第一話
建築屋がいれば、解体屋がいるみたいに、殺し屋がいるのなら、「殺され屋」だっている。
俺は殺され屋だ。なんてったって、殺される仕事ってのは、どう考えてもアウトローが過ぎる。
あ、別にドラマで死体役を演じる、なんて生易しいものじゃなくて、本当に殺されるんだ。
――いや、厳密に言うと、俺は「殺されていない」のかもしれない。
というのも、どうやら俺の身体は『死なない』ようにできているらしい。死ねないと同義ではない。俺は自ら死ぬなんてことをしないからだ。
どれだけ深く刃物を突き立てられても、数分後には傷口が勝手に塞がってしまう。
なぜそんな異常な回復能力があるのか、いきつくところ「そうあるものだから」としか答えられない、不可解なバグだ。
だが、俺はそれでいいと引き下がれるほど物分かりの良い男じゃない。自分の目で確かめたものしか信じない。
この不気味な確信を胸に、俺は今、すっかり日の落ちた夜の萩尾山で、須藤美紀の頭蓋骨を掘り起こしたところだ。やはり、須藤美紀は死んでいた。まず一つ目の疑問は解消した。残りの疑問はあと二つ。 すべてが始まったあの場所――俺が初めて「殺された」、大学の卒業式へ、記憶を巻き戻しながら。
同じ映画サークルの美紀ちゃんがインカレのテニスサークルにも入っていて、他大学の男にストーカーされていた。イカレたこのストーカー男に待ち伏せされ、ナイフで脅されたところに、俺が通りかかったわけだ。厳密には、映画サークルの卒業記念写真を撮るなんて部長が言うもんだから、校門辺りにたむろしていた。
目が大きくて、二重。童顔にも見えるが、化粧映えする顔立ち。右目下のホクロが、印象的だ。背はほどほど、俺より十センチは、一六〇センチぐらい。手足が長くて、ワンピースが似合う。
あろうことか、美紀ちゃんが
「この人が彼氏なの」と俺を指さした。
ゾクッとした。いやいや、小悪魔なんてものを通り過ぎている。美紀ちゃんは三回生の秋学期から、映画サークルに突如入部してきた。俳優部門でも浮くぐらいの綺麗さで、たまに見せる横顔の憂いも美しかった。二回ほどデートに誘ったが、「歯医者の予約が」と二回とも同じ理由で断られた。ここで、誘うのをやめたから、執着心も高まらなかったのかもしれない。俺もそのイカレたストーカー男側に回ってたっておかしくない
だが、俺がその狂気について深く考える時間はなかった。
みんなが記念撮影して賑わう校門での出来事で、入学式の時以上に人でごった返す卒業のセレモニーが、その五分後には悲鳴に変わるのだから。
サバイバルナイフの刃渡りが思ったより長く感じた。ダガー使いってそこそこ凶悪だったんだ、なんてオンラインゲームの装備について、気づきがあった。だからといって、余裕があったわけじゃない。
プロテクターを装備したアメフト部の連中が、高跳びの着地用マットみたいなのを校門の袖で広げ始めた。恒例のタックル会を始めた頃だった。横目で見ながら、「ここでやるなバカ」なんて呟いたら、ストーカー男が視界から消えていた。
黒い影が左横から脇腹を下から上に突き刺すように、抉り上げてきた。
「美紀ちゃんは僕がまもる!」
と、すえた汗が頭皮からにおう。コイツ、風呂入っていないの? 臭い、あ、痛い。痛い。やけにメガネがデカく見える。トンボみたいだ。
メガネなサバイバルナイフ男が、肋骨の隙間を縫ったナイフを器用に抜くと、血がドバっ噴き出していた。俺の血に驚いたのか、ナイフを血だまりができ始めたアスファルトに投げ捨てた。カンカランと乾いた音が校門に響く。ワンテンポずれて、悲鳴が聞こえる。悲鳴がドミノ倒しみたいに、俺を中心として、時計台の中庭の方まで悲鳴が追いかけていった。俺の意識が研ぎ澄まされていたのか、音が遠くに消えていたようにも感じた。
意識が朦朧とするのに、悲鳴は聞こえる。自分には危害は及ばないであろうと高を括る袴姿の同級生女子たちが、俺を取り囲む。レンタルした袴が血で汚れないようにと、俺から一定の距離を取る。いいから、救急車呼んでくれ、頼むと願った。
プロテクターを身に着けた「ごっつい」アメフトマンたちが、そのストーカー男に、強烈なタックルを連続コンボで浴びせた。俺は、地面に伏したままだ。流れ弾にあたった戦場カメラマンが、落としたカメラの視点だ。テープは回り続け、動画が撮られているあの感じ。勝手に記録しているスクープ映像の視点で、俺は当事者なのに他人事として見ていた。
ストーカー男が取り押さえられ、アスファルトに右横顔を抑えつけられたとき、俺と目が合った。メガネのツルがおおよそ耳が無い方向に傾き、鼻だけで支えられている。誰かが意味もなく、血だまりに浸るナイフをつま先で蹴った。
救急車のけたたましいサイレン音が、大通りから聞こえる。乾燥した空気のせいかよく響く。誰かが呼んでくれたのか。ここは正確には正門で、我が大学には他にも、門が三つもある。正門らしくない正門ゆえに、反対側に救急車が行ったのか、こちらに到着するまで随分時間がかかった。おとなし目に抑えられたサイレン音からは、場所を間違えてゴメン、といった申し訳なさが感じられた。
死に瀕しているはずなのに、記憶は不気味なほど鮮明だった。ナイフで深く抉られ、噴き出した血の海に倒れ伏した瞬間から、傷口がゆっくりと閉じていったからだ。
余計な血だまりを傷口と口から吐き出したら、俺は全快していった。刺される前よりも調子が良い。救急隊員が血だらけのスーツ姿の俺を見て、「大丈夫ですか?」 と問われたものの「このとおり」とおどけて返してしまった。白けた空気が流れるも、「怪我人はどこですか?」と救急隊員は慌てて怪我人を探す。こんな状況で! と言わんばかりに、ストレッチャーを運んできた小柄な救急隊員は、大学特有のふざけた空気に苛立っていた。
肝心の美紀ちゃんは、どさくさに紛れてどこかに消えていた。ストーカー男は、この日のためにタックルパワーをストックしていたアメフト部員たちにのされて、気絶していた。数回しか袖を通していないスーツが俺の血で汚れている。口から吹いた泡と目が大きく見えるメガネのせいで、蟹だと見物人の誰かが笑っていた。
卒業式は、アメフト部員の3回生たちが、憎っき四回生たちのハレの日に、タックルでやり返せるという日だ。日頃のしごきがコンプラ的に厳しくなりつつある中、練習と称した可愛がりに、唯一、正当な手段でお礼参りできるという日なのだ。
スーツ姿のガタイのいい男たちが、プロテクターを装備した後輩に吹っ飛ばされる姿は、我が大学の卒業式恒例行事だ。知らんがな、というのが俺の感想であるが、コイツラの前近代的なケモノ行事のおかげで、助かったのかもしれない。
というか、傷が自然と塞がっていることに、俺はもっと驚かなければならなかったはずだが。自然と受け入れていた。
救急隊員たちが血眼になって「刺された怪我人」を探し回っている隙に、俺は人混みに紛れてその場を後にした。美紀ちゃんがそうしたように。これ以上、面倒なトラブルに巻き込まれるのも、警察の厄介になるのも御免だった。
掛け持ちしていた文芸サークルの先輩で、大学院生の指揮嶋鳩子が、逃げる俺のあとをつけていた。一瞬振り返った視界に映った背格好は、美紀ちゃんに似ていたが、その射抜くような強い眼光と硬い表情が、別人だと瞬時に俺に悟らせた。
地下鉄今ノ川駅に向かう階段はⅬ字に何度も曲がり、死角が多い。だから、広告付きの鏡がいたるところに配置されている。
「ねぇ、高篠藤巳くんだよね」と聞こえた。後ろを振り返る。やはり指揮嶋鳩子だ。プラモのパーツ作り用のパテナイフみたいなもので、俺の喉を突いてきた。一切の躊躇がなかった。
メスみたいな迷いのない切れ味で、おれは首から大量に出血したが、意外にもすぐ止まった。鏡に血しぶきが付いたが、鳩子は後ろポケットから取り出した白いハンカチでサッと拭きとった。喉の内側から咽頭を越えて逆流した血は、お約束通りのサビの味がした。
「すごいわね、思ってた以上。もう、血が止まった」
首を抑える白い手には、ドロリと俺の血がついている。か細い指の間から、ポタリポタリと粘性のある血が落ち、駅のうす黒ずんだタイルに吸い込まれる。
校門ストーカー事件のおかげで、地下鉄に降りる人が少なかった。警察の規制も張られたせいもあるだろう。学校の門という門が、どこから聞きつけて来たのか地元のテレビ局と新聞社、野次馬たちでごったがえしていたのだ。
鳩子は淡々と自己紹介を始めた。造形学科の大学院生で、専門はSFX──特殊メイクだという。俺が映画サークルと掛け持ちしているもう一つの居場所、あの文芸サークルに、彼女も人数合わせで籍を置いているらしい。
鳩子はほとんど顔を出さない筋金入りの幽霊部員だ。「プロ顔負けの特殊メイクができる先輩がいる」という噂はかねがね聞いていたが、映画サークルに勧誘する機会もないまま、こうして言葉を交わすのは初めてだった。
鳩子は俺の腕を引っ張る。年上のお姉さん、修士で大学院には見切りをつけるらしい。メガネっ子だが、その奥の目は黒目が大きく、まつげが長い。上向きに美しくカールしているのは、メイクのおかげか?
手入れの行き届いた艶のあるショートカットで、身長は一六〇センチ弱。肌が異常に白い。前髪がぱっつんと揃っている。なのに、戦後昭和の女子児童みたいなルックスではなく、年相応の美しさを装備している。以前、「前髪ぱっつん女は、性格的に優しいのよ」と美紀ちゃんが言っていた記憶がある。鳩子の華奢そうに見える腕は、想像以上に怪力だ。喉にあてる手の圧が異常に強い。
鳩子はやわらかな頬を俺に近づける。さっきのストーカー男と違って柑橘系のいい匂いがする。頬がやわらかい、吐息が温かくて気持ちいい。
改札の横にある、広告ラックの側で鳩子は俺の「死なない体質」について簡潔に説明してくれた。殺し屋の世界では、俺はちょっとした有名人らしい。鳩子が持ってきた資料によると、俺が三歳の頃、銀行強盗に頭を撃ち抜かれたそうだ。だが、傷口が二時間ほどで回復し、俺は復活したと。両親からは何も聞かされていない。本当の話か?
背表紙に【機密・掃式】という、あからさまに不穏な文字が印字されたファイルを見せてもらった。A4三枚程度の資料だったが、俺の幼少期から、現在に至るまで事細かに記載されていた。妙に納得できる内容だった。上目遣いでメガネ越しに話す鳩子に、胸が高鳴った。
「私の身代わりになって、殺されて欲しい」
鳩子の突拍子もない依頼に目をむいた。さっき刺された首の傷が完全に癒えていない。俺は、自分が「死なない体質」ということを改めて理解し、丁重に断った。もう一度刺されてはマジで痛いし、なんといっても怖い。
鳩子が混雑し始めた地下鉄改札に入ろうと促してきた。血の臭いと口のなかのサビの味が取れない。期限切れのICOCAのチャージを済ませて、改札をくぐる。卒業したら、みんなコレそのまま会社の定期にするのかな。無職の俺には関係ないかと、自嘲する。
生ぬるい風が吹き上げる階段を下る。上りと下りが一緒になった狭いホームに降りる。十分間隔で到着する電車は、この時間だとまだ空いている。京都駅方面へと向かう電車に乗る。車内は思った以上に混雑していた。春休みの部活帰りの男子高校生たちとヨーロッパ系の観光客たちの話し声がうるさい。汗ばむ男のニオイと観光客の独特の香水でなんとも不快だ。
「真田って刑事に追われているのよ。」
刑事に知り合い何ていないし、俺の知ったこっちゃない。
「理由を聞いた方がいい?」
電車がいつものカーブで小さく揺れる。つり革たちは揺れを我慢している。次の四ノ条駅では乗り換えが激しい。外国人観光客のスーツケースが車内のか細いステンレス支柱に、ガンガンと当たる。
ここは阪球電鉄の乗り換えハブ駅だ。もうこの人たちと会うこともないだろうと思うと妙に寂しい気もするが、それが本当は何の感情でもないことを知っていた。こいつらがどうなろうと、本質的に知ったこっちゃない。鳩子も同じ、こいつらと大して変わらない。
「真田、抜けさせてくれないのよね、殺し屋組織」車内の窓にぼんやりと映る表情はどこか不安そうに見える。
「刑事じゃないの?」
「刑事の殺し屋部門というかね。説明すればするほど、わからないと思うけど」
鳩子は自分で話を振っておきながら、無責任に説明を放棄した。
電車が五ノ条駅に到着した。次は京都駅だ。鳩子は、俺にチョイチョイと手招きした。傍から見れば、親密なカップルみたいなもんだろうか。手すりを持ったまま、視線を鳩子に合わせる。俺は一七〇センチほどあるから、アタマを十センチも下げるってのは、何事だと言う感じだ。
「これ、前金で」
と鳩子が言うと、俺の口に唇を合わせてきた。まごうことなきセクハラだが。男と女の立場が逆なら完全にアウトだ。明らかに不同意だから。唇越しに一枚皮を感じる。グロスのせいだろうか。
するりと予告もなしに、鳩子の舌が俺の中に入ってくる。鳩子の舌は別の生き物だ。そこだけに明確な意思があるように、動く。舌で香りがわかるのかわからないが、まだ会って三十分も経っていない鳩子の柑橘系の香りが口の中で広がる。血のサビ味がどこか消える。目を開けたまま、鳩子を見る、鳩子もじっと俺を見て、俺が嫌がるまでキスは続くのだろうか。
京都駅を過ぎ、更にふたつほど駅を通り過ぎる。京都駅で降りる人が多かったせいか、人目が少ないとはいえ、ちらちらと見られている気がする。キスに慣れているはずの外国人観光客も、なにやら気まずいのか目を合わせない。この車両の中で俺が一番冷静だと思う。
「わかった」
俺は屈み過ぎて震える膝を伸ばして、唇を外した。接合部が外れる音、ちゅぽん、という擬音が聞こえた。鳩子は目を逸らさない。
「じゃあ、明日ここに」と事務的に言い、喫茶店のショップカードを手渡した。
電車のドアが開くと、鳩子は今日まだ何も起きていないみたいに、颯爽と降りて行った。背中の小さな革張りのリュックが、瘤に見えた。どこか、滑稽な鳩子に、妙な感情が涌く。放っておけない、鳩子を左に車内から見送り、喫茶店の住所を確認した。




