空いている。京都駅方面へと向かう電車に乗る。車内は思った以上に混雑していた。春休みの部活帰りの男子高校生たちとヨーロッパ系の観光客たちの話し声がうるさい。汗ばむ男のニオイと観光客の独特の香水でなんとも不快だ。
「真田修二、って刑事、アイツに狙われてるのよ。知ってるでしょ」
鳩子はどこまで俺のことを調べてるんだ。大学院生はヒマなのか?
「あぁ、知ってるよ。父さんと母さんが殺された時の」
電車がいつものカーブで小さく揺れる。つり革たちは揺れを我慢している。次の四ノ条駅では乗り換えが激しい。外国人観光客のスーツケースが車内のか細いステンレス支柱に、ガンガンと当たる。
ここは阪球電鉄の乗り換えハブ駅だ。もうこの人たちと会うこともないだろうと思うと妙に寂しい気もするが、それが本当は何の感情でもないことを知っていた。こいつらがどうなろうと、本質的に知ったこっちゃない。鳩子も同じ、こいつらと大して変わらない。
「真田、抜けさせてくれないのよね、殺し屋組織」車内の窓にぼんやりと映る表情はどこか不安そうに見える。
「刑事じゃないの?」
「刑事だけど、殺し屋も兼業してる男」
電車が五ノ条駅に到着した。次は京都駅だ。鳩子は、俺にチョイチョイと手招きした。傍から見れば、親密なカップルみたいなもんだろうか。手すりを持ったまま、視線を鳩子に合わせる。一七〇センチほどあるから、アタマを十センチも下げるってのは、何事だと言う感じだ。
「これ、前金で」
と鳩子が言うと、俺の口に唇を合わせてきた。まごうことなきセクハラだが。男と女の立場が逆なら完全にアウトだ。明らかに不同意だから。唇越しに一枚皮を感じる。グロスのせいだろうか。
するりと予告もなしに、鳩子の舌が俺の中に入ってくる。鳩子の舌は別の生き物だ。そこだけに明確な意思があるように、動く。舌で香りがわかるのかわからないが、まだ会って三十分も経っていない鳩子の柑橘系の香りが口の中で広がる。血のサビ味がどこか消える。目を開けたまま、鳩子を見る、鳩子もじっと俺を見て、俺が嫌がるまでキスは続くのだろうか。
京都駅を過ぎ、更にふたつほど駅を通り過ぎる。京都駅で降りる人が多かったせいか、人目が少ないとはいえ、ちらちらと見られている気がする。キスに慣れているはずの外国人観光客も、なにやら気まずいのか目を合わせない。この車両の中で俺が一番冷静だと思う。
「わかった」
俺は屈み過ぎて震える膝を伸ばして、唇を外した。接合部が外れる音、ちゅぽん、という擬音が聞こえた。鳩子は目を逸らさない。
「じゃぁ、明日ここに」と事務的に言い、喫茶店のショップカードを手渡した。
電車のドアが開くと、鳩子は今日まだ何も起きていないみたいに、颯爽と降りて行った。背中の小さな革張りのリュックが、瘤に見えた。どこか、滑稽な鳩子に、妙な感情が涌く。放っておけない、鳩子を左に車内から見送り、喫茶店の住所を確認した。




