016.現実について, 1
(アイシェアン)
私はこの壁に沿って渦を巻き続ける記憶の欠片と対話した。
そして、私の人間としての最期もまた、ゴーストたちによってこれからも繰り返されるのだろう。
現実は、時間と浸食との関係において、この場所のタペストリーである。歴史は展開するが、同時に刻まれる。
物事は過ぎ去っても、その跡は残る。
文明の記憶と科学的研究は、後に残った痕跡から過去を読み取ることに長けている。
そしてここでも、出来事は別の形で記憶される。脳からのニーモニック・パターンとして、あるいはエネルギー的な信号として、あるいは瞬時の状況プリントとして。写真を撮るための感光材料のように。
記憶とは情報である。そしてここには、混沌とした、時には構造化された情報がたくさん漂っている。この場所が、そう遠くない昔に、そのような目的を持った人間によって造られたと思わせるには十分だ。
なぜなら、これらの記憶が書かれ、そして私の中に浮かんでくるのを読むという方法によって、まるで自分のものであるかのように自然に読むことができることがあるからだ。
私は、私より先にここに来た知らない人たちの思い出を読んできた。すべてがぼやけていて不完全だが、それでも一部ははっきりしている。そしてそれは、後に続く者たちもまた、この流動的な山の上に浮かぶものに到達することができるということなのだろう。
私のだ。
彼らは私の名前を聞き、私の運命の映像を目にし、残されたものを救うために私たちがどのように動いたかという私たちの意志を聞くだろう。
彼らは私の不条理な運命と身体、そして脳から浮遊したままになっているものから、この先に本当は何が待ち受けているのかを知るだろう。
いつまで待つのかはわからないし、どの記憶にも明確な時間の感覚はない。あるのは、視界がはっきりしているときに、廊下が昔とは違って見えたという手がかりだけだ
これは人間が作ったものではないのかもしれない。
ホワイトデーは世界を、そしてこの場所をはっきりと、完全に変えた。
私の異様な肉体は急速に回復する。もうあれをコントロールしようとして疲弊することはない。自我と抽象的な感覚が残っている間は、ただ不思議に思い続ける。私の体はうなり、地面を引っ掻く。私はもうここまで来てしまった...。
姉たちの選択がより賢明なものになるよう祈っている。このあたりでは、すべてが流動的で、とても静止している。このパレイドリックな目に照らされながら、この場所は時間の泡のように感じられる。私はその液体のプールの中で徐々に溶けていき、自分の心がさらに落ちていくのを感じている。
源泉を見たときの焼けるような感覚がいつまでも残る。
世界中に降り注ぐ驟雨は穏やかになったかもしれないが、私にとっては依然として激しく、絶え間なく吹きつける風と戦っている。
この身体はそれに対して耐える方法を見つけたが、それほど古くない過去の人生からの私の思考は、それほど長くはない。
その形はほとんどの影響に耐え、初期に適応した生物のように、このエネルギーを直接糧としている。しかし、古風な部分は縮小し、衰弱していくに違いない。絶え間なくさらされる淘汰が、私が生まれたこの時代遅れの過去を清算するまで。
不愉快な余韻が残り、破滅と痴呆が進んでいくような感覚だ。何かは残るだろうが、アイシアンとしての私はいなくなる。
遅かれ早かれ、私の思考は私のものではなくなってしまうだろう。この海を行き交う人たちとの思い出のランダムなクラスターになるのだ。
私の新しい形の脳は、それらをあたかも私のものであるかのように、無関心に読むだろう。
私はこの世界と場所の記憶とともに溶けていく。そして、それが続く限り、予見することはできないが、この肉体は、現在と過去の浮遊する瞬間の化身として、時に自然に復活しようとしながら、生き続けるだろう。
より広く、しかし抽象的な何かの一部になる。それ自体にはデザインはないが、最近起こったほとんどすべてのことの源であり理由である、私たちの頭上にある概念になる。
歴史や神学の定義が悪い。
そのずっと前でなくとも、このフロアにたどり着いた瞬間に、私はすべての野望を犠牲にした。もし、私がまだ野望を抱いていないのなら...。もう分からない...。
そして、私が時間と現実の認識を失うまで、まだ長い道のりがある。
自分が何になるかは分からないが、永遠に生きることはないだろう...。
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その源は今も昔も私の頭の中で光り輝いている。太陽が頭の中を焦がし、その大気を際限なく吹き飛ばすように。どの方向を向いても、それが見える...。私の頭の奥で、それは私の心を収縮させ、徐々に昇華させていく。
しかし、この小さな太陽が私を燃やしているように感じると同時に、その中に深く落ち込んでいるような気もする。この円形の輝きは、終わりの見えないトンネルに似ている。
あのトンネルに落ちていく。あのトンネルはこの船の中にあるのかもしれないが、私のめまいのする頭には、逆に感じられる。まるで私が相対論的速度で旅しているトンネルの唯一の端であり、その場所全体を運んでいるかのように。
地平線を見ているようだが、それは線ではなく丸い点だ。それはまた、果てしなく引き寄せられるような感覚をもたらし、まるで私が宇宙空間を猛スピードで落下しているようだ。しかし、私と同じように城全体がそうなのだから、もしかしたら惑星自体がそうなのかもしれない。
これらの感覚的な錯覚は、物理的な特異点を前にした相対性の不可解な歪みであり、あるいはもっと単純に、私の知的衰弱の症状である。経験し、研究するには魅力的かもしれないが。
銀河系そのものよりも大きいかもしれないトンネルを抜けていくような感覚だ。
片方の端、片方しか通らない。そしてそれは、この視点からこの城に定位しているのではなく、どこにも、どこにでもある。私たちが下の部屋に運ぶのは、対称性や遠近感の焦点だけなのだ。
もしかしたら私たちは、覗いてはいけない空間への窓を開けた、奇妙な歪んだレンズを持っているだけなのかもしれない。
もしかしたら、それは次元の漏斗で、その国に無限のエネルギーを注ぐためのものだったのかもしれない。
私自身は、それを理解することはできないだろうが......。
とはいえ、それは向こうの太陽の都市がやりそうなことではある。この異変の背後にある意図や目的について、どちらとも結論づけられるほど明確な記憶は見当たらない。
さらに重要なのは、この奇妙な深淵を覗き込むと、無限大からの反射が感じられることだ。
まるで非現実的な次元の鏡が地平線の世界に沿って、あるいは色収差の方法として焦点の後ろにあるかのように、私は空間全体を埋め尽くす想像上の反射を見る。
井戸を通して、自分の考えや思考パターンが観察され、反映されているのがわかる。
そしてこの無限大へのトンネルは、私たちの飛行機のルームミラーを眺めているのと同じくらい小さく感じられる。
小さな鏡だ。
鏡は朽ちていく私を観察している。
自分自身を失い、過去の自分の記憶に過ぎない存在が、その時を待ち望み、運命を理解しようとしている。
その青白いものは、私とは逆で、私が暗くなるのと同じように明るく、私たちが消えていくのと同じように不定形だった。
希望と不可解さ、心配という不可解な感覚が反射しているのが見えた。この奇妙なものが私のビジョンと想像力を奪い、私を読み、私の記憶を映し出しているのだと理解した。
そして現実の新しい側面と完全に融合することが、私の現在の宿命なのだ。
目が私を見たように、私も目を見た。そして、私が迷ったように、その反射も私と同じように混乱していた。
次の災難を防ぐために自分を犠牲にすることが、私の決められた運命なのだ。
この選択が自分の願望によるものなのか、それともプログラムされた別の決断なのか、今となってはよくわからない。
何が現実なのか、何が過去なのか、もはや確信を持って言うことはできない。
この場所から絶対的な意志が、全知全能のデザインや、今はもうはっきりしない過去からの答えのように、私を通して覗いているのかもしれない。目的も自分も見失ったこの海を泳ぎ続けるしかない。
いずれ私の漂流の旅に終止符が打たれるのを、私は辛抱強く待つつもりだ。
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