冷たい女と呼ばれた令嬢と使命感に燃える学業優秀な王子
「以前からいつか伝えねばと思っていたが、君は冷たすぎる」
とあるパーティー会場で開かれている冬の夜会。
ダンスフロアから少し離れたバルコニーにて。
金髪に青い瞳の王子は婚約者である侯爵令嬢に向かってそう言った。
言われた銀髪にアイスブルーの瞳をした侯爵令嬢は悲しい気持ちで目を伏せた。
真夏の青空のような温かみのある色彩の王子に比べて、真冬の湖のようだと評される侯爵令嬢。
表情の乏しさも相まって、冷たい女だと噂されるのはいつもの事だ。
お行儀の良くない男爵令嬢に苦言を呈した事も、きっと思いやりがないと非難されるのだろうと侯爵令嬢は心の準備をした。
心に蓋をしておけば、厳しいことを言われても涙は出ない。
何を言われても大丈夫、さあ、なんとでも言うがいいわ。
「エスコートする度に感じていた。君の指先は氷のようだ!」
「は?」
「真冬はもちろん夏でも冷えている時がある。血行が悪いのではと体調を訪ねても大丈夫ですと答えるばかりで、いっこうに改善されない。運動不足が原因なら、ダンスを踊れば少しは体が温まりそうなものなのに、1曲踊ったら義務は果たしたと言わんばかりに去ってしまうし。1曲踊っただけでは氷のような冷たさが常温の水くらいに緩和される程度で、十分に温まったとは言えないのに」
「それは殿下と踊りたい令嬢が列をなしているので交代してあげないと」
「だからといってバルコニーで夜風に吹かれていては、せっかく常温の水くらいになった指先がまた氷になるではないか!」
「こ、氷ですか? 『氷のように冷たい』とはよく言われますが」
意味が違うような気がする。
ひそひそと囁かれる陰口は指先の温度の事ではなかったはずだ。
学業優秀な王子なので妙に学術的な物の言い方をされることはよくあるが、指先の温度からどのような叱責につながっていくのか、侯爵令嬢には見当もつかなかった。
「せめてシャンパンでも飲んでいるならアルコールで血行が良くなるかもしれないのに、いつも冷えたジュースを飲むのは何故だ?」
「それはですね、万が一にもお酒に酔って醜態をさらすわけには参りませんので、自衛のために」
「冷えたら意味がないだろう!」
「そ、そうでしょうか?」
侯爵令嬢は混乱していた。
論点が予想外すぎて理解できない。
普段から学業が優秀な割には人情の機微に疎くて、時に突拍子もないことを言い出す王子ではあったが、人間の体温を常温の水と表現して『冷えすぎ』『冷えたら意味がない』とは……。
この人は何を言ってるの?
「そもそも服装が問題だ!」
「このドレスに何か問題が……?」
王子の色に合わせたマーメイドドレスでどこもおかしくはない。
側近の誰かが手配した物なのだろう、ドレスコードにきっちりと合っている。
特別感はないが、至ってまともだ。
「首・肩・腕が露出していて冷えるだろう。それでなくても女性はコルセットで締め付けるから血行不良に陥りがちだというのに!」
「夜会での正装とはそういうものですので……」
「せめてもの保温にとファーのチョーカーとファーの手袋を贈ったのに、着けていないし!」
「あれってそういう意味だったんですか!?」
ドレスと一緒に何やらモコモコした品々が数点添えられていたのだが、パーティー用としてはファッション的にマッチしないので除外して、ゴールドとサファイアのネックレスとレースの手袋を着けてきたのだ。
「ファーコートとマフも贈っただろう! なのに馬車から降りたらすぐに脱いでしまうし!」
「防寒具を着用したままではパーティー会場に入れませんので。マナーとして」
コートの類はクロークに預けるのが決まりである。
ちなみにマフというのは形状としてはネックウォーマーを巨大化させたような筒状の物体で、貴婦人が手を突っ込んで温めるのに用いる防寒アイテムである。
30年くらい前の流行で、今でも使っているのは年配のご婦人たちだ。
王子から贈られたマフは、思いのほか温かく、指先の冷えを和らげてくれた。
けれど、それを抱えたまま舞踏会の床に立つ勇気は、さすがに彼女にはなかった。
祖母の世代ならともかく、若い令嬢がマフを持ち込めば、きっと笑いものになるだろう。
それでも馬車から降りるまでは有難く活用させていただいたので、それで十分だと思っていたのだが……。
「指先が氷のように冷たくなっているのに、それでも薄着でいなければならないというドレスコードの方がおかしいと思わないか!?」
「それは思うこともありますけど」
冬に寒いと思っても、夏に暑いと思っても、耐えて着る、それが正装というものである。
パーティードレスなんか重たかろうが苦しかろうが意地と根性で着こなすものだ。
寒いからショール巻きたいなんて言ってられないのだ、貴族令嬢は。
「夜会はまあ仕方がない。そう度々開かれるわけではないし、最低限の社交を済ませたら退出してもいいのだから。だが茶会は許せん!」
「お茶会の何が……?」
「カフェインは冷え性に良くないのだ。血管を収縮させる作用があり、手足の末端への血流が少なくなる。よって紅茶を飲むと指先の冷えが加速する」
「……知りませんでした。温かい紅茶を飲めば体が温まると思っていました」
なんならティーカップで暖を取りたいと思っていた。
両手でティーカップを包み込むように持てば手が温まるかな~と。
実際にはそんなお行儀の悪い持ち方は許されないが。
「ノンカフェインの温かい飲み物ならいいのだが。どうしても紅茶でなくてはならないのなら、生姜を加えれば血行が良くなり体が温まる」
「次からそのようにしますわ」
「吹きっさらしのガーデンパーティーも冷えるので、なるべく温かい屋内で茶会を開くように。どうしても屋外でなくてはならない場合は風よけを念入りに」
「心得ましたわ」
混乱していた心はだんだんと落ち着いて王子の話を素直に聞けるようになってきた。
最初に予想していた思いやり云々のお小言ではなく、医学的知識の話なのだ。
咎められるのではなく、心配されている。
胸の奥がほのかに温まるようだった。
「そもそも冷えの原因だが、血行不良に加えて筋肉量の不足と自律神経の乱れが考えられる」
「筋肉量と自律神経ですか?」
王子妃教育に忙しい毎日だが、スポーツも追加するべきかしら、と令嬢は考えた。
「例えばあれだ」
王子が指し示す先にいるのは楽し気に踊る男爵令嬢。
そう、お行儀が良くないと苦言を呈した相手である。
優雅さは足りないが、元気よく跳ねまわるように踊る彼女は笑顔に一点の曇りもなく、頬は上気してピンク色だ。
「筋肉量が十分に足りていて、ストレスが微塵もない能天気な生活を送っていると、ああなる」
「確かに健康そうですわね」
あれが理想だと言われたら困るけど、と侯爵令嬢は思った。
言葉の選び方からすると王子の理想像というわけでもないようだが。
「ああいうお気楽な令嬢の手はポカポカなんだ。血行が良さそうなんだ。時には手汗が凄かったりもする」
「そうなのですね」
手汗はちょっと嫌かも、と侯爵令嬢は思った。
指先が冷たいのと、手に汗をかくのと、どっちがいいのだろう。
甲乙つけがたい問題である。
「君のひんやりした指先は嫌いじゃないし、夏場には気持ちいい。だが秋冬には寒そうで心配だし、冷えが元で体調を崩さないかも心配だ。なんとかしたかったが、保温用の衣服を贈ってもそれでは解決にならないとわかった」
この人は何を言い出す気だろう。
不吉な予感を抱きつつ、侯爵令嬢は心の準備をした。
学業は優秀だが人情の機微に疎く、時に突拍子もないことを言い出す殿下。
でも大丈夫、心にしっかりセーフティーネットが出来てるわ。
さあ言いなさい、何を言い出されてもOKよ!
「必要なのはドレスコード改革だ! 秋冬の夜会では顔と手首から先以外の肌の露出を禁じる法案を議会に提出しよう!」
「それファッション業界と女性団体から大きな反発を食らいますからやめときましょうね!?」
「では全身モコモコの着ぐるみ毛皮ドレスを冬用パーティードレスとして流行らせよう!」
「着ぐるみ毛皮ドレスって何ですか!? それも大きな混乱が予想されますからね!?」
王子の暴走を食い止めようと反論しながら、でも着ぐるみ毛皮ドレスってちょっといいかも、と侯爵令嬢は思った。
頭に猫の耳を模したカチューシャを着けて、ふわふわモコモコのドレスを着て、ふわふわのチョーカー、ふわふわの手袋、ふわふわの靴で王子と踊ったら、身も心もぽかぽかして頬も上気してピンク色になるかも。
ああ、でも専属デザイナーは何て言うかしら。
国内の毛皮の価格が高騰したりしないかしら。
「議会に提出する前に、そのアイディアについて話し合いましょう、殿下。考えなくてはならない点が多々ありそうですわ」
「ではこんなバルコニーではなく、ダンスフロアで踊りながら話し合おう」
「ええ、喜んで」
差し出された手のひらに指先を乗せる。
その指先はひんやりと冷たくても、心はもう寒くない。




