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6、 破門

明全和尚の解釈で大心は幹部と対立するが、主張を曲げない大心は幹部僧侶の怒りを買ってしまう。

 しかし、事態は意外な方向に進むことになった。突然不老閣から呼び出しがかかった。不老閣は貫主猊下げいかの部屋である。貴族や軍隊、政治の世界では陛下、閣下、殿下というような敬称を用いるが僧侶の世界では貫主に猊下という敬称を使うらしい。封建制度が今でも残っている表れである。厳しい身分制度である。だから1年目の雲水ごときが入れる部屋ではない。お声をかけることもお顔を拝顔することもはばかれるご身分だ。午後の作務までの空いた時間に不老閣の貫主の部屋の前に大心が立つと中から先輩僧侶が出て来て

「中で貫主様がお待ちだ。きちんと挨拶して入りなさい。」

と教えてくれた。大心は

「坂本大心、ただいま参りました。」

と大きな声で中に向けて言って格子戸をあけて中に入った。すると中の控え間には貫主様の秘書役の役僧の方と身の回りのお世話をする雲水が控えていた。大心の顔を見ると

「坂本大心だな。猊下がお待ちだ。ここから入りなさい。」

と言って奥の部屋の襖を開けて中に入るように促してくれた。大心はスリッパを脱いで控え間の畳の上に上がるとそのまま奥の部屋の襖の前まで進んだ。由緒正しい貫主猊下の部屋の襖は狩野派ではないかと思われる立派な絵が書かれている。これまでにこの襖を開けてどれほどの有名人がこの部屋に入ったことだろう。イメージを巡らせながらゆっくりと金具に手をかけ、音を立てないように襖を開けた。奥の部屋は角部屋で2方向がガラスの窓があり、光が明るくあふれていた。

 中に入り膝まづいて後ろを向いて襖を閉め、貫主猊下の方に向きなおして正座で低頭の姿勢を取って挨拶をした。

「坂本大心、参りました。」

緊張で声が裏返ってしまった。貫主猊下は

「大心か。先日監院老師に明全のことで質問したそうじゃな。副監院にも同じことを問答したとも聞いた。おまえの実家の寺は舞鶴の明全寺であるな。有名な明全和尚ゆかりの寺じゃ。その寺出身のお前だからこだわる気持ちもわかるが、ここは永良寺じゃ。曹洞宗だ。臨済宗ではない。開祖道元禅師は遺骨をここまで持ち帰り、この永良寺で手厚く葬っておる。それでいいではないか。それ以上は無理だ。これ以上問答の話題にすることは許さん。わかったか。」

貫主の厳しい言葉に大心は何も言えなかった。低頭の姿勢から挨拶をして部屋の外に出た。控え間の役僧は大心の目を見て

「わかったか」

という意味を念押しするためにかぶりを振った。大心は強い権力に抗うわけにもいかず、反抗はしなかったが無言のまま部屋を出た。

 これ以上騒ぎを大きくしてはいけないことはよくわかっていた。貫主様によびだされるという事がどういうことなのか、これ以上逆らったらこの寺を追放されるかもしれない。


 それからというもの大心は疑いを持たず寺の教義に従うようにした。明全寺は生まれ育った実家だが、明全和尚は臨済宗の高僧であり、曹洞宗とは宗派が違うのである。永良寺で学ぶ雲水にとってただひたすら座禅を組み自らの心の中にある仏心に触れ、仏の姿に近づくことこそが修行であり、普段の生活の中にこそ修行がある。顔を洗う事も掃除をすることも食事をすることも寝ることもすべてが修行につながっているのである。永良寺の教義に疑問を持って生活していては本当の修行にはたどり着けないのだ。仏教理論をこねくり回すよりも只管打坐する姿の方が実践的なのである。


 そんな日々が数か月続いて行った。毎日毎日疑いの心を持たず修行に打ち込む大心だったが、夏の朝の座禅を組みながら、急に大心の心に道元禅師の姿が浮かんだ。大心の頭に浮かんだ道元禅師は承陽殿の木像の道元よりもはるかに若い道元だった。中国にいるようだ。近くに床に臥せる男もいる。明全和尚のようだ。

「明全様、お気を確かに。死んではなりません。日本では多くの民が明全様のお帰りを待っています。明全様が持ち帰る新しい臨済を待ち望んでいます。どうか目を開けてください。」

と臨終の際にいる明全に声をかける道元がいる。場面はガラッと変わり骨壺を持った道元が大きな寺に立ち寄るとそこには多くの修行僧がいる。彼らにどんな修行をしているのかと聞くと

「われわれは新しい禅を極めている。ただひたすらに座り自らを見つめる。」

と言っている。その僧侶は名を如浄と名乗った。中国曹洞禅のはしりのようだが道元は感化を受けたようだ。それまで明全と共に中国禅の臨済を極めるために頑張ってきたが、明全の死と如浄との出会いで新しい禅に出会った瞬間のようだ。道元は明全の骨壺を抱きながら涙を流し明全に何か話している。

「明全様、ようやく見つけました。臨済を超える曹洞を。栄西様もたどり着けなかった世界を私たちは見つけたのです。」

と話しかけている。そこで大心は我に返った。

 座禅を組みながら寝たわけではなかった。僧堂の自分の場所で静かに目を半眼に心穏やかに足を組んで自らの心を覗いていただけだった。無心の境地に現れた白日夢なのか。大心はその道元の言葉に秘められた道元の思いを探った。

『道元は明全と共に臨済の発展を願って中国の宋にやってきた。明全の死後、途方に暮れていたが中国禅の一派である曹洞に出会った。しかしこれは明全と共に中国にやって来たからこそ出会えた考え方で臨済を否定するものではなく臨済の発展形だと考えていたようだ。道元は決して臨済宗の開祖である栄西やその遺志を継いだ明全を否定するものではない。』そう大心は白日夢の中で見た道元から悟った。その日の座禅を終えた大心は問答に加わらないわけにはいかなくなった。


翌日の請益しょうやくの日、夕方の講話を終えた副監院老師に再び問いかけた。

「開祖道元は臨済と曹洞との関係をどうお考えだったのか。」

その言葉は法堂に響き渡り、雰囲気を凍り付かせた。雲水たちも古参の役僧たちも大心が貫主に呼び出されて注意されてからは、その話を持ち出したら破門されるかもしれないと知っていたからだった。山深い里の古寺の風の音以外何も聞こえない静寂の中、僧侶たちの息使いが激しくなってくる。そんな中、顔を赤らめた副監院は大きな鼻息をさせて

「大心、おまえ、何という事を。わかっておるのか。」

と恫喝した。大心は怯むことなく

「道元のお考えはいかに。今の永良寺はいかにお考えか。」

とさらに声を荒げて追及した。副監院はその場を取り繕うために

「臨済と曹洞との関係に心を奪われるではない。修行こそが最も大事だ。自らの心に聞くのだ。」

と大心を諭した。大心は全く納得できていないが質問の方向性を変えられてしまったので残念そうな顔をしながら

「老師様、私は臨済のことを道元はどう思っていたのかをお聞きしたかっただけです。修行が大切なことはよくわかっております。」

と言ってその日の問答は終わった。

当然、その日のうちに大心は貫主の部屋に呼ばれた。大心は貫主の前で低頭の姿勢を取りお言葉を受けた。

「大心、そなたには失望した。明全と臨済についての話はやめろと言ったはずだ。」

と静かな声でお話しされた。大心は

「私は道元の書かれた『寶慶記』や『普勧坐禅儀』を読みました。中国で出会った如浄の「身心脱落」の語を聞いて悟りを得、中国曹洞禅の、只管打坐の禅を受け継いだことや、その際の問答記録が『寶慶記』であることなどを学びました。そして私は座禅中に道元の姿を見たのです。栄西や明全を尊び、臨済の発展形に曹洞宗を見出したと言っていました。もう少し道元の著作を研究して臨済との関係を明らかにしたいと考えます。」

と懇願した。しかし貫主は

「この後の沙汰は追って知らせる。」

と言って大心を下らせた。


 処分が決まったのは早かった。翌日、僧堂にお知らせの張り紙がなされた。

「処分、坂本大心、破門の上、永良寺追放」

と書かれていた。予想されたこととはいえ雲水たちに与えた影響は大きくみんな動揺していた。

「大心、だからやめろって言ったじゃないか。破門されていくとこはあるのか。」

同期の天親が張り紙を見ながら心配してくれた。大心は落ち着いた表情で

「破門にされることは分かっていたけど問答に持ち込まないと明全和尚に顔向けができない気がしてさ。仕方ないさ。さて帰る用意でもするか。」

と言って僧堂にある荷物をまとめ始めた。しかし荷物と言ってもほとんどなくて生活用品を手提げ袋に入れ、寝具と座禅用座布団を棚に返して終わりだった。そこから世話になった先輩の教郁さんや大庫院の先輩、最後に監院老師と貫主様にご挨拶をして山門から出ていった。あっさりしたものだった。普通は去るものを追わずだが、破門追放はお別れの式典もない。当然見送りもない。

 帰りの汽車は永良寺門前駅から京福電鉄で福井駅まで出て福井駅から北陸線を敦賀まで行くと小浜線に乗り換えて県境を超え舞鶴までだった。車中実家の明全寺のことが頭をよぎった。父や母はどういうだろう。寺の住職になる資格を取るために行ったのに、その期待に応えることが出来ず、破門されて戻って来た息子をどう迎えてくれるだろうか。国鉄の福井駅で汽車に乗る前に買い込んだ板付きのかまぼこと天津甘栗を食べながら両親を前にした第一声の言葉をシミュレーションしていた。


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